第21話-06 交刃の約



 魔王城上空の曇天を、不吉の影がうねり行く。大きな頭と長々しい尾を持て余し気味に揺するその飛行魚は、企業コープスの小型空艇魔獣コバンザメ。

 信じられようか? シーファはあそこから降ってきたのだ。流星さながらの速度で落下し、天守の外壁をぶち破り、幾層も重なる床と天井を薄絹のように切り裂いて、一息に緋女の懐へ飛び込んだのだ。人間業にんげんわざとは思えない。だがこれは現実だ。緋女が、いかにコープスマンの舌先三寸で油断させられていたとはいえあの緋女が、何の対処もできずに斬り伏せられた。これは錯覚でも悪夢でもない。

 ――ヤバいっ。

 カジュは条件反射レベルの判断で執務室に飛び込み、最速構築の術を撃つ。

「《大爆風》ッ。」

 たちまち巻き起こる強烈な暴風。術式に一手間ひとてま加えて効果範囲の境界線を緋女の鼻先、シーファとのわずか数十cmの隙間に引いた。つまりこちらは無風地帯に残し、敵だけを背後に吹き飛ばす。

 さすがの怪物シーファもこの《爆風》に靴底を滑らせずり下がる。と同時にカジュは緋女の背中へ抱き付き、すぐさま次の術を発動。

「《さかのぼとき》。」

 肉体の時間を巻き戻し、あらゆる負傷を無かったことにする治療術。完全に傷が消えるまで長くて10秒。《大爆風》を連発すればどうにか稼げる……

 と、直後カジュは戦慄せんりつした。

 シーファが一歩、進み出る。

 コープスマン、企業コープス社員、果ては黒檀の家具調度までが豪風に吹き飛び渦巻く中で、ひとり道化のシーファだけがその場にしっかと踏み止まって、早くも体勢を立て直し、左右の双剣を構え始めた。

 まずい。見積もりが甘すぎた。治療術はかなりの大技。《大爆風》以上の制圧力がある術を併用するのは流石に不可能。といって小技では何発撃っても奴を止められる気がしない。文字通り抵抗のすべが見当たらない。

 ――死ぬっ……。

 シーファの双剣が音速を超え、カジュへ容赦なく襲いかかる!

 が!!

 刹那、剣が凍りつく。

 双剣の刃が、カジュの頬と紙一重かみひとえの距離で静止している。右は太刀を打ち合わせ、左は敵の手首を掴み、緋女が斬撃を止めたのである。

 無茶だ。緋女の傷はまだ治りきっていない。シーファがと踏み込むだけで、緋女の両肩から鮮血が吹き出て道化の仮面を染める。その苦痛やいかほどか。意識も飛びかけ、身体に力も入るまい。

 それでも緋女は前へく。不利な体勢。むごい流血。震えがくるほど強大な敵。だから緋女は不敵に笑う。

「上ッ……等ッ……だァァーッ!!」

 苦痛と恐怖を闘志に変えて緋女がシーファを押し返す。力負けしてシーファの膝が崩れる。立て直すためにシーファが一歩後へ退く。この隙にこちらも間合いの外へ……

 ――退くもんかァーッ!

 むしろ前進! 緋女は瞬時に間合いを詰めて、音速の太刀で薙ぎ払う。狙いは足。ゴルゴロドンともに習った足斬りの技。恩師デクスタですら跳躍して避けるしかなかった必殺の邪剣。それをシーファは左の剣でと下へ叩き落しつつ縄跳びよろしく飛び越えて、そのまま流れるように右の剣を緋女の肩口へ振り下ろす。高速回転しながら左右の剣で繰り出す連撃はさながら勢い任せの喧嘩けんか独楽ごま

 以前の緋女ならここで防戦に追い込まれていた。だが今、緋女は刮目かつもくし、

 ――見える!!

