第16話-11 光、一条



 陽光に敢然と立ち向かい、逆風を肩で切り裂いて、荒野の果てからヴィッシュが来る。

 その姿を認めたミュートは、ひゃは! とはしゃいだ歓声を上げて尖塔の上に立ち上がった。空中に指を走らせ《風の翼》の術を編み、柔らかな曲線を描いて城壁の方へ飛び降りていく。とうに門扉の朽ち果てた正門の真上に立ち、胸壁から身を乗り出し、子供のように胸躍らせて到着を待つ。

 自分を殺しにやってくる、無二の友の到着を。

 やがてヴィッシュは門前に辿り着き、鋭くミュートを睨み上げた。

「仲間を返してもらおうか!」

「いいぜ。ほらっ」

 とミュートが手の中に握っていた筒形の物を放り投げた。ヴィッシュは落ち着いて帽子を脱ぎ、その中に筒を受け止める。直接手を触れなかったのは罠を疑っているからだ。ミュートから片時も目を離さないのは不意打ちを警戒しているからだ。この張り詰めた気迫。研ぎ澄まされた刃の如き殺意。先夜の甘えた温さはひとかけらも残っていない。ミュートは身震いした。恐怖にではない。喜びにだ。

 ――よく集中できてるじゃねえの。こうでなきゃ面白くねえ!

 ヴィッシュはちらと視線を下ろして帽子の中の物を確認した。それは磨き上げられた柱状の宝石だった。彼の顔色が変わる。

 宝石の中によく見知った女性ふたりの姿が映し出されていた。緋女。そしてカジュ。どうやら戦っているらしい――周囲を膨大な数の魔獣に取り囲まれている!

「お嬢様がたはその中にいる。異世界だよ」

「ここから出す方法は!?」

「言ったろ。おれを殺せばいい」

 ヴィッシュが無言で宝石を取り上げ、腰の狩り道具入れにしまう。鋼線入りの帽子をかぶり直し、剣を抜き放ち、縦一文字に振りかぶる。ミュートは思わず天を仰いだ。なんと懐かしい姿だろう。シュヴェーア剣術“屋根の構え”。この国の軍人なら誰もが徹底的に叩き込まれた、基本中の基本にして究極の奥義。

「……嬉しいぜ、相棒。お前が本気になってくれて!」

 ミュートが軽快に指を鳴らす。その合図で、城壁の上にびっしり配置されていた音楽家たちが一斉に立ち上がる。笛吹き、ギター弾き、竪琴弾きに歌姫、詩人。ミュートがこの1日で国中から掻き集めてきた楽団だ。一体どんな脅しをかけられたのであろう、死の恐怖と涙と脂汗で顔をぐちゃぐちゃにしながら各々の楽器を構えている。

 さらに楽団の背後から、朽ちた城門の向こうから、ヴィッシュの周囲の土の下から、骸骨スケルトンが、肉従者ゾンビが、屍鬼レブナントどもが、数え切れぬほどにい出てきた。十重二十重に連なる亡者どもに、ヴィッシュは無感動な視線を配る。

 ミュートは腕を大きく左右に広げ、高らかに声を張り上げた。

「さあっ、ひとつ派手に騒ごうじゃねえか!

 パーティの始まりだ―――――っ!!」

 音楽隊の陽気な演奏。歌姫の震え声の美声。津波のように押し寄せる亡者どもの邪悪な呻き。ヴィッシュが奥歯を噛み締める。剣を握る手が軋む。体中の筋肉が隆起する。彼の猛獣めいた咆哮が、全ての雑音を吹き飛ばす。

「このバカ野郎がァ―――――ッ!!」

 牙剥き出してヴィッシュが走る。死霊アンデッドの軍勢に襲い掛かる。骸骨スケルトンすねを断ち割り肉従者ゾンビの首を斬り落とし、背後から不用意に飛び込んできた屍鬼レブナントをするりと半身に回転していなすと袈裟懸けの一太刀を叩き込む。次なる敵が5匹まとめて踊り掛かってくるのを目にするや、道具入れのつぶてをひとつ放りつつ、敵の足元を転がり抜ける。

