第21話-08 愛:ないしは現在・既在・将来にわたる可能性の了解
急げ! 急げ! 魔王様を守れ! その一念に突き動かされ、魔王軍本隊13万は走って走って走り抜いてきた。
ヴィッシュの策にまんまとはまり、城まで丸一日はかかろうかという距離におびき出されてしまった彼らだ。一度は魔王城陥落不可避、と暗い諦観に落ち込みもした。
だが魔貴公爵ギーツは諦めなかった。決戦に是が非でも間に合わせねばならぬ。絶対に魔王を討たれてはならぬ! 大演説で将兵を引っ張り、馬をことごとく乗り潰し、魔力も惜しみなく使ったうえに兵糧・武具まで打ち捨てて、当初見積もりの半分近い短時間で魔王城へと駆けつけたのだ。
着いてみれば城は既に最終防壁まで押し込まれ、あわや陥落、
「この危急存亡の
全っ軍っ! とっつげきィィ〜ッ!!」
ギーツ自ら先頭に立ち魔王城へと全速
勇者軍の後詰部隊は矢の雨でこれを迎え撃つ。魔王軍は無理な行軍の疲弊もあって《光の盾》を充分貼れず、少なからぬ兵が撃ち倒された。だがいかんせん数が違う。千にも満たない小部隊では戦に
「あんな
頭上を《光の盾》で守りつつ部下を励まし走るギーツ公。そこへ城内から《遠話》が届いた。
〔おっせえんだよトンチキ閣下!〕
「あっ、貴様ミュート!? なんで牢から出てきてる?」
〔言えた義理か! ここまで誰が城を支えたと思う〕
「ボスボラスは?」
〔裏切った〕
「コープスマンは」
〔逃亡した〕
「なんと!? では貴公が!? この大軍を……たったひとりでか!?」
〔文句あるかよ! テメーが着くのをこっちゃァ死ぬような思いで……〕
「かっ……感動したあッ!!」
〔は?〕
ギーツ公、戦場のド真ん中で足を止め、天を仰いで号泣しだした。周囲の部下は大慌て。この瞬間も矢やら石やらがひっきりなしに降ってきているのだ。大勢で必死に術を飛ばし、陶酔中の主を守っているのは言うまでもない。
「吾輩は今、涙を禁じ得ないッ! 貴公を見誤っていた!」
〔お、おう〕
「よもや、よもやそれほど……
それほど吾輩を信じてくれてたとはッ!!」
〔いや別にそーゆーんじゃ……あーもういいやそれで。とにかく前はおれが塞いでる! テメーは背後から
「承知!! ともに戦いぬこうぞ忠烈の士よ!」
〔これはこれで気色
ミュートがぶつくさ言うのもギーツの耳にはもう入らない。ひとり勝手に盛り上がり、興奮そのままに号令飛ばす。
「そぉーれ! ひと揉みに揉み潰せぇーい!」
勇者軍の後陣へとたちまち押し寄せる大軍勢。土煙がもうもうと暗雲のごとく巻き起こり、太陽をさえ
「ウムッ! 好機である!」
魔貴公爵ギーツが目をギラつかせる。
「さあナギ殿、ここで追い打ちを!」
「うーッ!!」
ギーツ公がポンと背中を押すと、退屈そうに付いてきていた四天王、盲目の鬼娘ナギが進み出た。鋭く吠えて敵軍に飛びかかる鬼娘。両手の竜骨棍をめったやたらに振り回し、手当たり次第に居並ぶ兵を薙ぎ倒す。手下の鬼兵隊こそ先の戦闘で壊滅したが、彼女の豪腕はいまだ健在。この半年の戦いで、四天王ナギの強さと恐怖は勇者軍の
「嫌だ! 死にたくない、嫌だァー!」
勇者軍の兵たちは恐慌をきたし、三々五々に潰走を始めた。
思い通りに事が運んでギーツ公は得意満面。ここまで戦場においては良いところのなかった彼だが、多勢をもって小勢をひねり潰すのはまことに上手い。勝利の爽快感に笑いが止まらない。
「フッ、フハッ! フハハハハハハハ! 情けないなあ人間どもめっ! 弱い!