 極限の集中と決死の気迫で敵の太刀筋を完璧に見極め、最小限の重心移動で斬撃の線をかわして進む。進むと同時に反撃を打つ。回避の動きをそのまま次撃の予備動作と為す攻防一体の体捌たいさばき。相手が神域の達人ならば「防御と攻撃」では遅すぎる。守れば体を崩される。攻めれば足をすくわれる。ゆえに両者をひとつに纏め、さらに位置取りの駆け引きまでも融合させて、あらゆる意図を一挙動の内に詰め込むしかない。

 ――止まれば死ぬぞ! 死ぬ気で攻めろ!

 猛攻。乱打。2人の刃が嵐の如くぶつかり合って火花で部屋を明々あかあか照らす。剣戟の響きが轟音と化して耳を突き刺す。速すぎる太刀はもはや閃光の炸裂としか見えぬ。見えるのはただ肉の躍動。薄闇の中に浮き上がる、あでやかな舞の如き2人の肢体。

 息つく暇もない攻防は時間にしてわずか数秒。その数秒で緋女は完治。手が空くやカジュはすぐさま術式構築。

「《光の雨》。」

 緋女の背中に抱きついたまま肩越しに撃ち出す無数の光線。《光の雨》は《矢》を数十本同時に撃ち出し敵を自動追尾させる大技である。1本でも受ければ即致命傷の弾幕を前に、さしものシーファも一歩後退。わずかに空いた《雨》の隙間を縫って回避する。

 まさかこの至近距離からの《光の雨》を避けきるとは。例によって化物じみた身のこなしである。だが元よりこれで仕留められるとは思っていない。カジュの狙いはただひとつ。剣聖奥義発動のための一瞬の猶予を作ること。

 ――緋女ちゃんっ。

 ――了解ッ!

 以心伝心相棒の心を悟り、緋女は精神を集中させた。胸の戦意を焚きつけとして太刀からほとばしる緋色の炎――“斬苦与楽”。

「らァッ!!」

 気迫と共に間合いを詰めて炎剣をシーファへ叩き込む。魔王すらも斬った奥義だ。肌にかすれば骨ごとかす。剣で受けても剣ごとき斬る。受けの利かない剣をかわし続けることはいかな達人にも絶対不可能。太刀筋も完璧。剣速も充分。たとえシーファでもこれを切り抜けるすべはない。

 ――った!

 と確信した……その直後。

「な……?」

 うめきが漏れた。

 緋女の切り札、万物を溶断するはずの炎剣が……

 止まっている。

 シーファの双剣にからめ取られ、空中にピタリと静止している。

 ――止めた!?

 ――うっそだろっ。

 愕然と息を飲むふたりの前で、

「ふ。うふっ……」

 仮面かられる愉悦の声。

「……たのしや」

 シーファが動く!

 られる! と確信するより速く身体が反応した。緋女は咄嗟とっさに太刀を引き戻すと同時に後退。蛇の如く襲い来るシーファの剣を、縦横に受け流しつつ緋女は額に汗を浮かべる。

 おかしい。変だ。すでにこの炎剣と十合余りも打ち合っているのにシーファの剣には融けるどころか切れ味が鈍るきざしすらない。左右いずれの剣も氷のように冴えたまま――

 いや。

 事実刃がように見えるのは気のせいか?

「くっ……そ!」

 とうとう緋女は連撃をいなしきれなくなり、大きく背後へ跳躍した。ここはすでに執務室の外、張り出したバルコニーの縁である。追撃を警戒して手早く剣を構えなおす緋女に、シーファは背を丸めて笑い出す。

……うっ……ぁっ

 い。実にいなあ……」

「あ?」

「今のは中中なかなか熱かった。本当に強くった。待った甲斐かいったわ」

「なんだァそりゃ……?」

 緋女の眉間に刻まれたしわが、みるみる深くなっていく。

「じゃナニか? 前は見逃してくれたってのか?

