■序章 “189日前”

序章 “189日前”



 ある日の夕暮れ、“堕ちたルルフォン”の古聖堂にカジュの姿があった。石壁の裂け目から洩れこむ夕陽の中を、ぴょい、ぴょい、と大股に跳び進む。慎重に確かめながら跳んだつもりだったが、うっかり粘液溜まりのひとつを踏みつけてしまい、カジュは潰れた蛙のように顔をしかめた。

「汚いなー、もう。」

 靴を持ち上げると粘液が糸を引いて付いてくる。そこらの石床に靴底を擦り付けてぬぐい取る。そうこうするうちに、ヴィッシュも聖堂に入ってきた。

「緋女! 外は大丈夫かーっ? よし。

 悪いなカジュ。お前に押し付けたくはなかったんだが……その、こんな……場面の後だし……」

「生殖行為でしょ。珍しくもないよ。

 ほいこれ。東西南北に設置。正確にね。」

 と、カジュが魔法の測定器具が詰まった袋を投げ渡す。ヴィッシュは袋の中身を探りながら、

「あの男が自然に変異したとは考えにくい。誰か黒幕がいたはずなんだ。調査してみる価値があると思う……」

「平気だってば。気、遣いすぎ。」

 言い訳がましく饒舌なヴィッシュに、カジュは肩をすくめた。仕事は仕事。少々の痛いのしんどいの、汚いの臭いのは我慢できる。我慢ならないのは軽んじられること、認められないこと、正当な対価を払われないこと。フェアな取引の範疇でなら自由に使ってくれてかまわないと、ずっと以前にちゃんと明言したはずなのに。

 ――ま、それがヴィッシュくんのいいところ、か。

 カジュは汚れていない祭壇に飛び乗り、腰を下ろした。膝の上に小径の水晶玉を乗せ、手を当てて意識を集中する。

 青年オーデルは、己の中の《悪意》に肌身を共鳴させ、魔獣に堕した。意味が物質の在りようを規定するように、意志がひとの在りようを変質させる。それ自体はこの世界の基本法則であり、決して珍しい現象ではない。緋女が犬に変身するのも、カジュが《光の矢》を撃ったり空を飛んだりできるのも、全てこの原則に基づいている。

 しかし、その結果としてヴィッシュにすら手が出せないほどの魔獣に変化した、となれば、これは相当な大技である。通常ならば、高度な器具を用い年単位の時間をかけて少しずつ身体を作り変えていく必要がある。それを即席で行ったとなれば、術者の力量は並大抵のものではない。

 それだけに術式の痕跡は大きく残る。追跡するのは決して難しいことではないはず。容易い仕事だ。

 ほとんど遊び半分にカジュは水晶玉の中へ己の意識を差し込み――

 ふと、手を止める。

「ヴィッシュくーん。はやく置いてよー。」

「ん? さっき置いてきたぞ」

 声は思いのほか近くから返ってきた。計測用の魔術装置の設置はとうに終わり、ヴィッシュはカジュの後ろで結果待ちをしていたのだ。

 ――うそ。

 カジュが弾かれたように水晶玉へ向き直り、再び魔力の線に指を走らせる。ヴィッシュが頭を掻いた。

「あれ? すまん、方角ズレてたかも」

「違う……。」

 。間違いない。ヴィッシュの仕事に遺漏はない。計測器は正しく配置され、きちんと機能している。

 にもかかわらず。何者かが防壁を張っている――?

 と、そのとき。

 恐るべき強度の魔力の渦が、探知の網からカジュの水晶玉へと洪水のように逆流した!