「うっうー!」
ギーツ公は鬼娘ナギと並んで最前線に立ち、攻撃魔術をばらまきながら突き進む。途中立ちふさがる敵は当たるを幸い蹴散らして、目指すは魔王城の奥。ミュートの軍勢と競り合っているところを背後から
考えてもみるがいい。勇者ヴィッシュは
「勝てる! 勝てるぞお!
勇者ヴィッシュ敗れたりーっ!!」
ギーツ公が声高に勝利を宣言した――
そのとき。
「閣下ァ!?」
金切り声。振り返る。部下は空を凝視している。つられてそちらを
「……は?」
呆然。
一瞬遅れて、ギーツは悟る。
「法撃ィィィ!?」
直後、42発の《爆ぜる空》が魔王軍の
*
耳を
「猛火法撃隊、第1射着弾確認!」
「つづけて第2射、術式構築に入ります」
「弓は」
「まだです。ツオノ伯が配置に手間取っています」
「武功の立て時を譲ってくれるとはご親切に、と言ってやれ」
「自分で言ってくださいよう」
部下の困り顔に
ひとが生きるには森が
もちろん王都ベンズバレンも例外ではない。かつて都民の生活と
「とどつまりは“暮らし”の勝ちよ」
「といいますと?」
「勇者は狩人として懸命に暮らしていたらばこそ良い仲間たちに恵まれた。万民は己のささやかな暮らしを守るために立ち上がって団結した。そして今、王都の民の暮らしの場が、わしらに最良の隠れ家を与えてくれている」
「なるほど、いかさま」
「いかなる理想も哲学も、暮らしに根付かねば花は咲かぬよ。この歳になるとしみじみ分かる……」
「老け込んでいただいては困ります……ツオノ伯、弓兵隊配置完了。いつでもいけますよ!」
「そうかえ。そんでは老骨に鞭打つかね。
第2射着弾と同時に曲射開始。わしらも突っ込むぞい」
老将ブラスカは
「諸君。ここまでよくぞ耐えた。よくぞ
そのとき、高い風切り音を立てて、彼らの頭上を数十の火球が飛び抜けた。後列の術士たちが放った法撃の第2射だ。火球は横一列に並んで緩やかな弧を描き、やがて、魔王軍の蛇のように長い隊列の横っ腹に着弾する。
再びの轟音。目に突き刺さる太陽の如き閃光。同時に老将は槍を天高く突き上げる。
「このうえもはや遠慮は無用!
溜まった鬱憤……今こそ晴らせェーッ!!」
*
「なっ……!? なあっ……!? あっ……!?」
この惨状に敵が来る。
西の方角、さして遠くもない森の中から、目を血走らせた3万の軍勢が怒涛のように迫ってくる。
「嘘っ……そんなっ……やめてっ……なんでっ……」
寒気。身震い。滝の汗。しまいには涙と鼻汁さえ滴らせ、魔貴公爵ギーツが絶叫する。
「伏兵だとぉぉおわひーッ!?」
身を引き裂くような彼の悲鳴を勇者軍の
*
「伏兵だとォ!? なんでンなとこに!?」
勇者軍の前衛を相手に獅子奮迅の戦いを繰り広げながら、ミュートは声を裏返す。彼の叫びは
魔王軍本隊は、遥か南方の砦から魔王城まで強行軍で帰還した。通常ならば丸一日の道のりを、半日足らずで駆け抜けたのだ。長距離を休憩なしで走るために魔術も惜しみなく使い、重荷と見れば武具まで捨てた。当然、参戦時点で疲労
さらに、無理な行軍が隊列を乱した。馬に乗っていた者、足の速い者は先行し、体力や魔力に乏しい者は遅れがちになる。結果、陣形は縦に縦に伸びていき、やがては地の果てまで
こんなありさまの魔王軍へ、横腹から予想だにしない一斉法撃。さらに長弓兵の援護射撃、間髪入れず精鋭部隊の突撃だ。支えきれるわけがない!
