13.時(時間からいのちを奪った、灰色の男たち)


「おにいちゃんはさ、未完の小説ってどう思う?」

 助手席から兄に声をかける。

 空港へと向かう幹線道路はトンネルへと入った。


「ミカンの小説? それは美味そうだな。新しい料理のインスピレーションが湧いてくるぜ」


「そうじゃなくって、完結しないままに残ってしまった小説のこと。ネットの連載小説だとよくあるじゃん」


「ああ……そうだな。やっぱそういうのは、作品よりも作者のことが気になるよな。ある日突然、更新が途絶えて物語が宙ぶらりのまま放置される。作者に何か重大な事故や病気があったのだろうかと心配になる。でも例えば、その作者のツイッターを覗いてみたら、普段通りに元気に呟いていたりする。では彼、彼女はどうして小説の続きが書けなくなってしまったのだろう、書かなくなってしまったのだろう……と、不思議に思っていたさ、昔はな」


 まだ朝は早い。

 しかしゴールデンウィークの帰省ラッシュ渋滞のためか、前方の車の流れが少し遅くなった。兄がブレーキを踏みゆるやかに減速すると、後部座席の旅行鞄が揺れてカタンと小さく鳴った。

 ドイツへ行くためのパスポートが入っている。


「今は違うの?」


「俺は小説を書いたことはないが、今となっては彼らの気持ちが少しは分かる気がする。終わるに終われない、けれど先に進む勇気もない。ピリオドを打ちたくても打てない。ハッピーエンドのビジョンが、未来が視えない。だから何もかも諦めて、放り出したくなる。……就職活動も、同じだからな」


「終わりが見えなくても、今現在の最善手を見つけて、実行するべきじゃないかな」


「ははは、ミユみたいな台詞だな」

 兄は笑って誤魔化した。



***** *****



 列車にひとり揺られて、兄との会話を思い出していた。

 私は兄にどういう返答を期待したのだろう。何をメタファーに籠めたのだろうか。


 ドイツ到着から二日目、私はフランクフルトに一晩宿泊したあと、冷凍イカ研究所のあるハイデルベルクへと南下。ハイデルベルク=キルヒハイム/ロアバッハ駅というやたらと長い名前の駅で下車する。


 駅を降りると、予想以上に人がたくさんいた。観光客らしき人たちで溢れかえっている。


 単に大都市圏であるだけでなく、ルネサンス建築を象徴するハイデルベルク城、バロック様式の旧市街、カヌー名所のネッカー川、ドイツ最古の橋を再建したアルテ・ブリュッケ、ネアンデルタール人遺跡、ゲオルク・ヘーゲル、マックス・ヴェーバー、カール・ヤスパースがかつて教鞭を執ったドイツ最高学府ルプレヒト・カール大学、そして『哲学者の道』――と何かとこの都市、ハイデルベルクには見どころが多い。


 ドイツ旅行といえばベルリン、ミュンヘン、フランクフルトの三都市が有名だけれど、ハイデルベルクもなかなか捨てがたい。


 駅前広場のベンチに座って空を眺めていると、日本と比べて随分と空が大きく見えた。景色から無くなって初めて気がつくのだが『電線と電柱』は日本独特の景観を形作っていたのだ。無数にある電柱を電線が幾何学的に結び、まるで結界のように空を区切っている、当たり前の非日常。