 ――罠だっ。

 《対抗呪文カウンター・スペル》。敵対的な干渉に反応して自動的に発動するよう仕込まれた魔術の罠。それがカジュの支配下に置かれた魔法力線へと強制的に割り込み、水晶玉から異質な漆黒の弧雷アークが迸らせる。電撃は勝手気ままに聖堂の中を暴れ狂い、床を、石壁を、崩壊寸前の天井を、舐めては焼き、焼いては砕く。その中の一条が頭上に伸びあがったかと思うと折り返し、カジュの背中に襲い掛かってくる。

 とっさにヴィッシュがカジュの背を抱いた。盾となってカジュを庇い、背中を雷に貫かれて、ヴィッシュが痛々しい悲鳴を上げる。肉が焦げる匂いがする。それらの事態を全てを強引に意識の外へ追い払い、カジュは自分の魔法に全神経を集中させる。

 術式を編む。両手を動員して印を組む。四層最密単位魔法陣クアトロコンソールの8枚重ねを聖堂全体へと展開する。カジュの額に脂汗が浮く。彼女が全力を出してさえ容易には打ち破れないこの術式。強力無比。高度で精緻。こんな代物を創れる者は世界にたったひとりしかいない。

 ――これは

「まるパクりかよあの野郎ッ。」

 その瞬間。

 轟音と閃光を撒き散らしながら、水晶玉が魔法陣ごと爆発した。



「おい! どうした!?」

 爆発音を聞きつけた緋女が、外の見回りを中断して駆け込んでくる。聖堂の奥の壁際には、体中を弧雷アークに焼かれたヴィッシュが座り込んでおり、その前でカジュが治療の術を施していた。ヴィッシュは苦しげに顔をしかめながらも、腕を振って無事を知らせた。

「大丈夫だ。すぐに治る……」

「何があったんだよ。調べ物じゃなかったのか?」

「ごめん。」

 そこでようやく、ヴィッシュと緋女は気付いた。

 空中に治療の術式を描くカジュの指先が、小刻みに、震えていることに。

「……ボクのせいだ。油断してた。」

「謝らなくていいさ。お前だから死ぬ前に敵の罠を止められたんだ」

「ごめん……。」

 ヴィッシュがカジュの肩を撫でる。緋女がそばにしゃがみ込んで慰めの言葉をかけてくる。今の音で付近の魔獣が集まってくるかもしれないと、ヴィッシュが緋女を外に差し向ける。ふたりの緊迫したやり取りが、まるで別世界の出来事のように、遠い。

 カジュの意識は御しがたい感情の渦に翻弄され、右へ、左へ、木の葉のように頼りなく揺れ動く。

 ありえないはずの異変の予感。

 なのに否定しようもない事実への困惑。

 遠くない未来、自分を襲うであろう破滅の運命に、カジュは、震えを止められない。

 ――どうして、今さら――

 救いを求めるように持ち上げた視線の先に、懐かしい背中がかすんで見えた気がした。

 ――どうして――キミが。







 序章 “189日前”



 どこへ行ったんだろうな、あの手紙は。

 あの時もそうだ。奴が頼りないものだから、世話を焼いてやったっけ。ヌイグルミみたいに可愛らしい黒髪のメイルグレッドさ。あの育ちのいいお嬢様が、ずっと奴のこと、好きだったんだって。ルーニヤなんかにうっかり喋っちゃまずかったな。でもまあいいんだ。口の軽い赤毛の筋肉女はあいつなりに熟慮して、おれのところに来た。それで中隊内の問題がおれの耳に入ったから対処も可能になったんだ。大事なことさ。人間関係の重大な問題だよ。

 なんたって、若き勇者様と、それに付き従う聖職のご令嬢だもんな。よく似合ってる。キス程度を恥ずかしがってる場合じゃないんだぜ。はやくセックスしろー! 話はそれからだーっ! て、言いたいところだが、そんな言い方したら逆に身持ちが固くなっちゃうよな。

 な。そうだろ、

 そういう男さ。お前って奴は。

 さて、どうしたものかな? と、おれは頭をひねったものだった。ここからが中隊一の知恵者の腕の見せ所よ。特におれは優れた魔法使いであると同時に、帝国じゅうでも指折りの色男であったから、恋愛にまつわる人生経験は誰より豊富なんだ。それに奴のことはものすごく詳しく知っている。よく恋人関係と間違われたくらいだ。ひょっして本当にそうなんじゃないかと自分でも不安になって、一度試しにキスしてみたことさえある。奴の心を掴む演出は心得てる。任せとけ。

