第16話-12 闇、一滴



 ヴィッシュは走る。生命の温もりをとうに失くした、抜け殻のような城の中を。石壁は固く、空気は冷たく、陰鬱な静けさばかりがあたりを満たす。それなのに、床は丁寧に掃き清められ、天井の蜘蛛の巣は片っ端から払い落とされ、あちこちに備えられた銀の燭台はどれもピカピカに磨き上げられ、真新しい蝋燭がひとつひとつ差し込まれている。朽ちかけた城には不釣り合いなまでの几帳面さで。

 このインネデルヴァル城は30年以上昔の内乱で陥落した後、政情の変化によって軍事的な価値を失い、以来ずっと放置され続けていた廃城だ。手入れする者など誰もいなかったはずだ。ただひとり、あの男を除いては。

 目に浮かぶようだ。口笛でも吹きながら、たったひとりでこの広い城を大掃除していく彼の姿が。上機嫌に、寝る間も惜しんで、胸をわくわくと躍らせながら……

 ――お前は何も変わっちゃいない。お前は、俺の……

 ヴィッシュは駆け抜けた。彼のやり方は知り尽くしていた。あのお祭り好きのお調子者が待ち受けているとすれば、それは最も仰々しく見栄えのする場所。

 玉座の間。

 ヴィッシュは錆び付いた大扉に肩を当て、体重をかけて押し開いた。その加重で腐った蝶番ちょうつがいが砕け、扉が轟音を立てて倒れ込む。巻き起こる白い埃の渦。息を切らせて立ち尽くすヴィッシュ。そして。

 孤独の玉座に、ミュートは、背中を丸めてぼんやりと座り込んでいた。

 ヴィッシュが息を吐く。

 ヴィッシュが息を吸う。

 にやりと笑って、声をかける。

「パーティに遅刻しちゃったかな」

 ミュートが寂しげに笑顔を返す。

「いいさ。待ってる時間も恋の味だ」

 疲れの鎖を振りほどくようにミュートが立ち上がった。数歩慎重に足踏みし、手のひらを握って開いてを繰り返す。つい先ほどあの緑髪の男に粉砕されたミュートの身体は、すでに新たな死体を寄せ集めて復元されていた。その動作確認だった。

「新しい身体を造るたびにこれだ。面倒臭いがしかたねえ。元の身体はほとんど残っちゃいないしな。

 ……本当は、もっといろいろ準備してたんだ。料理に果物に山ほどのワイン! でもさ……だめだった。味見ができなくて。もてなし役ホストが美味いって思えない物を、招待客ゲストに食わせるのもどうかと思うだろ?

 こういうとき不便だよな、味覚がないってのは」

「俺……俺は……」

「やめようぜ、ヴィッシュ」

「お前に聞きたいことが山ほどあるんだ!」

 ミュートはそっと、首を横に振った。

「おれに勝てば全部教えてやるよ。そのほうが盛り上がるし、それに……負ければどうせ知る意味もない」

 彼の手に青い術式の光が灯る。

 ヴィッシュの剣が、苦悩の鞘から抜き放たれる。

「さあ、はじめようぜ」

 その声を最後に、残るは静寂。

 空気が凍り、冴えわたり――

 動いた。

 先手はヴィッシュ。矢のように懐へ飛び込みながら真っ向勝負の一突き。ミュートは半身に捻ってこれを避け、右手に生み出した《骨剣》で切り返す。この動きを読み切っていたヴィッシュは身体を低くかがめるのみで斬撃の下を潜り抜け、姿勢が下がったのをよいことに敵の脚へ斬りつける。

 だが読み切っていたのは向こうも同じ。軽い跳躍で剣を飛び越えたミュートが構築済みの術式ストックを解き放つ。

「《死の舞踏ダンス・マカブル》!」

 地面から連続して《骨剣》を召喚する大技。ヴィッシュの足元から3本の《骨剣》が伸びあがる。すぐさま横っ飛びして難を逃れたヴィッシュを、第2第3の《骨剣》が執拗に追いすがる。広間の床という床へ針山の如く乱立していく刃から、全力疾走で逃げ回る。

 その醜態を眺め見ながら、ミュートがつまらなそうに肩をすくめた。

 ――逃げるだけか? 策は無しか?