 もっと楽しい対戦相手に……あたしを成長させるために!?」

「うん。う」

 こいつ!! 沸騰する憤怒に全身の体毛が産毛うぶげの一本まで残らず逆立つ。ヒリつく肌が「ナメんじゃねえ」と凄んでいる。鋼のような肉の強張りが「ぶちのめしてやる」と吼えている。

 だのに緋女は動けない。

 こんなことは初めてだ。普段の緋女ならもう手が出ている。怒りに任せて斬りかかっている。そんな気性が骨まで染み込んでいるはずの緋女が、今、一歩も動けない。刃も届かぬこんな遠間で握り拳を戦慄わななかせ、溢れる激情をただ奥歯で噛み殺している。

 悟ってしまった。今挑んでも負けるだけだと。気付いてしまった。まるでシーファに及ばぬ自分に。かつてすべもなく敗退し、ヴィッシュの奇策に頼ってどうにか撃退した最強の敵。次は負けぬと心に期して、一日も欠かさず鍛錬を積んだ。幾多の実戦で技を磨いた。格段に腕が上がった自信もある。なのに奴には敵わない! 立ち向かい方が……見当たらない!

 過去に経験のない強烈な怯懦きょうだが緋女の四肢を引きらせる。シーファがと顔をもたげる。無機質な狂笑を貼り付けた仮面が、こくり、と少女ようにあどけなくかしげられる。ゆらり、ゆらり、陽炎のように揺れながら、道化師が間合いを詰めてくる。

嗚呼ああ……う待ち切れぬ。

 此処こことどめて仕舞しまおうか……?」

「ダーメだよ、シーファちゃん」

 シーファの足が止まった。

 彼女の背後には、吹き飛ばされた時に痛めたらしく、腰をさすりながら膝立ちになるコープスマンの姿がある。落としたメガネを手探りで拾い上げ、スーツの破れ目を未練がましくいじくりながら、うんざり顔で立ち上がる。

「あーあ、ボロボロだァ。高級品は長持ちするから逆にコスパがいい! って思って奮発したんだけどなあ。補修できるかしら……」

五月蝿うるさい。下がって居ろ」

「そうはいかないよ。計画を台無しにする気なら、会社こっちにも考えがあるけど?」

 沈黙。

 数秒の葛藤の後、

はあ……」

 聞こえよがしの盛大な溜息をき、シーファは双剣を鞘に納めた。無警戒に緋女に背を向け、コープスマンにずかずか歩み寄る。「コバンザメまで運んで……」と言いかけた彼を、荷物同然に片腕で肩にかつぎ上げ、「ちょっ、シーファちゃん? 乱暴だよ? 僕上司。聞いてます? シーファ様ーっ?」なんて抗議を黙殺し、最後に緋女へ仮面を向ける。

 なぜだろう。の仮面に描いただけの作り物の眼が、どこか惜別せきべつの情を孕んで見えたのは。

またな」

 短く言い残してシーファは跳躍し、先ほど自分でぶち抜いた天井の大穴へ飛び込んでいった。床だか壁だかを蹴って駆け上がる足音が次第に遠ざかり、やがて、完全に気配が消える。

 取り残された者たちを、居心地の悪い沈黙が包む。

 逃げられた……

 いや。

 逃がしてもらった、のだ。

「ッ!!」

 声にならぬ声で憤怒を叫び、緋女は握り拳を壁へ叩き付けた。材木がきしむ。朽ちかけの天井から石膏せっこうの破片が降ってくる。無力感といきどおりとがないまぜになった緋女の形相ぎょうそうを、見捨てられた企業コープス社員たちが震えながら遠巻きに見つめている……

 カジュは無言で緋女の背から降りた。

 カジュは心配していない。緋女なら大丈夫。敗北しても、軽んじられても、私憤にかまけて道を見失うような人ではない。今は戦争の最中だ。ひとつ済んだら次の任務が待っている。緋女ならすぐに立ち直り、仕事にとりかかれるはずだ。

 それよりも気にかかるのは、コープスマンが口を滑らせたあの一言。

「“計画”、ね……。」

 奴の口ぶりでは、ことが計画の一部であるかのようだ。“魔王計画”の話にしては辻褄つじつまが合わない。ということは……

 ――何かある……このうえ、まだ。



(つづく)

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