 で、メイルグレッド嬢に手紙を書かせた。文面はシンプルが一番だ。『ずっと好きでした。つきあってください』てな。奴にはこういうのが一番いいんだ。

 だのに、あの、お嬢ときたら。土壇場で照れちゃって、せっかく封をして花の香まで纏わせた手紙を、ずっと懐にしまいっぱなしなんだぜ。この作戦が終わったら渡せよ、絶対渡せよ、必ずうまくいくからな、って、おれとルーニヤのふたりがかりで、出撃前に4時間も励ましまくった。それでメイルグレッドもその気になってたんだ。

 その気になってたんだよ。

 なのに、あの子は死んだ。

 ルーニヤもだ。ボイルも。レミルも。リサ・ワクラも……みんなみんな、死んだ。

 どこへ行ったのかなぁ、あの手紙は。

 死体と一緒にヴルムに食われたのかな。火の息に焼かれて灰になったかな。それとも冷たい土の中に埋もれちまって、ゆるやかに腐り果てて、見る影もなく恐ろしい姿になり果てたかな。メイルグレッドの愛らしい笑顔がドロドロに腐り崩れるように。

 ああ、どこへ行っちまったんだろうな……あの温かな日々は。

 そして、おれは――おれは、どこにんだ――?



 ――肉の器のるべき世界ところ



 何者かの声に呼び起され、は目覚めた。

 初めには混乱のみがあった。重い。冷たい。息苦しい。何か恐ろしく狭い場所に閉じ込められている。土が身体の上にのしかかり、彼の手足を鉛の鎖のように締め付けている。彼は半狂乱であがいた。嫌だ。こんなところは嫌だ。こんなのは嫌だ!

 必死にもがいた甲斐あって、頭上に小さな穴が開いた。穴の向こうから刃のように冴えた月光が目を突き刺した。彼は身をよじり、あらん限りの力を振り絞り、少しずつ少しずつ頭上の穴を押し広げていった。やがて外気が肌に触れ始める。猛烈な激痛が皮膚を掻きむしる。なんだ!? これは一体なんだ!? 訳も分からぬまま、恐怖に駆られて彼は暴れ続ける。

 ついに、彼は穴の上に這い出すことに成功した。

 どことも知れない山中の、草木もまばらな乾いた谷間の、誰の物とも分からない墓の下から。

「おれ……は……?」

 記憶が混乱している。

 自分が誰なのか。ここがどこなのか。なぜ墓の下に埋まっていたのか。何も分からない。思い出せない。まるで、知性の全てを地底に流し去ってしまったかのようだ。

 朦朧とした意識の中で、彼は必死に思考のよすがを探り――ようやく、か細いわらのような手がかりを見出した。

「帰らなきゃ……おれたちの……故郷へ……」



   *



 彼は歩いた。月光の下を。酷風の中を。熱砂の上を。身を焼かれながら。肌をついばまれながら。精神の奥底を、黒々とした不安に蝕まれながら。

 歩き続けるうち、少しずつ彼の記憶が蘇りだした。そう。この道は知っている。あの山も。記憶のとおりだ。ここは東シュヴェーア。麗しの故郷。彼は戦ったのだ、愛する祖国を守るため。大切な人々を魔の侵略から救うため。そうだ。この先に街がある。彼の属する中隊が拠点として使っていた街だ。彼らが魔王軍から解放した街だ。敵を駆逐した後、街中から湧き上がるような歓声を以て迎えられた。あの日の光景が目に浮かぶ。

 通りを埋め尽くす街の住人たち。高らかに合唱される感謝と称賛。美しい女たちがキスの嵐をくれ、中でもとりわけ大切なひとが、炎のように熱い抱擁を彼にくれた。いくつの昼と夜を彼女とともに過ごしただろう。一緒に花を見に行った。祭りの輪の中に飛び込み踊った。有り金をはたいてプレゼントもした。鏡を贈ったのだ。彼女がもっともっと美しさに磨きをかけられるように。彼女は大喜びで、その夜は普段の3倍も激しく汗をかいた――

 ――おれたちは街を守った。そうだ。おれたちは頑張ったんだ。

 彼が街に着いた時、辺りは夜のとばりに覆われていた。

 人通りのない通りを、彼は足を引きずりながら徘徊した。街の様子は昔とずいぶん変わってしまった。建物が増え、道も新たに舗装され、城壁の外にまで街区がはみ出している。大いに発展を遂げたのだ。喜ばしいことだが――彼がここを去ってから、一体どれほどの時間が経ったのだろう?

