■第7話 “ハロー、ワールド。 前編”

第7話-01 最悪のクラスメイト



 生ぬるい溶液に包まれてカジュは目覚めた。

 目新しくもない、いつものことだ。どうせまぶたを開いても、見えてくるのは見慣れた光景。床から天井まで届く柱のような硝子ガラスチューブ。内部を満たす淡緑色の溶液。擬似的無重力状態の中、白く浮かび上がる自分の裸体。

 足下の排液口から大きな気泡が吹き出した。気泡はカジュの指を、脚を、腰を、へそを、緩やかに弓なる腹と胸をくすぐり、金色の髪を揺らして頭上へと消えていく。これが来ると溶液が排出される合図。実験終了を告げる鐘。何もかも、いつものこと。

 いつだって代わり映えのない、クロムと硝子ガラスと監視の目に囲まれたカジュのセカイ。

 眠たげに半分ばかり持ちあげたまぶたの奥から、カジュは全てを睥睨へいげいする。

 溶液が下に吸い込まれ、チューブが天井に巻き上げられ、カジュは濡れた裸足でクロム貼りの床に降りる。股まで伸びた髪が幾つもの房に別れて体に貼り付く。さながらそれは、白いドレスを彩る金糸の縫い取りのよう。

 それらを、横から差し出されたタオルが包み込んだ。さして大きな布でもないが、カジュの小さな身体はその中にすっぽりと収まってしまう。見上げれば、いつもの企業人コープスマンが、いつもの笑顔でカジュを見守っている。

「おつかれさま。これでテストシークエンスは全て終了だよ」

「そうなんですか? カジュは次、何したらいいんですか?」

 カジュは自分をカジュと呼び、抑揚の効いた少女らしい無邪気な声で問う。彼女は自分のこの声が嫌いだ。この声のせいでナメられる。企業コープスによって計画的に生み出され、計画的に育てられ、計画通りいずれ企業戦士となるべき自分に、そこらの平凡な女子のような声など必要ないのに。といって、生まれ持った声質はどうにもならないが。

 コープスマンが、仰々しく封筒を渡してくれた。

「“ワンフォース”」

「何それ?」

 カジュが眉をひそめながら中を見ると、そこには一枚の命令書。企業は羊皮紙など使わない。徹底した製法研究の結果、羊を育てるより木を砕く方が安上がりになることに気付いたのだ。水にも暴力にも弱い安物のペラ紙。おかげさまで、カジュはタオルで手をしっかりと拭き、髪から滴が垂れないように注意しながら、恐る恐る読まねばならない。

 ともあれ、紙にはこう記してあった。

『カジュ・ジブリール LN502号

 啓示歴AD1310年4月2日を以て高等教育学校ニ号館への異動を命ず。

 啓示歴AD1310年3月35日 人事部』

「……はあ。明後日すか」

「急だよねーっ。ま、決算間に合わせギリギリセーフってとこかな、ハハハ」

「高等教育学校って、イロハまでしか聞いたことないですけど。ニ号館って何するんです?」

「学園生活。お勉強さ?」

 彼の答えは、さも当然、と言わんばかり。

「――立派な企業戦士オトナになるための、ね」

 そしてコープスマンは、愛嬌あるウィンクなどしてみせたのだった。



     *



 本社から街道を南へ、馬車で揺られること丸一日。企業が運営する高等教育学校は草原を見下ろす小高い丘の上にある。

 丘のふもとで馬車が停まった。荷台の重たいほろをなんとかめくり上げ、まずは放り捨てるように鞄と杖を地面に降ろし、その後に続いて、カジュもぴょん、と飛び降りる。

 ほろ付き馬車の薄暗さで慣れた目に、春の陽射しはまぶしいくらいだ。

 頭の上で手を振って、去りゆく馬車に別れを告げる。大きすぎて不格好な背嚢ランドセルを背負い、身の丈を越える杖を両手で支え、いつもの半開きの目でカジュは丘を見遣みやった。

 緩やかにうねりながら丘を登っていく石畳。その先には飾り気のない塀と門。無意識に、学校の門までの距離を、三角測量で暗算してしまう。数値上は大した距離でもないはずだが、なぜだろう、それが無限にも思えてくるのは。

 《風の翼》あたりで、びゅーんと飛んでいきたいところだが、許可なしに魔法を使うとコープスマンに怒られるし。

 溜息吐いて、しぶしぶカジュは丘を登りはじめた。脚が痛い。息が切れる。全く、肉体というのはめんどくさい。

 道のりの半分ばかりを踏破し、軽く息が切れ始めたころ、カジュは行く先に妙なものを発見した。道ばた、丘から突きだすように立った木の陰で、腰を下ろしてのんびりと風を浴びている人の姿。見たところ、カジュと同じくらいの背丈しかない子供のようだ。男か女かまでは分からないが。

 ――なんで、あんなとこに?

