第21話-07 形勢逆転



「……逃げやがったな日和見野郎」

 空を泳ぎ去るコバンザメを見上げ、死術士ネクロマンサーミュートが吐き捨てる。

 彼の周囲では残り少ない死霊アンデッドどもが、やる気なくうごめきながら淡々と戦いをこなしている。骸骨戦士スケルトン・ウォーリアはあと1万体。骨飛竜ボーンヴルムは12匹。不死竜ドレッドノートに至ってはこれが最後の1頭だ。城壁に穴を開けてまで製造した妄黙の骨蛇サイレントラインすら次から次に攻略されて、今や7頭を残すのみ。

 この状況でのコープスマン逃亡は痛い……本当に痛い。増援のアテがひとつ潰れたというだけではない。そもそも占領地の統治運営は企業コープスの莫大な資金によって成り立っていたのだ。その企業コープスの撤退は、政治組織としての魔王軍の崩壊を意味する。仮にこの戦いを乗り越えたとしても魔王軍は再起不能。もはや野盗に毛が生えたもの以上にはなり得まい。

 一方それに対する勇者軍の、なんと意気盛んなことか。

 死霊アンデッドがどれほど攻め立てようと、勇者軍はびくともしない。各部隊が柔軟に陣形を組み替え、あらゆる状況変化を受け止めてしまう。それができるのは兵卒の訓練が行き届き、また指揮官の命令が遺漏いろうなく伝わり実行されているからだ。そのきびきびとした一挙一動は、敵であるミュートから見ても気持ち良い。

 歴然たる士気の差が、そのまま戦力の差となり重くミュートにのしかかってくる。

 劣勢だ。もはや壊滅は目前だ。

 それでも。

「負けるかよ。お前にだけは」

 濁りきった両のまなこで睨みおろした先にいるのは、軍勢の先頭に立ち一所懸命に魔剣を振るう白銀の英雄、勇者ヴィッシュ。

 勇ましくあでやかな益荒男ますらおぶりに熱いときめきを覚えながら、ミュート=サイレントラインが彼にり寄る。

「行くぞ相棒ォーッ!!」

 死術士ネクロマンサーの咆哮の中で、命なき軍勢が最後の突撃を開始した。生きた証をこの世に刻み込まんとするかの如く。

 応えて勇者軍が進み出る。横1列に整然と並び、雄叫びを合図に走り出す。

 双方から押し寄せた両軍が、火花を散らして激突する。たちまち巻き起こる剣戟けんげきの響き。唸る鋼刃、弾ける鮮血。戦槌メイスの強打が亡者の骨を粉砕し、骸骨の歯が猛者もさの首筋を噛み千切る。上空から弾丸の如く飛来する骨飛竜ボーンヴルムを魔術の光が迎え撃ち、大地を踏み締め迫りくる不死竜ドレッドノートへ屈強の命知らずが大挙猛然いどみかかる。

 大混戦のなか勇者の剣を縦横に振るい、手当たり次第に死霊アンデッドを斬り捨てる勇者ヴィッシュ。そこへミュート=サイレントラインが狂叫きょうきょう響かせ猛進してくる。勢いそのままヴィッシュの頭上へ伸び上がり、し潰さんと倒れ込む。

「っく!」

 ヴィッシュは咄嗟とっさに全力疾走、辛うじて巨体の下から転げ出た。間一髪圧死はまぬがれたが窮地からはまだ脱せていない。体勢を立て直すより早くミュートがい走り、長い尾でヴィッシュの周囲を取り囲む。

「抱きしめてやるッ!」

 急速に輪を狭め、ヴィッシュを締め殺さんとするミュート。逃げ場はない。絶体絶命。

 その時。

「きも。」

 ごあ!!

 地面から伸び上がった《凍れるときの結晶槍》が、妄黙の骨蛇サイレントラインの胴を串刺しにして跳ね上げた。衝撃に目を白黒させるミュートの鼻先を、風切り飛び抜けていく少女の影。

 ――カジュ!

