第95話 浜辺
春日が死んだ。
自分が案を
「あのお芝居は、姫さまと私で考えたのでございますよねえ。」
と嬉しそうに言いながら、死んでいったのだ。
惣蔵は結局、松の一座に
あの大立ち回りで古い傷跡がぱっくりと口を開けてしまい、
よくなった後も、何だかんだと理由をつけて、松が離したがらなかった。
菊は、達丸の存在を、いつ惣蔵に知られるかと気がかりでならない。
松や一座の者、店の者にも固く口止めしたが、幸い、惣蔵の記憶に、達丸は残っていないようだった。小夜姫が兄に
そのうち菊も気が
松は、何とかして、惣蔵を引き留めようとした。そして彼を、『糸より』の役にすることを思いついた。
惣蔵は嫌がった。
でもいざ舞台に立つと、彼は、あっという間に、松に並ぶ人気者になった。
松には女性が、惣蔵には男性が群がった。
惣蔵は、『阿国』の一座にとって無くてはならない役者となった。
「
お金が入った松が、新しい
「ちょっと色落ちしちゃったみたい……。」
と
菊の扇も売れた。
観劇の記念に買う見物人はもとより、地方への土産として買う人が多かった。
でも絵屋の売り上げの落ちた分を補うには、至らなかった。
今まで、絵屋の収入の四分の一は教会の仕事だった。
秀吉は、
教会の仕事は、先行き、望み薄と考えたほうがよさそうだった。
(仕事の幅を広げなきゃ。このままじゃ、先すぼまりだ)
一体、どうしたらいいんだろう。
店先で、
「あらまあ、小六さんじゃないの。どうしてそんな所に立ってるの?中に入ってよ、さあ。」
絵屋の商売と肩を並べて、小六の商売も大きくなった。
今では小六も、しがない田舎回りの
もっとも、浮気したのしないのって、しょっちゅう、大騒ぎになってるんだけどね、と言うのは、おあむの弟の平助、今では絵屋に小僧として奉公している、の
「いやあ、あの扇は売れておりますよ。いち早くあの一座をお取り上げになるとは、さすが絵屋さん、お目が高い。」
小六は、菊と『阿国』の関係を知らない。
「お忙しすぎて、少しお疲れですかな。」
「いえ、そんなことは。」
「お忙しいところを何なのですが、今日はちょっとお願いがございまして、こうしてお
「何を
本当のことだったので、菊は熱心に言った。
ほ、ほ、ほ、と小六は笑った。
「お祭りが近いのは、絵屋さんも
「あ、
四条にある八坂神社の祭りは、都中が
今から五百年も前、
五条
一方、絵屋は、せいぜい
(物だけではなく、
商売がおもわしくない今、人を出すのは痛いけれど、この町の一員として認めてもらえる、いい機会でもある。
菊は覚悟を決めた。
(店の者から何人出せるだろう。一座の者にも、お祭り当日だけだったら、何か手伝いを頼めるかも)
ところが小六が頼んだのは、意外なことだった。
「今度、新しい
その玄関に飾る屏風を作って欲しい、というのだった。
「それが、あんまり
五条橋はかつて都と洛外の境であり、同時に、この世とあの世の境だと考えられていたことがある。五条河原で、
「それでなかなかお願いに伺えなくて。」
「何を仰います。お代は頂きません。」
菊は心から言った。
「こんな名誉なことはございません。喜んでお引き受けいたします。」
二つ返事で引き受けたものの、菊は、はたと困ってしまった。
今まで扱ってきた屏風は、教会が有力者に贈る品で、図柄は、西洋の騎士や田園で遊ぶ婦人像などだった。
(慣れてるからマリアさまっていうのも。
(あたしにはこれ以上、商売を広げる才能なんか無いんだ、
菊が真っ白な
「海はどうかなあ。夏だし。」
「えっ?」
「だからさ、
「な、悩んでるって、そんなこと、子供に関係無いでしょ?」
「もー、バレバレだよ、叔母さまったら、筆を握ってため息ばっかりついているじゃない。小六おじさんが絵屋に来て頼んでったんでしょ?平助から聞いたよ。」
どうやら、この子の頭の中には既にもう、構図が出来上がっているようだった。
「じゃ、どう描くの、あなたなら。」
達丸は寝転んだまま、手元の紙に素早く筆を走らせた。
「ほら、こっちのほうに島を描く。右から左へ松の枝を伸ばす。」
菊は達丸の描いた構図どおりに、ざっと下描きを作った。
達丸は寝転んだまま、じっとその下描きを眺めていたが、
「いや、やっぱりちょっと違うな。」
と
「変える。」
自分が描いた松の
「これでいいと思うよ。描き直してみて。」
菊は、言われたとおりに枝振りを描き直すと、尋ねた。
「どうしてこっちのほうがいいと思ったの?」
「この紙を折ってちょっと壁に立てかけてみて。それから、こっち来て寝転んでみて。」
菊は言われたとおりにした。
「松の枝見てて。あっち転がったり、こっち転がったりしながら見てみて。」
目を疑った。
どの方向から見ても、松の枝が
「ね、わかったでしょ。」
達丸が嬉しそうに言う。
「ねえ達、こんなこと、誰に習ったの?何処か、お寺とかに置いてあった?」
「違うよ、こうやって寝転んで屏風を見てて、思いついたんだ。屏風って何処にでもあって、皆、何気なく使ってるけど、使ってて楽しければ、もっといいと思わない?」
結局菊は、その屏風に、達丸のアイデアをまるまる使ってしまった。
出来上がった屏風を見て、町の人々は誉めそやした。達丸の考えた見方を教えると、皆はもっと喜んだ。
会所に
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