12.彼(おにいちゃんの百倍かっこいいカレシ!)
「待って、ミユちゃん」
私はそこでミユを押しとどめる。
「事情は分かった。催眠療法で私を自殺ウイルスから救おうとしてくれたんだよね? 気持ちは嬉しい。できる限りの協力はしたい。でもね。女の子が軽々しくイチャラブしよっ!なんて言ったらダメなの」
姉として、妹を正しい道へと導いてやらなくてはならなかった。
ミユはしかし不服そうに、でも人類の衰退が云々と曰っている。
「あのね、こういうのはシチュエーションが大切なの!」
私は妹の肩に両手をぽんと置いた。
ミユはふえっ!?と聞き返した。
***** *****
それから一週間が経つ。
日曜日は晴れだった。
駅前のデパートにミユを引っ張ってきて、普段は入らないメンズ系のアパレルショップに入る。ミユはお洒落なんてぼくには似合わないよーと最初は嫌がっていたが、催眠のためにどうしても必要なのだと説明すると渋々ついてきた。
だが、いざ店に入るとノリノリで服を選び始めた。
メンズなので当然、男性向けの服しかない。髭面の店員が場違いの私達をドギマギした様子で窺っていた。兄も連れていくべきだったか。
ミユは何着かを選びとると、頬を赤らめて試着室へと入っていった。
それから数分後。
「すごーい、おにいちゃんの百倍かっこいいよ!!」
私は妹の姿を見て大絶賛する。
ミユが着ているのは、紺のスリムなジーンズに皮のベルト、シックなグリーンのシャツとダークグレーのジャケットだ。元々ミユはスカートではなくズボン派だし、髪もショートカットだ。それに一人称ボクっ娘だし、男装が絶対似合うという確信はあった。
それでもまさか、ここまでとは――。
「えー、おにいちゃんと比較されるのは、ちょっとな……」
たしかにあの兄と比べるのは気が引けるほどのかっこよさである。
「ジャニーズに入れるくらいイケメンだよ!!」
私は言い直した。
「えへへ、そうかな」
今度は照れてくれた。
試着を終え、気に入ったものを何点か選び、購入した。ミユは自分でお金を出すと言ったが、ここは私が意地を通しておごった。ショッピングの帰り道にはミユは満悦した様子でスキップしていた。
周りを見やると、若い恋人たちが、家族連れが、老夫婦が、犬を連れた女性が、人々が過ぎ去ってゆく。皆それぞれの人生があり、幸せがあり、今を生きている。人類が滅びる危機が差し迫っていることを知らぬままに。
ミユだけに任せるわけにはいかない。私が、何とかしなければ。
家に帰る。
父は仕事に疲れて寝ているようだ。母は居間でクロスワードを解いていた。
二階に上る。
兄は休日だというのに部屋に引きこもってアニメを観ているらしい。何のアニメだろうか『生存戦略ー』という声がドアの前を通り過ぎるときに聞こえた。生存戦略するのであれば少なくともアニメを観ている場合ではないと思うのだが。
ミユは自分の部屋に戻ると、さっそく買った服に着替える。もちろん私もその場に立ち合う。先ほどのジーンズとジャケットでバシッとスタイルを整え、髪を後ろでアップにして男の子みたく耳を出す。
「あとは台詞だね」
ジャニーズに匹敵するイケメンへと変身した妹は言った。
「うーん、ためしに『ずっと会いたかったぜ』って言ってみて」
女の子が彼氏に一番言われたい台詞ってなんだろうか。
「ずっと、会いたかったよ」
そう言ってミユは私の髪を優しく撫でて、抱きとめるように顔を近づける。
息遣いがすぐ耳のそばで感情を擽る。
「ふふ、顔が赤いよ、ユキ。ぼくに本当に惚れちゃったのかな」
心臓がばくばくと脈打っている。これが、恋――。
「悠くん、大好き」
悠くんと名付けた妹を抱きしめる。
そう、恋はシチュエーションが大切なのだ。
そのとき、
「俺は認めんぞおおお!!」
兄がいきなりドアをぶっ飛ばして入り込んできた。
「貴様ぁ、よくもうちの妹をたぶらかしてくれたな。俺は彼氏なんて認めんからなぁ!」
兄は右手をフレミングの法則にしてミユを指差したが、そのポーズは今ひとつ決まっていなかった。
「えーと、ぼくも一応妹なんだけどな……」
ミユは私から離れると、後ろでアップにしていた髪を降ろす。
「ってミユじゃないか。どうしたんだその格好。まさか、男の
何故か目をキラキラと輝かせて言う。
「どう、かっこいいかな?」
ミユがはにかむ。
「くっ、まさか妹に負けるとは……」
私ははじめから勝負になってないよと言いたかったが、その前に兄はとぼとぼとした足取りで部屋を出て行ってしまった。
結論を述べると、こうして妹は私の嘘彼氏となったのだった。
LINEにも『彼氏ラブ』として登録し、『愛してるよ(ハート)』『今夜もラブラブしようね(ハート)』などの甘いやりとりをするようになった。
今夜もラブラブ、とはもちろん催眠術のことである。
四月から七月ニ十九日のあの事件が起こるまで、彼氏となったミユは、毎晩私にイカ催眠をかけてくれた。
私がわざわざ妹に彼氏の演技をさせたのには理由がある。
それはミユ自身が自覚していない、彼女の脆さにある。恐らく、この案件は彼女ひとりの精神では持ち堪えられない。人類滅亡の危機をミユはどうして誰にも『助けて』と言わず自分ひとりで抱え込んでいるのか。
だから私は、妹の精神が壊れてしまう前に《彼氏》としてのペルソナを緩衝材として用意させたのだ。
そして私の側から、この事件を解決する必要があった。
《人類の滅亡》《眼の異変》《イカ》《冷凍された恋愛感情》
ミユから聞いていた上記四つのキーワードから、私はすでに問題の中枢に関わっているであろう人物についてアタリをつけていた。
クライオニクス(人体冷凍保存技術)研究の世界最先端とされる、ドイツ西部の研究所。英語表記でFSL― Frozen Squid Laboratory、通称《冷凍イカ研究所》
研究所長は海洋生物学・保全生態学の権威、
「ドイツ、か……」
直接に会うためには、パスポートを入手する必要があるし、学校を休まなくてはいけない。しかし、人類の危機的状況下に悠長に構えている暇などなかった。
少し準備が遅れて五月。
ゴールデンウィークを利用して、私はドイツに発つこととなった。
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