第13話 傾城

 上杉喜平二景勝は、当年とって二十四歳になる。

 越後から三国峠みくにとうげを越えて関東へ通じる上田庄うえだのしょう坂戸さかと城主じょうしゅ長尾ながお政景まさかげと前のお屋形・謙信の姉との間に生まれた。十歳の時、父が亡くなって、謙信の養子になり、春日山城に引き取られて、以来その薫陶くんとうを受けて育った。三郎景虎は戦に出されることは無かったが、景勝は十七歳の時に初陣ういじんを飾って以来、謙信の右腕として常に先頭に立って働いてきた。その麾下きか上田衆うえだしゅうと呼ばれる士たちも勇猛で鳴らしている。

 ひとたび戦場にのぞむと、『前隊既に戈を交へ矢丸雨の如く下だり、呼声天地に震ふ時も、身尚ほ幕中に臥し鼾声雷の如し』剛の者であった{『名将言行録』より}という逸話いつわも残っている。

 あまり表情を動かさない。無口である。

 でも、それは彼の着けている仮面のようだ、と菊が気づくのにさほど時間はかからなかった。近習きんじゅうの者でさえ笑顔を見たことが無いそうです、と揚羽は報告するが、菊の見るところ、心を許したごく一部の者に対しては違う接し方をしている。でも残念ながらその中に

(私は含まれていない)

 そう、菊のみならず、衆目しゅうもく一致いっちするところ、景勝寵愛ちょうあいの者とは四辻よつつじ御前ごぜんこと宇佐美紅だった。

 彼が彼女を見ている時の柔らかな表情でわかる。

寝所しんじょに召される回数だってけた違いに相違ない)

 別に自分が景勝に嫌われているとは思わない。れ物に触るように丁重ていちょうに扱われているのは事実だ。でも、あまりにも礼儀正しすぎる関係のような気がしてならない。

 これは自分が側室の娘だからそう思うだけなんだろうか。母は、父・信玄の数多あまた居る側室の一人ではあったが、甲州一と言われた美貌の持ち主で、信玄の寵愛ちょうあいも深く、子沢山こだくさんだった。おそらく正室との関係というのは多分に儀礼的なものなのだろう、と菊は思うことにした。

「何で殿は、紅を正室にしなかったのかしら?あんなにお気に入りなのに。」

 うっかり揚羽にらして、後々ひどく後悔した。

 この忠実な侍女はほんとに痛そうな表情をした。

 以来事あるごとに、このままでは菊さまのお立場がございません、しっかりなさいましと叱咤しった激励げきれいするかと思えば、何、こちらが目上なのですから、どんどん遠慮なく使ってやるがよろしい、何もせずに堂々となさいまし、などと矛盾むじゅんした進言をするようになってしまったからだ。

 自分でも本当は、菊に何をさせたらいいのかわからないんだろう。

 景勝は義父にならって、戦というと先頭切って飛び出していくので、城にいることはほとんど無い。

 留守を預かる紅の毎日は忙しい。

 ぞろりとした打掛うちかけは脱ぎ捨て、髪を高く結って括袴くくりばかまき、身軽に飛び回っている。城中の仕事を全て取りまとめているのは当然の事ながら{その中には食糧の炊き出し、傷病人しょうびょうにんの手当て、鉄砲のたまったり矢を作ったりなどから、取ってきた大将たいしょうくび化粧けしょうなどといった、ぞっとしない仕事まで含まれている}、守備を指揮し、景勝や諸将と連絡を取り、戦の報告を受け、その合間には吏僚りりょうたちの間に入って書類を見たり、算盤そろばんはじいたりしている。

 算盤は当時みんから渡来した最新鋭の計算機で、これを自在に使っている者を、菊は初めて間近まぢかに見た。

 菊の元にもたびたび、ご機嫌きげんうかがいにやって来る。自分が来られない時には使いの者を寄越よこして、何か不自由なことはないか、尋ねる。

 気遣きづかこまやかで親切なので、武田からともとして付いてきた者たちにも評判は悪くない。中には、すらりとした若衆わかしゅう姿の紅がはるか遠くに見えただけで、そわそわしてつつきあったり顔を赤らめる侍女たちまで居て、揚羽は益々おかんむりだ。

「どう見たって堂上どうじょうの姫じゃありません。四辻家といえば権大納言ごんだいなごんも務める上流貴族です。あんな娘が居てたまりますか。」

 大体、『四辻御前』と呼ぶ者が城内に一人も居ない。

 男なら『駿河殿するがどの』、女なら『琵琶島びわじま御料人ごりょうにん』と呼ぶ。『紅』と呼び捨てにしているのは景勝、『姫君』と呼んでいるのが景勝の近習きんじゅうに一人居る。

