第41話 風流踊り

 忘れられない一夜が明けた。

 雨はすっかり上がって、夏の強い日差ひざしが水溜みずたまりにうつって光っている。

 信長が制して以来、炎に焼かれることの無かった都は、その支配者の没落と共に、御所の付近を中心に灰燼かいじんしていた。

 南蛮寺から二条御所に駆けつけたときには、もうすっかり火の手が回って近づけなかった。信忠の行方を追って、本能寺にも行ってみた。本能寺は東西約百五十メートル、南北約三百メートルにも及ぶ巨大な寺だったが、すっかり焼失してしまっていた。まだ余燼よじんのくすぶる中、桔梗ききょうの旗を立てた兵たちが警護して、中に野次馬やじうまを入れないようにしていた。信長も信忠も死んだという者、いや逃げおおせたという者、噂ばかり錯綜さくそうして、その行方はようとして知れなかった。

 松がようやく河原に戻って来たのは、その日の夕方のことだった。

 でも松はいくら問い詰められても、何処どこで何をしていたかを言わなかった。ただ、もういいの、聞きたいことは聞いたから、とだけ口にするのだった。

 それからしばらくして、菊たちの小屋に南蛮寺の坊さんたちが訪ねてきた。

 司祭しさいは先日と違う人物だったが、お付きの方には見覚えがあった。彼らは、みすぼらしく狭苦しい小屋に菊たちがぎゅうぎゅう詰めに暮らしているのを見て、まゆひそめた。

 若いほうの坊さんが言った。流暢りゅうちょうな日本語だった。

「この小屋は狭すぎます。見れば小さなお子たちもいらっしゃる。どうでしょう?我々教会の者の紹介で、新しい家を借りるというのは?」

 これには菊も異論いろんは無かった。

「有難うございます。ええと……。」

「これはしたり。申し遅れました。」

 若い坊さんはにっこりした。

「こちらは司祭のニエッキ・ソルディ・オルガンティーノ、私は修道士しゅうどうしのジョアン・ロドリゴと申します。」

 明智あけち光秀みつひでの天下は長くはなかった。

 それから十日たつかたたぬうち、西から羽柴はしば筑前守ちくぜんのかみ秀吉ひでよしが舞い戻ってきて、京近郊の天王山てんのうざんで明智軍をさんざんに打ち破った。光秀は山崎小栗栖おぐるすやぶの中で土民どみんの槍に突き殺されてしまったという。

 信長に大変目をかけられていたとはいうものの、身分の低い新参者しんざんものだと家中かちゅうの武将たちからは色眼鏡いろめがねで見られていた羽柴秀吉は、とむらい合戦がっせんに打ち勝つことで一気に実権じっけんを握り、信忠亡き今、信長の跡継ぎの最有力候補におどり出た。でも、それをよしとしない古参こさんの武将たちとの間に争いがおきるのではないかというのが、もっぱらの町の噂だった。

 菊たちにとって権力が誰のものになろうと関係の無いことだった。

 彼らは喜び、安堵あんどした。ようやく洪水こうずいおびえることの無い家が手に入ったからだ。たとえその家がどんなに小さくみすぼらしく、あまつさえその下に『川』が流れていようとも、彼らにとって、甲府を離れたとき以来、久しぶりに枕を高くして休むことの出来る『我が家』だったのだ。

 その家は四条しじょう室町むろまちにあった。

 周りは空き地で草がぼうぼうとい茂り、屋根の隙間すきまからは夜、星をながめることが出来、根太ねだは腐って、地下を流れる川が天井から差し込む日光に反射して鈍く光っているのが、床の隙間すきまから垣間かいま見えた。

 越後で見た『洛中らくちゅう洛外図らくがいず』にも川をまたいで建つ家が数軒描かれていて、菊は、まさか冗談でしょうと思っていたが、粉河今出川の付近にもこのような家が数多く立ち並んでいるという話だった。『洛中洛外図』にあこがれるあまり、とうとう絵で見た家に住むことになろうとは、と菊は一人で笑ってしまい、揚羽に気味悪がられた。

