第95話 浜辺

 春日が死んだ。

 自分が案をった芝居が大当たりし、みやこじゅうの評判になったのをたりにしての、死だった。

「あのお芝居は、姫さまと私で考えたのでございますよねえ。」

と嬉しそうに言いながら、死んでいったのだ。

 惣蔵は結局、松の一座にすわることになってしまった。

 あの大立ち回りで古い傷跡がと口を開けてしまい、しばらく寝込んでしまったからだ。

 よくなった後も、何だかんだと理由をつけて、松が離したがらなかった。

 菊は、達丸の存在を、いつ惣蔵に知られるかと気がかりでならない。

 松や一座の者、店の者にも固く口止めしたが、幸い、惣蔵の記憶に、達丸は残っていないようだった。小夜姫が兄にじゅんじたとき、一緒に死んだようにカンちがいしているらしかった。

 そのうち菊も気がゆるんで、達丸を店に戻した。

 松は、何とかして、惣蔵を引き留めようとした。そして彼を、『糸より』の役にすることを思いついた。

 惣蔵は嫌がった。

 でもいざ舞台に立つと、彼は、あっという間に、松に並ぶ人気者になった。

 小柄こがらで色白で、武田では松と並ぶ舞の名手だった彼が、ユライ{かぶり物}を被り、口元を扇で隠して踊ると、本当に可愛らしかったのだ。

 松には女性が、惣蔵には男性が群がった。

 惣蔵は、『阿国』の一座にとって無くてはならない役者となった。

ウソから出たまこと、とはこういうことを言うんですね。」

 お金が入った松が、新しい紅絹もみの下着を買って、ようやく自分のを返してもらった揚羽が、

「ちょっと色落ちしちゃったみたい……。」

つぶやきながら言った言葉だった。

 菊の扇も売れた。

 観劇の記念に買う見物人はもとより、地方への土産として買う人が多かった。

 でも絵屋の売り上げの落ちた分を補うには、至らなかった。

 今まで、絵屋の収入の四分の一は教会の仕事だった。

 秀吉は、呂宋フィリピン入貢にゅうこううながす交渉の過程で、スペイン人と接触した。スペイン人は、かねてから対立していたポルトガル人を讒言ざんげんした。そのためポルトガルから援助を受けているイエズス会の、長崎にある修道院や教会は破壊されてしまった。

 教会の仕事は、先行き、望み薄と考えたほうがよさそうだった。

(仕事の幅を広げなきゃ。このままじゃ、先すぼまりだ)

 一体、どうしたらいいんだろう。

 店先で、頬杖ほおづえいて一人、ぼんやりと考えていた菊は、暖簾のれん隙間すきまから中をのぞき込んでいる男と目が合って、びっくりした。男はにっこり笑って、頭を下げた。

「あらまあ、小六さんじゃないの。どうしてそんな所に立ってるの?中に入ってよ、さあ。」

 絵屋の商売と肩を並べて、小六の商売も大きくなった。

 今では小六も、田舎回りのぎょう商人ではない。絵屋と同じく五条に、立派な店を構え、そこでは、しっかり者のという女房が采配さいはいを振るっている。

 もっとも、浮気したのしないのって、しょっちゅう、大騒ぎになってるんだけどね、と言うのは、おあむの弟の平助、今では絵屋に小僧として奉公している、のべんである。

 びんに白いものが混じり、恰幅かっぷくがよくなり貫禄かんろくがついて、でも相変わらず愛想あいそうのいい小六は、布袋ほていさまに近づきつつあるようだ。

「いやあ、あの扇は売れておりますよ。いち早くあの一座をお取り上げになるとは、さすが絵屋さん、お目が高い。」

 小六は、菊と『阿国』の関係を知らない。

「お忙しすぎて、少しお疲れですかな。」

「いえ、そんなことは。」

「お忙しいところを何なのですが、今日はちょっとお願いがございまして、こうしておうかがいした次第しだいなのです。いやあ、ちょっと敷居しきいが高うございましてな、それで外から内を伺っておったのです。」

「何をおっしゃいます。小六さんが居てくださったからこそ、今日の絵屋はあるのです。そんなことを言われては、うちに罰が当たります。」

 本当のことだったので、菊は熱心に言った。

 ほ、ほ、ほ、と小六は笑った。

「お祭りが近いのは、絵屋さんも御存知ごぞんじでしょう。」

「あ、祇園ぎおんさんのお祭りですね。」

 四条にある八坂神社の祭りは、都中がき立つ祭りだ。

 今から五百年も前、疫病えきびょう退散たいさん祈願きがんして始まったが、幾度もの戦乱によって中断を余儀よぎなくされた。だがそのたびに、町衆まちしゅうの熱意によって、以前にも増して豪華ごうか絢爛けんらんなものとなっていった。

