第5話-02 血の香りの追憶



 緋女ヒメは面倒な話を嫌って屋根裏部屋に引っ込み、カジュも裁縫道具を抱えてそれに付いていった。ようやく居間は静かになり、ヴィッシュはほっと一息吐く。緋女ヒメたちと話してるより、コバヤシと仕事の話をするほうがよっぽど楽というものだ。

「いや、上手くやっておられるようで、安心しましたよ」

 そんなヴィッシュの内心を知ってか知らずか、コバヤシはいつもの営業スマイルで言う。

「何が?」

「お仲間と、ですよ」

「……仲間なんかじゃねえ」

「そうでしょうか?」

 ヴィッシュの胸に、正体不明の苛立いらだちが沸き起こった。コバヤシの、何もかも承知といわんばかりの微笑みが、かんさわって仕方ない。

「奴らとは何度か仕事をやっただけだ。この家にも勝手に寝泊まりしてるだけだ。押しかけられて困ってんだよ!」

「ですが、あのふたりはあなたを信頼しているでしょう?」

 信頼。何か胸にチクリと走る痛みがあって、ヴィッシュは思わず視線を逸らした。何気ない言葉が、黒い煙のようにわだかまって、胸の中から溢れようとしているようだ。コバヤシは困り顔で――無論彼のことだ、困っているという印象を与えるべくして与えているのだろうが――頭を掻く。

「この仕事は、あなたがた3人でないと、と思っていたんですがねえ」

「……仕事はするさ。今度は何が出た?」

「分かりません。それを調べて欲しいのです」

 コバヤシは持参した巻物を机に広げた。第2ベンズバレン周辺を描いた地図だ。コバヤシの指が、この街から徒歩で半日ほどの距離にある森の中を指す。

「実は先月、森の中に遺跡が見つかりました。恐らくは、古代魔導帝国の」

「初耳だな」

「言ってませんからね」

 古代魔導帝国。それは、今から5000年以上前に建国され、以来4000年余りに渡って全世界を支配し続けた、空前絶後の巨大国家である。その支配階級は類い希なる魔術の才能を持った種族――つまり魔族であった。

 帝国の技術は現代の人間が持ちうるそれを、遥かに上回っていたという。しかし1000年ほど昔、突如世界を襲った謎の異変によって魔法の力は急速に衰え、魔法に頼り切っていた帝国はそれに伴って国力を維持できなくなっていった。この隙に、かの有名な聖女トビアを旗印に掲げた人間勢力が各地で決起、数百年に及ぶ戦乱の末、ついに魔導帝国は滅びた。

 その遺跡には、当時の超技術の結晶が眠っていることがある。恐ろしい怪物、何が起きるか分からない道具、その他諸々の想像さえつかない何か。上手く用いれば素晴らしい利益ももたらしうるのだろうが、いずれにせよ、危険極まりない遺物であることに変わりはない。

「調査隊を送ったんですよ。うちから詳しいのを3名、国軍から兵を50名ばかり。もちろん術士もいましたんで、《遠話》で連絡を取っていたんですが――

 昨日夕方の定時連絡を最後に音信不通になりました。なにかとんでもないものを掘り出してしまったのか、あるいは――」

「誰かとんでもないのが襲ってきたか」

「――というわけです。いずれにせよ、放置できません。依頼内容は、遺跡の調査、調査隊の安否確認です。お願いできますか?」

「もし、音信不通の原因を解決できそうなら?」

「完全に解決してもらえるなら、ボーナスを出しましょう。しかし無理はしないでくださいね。これ以上戦力を失うわけにはいきません」

 ――戦力、か。

 ヴィッシュの脳裏に、緋女ヒメとカジュの顔が浮かんだ。

 戦力。そう。戦力と、割り切ってしまえればどれほど楽か。

「引き受けていただけませんか?」

 ヴィッシュの沈黙を迷いとみたか、コバヤシが不安そうに問う。

 違う。不安なのはヴィッシュ自身の方だ。もやつく心を振り払うように、敢えてゆっくりと、力を込めて、机に差し出された前金の袋を掴み取る。

「言っただろ。仕事はするさ」

 まるで自分に言い聞かせているかのように。

「仕事はする」



     *



 あれがもう、10年も前の事になるのか――

 その日、ヴィッシュは緊張していた。策は練った。情報も充分に集めた。部下たちの練度も申し分ない。仕掛けは上々、細工は流々、あとは仕上げをご覧じろ、いうところだ。なのに出撃を目前に控え、ヴィッシュは――

 恥ずかしながら、膝の震えが止まらない。

「よう。なにビビってんだよ、大将」

 とっくに誰もいなくなった兵舎の中、ひとり、椅子に腰掛け居残っていたヴィッシュに、背中から声が掛けられた。びっくりして、振り返る。にやりと笑う奴がいる。いつだって余裕綽々の副長、ナダムが。

