第42話 初夏

 日差しが強くなり、さわやかな風が港に吹くようになると、九州・長崎の人々はそわそわと沖をながめるようになる。今年も南蛮船なんばんせんが入港する季節になったのだ。

 この時代、みんは日本との交易を禁止していた。しかし隣同士の国のこと、双方の民は互いの文物の交換を望んでいた。その橋渡しの役を公式に許されていたのは唯一ポルトガルの船だけだったのだ。南蛮船は初夏しょかの風が吹いてくるのと共に港に入ってきて、様々な品を日本人に届けた。中でも重要なのは中国で生産される生糸きいとだった。船は夏の間中滞在し、秋の風と共に日本の産物、屏風や扇、中でも珍重ちんちょうされる銀を積んで異国へと帰っていくのだった。

 この日、入港した船から一人の若者が降り立ち、イエズス会の司祭しさいたちの出迎えを受けた。

 柔らかな金色の髪、矢車菊やぐるまぎくのような青い瞳のその若者は際立きわだって背が高く、目鼻立ちの整った、優しそうな飛び切りの美男子だったが、その顔色は青白く、やつれ果てていた。挨拶するためひざまずいた彼は、地面にくずおれてしまった。

「ああ、もう無理せんで良いから。」

 日本のイエズス会の総責任者、コエリョはあわてて青年を抱き起こした。

「航海は地獄のようじゃからのう。主食のビスケットは蛆虫うじむしいているのを暗がりで見ないようにして口に入れ、水は腐って緑色になってしまうので、酒を飲めない者も仕方なく葡萄酒ぶどうしゅあおる。皆、汚物にまみれて、病人を作るために船出するようなものじゃ。それでも船が途中で難破なんぱしてそのままかんおけに変わることとて珍しくはないのだから、港にたどりつけたことだけでも神に感謝せねばのう。」

「はい。すぐ祈りをささげに参ります。」

 青年は口をくのもやっとという有様だったが、気丈きじょうに答えた。

 他の司祭たちも口々に言う。

「そなたは日本のイエスズ会の希望の星じゃ。聖画せいが典礼具てんれいぐ{教会で使う様々な道具}の製作を指導して、本国に負けないものを造り、皆をあっといわせてやらねば。期待しておりますぞ。ジョヴァンニ・ニッコロ修道士しゅうどうし。」

「まずここ九州で一年ばかり身体を休めて、日本語の学習をし、日本の習慣を学んでもらう。それから上方に上ってもらうことにしよう。」

「一年も、ですか?」

 若者は尋ねた。

「都には私の同僚だったジョアン・ロドリゴ修道士がおります。一日も早く会えることを楽しみにしている、という手紙をもらったのです。」

「決まりなのだ、ヴァリニャーノ巡察師じゅんさつしがお決めになられた。そなたとはちょうど入れ違いで中国にお帰りになったのだ。」

「そうですか、巡察師が。」

 若者は何くわぬ顔で言ったが、心臓は早鐘はやがねのように打っていた。

「それは残念です。一目お会いしたかったのですが。行き違いになってしまったんですね。」

「おお。」

 コエリョが気づいて言った。

「そういえば、あの方はそなたと同じナポリ王国の御出身。お知り合いか?」

「いいえ。」

 若者は答えた。

「一度お会いしてみたいと思って。有名な方なので。」

「あの方がおいでになって日本のイエズス会は混乱が収まったのだ。それまで日本のイエズス会を牛耳ぎゅうじっていたスペイン人のカブラル師は日本も日本人も大嫌いで、信者たちの反発を招き、寄ってくるのは貿易目当ての信仰心のかけらも無い二枚舌にまいじたの領主だけだった。嘆かわしいことだ。だが、ヴァリニャーノ師がカブラル師を解任し、日本人も教育によってイエズス会に入れるようにした。学校が作られ、そなたのような芸術の教師も招くことが出来るようになった。あの方は有能であるばかりでなく、日本への愛にあふれた方じゃ。日本での布教の未来は明るい。しっかり頼むぞ。」

 コエリョは若者の肩をぽんぽんと叩いて笑った。

 ジョヴァンニはうやうやしく頭を下げながら思った。

(アレッサンドロ・ヴァリニャーノ。とうとうお前に手が届くところまで来た。皆に敬われて得意になっているんだな。皆、お前の本当の姿を知らないんだ。この私以外は。私こそ、お前の悪行あくぎょうを証明する存在なのだから)

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