 失望は、直後、歓喜に変わった。

 ヴィッシュが鋭く進路を変え、まっすぐミュートへ向かってくる。

「ハッハー!」

 ミュートは笑い声を飛ばして身構えた。ヴィッシュの意図は手に取るように分かる。《死の舞踏ダンス・マカブル》にミュート自身を巻き込もうというのだ。追尾型の術に対しては定番かつ有効な反撃。しかしそうと知れていれば対処は容易だ。

「《風の翼》!」

 浮遊して安全圏へ退避。突っ込んできたヴィッシュの頭上を飛び越え、あとは右往左往する彼を高みの見物……

 と、ほくそ笑んだその時。

 突如ミュートは何か強烈な力で空中から引きずり降ろされ、そのまま床へと叩きつけられた。

 ――なんだ今の!?

 衝撃と驚愕のために一瞬ミュートの動きが止まる。その腹と胸へ、一挙に5本の《骨剣》が突き刺さった。

「うッごおッ!?」

 そこでようやくミュートは、ヴィッシュの罠に気付いた。いつのまにか彼の胸を刃糸鞭ワームウッドの先端が貫通している。そして床には、石畳の隙間にがっちりとはめ込まれた鞭の柄。

 最初に刃を交わした時にこの仕掛けを施しておき、タイミングを見計らって鞭を巻き上げ、浮遊するミュートを床へ引きずり落としたのだ。

 彼の最大の得意技《死の舞踏ダンス・マカブル》の性質を逆利用された。痛みを感じない身体のせいで鞭を差し込まれても気付かなかった。空中に飛んで避けると読まれていた。この状況は完全にヴィッシュの手中。

 好機と見たヴィッシュが矢のように間合いを詰める。駆け寄りざまに剣を振り抜く。ミュートは《死の舞踏ダンス・マカブル》を解除、すぐさま《瞬間移動》を構築してその場から消えた。出現場所は広間の壁際。どさり、と彼の身体が落ちる音を聞きつけ、ヴィッシュが弾かれたように振り返る。

 ミュートは石床に伏せ、小刻みに痙攣していた。肉体を再構成する術をかけ、傷口を新たな死体や骨で埋めていく。ヴィッシュは油断なく剣を構えたまま、ゆっくりと歩み寄ってくる。止めを刺すつもりだ。全く容赦なしだ。ミュートはそんな彼の姿を目にして、震えながら笑い出した。

「ハ……ハハハハハ! いいぞ。さすがだ! それでこそ、お前はおれの……うっ」

 膝立ちになったミュートの身体が、突如崩れ出した。右腕が塵となる。腹が真っ二つに裂けて上半身が床に落ちる。悲痛な泣き声を混じらせながら、ミュートが必死に呪文を唱え続ける。どうにかこうにか再び肉体を補修していくが、治したそばから皮膚や肉片が剥がれ落ちているのがヴィッシュにも分かる。

 ミュートの肉体は限界に達しつつあった。この数日だけでも緋女に斬られ、ヴィッシュに斬られ、緑髪の男に爆砕され、今また自分自身の術をもろに受けてしまった。そのたびに召喚した死体を材料に修復を繰り返してきたが、無限に直し続けられるわけではなかったのだ。

「お前……」

「ハハ……ごめん、ちょい待って。すぐ直るから。このッ、言うこと聞け、コラッ!」

 ミュートが崩れようとする肉体のあちこちに、手のひらを叩きつけて魔法陣を貼り付けていく。そのかいあってか、やがてミュートの身体の崩壊は止まった。ようやく落ち着き、彼は揺らめきながら立ち上がる。喉の奥からは低い笑い声がずっと漏れ続けている。

「これでよし。ハハハ……」

「どうしてこんなことに……」

 唇を噛むヴィッシュに、ミュートはそっと顔を伏せた。

「……こんな話を知ってるか?」

「え……」

「人間の身体は常に自分を更新してる。毎日少しずつ肉を壊して、作り直し、いつも新鮮に保ってるんだと。だから4、5年も経てば、人間ひとりの身体は、ほぼ完全に新しいのに取り替えられちまってるんだとさ。

 そうするとさ、今の自分と5年前の自分は、肉体的には全然別人ってことになるよな? 不思議だよな。怖くなるよな。“自分”ってのは、一体何なんだろうな? 人の身体は食った物でできてるんだから……つまり、過去5年に食った物の集大成が“自分”……ってことになるのかな?

 じゃあ……もう物を食えなくなっちまったおれは……?

 おれは何なんだよ……?

