第78話 八多羅拍子
天正十四年の年が明けてすぐ、北陸・東海から
前年、家老の石川数正にさえ見放されて滅亡の危機にあった家康は、
聚楽第、方広寺の大仏造営と、秀吉は着々と京に
天下はいよいよ秀吉のものになりつつあるが、彼は東への
十月、ついに家康は上洛し、大坂城にて秀吉に
かくして最大の脅威を取り除いた秀吉は、翌天正十五年春、九州遠征を計画することになる。
朝廷でも
七月、皇太子、
十一月、正親町天皇は七十歳にして譲位し、孫の周仁親王が十六歳にして即位した。
松が助けた
当時の御所は、信長や秀吉の手が加わってようやく
諸国を回る旅の一座や、河原の見世物小屋の興行も、御所に参上していたが、女御が一番気に入って、呼んでくれるのはやはり、『
戦乱続く都を逃れて地方へ下っていた公家たちも、続々と都に戻ってきている。
権力は武家の手に渡って久しいが、文化は公家たちがしっかりと伝統を受け継いできた。とはいうものの、
今日は子供たちのおさらい会なのだ。
御所には、信虎も
足利十三代将軍・義輝の
菊や松が心配するように、確かに達丸は、武将向きの
達丸は身分が違うので、おさらい会に出演することは出来ない。でも出演者の子供たちとは顔見知りなので、彼らが出番を待つ間、控えの
一人、おさらいをする子。
「ああ。もう、あがっちゃって。」
と言いながら
かと思うと、全く気にしないで、
人それぞれである。
「私なんか
「わあ、そりゃ大変だ。」
「全然、出来てない、バラバラになっちゃうから。」
「
皆、同情する。
還城楽は舞の一種だが、八多羅拍子という
「どうしよう、今日はお
青ざめて、
達丸は根が親切だ。
何とかして皆の気持ちを楽にしてやることは出来ないだろうか。
(そうだ、いい物がある)
祖父がいつも
達丸は祖父を探しに行った。あいにく祖父は他の人たちと話をしているとのことで、いなかった。でも従者が瓢箪を預かっていたので、達丸は、祖父に持ってくるように言われた、と、ちょっとした嘘をついてもらってきた。
瓢箪の中からは鼻をつく強烈な匂いがして、子供たちは顔をしかめたが、
達丸も一口、味見をしてみた。薬くさかったが、液体が腹の底に落ち着くと、じんわりと体の隅々まで暖かさが広がった。
なるほど、こんな寒い日に、うってつけの飲み物だ。
達丸も子供たちも、もう一口、二口、と飲んだ。
最後には、局に居た子供たち全員が、瓢箪の中身を口にした。
瓢箪はすっかり
おさらい会は、
今日は
練習の成果を家族に見てもらおうと、
庭の中央に設けられた舞台では、
田で鯉を
でも、その鈴の音が聞こえないほど、泣き声は大きい。
「嫌だ嫌だ、おうちに帰るの!」
いくらお付きの者がなだめても泣き
泣いている少女は、先だって即位した後陽成天皇の妃だった。誠仁親王の女御と同じ
だが幼い妃は
せめて同い年の子供たちの舞を見て、
「もう嫌、お部屋に帰る。」
少女が泣きながら立ち上がったときである。
向こうのほうで争う声が聞こえた。
「お待ちください、まだ出番ではありませぬ。」
誰かが何か言い返したが、何を言っているのかわからない。
と、幔幕の下から
それは
『むやみに』『やみくもに』という意味で、『やたらめったら』など『やたら』が付く言葉の
その後ろから幔幕をくぐって姿を現したのは、
陵王は、
納曾利は
皆、何かに取り付かれたように
その後ろからもう一人、這い出してきたのは
不老長寿の薬を求めて
「これこれ、行ってはならぬ、お待ちなされ。」
と、息を切らして追いかけ始めた。
これは今日の舞の
だが、還城楽も陵王も納曾利も、水の流れに浮かぶ木の葉のように、楽しげに逃げ回る。
追いかける扶桑老は、白い長い
崑崙を舞っている子供たちは、よその騒ぎなどお構いなしに、輪になってくるくると回っている。ともかく自分のやるべきことは終えてしまいたいと思っているようだ。
大人たちは
突然、
「あーはっはっは、はははは。」
明るい大きな笑い声が響き渡った。
それは後陽成天皇の妃だった。
宮中に上がってからというもの、涙の乾く間も無かった姫が今、大声で笑っていた。
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