 直後、つぶて死霊アンデッドどもの中心で炸裂した。

 火薬と鉛玉をたっぷり仕込んだ炸裂弾だ。腐肉が猛烈な悪臭と共に撒き散らされ、戦場に大輪の花を咲かせる。しかし死霊アンデッドに恐怖や衝撃はない。仲間が粉砕されたのを意にも解さず第3波がヴィッシュに迫る。

 だが、既にヴィッシュの仕掛けは完成していた。

 飛びかかってきた肉従者ゾンビどもが、4匹まとめて横一直線に両断される。右の屍鬼レブナントも。左の敵も。まるで見えない刃に斬られたかのように、ヴィッシュの周囲に近づくや否や、ばらばらに刻まれ砕け散る。

 刃糸鞭ワームウッド。炸裂弾を投げて作った一瞬の隙に、不可視の刃糸ブレイド・ウェブを自身の周囲に渦巻かせていたのだ。一種の結界――接近した者はことごとく肉体を切断される。

「いいぞいいぞ! コレはどうだ!」

 ミュートは城壁から身を乗り出して、観客気分でやんやの喝采。その声に応えるように進み出るのは骸骨スケルトンの群れ。刃糸ブレイド・ウェブで斬れるのは柔らかな肉や布だけ。骨のような固い物には歯が立たない。が――

 ヴィッシュは、フ、と鋭く息を吐いた。

 次の瞬間、ヴィッシュの身体が空中へ飛んだ。

 跳んだのではない、飛んだのだ。掴みかかろうとする骸骨スケルトンたちの頭上を、魔術でも用いたかのように軽々と飛び越え突き進む。目指す先は一直線に――城壁の上のミュート!

「飛んだァ!?」

 全く予想外の動きに、ミュートの判断が一瞬遅れた。ヴィッシュが城壁の上に降り立ち、そのままの勢いでミュートに肉迫する。ヴィッシュの手が宙を走る。刃糸ブレイド・ウェブの煌めきがミュートの周囲を取り囲んでいるのが微かに見える。いつの間にか逃げ場は失われている。

 咄嗟にミュートは足元に《転送門ポータル》を開き、城の中庭へと移動した。難を逃れ、ヴィッシュの方を見上げれば、彼は胸壁の上に仁王立ちして刃糸ブレイド・ウェブを鞭の柄に回収しているところだった――2

 ――なるほどね。そんな使い方もあるのか。

 仕掛けはこうである。ヴィッシュは左手の刃糸鞭ワームウッド肉従者ゾンビを蹴散らしながら、右手では剣を鞘に納め、かわりに2本目の刃糸鞭ワームウッドを取り出して城壁の上へ鞭の先端を引っかけていたのだ。

 この状態で糸を巻き取れば、ヴィッシュの身体は刃糸ブレイド・ウェブに引かれて城壁の上まで飛び上がることになる。強靭な刃糸ブレイド・ウェブならばこその芸当である。

 ミュートは哄笑した。楽しくて仕方なかった。あのヴィッシュがたったひとり真正面から突っ込んできた時点で何かあるとは思っていた。それがこれだったのだ。ミュートの性格上、手下をけしかけておいて自分は高みの見物としゃれこむことは読めていたのだろう。その甘さを狙った一撃必殺の策。実に痛快。実に惜しい。

「おいヴィッシュ! お前ってやつはどんだけおれを楽しませてくれるんだよ! こっちだって負けちゃいらんねェなァ!」

 彼の手が空中を走り、大型の魔法陣を描き出す。その光が弾けるや、ヴィッシュが立つ歩廊の左右で城壁がにわかに崩れ出した。必死に演奏していた音楽隊が崩壊に巻き込まれ消えていく。代わりに土埃を切り裂いて、巨大な赤眼が姿を現す。