 五条界隈かいわいは町が広がってきて、新しく出来た店が立ち並ぶ。いわば新参者しんざんものだ。最近、町会ちょうかいが出来て、小六もその役員に選ばれて奔走ほんそうしていると、平助からも聞いている。

 一方、絵屋は、せいぜいいくつかの飾り物や引き出物の扇を提供するくらいで、今まで積極的に関わってこなかった。菊が教会に出入りしていたので、町の者にはキリシタンだと思われてきたせいもあるのだろう。

(物だけではなく、人手ひとでも貸せってことなんだろう)

 商売がおもわしくない今、人を出すのは痛いけれど、この町の一員として認めてもらえる、いい機会でもある。

 菊は覚悟を決めた。

(店の者から何人出せるだろう。一座の者にも、お祭り当日だけだったら、何か手伝いを頼めるかも)

 ところが小六が頼んだのは、意外なことだった。

「今度、新しい会所かいしょが建ったのは御存知ごぞんじでしょう?」

 その玄関に飾る屏風を作って欲しい、というのだった。

「それが、あんまり手間てまちんが出せないのです。同時に『山』も作ったので……。」

 五条橋はかつて都と洛外の境であり、同時に、この世とあの世の境だと考えられていたことがある。五条河原で、安倍あべの晴明せいめい宿敵しゅくてき芦屋あしや道満どうまんによって命を奪われるが師匠の術によって蘇生そせいしたとの伝説があり、それに基づいて、晴明の人形が道満の人形と術をわしている場面を描いた舁山かきやまを作ったのだ。

「それでなかなかお願いに伺えなくて。」

「何を仰います。お代は頂きません。」

 菊は心から言った。

「こんな名誉なことはございません。喜んでお引き受けいたします。」

 二つ返事で引き受けたものの、菊は、と困ってしまった。

 今まで扱ってきた屏風は、教会が有力者に贈る品で、図柄は、西洋の騎士や田園で遊ぶ婦人像などだった。

(慣れてるからマリアさまっていうのも。祭神さいじん牛頭ごず天王てんのうが怒っちゃうだろうし)

 一生いっしょう懸命けんめい描いた一本松の絵を、下手ヘタくそ、と妹になじられたのも、実はひそかにこたえている。

(あたしにはこれ以上、商売を広げる才能なんか無いんだ、っちゃな扇だの色紙だの飾り物だのを売ってるのが、しょうに合ってるのよ)

 菊が真っ白な画布がふを前にため息をついていると、かたわらでだらしなく寝そべって絵を描いていた達丸が、突然、言った。

「海はどうかなあ。夏だし。」

「えっ?」

「だからさ、だいだよ。叔母さま、それで悩んでるんでしょ?」

「な、悩んでるって、そんなこと、子供に関係無いでしょ?」

「もー、バレバレだよ、叔母さまったら、筆を握ってため息ばっかりついているじゃない。小六おじさんが絵屋に来て頼んでったんでしょ?平助から聞いたよ。」

 どうやら、この子の頭の中には既にもう、構図が出来上がっているようだった。

「じゃ、どう描くの、あなたなら。」

 達丸は寝転んだまま、手元の紙に素早く筆を走らせた。

「ほら、こっちのほうに島を描く。右から左へ松の枝を伸ばす。」

 菊は達丸の描いた構図どおりに、ざっと下描きを作った。

 達丸は寝転んだまま、じっとその下描きを眺めていたが、

「いや、やっぱりちょっと違うな。」

つぶやくと

「変える。」

 自分が描いた松のえだりを、ささっと描き直した。

「これでいいと思うよ。描き直してみて。」

 菊は、言われたとおりに枝振りを描き直すと、尋ねた。

「どうしてこっちのほうがいいと思ったの?」

「この紙を折ってちょっと壁に立てかけてみて。それから、こっち来て寝転んでみて。」

 菊は言われたとおりにした。

「松の枝見てて。あっち転がったり、こっち転がったりしながら見てみて。」

 目を疑った。

 どの方向から見ても、松の枝がつながって見える。見る方向によって松の形が劇的に変わるのに、決して枝が切れずに、全て同じ、ひとつづきの松であり続けるのだ。

「ね、わかったでしょ。」

 達丸が嬉しそうに言う。

「ねえ達、こんなこと、誰に習ったの?何処か、お寺とかに置いてあった?」

「違うよ、こうやって寝転んで屏風を見てて、思いついたんだ。屏風って何処にでもあって、皆、何気なく使ってるけど、使ってて楽しければ、もっといいと思わない?」

 結局菊は、その屏風に、達丸のアイデアをまるまる使ってしまった。

 出来上がった屏風を見て、町の人々は誉めそやした。達丸の考えた見方を教えると、皆はもっと喜んだ。

 会所にえられた屏風は『不思議な松の屏風』として評判になり、よその町の人々まで見物に訪れるようになった。会所の入り口は、屏風を一目見ようとする人々で押すな押すなの騒ぎになった、ところが。

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