 疑問が頭を過ぎり、それはほどなく興味に変わった。興味は自制に、そしてよそおわれた無関心に。カジュは疲れた体に鞭打って、その子の前を足早に通り過ぎた。挨拶もしないどころか、視線も向けない。気づきもしなかったかのように通過したはず。こちらからは何もしなかったはずだ。

 だが、驚くべき事に――反応が返ってきたのだった。

「こんにちは。いい天気だね。」

 ぎょっとして、カジュは足を止めた。振り返り、声の主を見る。座り込んでいた子は立ち上がり、尻についた草や土を払いのけながら、こっちに虚ろな目線を送っていた。そいつの声には、まるで感情が籠もっていないように聞こえた。平坦で抑揚のない、無風の湖面みたいな声色。

「ボクはクルス。キミ、新入生でしょ。」

「……そうですが何か?」

 クルスと名乗った子供が、無造作に近づいてきた。カジュは反射的に逃げようとして、猫に追いつめられたねずみのように震え上がっている自分に気付いた。動けない、指一本さえ。クルスがさらに近づく。もう目と鼻の先。なんだろう、この異様な気配。この距離に近づいたというのに、男か女かも判然としない、整いすぎた顔立ち。

 それが美貌と呼ぶものなのだと――自分が見とれているのだと――気付くには、カジュはあまりに幼すぎた。7歳であった。

「授業、明日から。」

「知ってます」

「急いだって、今日はどうせ暇なだけだよ。」

「だからなんだよ。カジュの勝手でしょ」

 いささかムッとした。その憤りがカジュを束縛から解き放ってくれたようだった。馴れ馴れしい男。こちらが丁重に話しているというのに、向こうは初めから友達気取りか。こんな奴ほっといてさっさと行こう、と決めて、カジュは身をひるがえしかけた。

 それを阻んで再びカジュを釘付けにしたのは、鼻先に突き出されたクルスの握り拳であった。

「遊んでいこうよ。烏野豌豆カラスノエンドウが生えてるんだ。天道虫テントウムシもいる。」

「はあ?」

「星が19個もあるんだ。」

 言って、クルスは拳を開いた。

きてるんだよ。」

 カジュの背筋を悪寒が走った。開かれた手のひらには、黄色い小さな丸い虫が10匹以上もうごめいていた。迷ったように輪を描いて歩き回るもの。逆さまにひっくりかえって脚をばたつかせているもの。物思いにふけって空を見つめているもの。一心不乱にクルスの指先目指してい登り続けるもの。

 人差し指の先端に辿り着いた十九星の天道虫が、黄色い甲殻を開いて飛翔した。殻が真っ二つに割れる「がぱっ」という音が確かに聞こえた気がした。虫は飛んだ。一直線にカジュの顔目がけて。

「うっひゃあっ!?」

 思わず悲鳴を挙げて、カジュは逃げ出した。

 彼女は確かめもしなかったが――というより、確かめる余裕もなかったのだが――クルスはその後も、ずっとその場所に立ち尽くしていた。開きっぱなしの手のひらから、せっかく集めた天道虫たちが思い思いに飛んでいっても、それに頓着とんちゃくする様子さえ見せなかった。小さな脚を一生懸命ばたつかせて丘を駆け上っていくカジュの背中を、ただじっと見つめていただけだ。

 それが、奴とのファースト・コンタクト。

 第一印象は最悪だ。



     *



 ――むかつく。

 ニ号館は学園の片隅に建っていた。大きなクジラを思わせる丸っこいフォルムの中に、教室、寮、食堂、売店、演習場、果ては公園からスポーツコートに至るまで、あらゆる施設がまとまっている。普通に学園生活を送る分には一歩も建物から出なくて良いようにできているのだ。

