最終章――覚醒篇――

19.Delusion(妄想、すべてが都合の良い虚構)

【最終章 ――覚醒篇―― Akira Hino's Answer(日野晶の出した答え)】


 ◇


 ◆



「妄想だ! すべてお前の妄想だったのだ!!」


「妄……想……」


 日野ひのあきらは揺れ動く記憶のなかを彷徨っていた。

 妹が行方不明となり、逮捕され、勾留を受けて少なくとも二週間が経っていた。

 警官たちによる尋問が厳しく続き、精神が疲弊し切っていた。


「そうだ、お前は度重なる就職活動の失敗で精神を病み、世界が滅びるだとか妹が冷凍イカだとかいう重度の妄想に取り憑かれるようになった」


「すべて、俺の……妄想……」


「思い出すんだ。八月八日、どこで何をしていたか。妹二人を殺害し、お前は死体をどこに隠した?」


 警察官がデスクを拳で叩き、スタンドライトの光をこちらへ向ける。

 刺すような眩い光と共に、記憶の奥からイメージが浮かぶ。


 そうだ、俺は思い出す――。


 ◇


 ◆



 その日、Google Chromeのインターネットブラウザを立ち上げ、ホームのYahoo!画面を開くと、一件の新着メールが届いていた。差出人は親戚の伯父だった。


――――――――――――

 件名:君のためを思って

 本文:晶へ。本日、朝刊に良い求人が掲載されていました。君は君で頑張っていると思いますが、何よりも安定した企業のなかで社会経験を積むことが大切です。求人情報をコピーしたPDFファイルを貼っておきましたので確認して下さい。

 申込み期日が近いですので、必要書類を整えすぐにでも応募してみるとことを勧めます。


 伯父より

――――――――――――


 ちくしょう!! 俺はマウスを机に叩きつけた。

 どいつもこいつも馬鹿にしやがって!!


 去年、俺は伯父のとある強力なコネを使って某企業の求人に応募したのだが、二次選考で呆気無く不採用通知を受け取ることとなった。伯父はその時のことをまだ気にしていて、お節介にも週に一度は求人情報を添付したメールを送り付けてくるのだ。


 俺は心底うんざりしていた。

 これ以上、就職活動を続けることに。

 これ以上、生き続けていることに。


 ◇


 ◆


「おにいちゃん」「おにいちゃん?」


 ユキ、ミユじゃないか。

 どうしてここに。


「わたし、南高校に合格したんだよ!」


 ユキが合格証書を手にはしゃいでいた。


「おにいちゃんが勉強教えてくれたおかげだよ! 約束したよね。わたしは約束通り、一生懸命勉強して、志望校に受かったよ。おにいちゃんも、志望企業に入るんだよね?」


「よせ、やめろ……その話はもう……」


 たしかに、俺は妹の受験勉強を応援するために言ったかもしれない。


『ふっ、何のために勉強するかを悩んでいるのか? いいか、この世界を生き抜く上で、知識は決して裏切ることはない。俺を見てみろ。俺はこの頭脳を持ってして就活で勝ち組になる。だからユキも、自分に妥協することなく高望みをしろ! 必ず二人で夢を実現しようぜ!!』みたいな格好つけた台詞を言ったに違いない。


「どうして就活辞めちゃったの? おにいちゃんの嘘つき!!」


 やめろ、そんな悲しい眼で俺のことを見るな。


 今度はミユが俺の前に進み出た。


「ねぇ、おにいちゃん。ぼく、懸賞論文に投稿して最優秀賞をとったよ。これでやっと、憧れだったおにいちゃんと肩を並べられるね」


 ミユが授賞式で貰ったらしい金のトロフィーを誇らしげに見せた。


「やめろ……俺はもう、かつての俺じゃないんだ……」


「ねぇ、おにいちゃんはどうしてそうやって、自分を卑下するようになったの?」

「どうして自分の可能性を諦めるようになったの?」

「どうして自虐に逃げるようになったの?」

「どうして変質してしまったの?」


 うるさいうるさいうるさい黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ――、


「黙れ!! お前たちに俺の気持ちが分かってたまるかあああああああああああああああ!!!!!!」


 ちょうどそのとき、目の前に包丁があった。

 新調したばかりのステンレス包丁だ。

 刃渡り十七センチメートル。


 俺は我を忘れて、目の前の妹たちに包丁を突き刺した。

 返り血で視界が見えなくなっても、俺は狂ったように。

 横たわって冷たくなった妹たちを、藁人形に打ち込む釘のように、刺し続けたのだ。


「どうして、おにいちゃんは――」


 妹の言葉が頭のなかで反響していた。

 どうして、こうなったのか。

 こうなってしまったのか。


 それは俺自身が一番、訊きたいことだった。


 庭にスコップで穴を掘り、妹の死体を埋めた。

 ちょうどそこを通りすがった警官に目撃され、俺は彼の銃を奪って射殺を試みたのであった。


 妹を殺したショックから、俺は『冷凍イカの瞳』『バブル・バベル』という自分で考えた空想に取り憑かれた。


《おにいちゃんは、セカイを救えるヒーローなんだよ》

 そのように、妹が自分を頼ってくれる物語を、渇望していたのだ。


 世界終末を望んでいたわけではない。


 ただ、妹を守るかっこいい英雄としての、ライトノベルの主人公に憧れていただけだったのだ。


 バブル・バベル

 弾けた、消えた、崩れた、散った、

 俺の創った妄想の世界で、妹たちはもう見せることのない幸せな笑顔を浮かべた。


 待ってろ、ミユ、ユキ。

 俺もすぐに、そっちに行くから。


 刑務所のなかで自殺は難しいかもしれないが、俺は自分の手で必ずおのれを地獄へと送ってやる。


 未来が、視えないんじゃない。

 すべて分かっていたのだ。


 俺にも、妹たちにも、最初から未来が無かったことを――。

 否、未来を奪った黒幕は、俺自身だったことを――。


 夢のように朧げで不確かな意識の海で、ようやく《真実》を悟り、涙を零した。


 妹の左目は、冷凍イカの瞳。

 すべてが俺の妄想で、都合の良いオカルト。

 人殺しの罪から逃れるための、デタラメに過ぎなかった。


 ◇


 ◆


「……、以上が俺の犯した罪のすべてです。俺が、ミユとユキを殺しました。この手で、間違いなく」


「そうか、よく自白した」


 先ほどまで鬼の形相だった警察官が、そこでようやく柔らかい表情を見せた。


 そのとき――。


「大変です! 警部!」


 ドアが勢いよく開き、別の警官が入ってきた。

 彼の手には、透明な袋が握られている。そして袋の中に見覚えのある物体が。


「証拠品が突然!」


「ば、馬鹿な……」


 袋には、ミユの携帯電話が入っていた。黒く乾いた血の跡が、禍々しくこびりついた携帯電話。


 初代FOMA端末を彷彿とさせるそのレトロな端末が、黄泉の国へと誘うかのような不気味な音色でメロディを奏でている。


 ミユ……。

 ワーグナーの交響曲だったか。

 妹との思い出が光となって浮かび上がる。



「おにいちゃん!」「おにいちゃん!」


 幻聴がまた、聞こえた。

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