 この国には街灯と建築物の他には空を邪魔するものが無かった。彫刻された白い壁と、煉瓦色の三角の屋根、中世ヨーロッパの町並みが、遠くの山まで伸びやかに続くのだ。


「ぐーてんもぐもぐ?」


 ふと、声をかけられて驚いた。


 否、ここで待ち合わせをしていたのだが、声をかけてきた人物が想定外だった。

 背は高いが、幼さを隠し切れない小学生らしき少女が目の前に立っていた。


 しなやかなブロンドのロングヘアにサングラス、白いワンピースに紅のランドセルを背負っている。


「グ、グーテンモグモグ……」

 挨拶されたのでとりあえず返す。


 グーテンモグモグって何だ。Guten Morgenではなく。

 日本語でいう『おっはー』や『にゃんぱすー』のように、ドイツではグーテンモグモグが流行しているのだろうか。あるいは方言かもしれない。


 少女が笑顔で握手を求めてきたので、立ち上がってそれに応じる。


「はじめまして、私はモモ。バーデン博士から頼まれたの。あなたを研究所まで案内するように」

 モモと名乗る少女は、英語でそう自己紹介した。


 ランドセルを背負っているがゆえに小学生だと思い込んだが、彼女は私と同い年で、しかも研究者だと知る。


「こちらこそはじめまして、私は日野ひの雪葉ゆきはです。今日はありがとう」

 と簡単な英語で返す。


 せっかくだから観光してく? と誘われたが、まずはバーデン博士と先に会ってからにしたいと答えた。


 ネッカー側の川沿いを二人で歩く。まるで妹と散歩しているかのような気分になる。

 柳のような樹が等間隔に植樹され、芝生では犬がフリスビーで遊んでいる。川ではカップルがカヌーを漕いでいた。平和だと思った。


「あの、個性的なファッションですね」

 おずおずと話しかける。


「ああ、ランドセルでしょ。日本では珍しいのかな。パリに行ってご覧よ、めっちゃ流行ってるから。ちなみにあたしのは A4サイズ対応の特注ランドセル。実用的で可愛い!」

 モモはそんな意味合いのことを言った。


 話の流れで分かったが、彼女の名はやはりドイツ児童文学作家ミヒャエル・エンデの代表作『モモ』を由来としていた。副題は『時間泥棒と盗まれた時間を人間に取り返してくれた子供についての不思議な物語』


 作中に出てくる敵キャラ、灰色の男たちはブラック企業の経営者のように、人々に《仕事の効率化》と《時間の節約》を要求し、労働者は仕事の楽しみも忘れて、資本主義の利潤を生み出すだけの機械と成り果ててしまう。

 言ってみれば、この子供向けの文学作品『モモ』は、増殖して歯止めの効かなくなる資本主義システムそのものを風刺している。否、予言していた。


「希死症候群の原因は、灰色の男なのでは?」

 だから『モモ』に引っ掛けて、モモにそう訊ねたら、彼女は大いに笑った。


「そうね、"Zeit ist Leben"だから」

 Zeit ist Leben、時間は生活である、と『モモ』では和訳されているが、同時に、時間は生命であり、生きることそのものである、という意味を持つ。


「But,"Time is money."」

 と返すと、これもなかなか受けた。


 時は金なり。


 人々は将来の成功、未来の繁栄のために時間の価値を見出すようになった。だから時間をいかにして金融資産に変えるかに人間は躍起になる。資本主義は科学を発展させたが、お金は人類に宿っていた生命的な時間を蝕んでいった。


「あとね、雪葉さんは希死症候群って表現してるけどね、私達はバブル・バベルって呼んでるの。ウイルスが人を殺すわけじゃない。人間を殺すのは、同じ人間。あくまでバブル・バベルは人々から《未来》という希望を奪い取り、結果として殺人や自殺、不妊を引き起こすだけ」


「バブル・バベル、ですか」


「そ、人間が札束で築き上げてきたバベルの塔。神様のいる天空を突き抜けて、天文学的なところまで膨れ上がっちゃったけれども、いかに金融資産が増殖しようとも地球資源に限りがある以上、どこかで無理が生じる。だからバブルが弾ける。人類の経済的発展という未来が、幻想となって消える」


「我々が神を殺した。やがて未来をも殺すだろう、ということですか……」

 哲学者ニーチェの言葉になぞらえて言う。


「ねぇ、あたしたちは一体、何と戦えばいいんだろうね」


 モモが遠くを眺めて言った。


 ハイデルベルクの空は雲ひとつなく澄んでいて、しかし――未来が視えなかった。


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