第27話 猿楽

 闇にまぎれて峠を越すことになり、一行は一端いったん、山の中腹ちゅうふくにある古びて壊れかかった小屋に身をひそめた。

 疲れきった人々が早々に眠りに落ちると、猿若は一人、すべるように小屋を出た。

(囲まれている)

 気配けはいを消し、闇に溶け込んで、山歩きに相当慣れた連中だ。

(織田は忍者嫌いと聞いたが)

 前方に数名、後方に二、三名。こちらの動きにはまだ気づいていない。

 猿若は地面をうように進んで、やぶに潜む一人の後ろに回ると、まげをぐいと鷲掴わしづかみにして、手にした刀で素早くのどき切った。相手が声も立てずに崩れ落ちるより早く、大きな黒い蝙蝠こうもりのようにふわっと飛ぶと、次の男の目前に飛び降りざま、頭からへそまで唐竹割からたけわりに斬った。身を引こうとした三人目の男の胴を、おもいきりぎ払った。

「よおし、いい腕だが、そこまでだ。」

 ぽっと小さな灯がともると、朗々ろうろうと声が響いた。

 猿若は身構えながら静止した。

「どうせ、ぬしも金で雇われた身だろう。殺すには惜しい、我々の仲間にならぬか。」

 銃を手に現れた男はまだ若いが、堂々とした体躯たいくの持ち主だった。王侯おうこうのように語りかける。

「忍びとは思えぬな。何者だ。」

「我らは金山かなやましゅう。」

 男は言った。

「わしの名は大蔵おおくら藤十郎とうじゅうろうという。」

 金山衆、それは金の採掘に従事した鉱山技術者であり、地侍である人々の集団だ。山師やましと呼ばれる彼らは、日々山中を歩いて露出鉱脈を探した。山のそうを見るにけ、鉱脈の状況を判断し、坑道の距離や通風、排水などを計算して坑口を決める。掘削くっさくも当時の技術では困難を極めた。採掘が始まれば油煙ゆえんの充満する狭い坑道で多数の採掘者や穿子ほりこ負夫おいふ{いずれも搬出者}を指揮する。落盤らくばん事故や『気絶え{窒息死}』で死ななくとも、『よろけ』といって肺を侵され喀血かっけつで苦しみながら死ぬ者が続出し、鉱山で働く者は二十五歳にもなれば普通の人の六十歳くらいに見えたという。それでも鉱山は当時の技術のすいを集めたものであり、最高責任者である山師は優れた経営者であると同時に、技術者としても一流の存在であったのである。金山衆は採金に従事した他、合戦の折は、城攻めの際の坑道堀りや治山治水事業にもあたった。甲州流と称される土木技術はこの人たちの技術でもあったといわれる。甲斐の繁栄は金山によるところが大きいが、この時代には既に衰退期に入っていた。

「大蔵とは猿楽さるがくの徒ではないか。」

「わしの父は先代に仕えた猿楽師だったからな。それゆえ、わしも忍びの心得はある。」

 道理で、派手で舞台映えのすることよ、と思いながら、猿若はじりじりと動いてかたわらのやぶに近づく。

「大恩ある武田の上臈姫さま方手土産てみやげに、新しい主人を探すつもりじゃな。」

かえちゅうして何が悪い。」

 藤十郎は猿若にぴたりと銃の照準しょうじゅんを合わせながら、せせら笑った。

「御親族衆でさえ裏切ったのだ。頼りになるのは自分だけよ。」

 その時、どこからか手裏剣しゅりけんが飛んできて、藤十郎の腕につきささった。彼は思わず銃を取り落とした。

 すかさず猿若は藪の中に飛び込んだ。

 同時に藤十郎たちのすぐ横で地面が爆発した。えをくった二、三名がふっとんだ。

 形勢けいせい悪し、と見て取って、引け、と藤十郎が下知げちし、金山衆は来た時と同じく、煙のように消え去った。

 猿若は木陰こかげから姿を現すと、闇の中を透かし見て、短く礼を述べた。

「礼には及ばない。」

 慶次郎はむっつりと言った。

「代わりに俺を見張みはるのはめてくれ。うるさくてかなわん。」

『猿』は苦笑した。

埋火うずめび地雷じらい}、よくわかりましたね。」

「小屋に入る前、仕掛けてただろう。俺はちょいと火をけただけだ。」

 猿若は舌を巻いた。

 彼ほどの手練てだれに気づかれず見ていて、あれほど大量の火薬を同時に扱える。並みの者にできることではない。

「猿楽の徒は忍びとつながりがあると聞いていたが、あれも甲斐の乱破らっぱの一味だろう。お前は越後の軒猿のきざるだが、やはり猿楽の徒か。」

 越後の海に浮かぶ佐渡の島は、昔から流刑るけいの地として知られている。順徳天皇をはじめとして古来こらい貴賓きひんが、時の政府の反逆者の汚名を被って流されてきた。

「その中に世阿弥ぜあみと申す猿楽の徒がおりました。」

 永享六年、世阿弥は、時の将軍・足利義教の勘気かんきこうむって佐渡に流されてきた。この世阿弥の父・観阿弥は忍者発祥はっしょうの地、伊賀いが黒田庄の出であり、伊賀忍者の頭領とうりょう服部はっとり一族の者だった。

 貴賓きひんの席に招かれ、旅を生涯とする猿楽の徒は情報収集を担っていた。この猿楽師の世界は伊賀忍者の、いわば専売せんばい特許とっきょの世界だった。その他、放下師ほうげし香具師やしの世界は服部氏以外の者には入ってはいけない世界で、そのような特技を持つことが、忍者の世界で伊賀者をきんた存在にした要因なのだ。

「この世阿弥こそが越後の軒猿の始祖しそとなったのでございます。」

 猿若は、世阿弥の観世流かんぜりゅうを受け継ぐ猿楽の名手めいしゅであるとともに、しのびのわざをも受け継ぐ者だったのである。

「それより、お前さまも忍びの技を心得ておいでだな。」

「俺みたいな性格の奴に忍びなんかできるか。」

 慶次郎は鼻で笑った。

「何、ちょいと手ほどきを受けただけさ。」

(ちょいと、どころではない)

 猿若は思った。

(なかなかの手練てだれだが、伊賀ではない。伊賀はつながりがあるから腕利うでききの面子めんつは知っている。とすると甲賀こうがか。甲賀を従えている勢力、それは)

 今、甲賀を従えている大きな勢力。それはたった一つしかない。

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