 知った場所を探し求め、ついに彼は、見覚えのある建物を見つけ出した。この路地は知っている。あの頃のままだ。彼の心にほんのりと温かな期待が湧き上がった。そうだ。この奥の、秋になるとたっぷり実を付けるハシバミの木のところを曲がり、道なりに少し行ったところに――

 懐かしい家は、あった。昔と全く変わらない佇まいで。

 ここにシェリーが住んでいる。

 彼の恋人。いずれ結婚しようと約束した仲。帝国で一番の美人。そう紹介すると彼女は「ハードル上げるな、ばか」と怒ったけれど、彼は改めようとはしなかった。誰がなんと言ったって、彼女は最高の美人だ。異論を述べるような奴はぶっ飛ばしてやる。彼にとってはシェリーが世界一なのだ。

 ああ、声が聞こえる。窓の木枠の隙間から、家の中の灯りとともに、彼女の愉しげな囁きが漏れてくる。元気でいてくれたんだ。この家で待っていてくれたんだ。彼は窓の灯りに引き寄せられた。そっと、家の中を覗き込んだ――

 シェリーが、誰か他の男と寄り添い、膝枕で眠る幼い息子の頭を撫で、幸せそうに――本当に幸せそうに――目を細めて微笑んでいる――

「シェリー」

 名を呼ばれ、シェリーが窓に視線を送る。

 直後、恐怖の絶叫が夜の街を引き裂いた。

 彼は驚き後ずさった。シェリーは狂ったように喚きながら息子を掻き抱いた。男は薪割り斧を手に取ってドアの外に飛び出してきた。彼は茫然としていた。目の前に殺気立った男が立ち塞がる。窓から中を見れば、シェリーがぼろぼろと涙を零しながら必死に息子を庇っている。

 まるで、まるで、恐ろしい怪物と出会ってしまった、みたいに。

「シェリー」

 もう一度、彼は彼女の名を呼んだ。

「シェリー。おれだよ。シェリー!」

 男が斧で襲い掛かってくる!

 彼の身体は反射的に動いた。

 彼は戦士だ。魔法使いだ。人外の魔獣を相手に一歩も引かず戦い抜いてきた男なのだ。素人が力任せに振り下ろしただけの斧など容易くかわせる。お返しに拳を叩き込む。男がのけぞり、尻もちをつく。

 それと同時に、激痛が彼を襲った。

 彼は愕然とした。殴りつけたその腕が、折れた。たった一発のパンチで拳が砕けてしまったのだ。

 ――なんでこんなに脆い!?

 ここへ来て彼はようやく、自分の身体に疑問を抱き始めた。一体この身体はどうなってしまったのだ? 妙に重い。妙に苦しい。耐えがたい痛みが常に全身に走っている。まるで皮膚が腐り落ち、神経がむき出しになったかのように。

 不安と緊張に鼓動が高まり、息が荒くなる――と思ったところで気付いた。

 ――おれは、息をしていない。

   おれの心臓は、動いていない!

 たまらなくなって彼は家の中に駆け込んだ。シェリーの目の前に向かい合い、叫んだ。助けを求めて。救いを求めて。

「シェリー! おれだ! 分かってくれ! が……なんだよォォッ!!」

「嘘だ! そんなはずない! だって彼は……10!!」

 そのとき、戸棚の上の、卓上鏡が目に入った。

 かつて彼が、シェリーのために贈った鏡。

 そこに映っていたものは……

 肌は腐り、肉という肉に蛆が湧き、片方の眼球を失くし、朽ちた腸の名残を腹から垂れさがらせた――

「お……れ……?」

 その瞬間。

 彼の魂は、狂気に呑まれた。



   *



 次に気が付いた時、彼は、血の海の中で力なく跪いていた。

 殺した。みんな殺した。男。子供。そしてシェリー。何もかも殺した。かつてシェリーと愛を交わした懐かしい家は、嵐のように荒れ狂った殺戮の果てに、黒々とした血で塗りたくられ、言葉ひとつ、音ひとつなく、それ自体が棺のように、ただ、冷たく横たわるのみ。