「俺は……」

「準備はしたろ? いつもと何が違う? 少々大がかりってだけだ」

「分かってる」

 ナダムには、ヴィッシュにないものがある。度胸だ。

 どんなに恐るべき敵と相対しても、ナダムは決して怯まない。無謀に突っこんでいく訳ではない。とにかく冷静――いや、「いつもどおり」なのだ。ヴィッシュにはそれが羨ましかった。彼には心に芯がある。どれほど状況に振り回されても微動だにしない軸がある。だから恐れがない。怯えもない。少なくとも、ないように見える。

 正直に言って、ヴィッシュより遥かに隊長に向いている、と思う。

 なのになぜか、彼は年下でキャリアも浅いヴィッシュを推した。魔王が襲ってくる少し前、騎士叙勲と中隊長への抜擢を辞退し、代わりにヴィッシュを推薦したのである。

 勝手なもんだ、と思った。何しろ推薦するとき、当のヴィッシュには確認ひとつしやがらなかったのだ。おかげで、彼が事態を知ったのは、もう拝命式の日程まで決まって、退くに退けない状態になった後のことだった。

 そのことについて文句を付けると、ナダムはあっけらかんとこう答えた。「切羽詰まらせないと迷うだろ? お前」と。

 それ以来、ナダムはずっと、副官としてヴィッシュのかたわらにいる。

「なあ、ヴィッシュ。自分で言うのもなんだが、おれはこう、いい加減な男でな」

「知ってる」

「コノヤロウ……」

「自分で言っててなんで怒るんだよ!」

「自分で言うのはいいんだよ!」

「なるほど……」

「分かりゃいいんだ。でな、いい加減なもんで、おれは理屈屋なんだよな」

「それのどこがいい加減なんだ? 客観的に分析し、論理的に思考し、合理的に行動する。立派なもんじゃないか」

「おれもそう思う」

「自分で言うか」

「事実だからな! ともかく、合理的ってことは、理屈が退けといえば退くってことだ。おれにはそういう考え方が染みついてるし、それはおれの最大の武器なわけだが――同時に、限界でもある」

 腹の立つ言い回し。何でもかんでも、裏の裏まで見据えてござる、という調子。そしてそれが事実だから余計に腹が立つ。腹が立つが、しかし、いや、だからこそ、ヴィッシュは彼の話につい耳を傾けてしまう。

「ヴィッシュ。お前は、いざというときに理屈を捨てて、自分自身を信じられる男だ」

「何……」

「もちろん、合理や論理を否定してるわけじゃない。お前も基本的には思考を武器にしてる。でも、ここしかない、この瞬間しかない、っていう勝敗の分岐点で、お前は自分の中にある論理以外のなにものかに躊躇なく身を委ねることができる。

 それはひょっとしたら、とんでもなく危険なことなのかもしれない。少なくとも安定性とか安全性には欠ける。だがおれはこう思う。

 魔王が襲ってきて、人間が滅亡するかどうかの瀬戸際にいるこの時代、必要なのは、お前みたいな奴なんじゃないか――てな」

 しばらくの沈黙の後、ヴィッシュは立ち上がった。

 不思議と、膝の震えは止まっていた。

「どうでありますか! 隊長どののココは、なんて言っておられますか!」

 びしっ、と直立不動の姿勢を取り、ナダムがどん、と拳で胸を叩く。

 ヴィッシュの目に、もう迷いはなかった。

「出撃だ!」



     *



「おいこら」

 びくり。

 弾かれたように肩を震わせ、ようやくヴィッシュは我に返った。

 気が付けば、日は南の空にかかっている。強くなってきた海風が頬を撫でていく。ヴィッシュが呆けている間も律儀に走り続けていた馬は、もう随分息を切らしてしまっている。苦しげに喘ぐ馬の首を撫で、速度を緩めてやる。

 大きく胸に息を吸い、肺に溜まったもやを、丸ごと交換するように吐き下す。

 そうだ――コバヤシの依頼を受けたヴィッシュたちは、すぐさま2頭の馬を立て、遺跡に向けて出発したのだった。片方の馬にはヴィッシュ、もう一方には緋女ヒメと、その背中にしがみつくカジュ。どうやら移動中、昔のことを思い出していたようだ。

 楽しい記憶。かけがえのないもの。

 なのにその思い出は、いつも体を引き裂かれるような痛みと一緒に蘇ってくる――

 ヴィッシュは、併走する緋女ヒメに疲れた無表情を向けた。

「なんだ」

「なんだじゃねーだろ。呼んでも返事しねえしさ」

「すまん、聞こえなかった」

「あのさあ」

 なぜかそっぽを向いて、緋女ヒメが問う。

「お前、朝から何を塞ぎ込んでんだよ」

「そうかな……」

「どーでもいいけど、メーワクなんだよ。目の前で暗くされるとよー」

「意訳:様子がおかしいからちょっと心配です。」

 ぶっきらぼうに言い放つ緋女ヒメの後ろで、その背にしがみついたカジュがぼそりと補足する。

「……別に悩むのは好きにしたらいいけど、足手まといになられちゃ困るし」

「意訳:悩み事は置いといて目の前のことに集中してみたら。」

「黙ってないでなんとか言えよ」

「意訳:話したいなら愚痴に付き合うくらいするよ。」

「カぁジュっ!!」

「何か。」

「なんのつもりだテメーは!」

緋女ヒメちゃん専用外付け翻訳装置のつもり。」

「まじやめろ、殺すぞテメー……」

 緋女ヒメは気恥ずかしげに頭を掻き、馬の腹を蹴ってスピードを上げる。ふたりを乗せた馬が前に行ってしまう。追い抜きざまに、カジュが悪戯な笑顔をこちらへ向けた。思わずヴィッシュは苦笑する。笑っている。