 シーファとの戦いを終えた彼女が、早くもこちらへ駆けつけたのだ。

「相手の気持ちも考えずに『抱きしめてやる』ってさあ。」

「あァ!?」

「ないわー。」

「うっせえわクソガキ! 待てコラァ!!」

 蠅のようにミュートの眼前を飛び回り、散発的に術を撃つカジュ。もちろん、ただおちょくっているだけではない。敵の目をき、ふたつの時間を稼いでいるのだ。ひとつはヴィッシュが安全圏まで退避する時間。そしてもうひとつは――

「オッラァ!!」

 緋女が加勢に来るまでの時間。

 無警戒の所に横からブチ込まれた炎剣が、妄黙の骨蛇サイレントラインの太い胴を前後ふたつにじり斬る。何十もの骸骨スケルトンを押し潰しながら墜落する大蛇の頭。高々と吹き上がる砂埃の中で、ミュートはあえぎ、慟哭に乗せて術式を編む。周囲の死霊アンデッドどもを材料に使って後半身の再生を始める。急がねばまずい。隙をさらせば奴が来る。

 恐れたとおり、砂塵切り裂き飛び飲んでくる白銀の勇者。

 ――ヴィッシュ!

「うおおッ!?」

 雄牛の構えから突き込まれた魔剣の切っ先。ミュートは慌てて身をひねり、すんでのところでどうにか回避。再生したばかりの胴をうねらせ、うのていで間合いを離し、死霊アンデッド軍の陣に逃げ込んだ。

 間一髪だ。相手は万物に絶対の《死》をもたらす勇者の剣。妄黙の骨蛇サイレントライン部分ならやられても切り捨てれば済むが、蛇の頭部に埋め込まれたミュート本人の肉体に直撃を浴びればその時点で終わっていた。あれだけは絶対に避けねばならない。そのためには……

 などと、自分のことにばかり気を取られている間に、周囲の戦況が一変している。

 ただでさえ劣勢のこの状況に、緋女とカジュという爆弾が投げ込まれたのだ。右翼方面で歓声が湧いたかと思えばたちまち溶断される妄黙の骨蛇サイレントライン死霊アンデッドの頭上を飛び抜けざまに《爆ぜる空》の雨を降らせる灰色の魔女。法撃の火炎が吹き上がる中を舞うが如くに太刀が駆け抜け、たちまち死霊アンデッド軍の陣形を微塵みじんに突き崩す。

 彼女らの戦いにははながある。人々の目をかずにいない。それが兵を強くする。英雄に憧れたひとはてして英雄を真似るもの。そして英雄の真似とて苦難に挑まば、すなわち凡人も英雄なのだ。

「ちくしょう。いい仲間だなあ」

 ミュートは声をまらせ、天を仰いだ。

 綺羅星の如き勇者軍。それに引き換え魔王軍こちらはどうだ? 隙あらば主君の寝首を掻こうと手ぐすね引いてる野心の塊ボスボラス。中途半端にひとを焚き付けておいて我が身が危なくなればスッといなくなる利権の権化コープスマン。そして普段偉そうな口を叩いていながら肝心な時にこの場にいない間抜けな魔貴公爵ギーツ閣下! まったくロクなのがいない。

 いつもそうだった。シュヴェーアの軍にいた頃だって、ヴィッシュの周囲には、いつも才気溢れる素敵な仲間メリー・メンが集まってきた。

 一方ミュートに……ナダムにすり寄ってくるのは、腹に一物抱えた油断ならない奴ばかり。

 日頃さんざん他人をバカにしてきたツケ、自業自得だ、とは考えない。かつて自分もヴィッシュの「素敵な仲間」だったのだ、なんて事実も慰めにならない。悪いことは世の中のせい。評価されても不満たらたら。腐った男の性根は所詮しょせんそうしたものだ。

 それでも――腐った者には腐ったなりに、譲れないものがある。

「負けられねえ……負けたくねえ……」

 ミュート=サイレントラインが伸び上がる。長々しい尾でとぐろを巻いて、塔の如くに屹立きつりつする。それは精一杯の誇示。威嚇にして求愛。己の力と存在を彼の目に焼き付けんとする自己主張。

「ずっとお前が」

 羨ましかった。

「いつかお前を」

 乗り越えたかった。

「お前にだけは」

 なめられたくない。

「お前はおれの」

 英雄ヒーローなんだ!

 だから今、ミュートは叫ぶ。

「大っ嫌いだ!!

