05.レートウイカ(冷タク凍ツタ烏賊ガ視テヰル)
八月のお盆休みが始まる前に実行しておく必要があった。すでにカルト団体から何らかの影響を受けているであろう妹たちからは、情報を引き出すことが難しい。ユキは窓から飛び降りるほど情緒不安定であるし刺激したくない。ミユも、この件に関して頑なに口を開こうとしない。
実際に行動に出たのは夕方五時を回ってから。
市立南高校、ユキの通う高校に来ていた。といっても校舎内には立ち入れない。不審者と間違われる恐れがある。
だから、正門から少し離れた細い脇道で俺は待ち伏せすることにした。体育館の影と石垣に挟まれたこの道は暗くて人目につかないが、何割かの生徒の下校ルートとなっている。
しばらく蚊に刺されながら待っていると、夏休みの部活動を終え下校する生徒たちがやってきた。三人組の女子高生だ。髪のパサツキ具合からおそらく水泳部だと思われる。
「あっ、あっ、あの、ちょっと……」
声をかける。緊張し過ぎて裏声のような変な音が喉から発せられる。自覚する挙動不審。
しまった、女子高生と接するには経験値が足りなすぎる! そういえば俺は高校時代でさえ女子高生と話したことなんてなかった。(妹を除く)
女子高生三人組は俺の呼びかけに立ち止まるどころか、むしろ足を速めて離れていった。
「なにあれ、変質者?」「目を合わせたらダメだって」「一応通報しとこ」
そんな会話が聞こえた気がした。
《変質者》って意外と語感がカッコイイよな、と自分を慰める。
反省点を踏まえ、次からは男子高生のみに聞き込みすることにした。
「うーん、宗教とか都市伝説とかがうちで流行してるってのは聞かないッスねー」
五人ほどに声をかけたが、返ってくる答えは一緒だった。
俺は好青年な野球少年に取り敢えずの礼を言う。
「やっぱ何かの間違いじゃないッスかね。うちは事件もなんもない良くも悪くも普通の高校ですし」
「そ、そうかもしれんな。編集長の勘違いかな。俺もしがない雇われライターだから、さ」
口から出まかせを言う。
「でもやっぱライター憧れますって。どうやったらなれるんすか?」
バリバリ体育会系に見える青年はしかし、意外にも目を輝かせている。
「人との関わり、人脈を大切にすることかな。たくさんの人と親しくなることで見える世界も広がるし、間接的に出版に携わる人はそれこそたくさんいるから、後々そういったコネクションが重要になってくるんだ」
学生時代に友達がひとりもできなかった俺は、自身に突き刺さるブーメランに苦しみながらも偉そうに諭してやった。ライター設定で聞き込みしようと考えたのは完全にミスだ。
積極的な男子高生からの質問攻めにしどろもどろしていると、都合良くスマートフォンの着信が鳴ったので「へっ、編集長!!」とオーバーリアクションしてから、男子高生に視線とジェスチャーでごめんとさよならを伝え、逃げるようにしてその場を去った。
スマホが知らせたのはLINE(チャットサービス)に届いた新着メッセージだった。俺は適当に返信をしてから、ポケットにしまう。
(収穫なし、か……。慣れないことするもんじゃないな……)
諦めかけた矢先、校門からひとりの女子高生が出てくるのが見えた。
(当たりだ!)
彼女は右目に眼帯をつけていたのだ。
俺はまず、自分の右腕に持ってきたものを取り付けたのを確認してから、女子高生のもとに歩み寄る。
「失礼、ちょっとお尋ね申し上げます。その右目について」
俺は気持ちやや低めの音色で話しかける。女子高生とふつうに話すと自分は緊張して挙動不審になってしまう。だからあえて最初から怪しいキャラを演じ、不自然な挙動を目立たせない作戦に出た。
「知っているのですか? それとも私が知るべき事象なのですか?」
眼帯の少女はよく分からないことを言った。よく分からないがゆえに《当たり》だと確信を持った。
「もちろん存じております。そして貴殿が存じ上げるべき事象です。ただ、本当に貴殿が我が同輩かを確認するために、貴殿の所属を伺っても宜しいでしょうか?」
鎌をかけた。ハッタリもいいところだった。これで相手は、自分の属しているカルト団体の組織名を必ず口にするしかない。
眼帯少女はしかし首を傾げた。
「知らないのですか? それとも私を試しているのですか?」
何故だ、何故ハッタリが効かない。しかしここまでくればハッタリで切り抜けるほかなかった。
「いかにも。我は貴殿を試していたのです」
「覚醒してるようには視えない。やっぱり信用できません。本物だというなら、あなたの方から説明してください」
ここで手詰まりなのか。
いや、まだ打開策はきっとある。相手から情報を引き出すための鍵があるはずだ。思いだせ、あの日、ユキは何と言っていた。中二病な妹は、何を曰った?
(『おにいちゃんがいつになっても就職先を決められないように、わたしも永遠にこのままなんだって。でも、現実は残酷だった。』このあとの台詞だ、そうか思い出したぞ!)
「ニンゲンは変質してしまう、心身共に。……わたしは変わってしまった。変わってしまったんだ……」
思い出したといってもうろ覚えだったが、ユキの台詞をそのまま唱えた。
眼帯少女は初めて驚いたように目を見開く。
「まさか本当に……レートウイカの……」
よし、あと一押しだ!!
「そう、変質してしまったんだ。俺は、変質者なんだ!」
キメ顔でそう言うと、少女は気圧されたように足を一歩引いた。
そのとき、後ろから肩を叩かれた。
「ねえ、ちょっときみー」
振り返ると、警察官が立っていた。
「この辺りで変質者が出たって通報が来たんだけど、もしかしてきみのことかなー」
口当たりこそ軽いものの、鋭い眼光、屈強に鍛えられたボディに俺は身震いした。
「ひゃっ、ち、違いましゅ」
「ま、詳しいことは署で聞くからさー、身分の証明できる……ってあれ、これは失礼しました! まさかPTAの方だったとは」
警察官の態度が豹変したので俺は気がつく。そういえば、念のための保険で右腕にPTA腕章をつけておいたのだった。誤解される恐れがないと分かると急に緊張が解けた。
「ははは、お気になさらず。若く見えるのでよく間違われるんですよ。私は市立南高校PTA会第三区地域安全パトロール隊班長の、
肩書をこれほどありがたいと思ったことはない。両親ともに仕事で忙しく、対してニートの俺は暇なので、代わりにPTA役員を務めているのは本当だった。さらに念押ししておこう。
「じつは先ほど、私にも不審者情報の連絡網が回ってきまして」
警察官にスマートフォンの画面を見せる。
ついさっきLINEの南高PTA公式アカウントから送られてきたチャットが液晶に表示される。『不審者発生注意』の投稿に対して、俺は『了解、見回りしてきます』とリプライを返していた。
「最近は物騒な世の中ですからねー」と言ってやると、警察官はやや気まずそうな愛想笑いを返してくれたので、俺は満足してこの辺で引き上げることにした。
残念なことに、眼帯の女子高生の姿はもう無かった。得られたのは彼女が最後に呟いた『レートウイカ』というナゾの固有名詞だけだった。
零十医科、霊塔依化、いろいろと漢字を当ててみるがしっくり来ない。妹たちがニンゲンがどうの人類がどうのと言っていたことから察するに、まさか『冷凍イカ』が正解なのか? まぁいいや、帰ってからGoogle先生に聞けばいい。
そうだ、今夜の夕食は、イカの姿焼きにしよう。
俺は上機嫌でスーパーに向かった。
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