 学園に到着した翌朝、カジュを含めた新入生はニ号館の大講堂に集められ、そこで入学に先だつ全体説明を受けていた。広い部屋いっぱいに机と椅子が並べられ、同年代の子供たちがそれを埋め尽くしている。その中にあって、カジュはただ一人、ずっと眉間にしわを寄せていた。不機嫌であった。

 理由は簡単。いるのだ。アレが。隣の席に。

 にらむようなカジュの視線に気付いたか、クルスが、あのボンヤリとした目をこちらに向けた。カジュは慌ててそっぽを向いた。他に数百人もの生徒がいるというのに、なんでよりにもよって、あんなのと隣同士にならねばならんのか。全くウンメイというものは度し難い。空気読めと言いたくなる。

「まずは入学おめでとうと言いたい。当校のニ号館は一般に公開されていない施設です。この意味がお分かりかな? 君たちは、その全員が我が社の幹部候補ということです。これは引き抜きから諸君を守る手段なのです――」

「なーなー」

 突如、背中をつつかれて、カジュはびくりと体を震わせた。先生たちに気付かれないようそっと振り向けば、後ろには同輩がひとり。その少年の人なつっこいニヤニヤ笑いが、どうにもカジュの気にさわる。

 少年は声を潜めて話しかけてくる。

「オレ、リッキー・パルメット。よろしくっ。キミ、名前なんてえの?」

「いま講話中ですが」

「バレなきゃ平気。ね、キミ、かわいいね。彼氏いるの?」

 ――そりゃどーも。

「死ねばいいのに」

 うっかり、本音と建て前が逆になった。だがリッキーとか名乗った少年は、少々邪険にされた程度ではひるみもしない。こういう――なんていうのだろう――ナンパ行為?にずいぶん手慣れているようだ。

 他にやることなかったのか、情けない、とカジュは思う。こっちが恥ずかしくなってくる。ホラ見ろ、リッキーの隣にいる女の子だって、恥ずかしげに顔を伏せて身をもじもじさせているではないか。

「ねえ知ってる? ニ号館は通称“ワンフォース”っていうんだと」

 ぴくり、とカジュの耳が動いた。

「240人の入学生が、卒業時には60人に減るんだって」

「ふうん……」

 ――それで1/4ワンフォース

 これでようやく、に落ちた。ワンフォース。ここはただの学校ではない。校長が言うところの“我が社の幹部”、コープスマンが言うところの“立派な企業戦士”を、星の数ほどいる天才児の中からさらに選別するための施設なのだ。

 コープスマンは、学園生活だなんて、すっとぼけたことを言っていたが。今さらそんなヌルい扱いを受けるなんてどうしたことか、と不思議だったのだ。

 望むところだった。選別、試験、好きにすればよい。どんな試験であろうと勝ち残るだけの能力と自信を、カジュは既に持っている。

 と、一人で優越感に浸っていると、それが顔に出ていたらしい。気が付けば、隣のクルスがこっちの顔をじっと見つめていた。こっち見んな、と心の中で叫ぶ。その様子が、背後のリッキーからは見つめ合っているようにでも見えたのだろうか。

「え、そいつ、彼氏?」

 ――ありえませんが何か!?

 思わず叫びそうになるが、まだ講話中であることを思い出して自制する。

 そのとき、背筋の凍るような言葉が校長の口をついて出た。

「えー、諸君。張り出された座席表の通りに座っていますね? では、隣の生徒を見なさい。

 それが君のパートナーです」

 ……………。

 ――うそっ!?

 カジュは弾かれたように隣を見た。クルスが相も変わらず、身動きもせずにこっちを見ている。校長の残酷な説明は続く。

「これから一年、君たちは全ての講義、全ての実習、全ての試験をそのパートナーと一緒に受けてもらいます。年度途中でのパートナー交代は一切認められないし、いずれかの脱落はもう一方の脱落をも意味する。

 つまり――君たちはふたりでひとり。一蓮托生、協力しあわねばならないのです」

 ざわめきが大講堂一杯に広がった。カジュはといえば、あまりのことに、馬鹿みたいにぽかんと口を開け、珍しく丸々と目を見開いて、隣のクルスを、唐突に与えられたパートナーを眺めるばかりだった――

 にこりと微笑む校長の顔は、生徒たちの反応を見て満足そのものであった。

「頑張ってくださいね。では、よき学園生活を!」




(つづく)

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