 笑えてしまっている。

 あの時と同じように。

 と。

 緋女ヒメが唐突に馬を止めた。追突しそうになり、慌ててヴィッシュも手綱を引く。

「なんだ、どうした?」

「臭う……」

「何が?」

 ひらりと馬を降りた緋女ヒメの額には、うっすらと、汗が滲んでいた。

「血」



     *



 地獄――と表現するのが、その場所に最も相応しかろう。

 辿り着いた遺跡の入口には、目を背けたくなるほどの惨状が広がっていた。調査隊の野営の後。テントは虚しく風にはためき、いくつかは完全に倒壊している。篝火は燃え尽き、虚しく立ち並ぶのみ。その周辺を、所狭しと埋め尽くす、死体、死体――死体。

 ざっと見たところ、4、50名分はある。コバヤシから聞いていた調査隊の人数とも一致する。何名か辛うじて逃げ延びた者もいるかも知れないが、おそらくは、全滅。季節は秋にさしかかったとはいえ、日中はまだ暑い。死体はすでに腐敗を始めており、辺りには吐き気を催すような腐臭が漂っていた。

 犬に変身した緋女ヒメは、入念に匂いを嗅ぎながら、死体をひとつひとつ見て回っているようだった。カジュはといえば、猫耳飾りのついた可愛らしいフードの奥で、それに似つかわしくない凍て付くような目をして、辺りを見回すのみ。

 と、ヴィッシュは死体の中に、見覚えのある顔を見つけた。

「ハンス!」

 名を呼んで駆けよるが、返事などあろうはずもない。何度か顔を合わせたことがある。後始末人仲間、この稼業を始めたばかりの若者であった。即死だ。肩口から腹辺りまでを一撃で切り裂かれ、剣を抜く間もなく息絶えたと見える。

 彼がいるということは、他にも――見つけた。少し離れたところに、身軽な革鎧姿の女術士の亡骸。サッフィー。さらに、崖崩れでできた露頭、その中程にぽっかりと口を開けた遺跡の入口。そこを守るように――おそらくは事実守ろうとして――倒れた、傷だらけの後始末人。エリクスだ。

「くそっ……」

 エリクスの死体の側に、ただ茫然と立ち尽くし、ヴィッシュは悪態を吐くしかできなかった。その後をついて回っていたカジュが、ひどく平坦な声を挙げる。

「ひどいもんだね。」

 感情の感じられない棒読みはいつものことだが、いつにも増して抑揚のない声であった。あるいはそれが、彼女なりの感情の表れなのかもしれない。

「大丈夫か?」

「ご心配なく、死体なんて見慣れてるよ。一体何があったのかな。」

「全員刀傷……魔獣の類じゃねえ。軍隊でも襲ってきたってのか?」

「いや、ひとりだぜ、これ」

 緋女ヒメが人間に変身し、顔をしかめながら寄ってきた。彼女の嗅覚は、人間の姿に戻ってもなお、常人より遥かに優れている。常人のヴィッシュにさえ少々辛い腐臭である。彼女にはなおさら耐えがたかろう。

「ひとり?」

「ふたりだけど、片方は見てただけだな。そんな匂いがする」

 馬鹿な。この人数の訓練された部隊をたったひとりで殺した? ヴィッシュ以上に腕の立つエリクスだっていたというのに? とても信じられることではない。

 そう思う一方で、緋女ヒメの鼻に対する信頼もあった。チームを組んでからというもの、緋女ヒメの嗅覚が的はずれだったことは一度たりともない。自分の中のつまらない常識と、仲間が自信を持って断言する調査結果なら、ヴィッシュは迷うことなく後者を信じる。

 そして緋女ヒメの言うことが本当だとすると、相手は恐ろしいまでの達人だということになる。よもや緋女ヒメが後れを取ることはあるまいが、勝負は水もの、何が起きるかは予測がつかない。

 不意にコバヤシの言葉が脳裏を過ぎった。“これ以上戦力を失うわけには――”

 戦力を、失う。

 じっとりとした脂汗が、ヴィッシュの額に浮かんでくる。

「で、どうするの。」

「……このまま帰ったんじゃ仕事にならん」

 それは自分を奮い立たせるための言葉であった。

「進むぞ。慎重にな」

 だが、そこに迷いがなかったと言い切れようか。



(つづく)

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