 その疑問に答えを出したのも又、当人だ。

「ああ、あれは名前だけ。私もくわしいことは存じませんが、堂上の娘という地位を金で買ったんでしょう。」

 しゃあしゃあとして言った。

「昔、御奉公ごほうこうしていた家の都合で、四辻卿に養女にしていただいたのです。私、もともとは越後の琵琶島びわじまという所の武家の出なのです。『駿河守するがのかみ』というのは、家の官職{この場合、僭称せんしょう}です。鎌倉の御家人ごけにんで、伊豆から来た家なもので。」

と言うのだが、揚羽は又、眉を寄せた。

「まあ、私にはこの国の御用商人でしたから、と申しておりましたわよ。何でも美濃の織田家にも出入りしていて、あるじに気に入られているのは勿論もちろん、かの家の武将たちとも昵懇じっこんだとか。堺から来たという者たちだって……御覧ごらんになりませんでした?」

 あれなら見た。堺の商人という話だった。菊を救出した船の操縦を指揮していたのも彼らだという。

「とんでもない。」

 揚羽が声をひそめる。

「どう見たって海賊ですよ。」

「商人たちって、海を渡ると倭寇わこうって呼ばれているらしいし。それくらい荒くれた者じゃないとやっていけないらしいから。」

「だって姫さま。周りに上杉の者が居ない時など、『おかしら』なんて呼んでいるんですよ。彼女もまるで男のように腕を組んで、ちまた姉御あねごのような伝法でんぽうな口をきいては大口開けて笑っていたんですから。」

 中には唐人とうじんらしい者も混じっていたという。

 紅が、

「有難ね、皆、来てくれて。こんな危ないところへ。」

と礼を言うと、一人が言うには、

「礼ならねえさんに言っておくんなさいよう。あっしらにここへ来るようにさせたのも、姐さんでさ。」

 あれからわか、飲んだくれて荒れちまって。でも姐さんにさとされてね。

 大変なのはあののほうじゃないのかい。それなのにあんたは自分ばっか憐れんで、酒に逃げてるのかい?女が一番つらいときに支えてやるのが、ほんとの男ってもんだろう。

「それで若も、はっとしてね、店に帰ってきて、あっしらに越後へ行ってくれっつったんでさ。」

 でも、もう帰りましょう、お頭。用があったのは前のお屋形なんでしょ?死んじまったんだからもういいでしょう。堺に帰りましょうよう。

 すると紅が言うには、

「今のお屋形さまは私の幼馴染おさななじみなの。彼を見捨てて帰れないよ。」

 やっぱりお頭ってそうなんだ、いっつも他人のことに頭をつっこんで抜き差しならなくなっちまうんだよお、と周りは嘆くことしきりであったという。

「揚羽ったら、松の癖が写っちゃったの?よくもまあ、そんなに調べ上げたもんだわね。やあよ、春日みたいになっちゃ。」

 菊が呆れると、揚羽は真っ赤になって怒りだした。

「婚家のことを調べて実家に報告するのは嫁いだ女の当然の義務です。姫君が嫁入りの時に敷銭しきせん{持参金}や土地{財産}を与えられているのも、家来を付けられているのも、その為ではございませんか。」

 当時、女は嫁いでも尚、実家に属する。

 系譜けいふの上では誰それの娘、と位置付けられ、嫁ぎ先では実家の氏族の名で呼ばれる。政略結婚の嫁は、実家の勢いが衰えると哀れなことになる。自分の為、自分の産んだ子の為にも、女は実家に尽くす。揚羽の言うことは至極しごく当然のことなのである。

「姫君は、新羅三郎義光公を祖として四百数十年の歴史を有する甲斐源氏武田家の末裔まつえいであらせられます。そのことをようく肝に命じて下さいませ。姫君は御配慮ごはいりょが無さすぎます。」

「わかっているわよ、もう耳たこだってば。」

「姫君、何ですか、その言葉遣ことばづかいは!」

 わかったわかった、と言いながら、あの女は一体どういう立場なんだろう、と菊は思う。

 黙って座っているだけで景勝の寵愛ちょうあいは深いのに、何があの女を駆り立てているんだろう。

「そうは言うけど、皆に良くしてくれるわ。そんなに目のかたきにしなくてもいいんじゃないの?」

「いくら親切そうに振る舞っていても、しょせん、美貌びぼうしかの無い女でございます、が、そこが曲者くせものなのです。」

 菊が黙ってしまったのをいいことに、揚羽は今日こそは言いたいことを言ってしまおう、と決心ているようだ。

「男たちに認められるには美しいかどうかがすべてなのです、あの女もそうやって地位を築いてきたのでしょう。でも、その恩恵おんけいこうむって世間一般の女が皆、評価され、認められるようにはならないのです。女が成功するかいなかは、男に気に入られるかどうかにかかっているのです。」

「……。」

「あれは絶対、奸物かんぶつでございます。『傾城けいせい』とはあのような女の事を言うのでございます。」

 揚羽が断言した。

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