 泣きたい、と思っても、自分が涙も出せない身体になっていることに気付くばかりだった。

「どうして……こんなことに」

 彼はかすれ声で呟く。

「おれは……こんなことがしたいんじゃなかったのに……!」

 と。

 その時だった。

「――哀しいね」

 氷河を思わせる異様な重圧が、背後から押し寄せてきたのは。

「ひとは哀しい存在だ。

 望んだものを望んだように得られないというだけじゃない。

 望んだものを望んだようにことさえままならない。

 なのにひとは、いつだって希望ヴィッシュを追わずにはいられないんだ。

 光を求め彷徨う羽虫が、我が身を炎へ投じるようにね――」

 彼は、顔を上げた。

 振り返ったそこに、は、いた。

 初めに見えたのは、闇。わだかまる暗闇そのものが、まるで命あるように蠕動している。黒い切れ端を夜に溶かし、溶けたそばからまた夜を喰い、微細な拡大と縮小とを無限に繰り返しながら、闇の塊は蠢き続ける。

 その中央。闇の懐に抱かれ、ぼんやりと白く浮かび上がるものがある。

 首。

 非現実的な美貌の下から、黒い血を際限なく垂れ流し、それでもなお妖艶な微笑を浮かべ続ける――少年の頭部。

 それが、蠢く闇の中心に、ぽつりと浮かんでいたのである。

「なん……だ……!?」

 彼は戦慄した。震えていたのだ。肉の身体は腐り果て、心臓は鼓動を止め、呼吸すらままならなくなった彼の身体が、それでもなお震えていた。生死を越えた根源的な恐怖が、彼の背骨を揺るがして止まなかった。自分は今、とてつもないものと対峙している。まみえてはならぬものとまみえている。その確信だけが、彼の淀んだ魂を締め上げていく。

 闇の中で、少年の頭が囁いた。血の泡立つ音の混ざった、聞くに堪えない濁声で。しかし奇妙に心をくすぐる、祈りにも似た誠実さで。

「でも、口に出すのが大切なんだ。

 

 ふたつが揃い、初めて君は、向こう側アーゼングへと招かれる。

 これは世界の法則だ。ひとつの質量が他の質量を惹き付けるように。漆黒の中にあってこそ星が燦然と輝くように。君には選ぶ余地がある。ひとを異界へ連れ出すものは、常に意志と意志の発露だ。

 もしも君が、己の言葉を紡ぐなら。

 この僕が、君を導くともしびとなろう――」

 いつのまにか。

 彼は、闇の前にひざまずいていた。

 震える手が前へ伸びた。骨のみの指が闇の裾を撫でた。痛みと苦しみ以外の何も感じ取れなくなったはずの身体に、なぜか、指に触れる闇の感触が暖かい。彼は呻き、そして問うた。己の居場所を問うかのように。

「お前は――お前はいったい、何なんだよ――?」

「――《大破壊ホロコースト》」

 少年が詠う。いてはならぬものの名を。

「あるいは、《死の対手たいしゅ》。

 《殺戮の担い手》。

 《ひとが創りしひとの敵》。

 《最も古き智の庫ライブラリ》。

 《第十の九頭竜パワー・テンス》。

 《黒よりもなお黒き蓮ブラッカー・ロータス》。

 《全き滅びをもたらすもの》。

 即ち――」



「魔王、クルステスラ」




「勇者の後始末人」 第2部:胎動篇 完









■次回予告■


 懐かしい故郷から届いた訃報。仇討ちに燃えるヴィッシュを待っていたのは、故国を埋め尽くさんとする死霊の軍勢だった。危機の背後に見え隠れする黒い影。再び首をもたげる痛恨の過去。墓穴に秘められた冷たい真実を見出すとき、後始末人最大最後の戦いがその幕を開ける。


 次回、「勇者の後始末人」

 第15話 “さよなら、パストラール 前編”

 Pastoral // Catastrophe (Part1)


 第3部:再起篇、堂々開幕――乞う、ご期待。


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