第17話 終わらぬ戦

 まだ雪も解けない二月一日、景勝は突如とつじょ兵を動かし、御館を攻めた。この不意打ちは大成功を収め、景虎の将でその勇猛さで名をとどろかせた北条ほうじょう景広かげひろが討たれ、景虎の援護に来て支城に滞在していた北条氏の越冬軍は関東に逃げ帰った。景勝は続いて、御館への陸と海からの糧道りょうどうを断った。御館は完全に孤立した。

 前関東管領・上杉憲政と景虎の嫡男・道満丸が春日山城に向かう途中とらわれた、という知らせがもたらされたのは三月十七日のことだった。

(道満丸殿がこちらに来る)

 慶次郎に刃をひたとすえられて尚、彼女の目を真っ直ぐに見た、あの強い視線。

 人質を取るなんて卑怯ひきょうだ。

 私は正々堂々と戦いたいのだ。

「正々堂々、か。」

 つぶやくと、菊はさっと立ち上がった。

「姫君、どちらへ。」

 甲斐からのお付の者たちがあわてて止めようとした。

「殿にお会いする。」

「それでは三郎と通じているのではと疑われてしまいます。ここは、どうか。」

 菊の袖を捕らえて放さない。

「ええい、放せ。私の意見は甲斐の意見でもある。そうであろう!」

 いつになく引かない菊に、皆が気をまれているところへ、騒ぎを聞きつけたのか、紅が姿を現した。

「どうかお部屋にお戻りくださいませ。」

「紅、三郎は結局、自分のことしか考えていなかった。殿より視野が狭かったのだ、当主になるには成程なるほど、力量不足であったろう。でも子供に罪は無い。道満丸は気性の真っ直ぐな子だ、それに殿にはおいにあたる。生かしておけば必ず役に立つ。どうかこの通り、お願いだから……。」

 菊は手を合わせたが、紅は揚羽に、

「どうぞ姫君をお部屋にお留めおきくださいますよう。」

 言い捨てて去ろうとした。

(あたしのことなんか眼中に無い)

 かっとなった。

「道満丸殿に言伝ことづてを頼まれた。」

 気が付いたときには口から言葉が出ていた。

「『俺の女に』っておっしゃったから、てっきり相手は子供かと思ってたけど、あなたでしょ。」 

 後姿に言った。

「泣くな、と。」

 紅が立ち止まった。

「きっと又、会える、身体をいとえ、と。」

 紅は顔を向けず、肩越しに一言、

「もう遅すぎます。」

 氷のような声だった。

 後で、道満丸を斬らせたのは紅だったという噂を聞くことになった。

 春日山へ向かっているという前管領と景虎の嫡男の処遇に諸将が苦慮しているところへ、紅がやってきて、二人が途中で斬られたことを告げたという。凍りついた人々に向かって、彼女は冷静に説いたという。

 そもそも先代のお屋形さまが、北越同盟が破れた際、三郎を北条に送り返さなかったのがこの度の騒ぎの元です。源平合戦の例を挙げるまでもなく、子供一人の命を助けたが為、後々争いが再燃して、更に何千という命が失われる例は古来こらい数え切れませぬ。他の諸将は下れば命を助けてやりましょう。でも三郎一味だけは根絶ねだやしにしないと済まないであろう。一時の感情におぼれてはならぬ、非情ひじょうのようだが、越後の為である、と言い放ったという。

 この上なく美しい姿をして内面は夜叉やしゃ、ほんに恐ろしい女子じゃ、と武田方は皆、顔をしかめたが、菊にはすぐわかった。

 景勝を守る為だ。

 彼にこれ以上、身内を殺して手を汚させない為、あえて矢面やおもてに立ったのだ。

 厳しい人生を生きているのだ、それをわざわざ自分にいている。女だったら、いくらでも表面を取りつくろって、綺麗きれいに生きる道はあるのに。あの女はどうして、このんで修羅しゅらの道を選ぶのだろう。

(それに比べて私は)

 菊は唇をかみ締めた。

(道満丸は私を助けてくれたのに、私は彼を助けることが出来なかった)

 何て無力なんだろう。

 同日、御館は景勝軍の猛攻撃を受け、落城した。景虎の室、つまり景勝の姉と子は城と運命を共にした。

 景虎は御館を脱出した。でもるべき城を失った彼の命は長くなかった。

 三月二十四日、小田原城へ逃亡する途中立ち寄ったさめ尾城おじょうで、寝返った部下に襲われ、腹を切って果てた。享年きょうねん二十六歳。



 紅の手下たちは四月になると、早く帰ってきてくださいよ、と繰り返し繰り返し、別れを惜しみつつ堺に帰っていったが、景虎の死がすなわち戦の終わりとはならなかった。彼はいわば旗印はたじるしで、彼を担いだ国人{豪族}たちの反抗はしぶとく続いた。

 そもそも先代謙信の政権自体、強力な国人たちの所帯じょたいとでもいうべきものだった。謙信の不敗神話とその強烈なカリスマ性に対して服従してきただけの国人たちは、自分たちと同等の地位にあった上田長尾家の小倅こせがれ今更いまさら、頭を下げるつもりはなかった。

 一連の騒動は二年ばかりたって一端治まり、論功行賞ろんこうこうしょうが行われたが、これが又、新たな騒動の火種となった。

 景勝の吏僚りりょうたちは、敗者から得た土地や戦利品の分配を、景勝に忠実な麾下きかの将{つまり上田勢}に厚く、譜代ふだい外様とざまの諸将には薄くした。

 武家社会においては、討滅とうめつした相手の所領しょりょうは、もっとも戦功せんこうのあった者、特に全軍の先鋒せんぽうとして功のあった者に与えられるのが通例だという。

 一つには、対北条戦を重視したものではないだろうか。

 もう一つには、乱が長引いたのは国人たちの力が強すぎるせいだと考えた、と思われる。

 実はこの考え方は、同時期以降の西欧諸国の歩みとも相似している。

 いわゆる中世の封建制度から近代の絶対王政への移行である。

 主君が家臣に土地を与え保護する代わりに、家臣が忠誠を誓い軍役奉仕するという形から、絶対的な君主が君臨し、国家を政治的経済的に統一し、官僚制を整備するという形に。

 近代化に成功した家のみが新しい時代に生き残っていける。

 北条に対抗するためにも、台頭たいとうする新興勢力を迎え撃つためにも。

 越後は一つにまとまらなければならない、一人の強力なリーダーの下に。

 時代は動いている、この越後の片田舎でも。

 それが景勝以下腹心らの考えだ。

 だが上田勢以外の諸将は収まらなかった。

 彼らは相変わらず旧態依然の考え方の下にある。

 ご恩、つまり土地の分配を受けて、初めて奉公、つまり忠誠を誓うという鎌倉時代以来の形。

 もちろん『世界情勢』なんて知らない。

 ちょうどその頃、北陸方面から謀略ぼうりゃくの手を伸ばしてきた勢力がある。

 織田信長だ。

 天才奇才といったイメージの強い信長だが、なかなかどうして、人の心の奥底を深く読み、った細工をするのも得意である。目をつけたのは、論功行賞に不満を持っていた揚北衆あがきたしゅう{越後北部の豪族}の新発田しばた重家しげいえ、武勇のほまれ高い猛将だ。

 重家は景勝に反旗をひるがえした。天正九年六月のことだった。

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