 皆、力を合わせて家を修理した。南蛮寺からは弥助が駆けつけて、力仕事を引き受けてくれた。

 イエズス会宣教師せんきょうしのルイス・フロイスは『日欧文化比較』の中で日本の住まいに関して

『日本の家は大部分低い一階建てで、木・竹・わら及び泥で出来ている。又屋根の大部分は板・藁又は竹でかれ、風に備えて石や材木・竹を載せ、柱の下には石を置く』

と描写している。

 町屋まちやは一般に切妻造きりづまづくり平入ひらいり、石置いしおき板葺いたぶき屋根、平屋ひらや建てで、間口まぐちは二、三けん、奥行三、四間、内部は片側か中央に土間どまが通っており、居室きょしつは二室程度だった。都といえども二階建ては立売近辺にわずか二、三軒ある程度である。菊たちの住まいもこの例にれない。大人数には狭すぎる家ではあったが、ちゃんとした屋根があるだけでも有難かった。

 人々が喜びにく中、松は相変わらず一人、魂の抜けたような日々を送っていた。

 彼女は最近、西陣にしじんあたりまで足を伸ばすことが多くなった。つくろい物を引き受けている古着屋ふるぎやがあったからだ。繕い物を入れた大きなかごをしょって、松はよく北野きたの天満宮てんまんぐうきわを通っていった。天満宮の境内けいだいはその頃、河原と並ぶ歓楽の地だった。毎日のように見世物みせものが出てにぎわっていた。

 松が『風流ふりゅうおどり』と出会ったのも、出来上がった繕い物を届けたその帰り道のことだった。

 夕暮れの街を家路に急ぐ人々が、足を止めるばかりか、自分たちも身振り手振りよろしくその踊りの輪に加わって、道はたちまち熱狂的に踊る人々で一杯になった。その真ん中には花飾りを手にかざし、頭には花笠を被った人々がねるように踊っているのだった。ひょうげたお囃子はやしの音、笛も太鼓たいこも人々を誘うように楽しげに鳴っている。

「風流踊りじゃ、風流踊りじゃ!」

「福を招くありがたい踊りじゃ!」

「死んだ者たちの供養くようになる尊い踊りじゃ!」

 そうか、もうお盆だ。死人たちがあの世から戻ってくる季節になったのだ、と松は思った。

 京の人々は盆になると六道ろくどうつじへ行き、寺で迎え鐘を突いて高野槙こうやまきを買い求め、先祖の供養をする。

 松の周りにいた人々も立ち止まり、踊りに加わり始めた。あっという間に松の周りは踊り狂う人々で一杯になった。

(どうしよう)

 松は立ちすくんだ。踊ったことなど無かった。なぜなら、彼女のたしなむ『まい』と、下々げげの人々が楽しむ『おどり』は、全く違うものだったからだ。

『舞』は基本的に一人で行うものであり、『踊り』は集団で行うものだった。『舞』は見物人に見てもらうものであり、『踊り』は参加するものだった。『舞』はみやびで高級で、宮廷で始まったものだった。『踊り』は下賤げせんで庶民が始めたものだった、でも。

 下等で下品でお話にならない程くだらないもののはずの『踊り』が、今の松の空っぽな心の中に入り込み、激しく彼女を突き動かしていた。いつしか彼女の手は宙を舞い、足は激しく飛びねていた。口をついてでる美しい歌声は周りの人々を更に熱狂に追い込んだ。いつの間にか、彼女の周りにぽっかりと空き地が出来、彼女を中心に風流踊りの人々が輪を作り、その外側をたくさんの人々が取り巻いて、巨大な踊りの輪が出来上がっていた。踊りはいつ果てるとも知れず続いた。

 その夜、松は遅くまで戻らなかった。

 菊たちが心配していると、くたくたになった松が今まで見たことも無いほど満足そうに戻ってきて、がつがつと雑穀ざっこくかゆを平らげると、さっさと眠ってしまった。

 それから松は、皆に内緒ないしょで北野に通い始めた。

 程なく人々は、夕暮れ時、何処どこからともなく現れて風流踊りに加わる女のことを噂しはじめた。噂には段々尾ひれがついて、その女の踊りは天女てんにょの舞のようだということから、季節が季節だけに踊り手はこの世のひとではない、ということになっていった。天女の踊りを目にし、その踊りの輪に加わるだけで極楽ごくらく往生おうじょうできる、という話だった。天女を一目見るために、その踊りの輪に加わるために、北野に向かう人々は増え始めた。

 その中に異様に頭の大きな、蟷螂かまきりのようなあごをした眼光がんこうするどい老人の姿があった。

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