たちまち魔族たちの悲鳴が轟きだした。疲れ切った魔族たちは術も使えず剣も振るえず、片っ端から勇者軍の槍に突かれて死んでいく。勇者軍は勢いそのまま魔王軍の隊列を前後に分断。千切れた大蛇の上半身と下半身の如き残敵を、3方から包み込んで攻め始める。
魔王軍が
凄まじい勢いで切り崩されていく魔王軍。これはもはや戦闘ではない、
――これがお前の策か、ヴィッシュ!?
その通りである。開戦前、ヴィッシュは無制限街道で魔王城を目指す、と見せかけてギーツ公を南方へおびき出し、間道によって脇をすり抜け魔王城を直接攻めた。あれは魔王軍本隊との直接対決を避けるため……ではなかった。真の目的はむしろその後。ギーツ公を焦らせ、手段を選ばぬ無理な移動で疲労させ、その弱体を
これが魔王城攻略第4の秘策――“城を囲みて兵を滅ぼす”!
だが、
――ありえねえだろ! ふざけんな!
森の中に伏せていたのは老将ブラスカ率いる近衛騎士団3万名。魔王軍に対してしぶとく戦い続けた
あの近衛騎士団を最初から前面に出していれば、今ごろとっくに魔王城は落ちていたはずだ。
ミュートの混乱の理由はこの一点にある。“城を囲みて兵を滅ぼす”は分かるが、ヴィッシュの最終目標は魔王のはずだ。たとえ魔王軍に痛打を加えても、魔王そのものを討ち取れなければ世界の滅亡は止められない。ゆえに短期決戦で城に侵入し、魔王を直接叩く。それ以外の方策はありえない。
にもかかわらず、ヴィッシュは主戦力を出し惜しみし、あえて戦いを長引かせた。わざわざ魔王軍本隊の到着を待つかのように……
――何かある。
魔王を叩く絶好のチャンスをふいにしてまで魔王軍本隊を乱戦に引きずり込んだ。一見愚行としか思えないこの行為に、合理的な理由があるとすれば、それは――
「まさ……か……」
ミュートが、身体中の骨を
気付いたのだ。
ようやくたどりついたのだ。
想像だにしなかった、ヴィッシュの真意に。
奇策? そんな生易しいものではない。非人道的。狂気の沙汰。まともな神経をしていれば絶対に取るはずのない選択肢。だが間違いない。これしかない。ヴィッシュの狙いは――!
爆発!
ミュートの思考を粉砕するかのように、カジュが《爆ぜる空》を叩き込んだ。残りわずかな
その先頭を駆けるのは、光輝の鎧を纏う英雄――勇者ヴィッシュ。
塔のように
このうえふたりを隔てるものは、もはや何も、ない。
その瞬間、ミュートの腐れた胸から、予期せぬ激情が湧きだした。これは? 戸惑いながら自分を支配する熱い思いに目を
おそらく一番近いのは、愛。
狂おしいほどの情愛、憎悪、憧憬、恋慕、尊敬、倦厭、惰性、渇望、それら全てをないまぜにしたもの――愛。
だからこそ、ミュートは彼を
「……馬鹿野郎」
ミュート=
「それが勇者のやることかァ―――――ッ!!」
ふたりの影が、ひととき交わり、
ぎ!!
硝子を掻きむしったかのような、ひどく狂おしい残響。
ひととき、静寂が戦場を満たし――
ミュートの肺から、血が
勇者の剣に真正面から胸を突き刺され、ミュートは、勇者の腕に身を預けるように崩れ落ちた。
「……ちっくしょう」
傷口から肉体の白化が進んでいく。触れた全概念に死をもたらす究極の魔剣“勇者の剣”は、不死者の不死性をすら殺してしまう。死にきれぬ亡者をより集めて構築したミュートの身体は、今、真の《死》に向けて急速に生気を失いつつある。腐れた肉が、白い白い乾いた骨に変わっていく。ミュート自身の胸から腹へ。更にその先の大蛇の頭へ。はいずるように、だが着実に、ミュート=サイレントラインが滅びていく……
「おれは……ここで終わるのか……
結局……お前に勝てなかったのか……」
そのとき。
懐かしい温もりを帯びた腕が、そっと彼を抱きしめた。
「そんなことない」
ヴィッシュ。
「ずっと……大好きだよ、ナダム」
「かなわねえなあ、お前には……」
くすぐったそうにそう笑い、ナダムは
(つづく)
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