 なあヴィッシュ。覚えてるか? 昔さあ……中隊で宴会するとき、よく牛飼い煮グーラシュ作ってくれただろ……」

 涙はない。

「あれは……美味かったなあ……!」

 ただ、言葉のひとつひとつが、涙。

 静寂のかいなが抱擁を求めて開かれ、

 希望のつるぎが心臓目掛けて伸びあがる。

 視線を優しく絡ませたまま、ふたりはじっと、静止した。

 言葉なき言葉で語り合うひとときが、10年の時を超越する。

 温かな至福がふたりを抱き込んで――

 刹那。

 刃がはしる。骨が伸びあがる。駆け寄り、肉迫し、互いの剣で風唸らせる。ミュートの腕から生えた《骨剣》が下段からヴィッシュの胸を捉える。肺も心臓も切り裂き一撃で死をもたらす必殺の太刀筋。それをヴィッシュの剣が……

 受け、なかった。

 すり抜けた。

 己へ迫る死を防ごうともせず、我が身をかえりみもせず、ヴィッシュはまっすぐ、ミュートの喉首目掛けて剣を振り抜く。言葉よりも明瞭に剣の煌めきが叫んでいる。

 ――殺されてもいいよ。お前になら。

 永遠にも思えるほどの一瞬が過ぎ。

 ね飛ばされたミュートの首が、緩やかな弧を描いて、落ちた。



「わあ!?」

「ぬお。」

 緋女とカジュの驚きの声が広間に響く。ふたりはヴィッシュの腰にぶら下げられた荷物入れの中の魔法の宝石から、ぽーんとボールのように放り出された。身軽に宙返りして着地する緋女。顔面から床に叩きつけられそうになるカジュを、緋女が寸前で受け止める。

 ふたりとも疲労困憊、ぜいぜいと肩で息をしていた。突然変わった風景に驚き、あたりを見回す。どこか古い城の大広間。あたりには砕けた《骨剣》の残骸、倒れたミュートの胴体、なすすべもなく転がるミュートの首と――そのそばに、剣を収めることも忘れ、ただ茫然と立ち尽くす、ヴィッシュ。

 それですっかり状況を把握して、カジュは、ほうと安堵の溜息を吐いた。

 そのカジュの背を、緋女がばっしばっしとご機嫌に叩く。

「ほらな! だから言ったじゃねーか!」

「うるさいな。分かったよ。分かったって。」

 だがヴィッシュは、仲間の帰還に気付くこともできなかった。あらゆる音が彼の世界から締め出されたかのようだった。完全な静寂。何もない世界に、在るのはたったふたり。自分と、そして――

「ひとつ、訊いていいか……?」

 呼吸さえままならず、魔術によって辛うじて言葉を発するばかりの、ミュート。それのみ。

「なぜ……防がなかった……?

 なぜ、おれが……と分かった……?」

 そう。

 最後の一撃、相打ち覚悟と思われたあの一撃を、ミュートは直前で止めたのである。剣士としてはせいぜい並の技量でしかない彼には、咄嗟にできることではない。初めからそのつもりだったのだ。自分だけがヴィッシュの剣を受け入れるつもりだったのだ。

 ヴィッシュが笑う。汗でぐちゃぐちゃに汚れた顔で。

「分かるさ。お前……んだろ……?」

 ミュートは言葉を失った。ヴィッシュは続ける。言い訳がましく。己を責めるように。

「偽手紙で俺を呼び出し、タイミングを合わせてノルンを滅ぼし、殺すこともできたはずの緋女とカジュを、わざわざ生きたまま捕まえて。

 みんな俺を焚き付けるためだ。ここまでしなきゃ戦えない、俺にはお前が殺せないと、そう読み切っていたんだろ。違うかよ、……」

 ミュートの――否、ナダムの口元に、笑みが浮かんだ。嘲りでも狂気でもない、本心からの穏やかな笑みが。

「……いつもそうだった。悔しかった。憧れてた。こいつにだけはかなわねえって、ずっと思い知らされ続けてた。

 本当に、お前ってやつは……

 いつもいつも好き放題に、おれの頭の中を見透かしやがってよ……!」

 愕然とした。

 ヴィッシュは膝から崩れ落ちた。

 想像だにしなかった。ナダムに対して抱いていたのと同じひけめを、彼の方でもヴィッシュに抱いていたなんて。生涯敵わないと憧れ続けたナダムが、同時に自分に憧れていたなんて。そんなことがあるわけなかった。