 おれを見てくれェ―――――ッ!!」

 天地引き裂く絶叫の中、骨の大蛇が憧れの勇者へと暴走する。



   *



 一方、そのころ。

 魔王城の外に設営された勇者軍の後陣に、ロバの背からノソノソと荷物をほどく青年の姿があった。

「包帯の在庫ォ! おっそいんだよォ!」

「へいへい、ただいまァー。

 ……畜生、これじゃー普段と変わんねーっつーのォー」

 通りすがりの上官から怒鳴りつけられ、愚痴りながら医薬品満載の袋を下ろすのは、若き兵士、名はパンチ。かつては王都・第2ベンズバレン間で馬借をしていた彼は、戦乱で仕事を失い、義憤に駆られて勇者軍に参加した。『俺も緋女さんみてーな英雄になってやらァー!』なんて野望もあったかもしれない。だが本人の希望とは裏腹に、パンチは後陣での輸送任務に回されてしまった。

 後陣は前衛の支援が主任務。とめどなく後送こうそうされてくる負傷兵を引き受け、戦場全体に斥候せっこうと《遠話》を送って現場指揮官に情報をもたらし、場合によっては援軍を編成して適宜戦線の穴を埋める。全軍の要となる重要な役目ではある。

 だが、地味だ。華々しい活躍に憧れて入隊した若者には、いささか退屈だったかもしれない。

 溜息をつくパンチのそばでは、長年の仕事仲間、ロバのローディおじいちゃんが、気ままに枯れ草をもぐもぐしている。

「ま、しゃーねーかァ。お前にまたがって『騎士でござーい!』ってのも格好カッコつかねーもん。なあ?」

「ぶしゅ」

「あん?」

 ロバのローディが不意に顔を上げた。つられてパンチも腰を伸ばし、ローディの凝視する方へ目を向ける。

 そちらは魔王城とは反対方向。この半年手入れする者もなく放置され、ほとんど荒れ野のようになってしまった耕作地の間を、広い街道が緩やかにうねり走っている。その道の果て、南の稜線へ吸い込まれていくあたりに……

 淡い、煙……のようなものが、立ち上っている。

 はじめパンチは目の錯覚を疑った。眉間にしわを寄せ、じっくりと南方へ目を凝らし、やがて。

「あ……ああっ……?」

 の正体を悟り、膝からガタガタと震えだす。

「来た……来たッ! 来た来た来たァー!?

 隊長! 将軍! いや皆ァ! 来た! 来ちまったあああああ!!」



   *



「や……やったッ!?」

 無数の靴が巻き上げるもうもうたる土煙の中で、ひとりの男が歓声をあげた。半ば倒れ込むように足を止め、疲労困憊こんぱいの上半身をガクガクと笑い続ける膝でようやく支え、息も絶え絶えに肩を上下させながら、汗みずくの顔面を持ち上げる。

 自慢の名馬は長時間の全力疾走で潰れてしまった。そこから先は自分の足で走って来た。運動らしい運動などしたこともない、なんなら衣服の着替えひとつさえ召使いに手伝わせるほど高貴な彼だ。この強行軍は身体にこたえた。ほんとうにこたえた。

 だがやりとげた! 破裂しそうな心臓に鞭打ち、鉛のような足を引きずり、柳の枝さながらにふらつく身体を気合と根性で奮い立たせて、ついに辿たどり着いたのだ。

「やっ……ぅぇっぽ! やったぞッ! まおゥゲホ!! オウエ!! ゲッ!! ぶっふ」

「閣下、閣下、深呼吸、落ち着いて」

「ぅんえい! 落ち着いてなどいられるかっ! ィやったぞハハッ! それ見たことか、吾輩わがはいの言ったとおりじゃないか! 急いで帰れば落城前に間に合うとなっ!」

「いかさま!」

「愚か! 愚か! 人間! 愚か! この吾輩わがはいが駆けつけたからには、魔王様には指一本触れさせぬ!」

 男は意気揚々と右腕を振り上げる。彼の隣には、牙をいて唸る盲目の鬼娘。彼の背後には、街道を地の果てまで埋め尽くす雲霞うんかのごとき大軍の影。その全将兵が、溢れんばかりの殺気を胸に抱いて今や遅しと彼の号令を待っている。

「魔貴公爵ギーツ!!

 四天王ナギ!!

 そして魔王軍本隊13万!!

 ただいま参上であ―――――るっ!!」



   *



「まァじかっ!?」

 この有様を死霊アンデッドの目を通じて見てとるや、ミュートは狂喜に身をよじる。

「まじだ! 来た! 来やがったぞあの阿呆アホボン! 到着! 到着ッ! 援軍到着ッ! やっとだよ畜生! 援軍とうちゃぁぁっく!!」

 高笑いを戦場に轟かせ、ミュートはひとりヴィッシュを見下ろした。見よ! 勇者が立派な兜の奥で緊張に眉寄せるあの表情を。彼にあの顔をさせたい一心で身命をして粘りぬいてきた、その成果がついに出た。

「見たかよヴィッシュ!

 これで……形勢逆転だァァッ!!」



(つづく)

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