 不死竜ドレッドノート。ヴィッシュの前後左右を完全に塞ぐ形で、6頭。

「さあどうする!? 見せてくれよ! 次はどんな作戦で来るんだよォーッ!?」

 不死竜ドレッドノート6頭が殺到する。ヴィッシュが城壁の上で身構える。唇に垂れてきた脂汗を舐め取り、熱情を瞳の奥に燃やし、雄叫びをあげてヴィッシュはヴルムの群れへ挑みかかった――



 一瞬。

 何が起きたのか分からなかった。気が付けばヴィッシュは、崩壊した城壁の瓦礫の上に倒れており、辺りには濃密な砂埃が立ち込めていた。異様な咆哮が頭上で響く。ヴィッシュは呻きながら身体を起こした。音のする方を見上げ、そして、見た。

 光、一条ひとすじ

 白く空を駆け抜ける。

 次の瞬間、恐るべき轟音がヴィッシュの耳をつんざいた。何かの粉砕される音がそれに続き、数秒後に巨大な骨の破片が雨あられの如くヴィッシュの周囲に降り注いだ。ヴィッシュが目を見張る。これは不死竜ドレッドノートの骨。緋女の剣さえ弾き返したあの強靭な骨が、土くれのように破砕されている。

 ――なんだ!?

 ヴィッシュの疑問を晴らすように、一陣の風が砂埃を吹き飛ばす。

「てめえは!?」

 ミュートの焦燥が木霊こだまする。

 その直後、瞬く間に不死竜ドレッドノート6頭を倒し終えたが、時空そのものを両断しながらミュートの腹を貫通した!

「いッ……ぎゃあああああああああああああああッ!!」

 絶叫するミュート。死体の集積体である彼の身体が中央から粉砕され、脚が、腕が、胸が、爆裂し飛散していく。まるで一抱えの炸裂弾を至近距離で爆発させたかのよう。想像を絶する威力。だがまだは止まらない。空中で放物線を描くミュートの上半身に、稲妻のように切り返して襲い掛かる。

「ちッ……くしょう! ついに来たかよ不正チート野郎ォ!!」

 ミュートは苦痛を必死で堪え、《瞬間移動》を発動した。の突進が命中する直前、ミュートの姿は虚空に溶け、消えた。

 茫然と跪き、事態を眺め見るばかりのヴィッシュ。その前にが降り立つ。輝きが収まる。砂と瓦礫と竜の死骸の破片とが、ばらばらと地面を叩き、やがて静かになる。その中央に立っていたのは、ちっぽけな、ひとりの男。

「誰だ……?」

 子供のように小柄な男だった。太陽の光を浴びて緑色に輝く髪。とても戦場には似つかわしくない童顔。だがその柔和そうな表情の奥に、年季を重ねた不安の色が拭いがたく染み付いている。そんな男が、身の丈を超えるほどの大剣を担ぎ、ゆっくりと、ヴィッシュの方へ歩み寄ってくるのだ。

「話は後で。ミュートはおそらく城の中です」

 男が穏やかに言う。

「ここはぼくが引き受けます。ヴィッシュさんは彼を」

 男はヴィッシュの背後、城門の外に蠢く死霊アンデッドの群れを油断なく睨んでいた。ヴィッシュはようやく我に返った。立ち上がり、男と向き合った。百万もの疑問が次々に浮かび上がってくる気がした。一体何者なのか? なぜヴィッシュの名を知っている? ミュートとの関係は? だがその疑問を解決する暇を、敵は与えてくれなかった。死霊アンデッドどもの呻きが迫ってくる。死霊アンデッド軍が、不死竜ドレッドノートが、周囲から次々に姿を見せる。

 ヴィッシュは拳を握りしめた。

「……頼む」

「お気をつけて!」

 ヴィッシュは緑髪の男を置いて駆けだした。

 朽ち果てた古城の奥へ。

 ミュートが――ナダムが――待ち受ける場所へと。



(つづく)

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