 信じられるわけがない。ナダムが零す、この涙を目にしていなければ。

「辛ェのさ。こんな身体で生きていくのは。いや、生きてるなんてもんじゃねえ。ただ死んでないってだけだ。だったらさっさと死ねってなもんだが……ハハ。いくじなしなんだ。怖かったんだよ。自分で自分を殺すってのは、思ったよりもさ……」

 ヴィッシュは床に手をついた。指先が石畳に食い込み、音を立てて軋んだ。肺の入口あたりがじ切られたように痛んだ。喉の奥から絞り出せたのは、言葉とも慟哭ともつかないしゃがれ声だけだった。

「ごめん……

 見棄ててごめん……

 お願いだ。ゆるしてくれ、ナダム……!」

「……馬鹿野郎」

 そう、ナダムはなだめるように囁いた。だがその直後、彼の顔に鬼神の憤怒が湧き上がる。隠しようもない本音が、飾りようもない素のままの欲望が、生命の尽きかけた口から噴き上がった。

ゆるすわけがねェだろうが!!」

 ヴィッシュの顔面が凍り付く。

 死者が責める。不実を責める。その言葉は今まで受けたどんな刃よりも炎よりも、鋭く、熱く、はらわたえぐる。

ゆるしてもらえるだろうなんて思い込むなよ。死人だからって勝手におれの気持ちを代弁してんじゃねェぞ! てめえはおれを裏切った! おれを見棄てた! 見殺しにした! おかげさまでこのザマだ。うまい飯も食えねえ。セックスもできねえ。毎日身体が腐り落ちてく! 憎いに決まってんだろ。殺したいに決まってんだろ!

 でも……殺したくねえんだッ!!

 大切なのに憎いんだ!

 殺したいのに好きなんだ!

 いっしょに戦ったあの頃が、温かくて、懐かしくて、まぶたの裏でいつもキラキラ輝いてて!

 それなのに……この腐った身体から《悪意》が溢れて止まらねえんだよ!!」

 涙はとめどなく流れ落ち、ナダムを悲嘆の海に沈めるかに思われた。彼の声が少しずつ、しかしはっきりと分かるほどに、か細く、力を失くしていく。彼の腐った肉体を今日まで支えていたもの、それは《悪意》に他ならない。それを吐き出し、受け止められ、ナダムは真の死へと急速に近づいていく。

「こんなことなら蘇りたくなかった!

 いつまでもお前の思い出の中で、気のいい兄貴分のままでいたかった!

 なのに……なんでだよ、ちくしょう……

 ゆるさねえ! 絶対にゆるさねえぞ! が顕現する。とっておきの《悪意》をくれてやる!

 苦しめ! 苦しんで、苦しんで、苦しみ抜いて!

 ずっと……ずっとっ……! 忘れないで……

 お前は……おれ……の……」

 声は潰え。

 静けさのみが残される。

 ヴィッシュは彫刻のように動かない。

 カジュはそっと顔を伏せる。

 緋女がヴィッシュの背に歩み寄る。

 やがてヴィッシュは、懐に手を入れた。痙攣する手で煙草入れを探り出し、一本取り出してくわえようとする。

 その途端、緋女の眼に怒りが燃え上がった。

 彼の前に回り込み、平手で細葉巻を叩き落した。驚き、ヴィッシュが緋女を見上げる。濡れた子鼠のような目を彼女に向ける。緋女が彼の胸倉を引っ掴み、乱暴に引き寄せる。

「なに格好かっこつけてんだ」

 気が付けば、彼女の眼にも、涙。

「我慢してんじゃねェよ馬鹿野郎ッ!!」

 堤を破るものは、常に最後の一滴ひとしずく

 緋女の言葉がヴィッシュの心に染み込むや、彼の堤は崩壊した。10年、否11年、ずっとき止め続けてきたものが、ついに流れる先を得て溢れ出た。

 ヴィッシュは泣いた。

 声を挙げて泣いた……

 初めて彼が見せてくれた涙を、緋女は胸で受け止めた。力強く彼の背を掻き抱き、歯を折れんばかりに食いしばる。慟哭が肺に響いてくる。いつしか緋女も一緒になって泣いていた。カジュも向こうを向いたまま震えていた。

 ずっと、ずっと。

 癒えることのない哀しみを、それぞれの胸に抱き続けたままで。



THE END.

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