第8話-05(終) 焦がし砂糖は甘くて苦い。
港はいつものごとく人混みに溢れていたが、学園の一行はいまや黄金そのもののように輝き際立って見えた。大混雑の中から、カジュは一目で彼等の姿を見出し、その行く手を塞ぐように前へ出た。手には大慌てで製本したばかりの、インクの香りも真新しい論文を持ち、足では港の石畳に食いつくように踏ん張って、学徒たちの顔を見上げている。
一行の中に、ファラド副校長の姿は見えなかった。いるのは、感じの悪い目つきでカジュを値踏みしている連中ばかりだ。しかし、今のカジュには胸を張って対峙するだけの根拠がある。手の中の完成原稿が、彼女に無限の勇気とふてぶてしさをくれる。
「先日はどうも。」
刺すように挨拶すると、学徒のひとりが不機嫌に眉を跳ね上げた。
「ああ。お前は、あの時の」
「書き直したんで、コレ。」
差し出され分厚い紙束を、学徒は手に取った。表紙を
カジュは黙ってその様子を
だが。
学徒は侮蔑の
「言うに事欠いて“無限縮退問題”だと? ばかめ!」
叱責が、カジュの頭上に降り注ぐ。それは聞くに耐えない罵倒だった。
「ガキにこんなものが書けるはずがあるまい。中を見る価値もない。おおかた、わけもわからずセンセーショナルなテーマをぶち上げ、ろくな論証もせず戯言ばかり書き連ねているのだろう。ええ? そうだろう、小僧? そんなに学園の名声が欲しかったか? 奇抜なことをして印象を残せば、誰かの援助を
――殺す。
と、カジュが殺気を膨れ上がらせた、その時だった。
突然、学徒が錐揉み様に回転しながら吹き飛んで、挙句、遥か向こうの木箱の山に頭から突っ込んだ。
「……は。」
あっけにとられるカジュの前に、鋼鉄の大盾のごとく
それは、
一体どこから現れたのか。というより、今日はひとりで来たはずだったのに。ともあれ、
あまりにも速すぎて、霞か幻のようにしか見えない。一瞬で次の学徒に肉薄し、その鼻っ面に握り拳を叩き込む。ふたりめの学徒が卒倒し、ようやく残りの面々に恐怖が走る。悲鳴が上がる。背を向け逃げ出す。
逃がすわけがない。
その間、
それでもカジュには伝わってくる。言葉なんかなくても分かる。
――あたしのツレをナメんじゃねえ!!
カジュは静かに眼を閉じた。
暗闇の中で己の心に向き合ってみれば、もう、どす黒い執着は、すっかり
カジュは、鼻息も荒い
「帰ろ、
学徒の胸倉を引きずりあげて今しも駄目押しの一撃を見舞おうとしていた
「……いいのかよ」
カジュは彼女に、無理な作り笑いを投げかけた。
「うん。もういいんだ。」
*
マイクル・ファラドが所用を済ませて港に戻ってきたのは、ちょうど、カジュたちが広場を去った直後のことだった。
ファラドはまず、倒れてうめく同僚たちに驚き、次に、遠くを去っていくカジュの背中に驚いた。幸い同僚たちは、手ひどく殴られてはいたものの命に別状はなく、この程度なら魔術で治すのも容易だろうと思われた。
安堵の溜め息をついたとき、ファラドは、石畳に散乱した文書に気付いた。手にとった一枚には、目を奪われるような刺激的なタイトルと、几帳面な文字の著者名が記されていた――カジュ・ジブリールと。
一体何が起きたのか、これで、なんとなく察せられた気がした。
ファラドは困り顔で頭を掻き、それから、散らばった原稿を拾い集めにかかったのであった。
*
帰宅したふたりを出迎えたのは、なんとも抗いがたい、甘やかな香りであった。
エプロン姿のヴィッシュが、上機嫌に鼻歌など歌っている。彼は仲間たちの姿を認めるなり、湯気を立てる耐熱皿をテーブルに運んできた。
「見ろよ、新作だぜ」
と、自慢げに披露されたのは、焼きたてのプリン。新鮮な卵、ミルク、砂糖を混ぜ合わせ、耐熱皿に満たしてオーブンで焼く――前の失敗をふまえて今度はさらにひと工夫。フライパンで慎重に炒めた焦がし糖蜜を、上からとろりと垂らしてみた。
ヴィッシュ特製“焦がし糖蜜のカスタード・プリン”、完成である。
「わー! うまそー!」
「ふーん。」
飛びつく
カジュは、しばらくの間、たれ落ちる糖蜜を見つめていた。どこか優しげなカスタードの白。舞い踊るような焦がし砂糖の黒。ふたつがうねり、混ざり合い、ひとつのところに溶け合っていく。
ひとさじ口にしてみれば、ヴィッシュが顔色をうかがいに来る。
「どうだ?」
眠たげな眼を横手にそらし、カジュはボソリと呟いた。
「……まあまあだね。」
THE END.
さて。
それからしばらく経ったある日のこと。カジュ宛に一通の手紙が届いた。余談とはなるが、以下にその内容を記しておく。
*
「私は今、船の中でこれを書いています。
まず、あなたにお詫びをしなければなりません。私の同僚たちが、あなたに大変な無礼を働きました。許されることではありません。彼らの上司として心より謝罪します。
そしてまた、個人的にも謝りたいことがあります。実のところ、同僚たちばかりではなかったのです。私もあなたを侮っていました。あなたがあまりにも若いので、つい、とてもまともな論文など書けまい、と思い込んでしまったのです。
それは大きな間違いでした。きっと、たいへんに不快な思いをなさったでしょうね。私の心ない言葉が、あなたを必要以上に追い詰めてしまったかもしれないと、罪の意識に駆られています。
でも、もし私を
あなたの論文を読みました。
大変に素晴らしかった。素晴らしすぎるあまり、はじめは我が目を疑ったほどです。しかしどうやら、あなたの理論は正しいようだと思えます。これは今までの常識を根底から覆しうる新説です。いえ、こんなこと言うまでもないでしょうね。この論文の価値は、誰よりあなた自身が最もよく分かっているに違いありません。
私はこの論文を学園に持ち帰り、査読にかけてみるつもりです。おそらく審査員たちも私と同じ感想を抱くことでしょう。あなたさえ良ければ、学園を通じて全世界に発信したいと思っています。
私は、今回の旅でひとつの収穫を得ました。それはどんなダイアモンドよりも大粒で、美しく、そのうえまだ誰にも知られていない、神秘的な宝石の原石です。ぜひ、この原石を世に送り出す手伝いを、私にさせてほしいと思うのです。
そしてもし、ご不快でないなら――あなたを学友と呼ぶ権利を、私に与えていただけませんか?
またお手紙します。
あなたのファン 魔法学園副校長マイクル・ファラドより
追伸
さらに詳しく検証したところ、いささか気になるところが何点か見つかりました。実験データの不足が数か所。あきらかな論理の飛躍が一か所。
これが査読で問題視されるのは、まず確実です。追加実験と考察の追記に取り組んでみてください。詳しくはまた査読後にお知らせします」
*
手紙を読み終わったカジュは、苦笑して、小さく一言呟いた。
「さすがに甘いだけじゃあないね。」
改めて―― THE END.
■次回予告■
病んだ剣士ギリアンは、死の床で過去に思いを
己の生きざまを刃に籠めて、剣士は最後の闘いに挑む。
次回、「勇者の後始末人」
第9話 “最後の闘い”
THE END
乞う、ご期待。
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