第11話 送り狼

 手足を伸ばしてぐっすり眠って、翌朝は気分良く目覚めることができた。遅い朝食をとっていると使いが来た。

 書院しょいんへ行くと、既に紅が来て、慶次郎と相対あいたいしていた。

 紅は髪をわらべのように高く結び、括袴くくりばかまを身に着けている。一朝事いっちょうことあらば又、馬に乗って飛び出していくつもりのようだ。

 対する慶次郎は旅支度たびじたくをしている。

 紅は菊に挨拶あいさつして上座かみざを勧め、自分は一段低い位置に座って、てきぱきと座をとりしきる。

「ただいまあるじが留守の為、大変僭越せんえつではございますが、私が代わりを務めさせていただきます。」

 ぽんぽんと手を叩くと、三宝さんぽう高々たかだかささげた侍女じじょが出てきた。慶次郎の前に三宝を置くと又、静々しずしずと下がっていく。三宝の上には金襴きんらんの袋が三つばかり載っている。

「このたびは姫君を助けていただき、大変有難うございました。些少わずかではございますが、こちらは御礼の品でございます。」

 頭を下げる紅を見ながら、慶次郎は手を伸ばして袋をつまむと振ってみせた。

「たったこれだけか。」

「不足ですか。」

「足りないな。甲越同盟のあかしの大事なお姫さまなんだろ。春日山の蔵には金がうなっていると聞いたが。輿入れ料に一万両。」

 紅の眼が光った。かすかに笑みを含んで言う。

「よく御存知ですこと。黄金のことはごく一部の限られた者しか知らぬはず。どこでお耳に?」

 慶次郎は、とぼけて言う。

「さあ、おおかた、風の便りだろうよ。こっちもかすみを食らって生きているわけじゃないんだ。出すものは出してもらわないと。感謝の気持ちとやらがあるならばな。」

「わかりました。早速さっそく用意させましょう。ところで」

と紅は口調を改めた。

「鮮やかな武者ぶり、ただのお方とは思えません。当方もいくさをしているのは御存知のとおり。我が主に仕えるお気持ちはありませんか?お金がうなっているわけではありませんが、勇士に払うお金は惜しみません。お好きなだけ出しましょう。」

「それは有難いが、又の機会にしておこう。」

 慶次郎はあっさり断った。

「旅から旅への気ままな暮らしがしょうにあっている。まだ、ひとところに腰を落ち着ける気にはならないんだ。」

「そうですか。ではお好きなように。でも、気が変わられたらいつでもいらして下さい。当家ではお待ち致しておりますので。」



「何て欲張りなんでしょう!」

 後で揚羽がプンプンして菊に言った。

「武田の姫君をお助けするなんて、名誉なことです。かような下賎げせんな者はその場に居合わせただけでも感謝してしかるべきです。ああいう男のことを『守銭奴しゅせんど』って言うんですよ!」

「ほんとにお金が無いのよ。」

 菊が言った。

「貧乏で気の毒な身の上なのよ、きっと。」

「気の毒、ハッ!」

 揚羽が鼻で笑った。



 紅は誰も居なくなった書院に座って庭をながめている。

 昨夜少し降った雪は今ではすっかり消えて、わずかに地面を濡らしている。山茶花さざんかの花盛りで、散った花びらが緑のこけの上に白や桃色の川を幾筋いくすじも作っている。

さる。」

 口を開いた。

御前おんまえに。」

 庭に、ぼおっと人影がにじみ出た。

「昨日はご苦労だった。姫が無事救い出されたのはそなたの働きのおかげだ。礼を言うぞ。」

「いえ、違います。」

 影が苦笑した。

「あの姫君、勝手にどんどん抜け出して、あの男もそれに劣らず無茶苦茶むちゃくちゃで。手前てまえは付いて行くのがやっとでございました。それにしてもあの男、横着者ずうずうしいやつでございますな。」

 紅は声をたてて笑った。

「違うわ。あたしを試しているのよ。あれはただのねずみじゃない。ところで」

 表情をやわらげた。

「お元気だったか?」

「姫君をお助けしたのはあの方です。」

「ほんと?」

 ぱっと明るい顔になった。

「そう。あの方さえ御無事なら。」

 御館おたてのある方角を見た。



 菊は大手門まで慶次郎を見送りに行った。

「あれは何とも、たいした女だぞ。」

 慶次郎はかがみこんで、草鞋わらじひもをしっかりと結びなおした。

「姫君も前途多難ぜんとたなんだな。じゃ、俺はこれで。」

 立ち上がると、足取あしどりも軽く行こうとする。

 残される身の心細さがつい、声になって出てしまった。

「行ってしまうの?」

「ん?名残惜なごりおしいだろう。」

 ちょっと眉をあげて、興深きょうぶかそうにかえりみる。

「全然。」

 むっとする菊に向かって陽気に手を振ると、大股おおまたに門をくぐって行った。



 城を出ていくらも行かないうちに、慶次郎は一人でないことに気づいていた。

 つけられている。

 相手は一人。殺気さっきは感じられない。

(でも、ちっとも嬉しかねえや)

 人里を離れ、雑木林ぞうきばやしに入ったところで走り出した。走りながら手にした槍のさやを払うとやぶに向かって突き出した。

 穂先ほさきが届く一瞬、黒い影が宙に舞い上がったかと思うと、手裏剣しゅりけんが雨のように慶次郎に降り注いだ。あらかじめ予測していた彼は、槍を車輪のように回して手裏剣をはじき飛ばした。

 黒い影はするすると木を伝わって、はるか上に上がっていく。枯れた木の枝が重なり合っている陰に器用に隠れて、こちらをうかがっているようだ。

「上杉の手の者か、いや違う、あの紅とかいう女の配下だろう。」

 暢気のんきな口調とは裏腹うらはらに、慶次郎の構えにすきは無い。

「大事な姫を助けて、挙句あげくてはおくおおかみか。とんだ馳走ちそうだな。」

「お前さまに危害を加えるつもりはない。」

 頭上から声が降ってきた。老人のようだ。

「わかっているさ。何処どこへ行って何をするつもりか見届けろ、というんだろう。戻って女主人に伝えろ。俺はこの国を去る。もう用は済んだ。でも、又、戻ってくる。きっとな。」

 樹上の気配が消えた。

 慶次郎は槍の穂をさやに収めると、足早あしばやに歩き出した。

 越後に冬を呼ぶ風が、びょうびょうと吹いて、枯れ枝を叩いている。

 一瞬、城の門前にたたずむ女の面影が脳裏に浮かんで、消えた。

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