■第5話 “邂逅”

第5話-01 発端



 遠い秋空は澄み渡り、黒も白もない、どこまでも青。

 彼方――太陽の反対側、遥か遠方から飛来する何かがあった。

 初めにじんだ染みのようであったそれは、見る間に大きく、鮮明になり、その流線型を現した。鮫――悠然と巨体をくねらし、真っ直ぐに泳ぎ来る、何の変哲もない鮫である。ただし、それが泳いでいるのは暗く淀んだ海の深淵ではない。万物の頭上に横たわる、この広大な青空なのであった。

 知識あるものが見れば、その鮫の正体に気付いただろう。飛行魚、遥か南方の暗黒大陸に生息するという魔獣の一種だ。魔王軍はかつて、これら飛行魚たちを輸送手段として用いた。腹の下に大きな籠をぶらさげ、空飛ぶ船としたのだ。

 鮫がとある森の上空にさしかかった頃、腹の下の船体から離れて落下する、ふたつの小さな影が見られた。下へ、下へ、風に煽られ若干の曲線を描きながら、影は落ちていく。と、不意に落下速度が緩んだ。まるで鳥が翼を広げたかのように、ふたつの影はふわりと森の中に舞い降りる。

 人、であろうか。

 否。人のごとき姿をした、何か。



     *



 全身汗になってようやく運び出した発掘品に、しかし後始末人エリクスは顔をしかめる。近づいてきた壮年の騎士――今回の協力者、国軍の中隊を率いる隊長どのだ――は、口ひげを撫でながら、興味深げにムシロに広げた発掘品を覗き込んだ。

「どうだね?」

「だいぶ古いっすね……帝国初期と見ていいです。この調子じゃ、一体何が眠ってるやら」

 戦々恐々、エリクスは立ち上がった。50人近い国軍の兵たちは、見張りに人夫代わりにと忙しく働いてくれている。彼らの協力は不可欠だった。

 森の奥深く、大雨で土砂崩れを起こした山肌から、偶然見つかった遺跡の入口。エリクスたちが知らせを受けて駆けつけたとき、まだ入口は7割がた土に埋まっていた。内部に踏み込んでみれば、そこにあるのは見たこともない光景――石とも金属ともコンクリートともつかない謎の素材でできた壁と床、壁一面に描かれた謎の紋様、用途の想像もつかない謎の遺物。

 なにもかもが謎――すなわち、どれほどの脅威となるやも知れない遺跡である。国軍に協力を仰ぎ、興味本位の一般人やら、盗掘目当ての山師やらを追い払ってもらわなければ、危なっかしくて発掘どころではなかった。

 しかし、年代が古い。古すぎる。危険な遺跡かもしれない――後始末人協会が想定している以上に、だ。

「鬼が出るか蛇が出るか、てか」

「ま、慎重に行きましょう」

 隊長は頷いて、辺りの兵たちに声を張り上げる。

「今日はあがりだ、おつかれさん! 誰か、中のに伝えてこい」



     *



「おれが心配してるのは」

 エリクスは発掘品の片付けを進めながら、声をひそめた。サッフィーが大きな目を瞬かせながら、じっとこっちの顔を覗き込むように見つめてくる。その距離が思いの外近いことにエリクスはどぎまぎする。彼女はどうにも目が悪いものだから。

「情報が漏れてやしないかってことだ」

「どこから?」

「ここ、猟師が見つけたんだろ?」

 ああ、と納得の溜息を吐いて、サッフィーは発掘品の木箱に封をする。

「口止め、してるでしょ」

「口封じはしてない」

「ちょっと、ちょっと」

「いやあ、そういうとこが後始末人協会ウチの甘さだとは思うぜ。まあ現実、そんな対応できるわきゃないし、してほしくもないけどさ。裏を返せば、情報は漏れてるもんだと思って動かなきゃならん、ということでもあるわけだ」

「仮に漏れたとして、誰がこんな遺跡狙ってくるっていうの?」

「そうだな、例えば――」

 と。

 思わず、エリクスは言葉を切った。

 異様な何かが冷気と共に辺りを吹き抜けた気がした。屈めていた身を起こし、辺りを見回す。崩れて露わになった山肌。数名の兵士に守られている遺跡の入口。その手前に、木を切り倒して作ったちょっとした広場がある。そこに幾つものテントと篝火が並び、野営の陣を構築している。

 行き交う兵たち、積まれた木箱と樽。そのむこう側には、年の近い兵士と楽しそうに話し込んでるウチの若い衆、ハンス――仕事しろバカ。

 さらにその奥。

 エリクスは眼を細めた。

 森の木々の中から、ゆっくりと、野営の陣に近寄ってくるふたつの人影があった――ほどなくして、人影が篝火の光にさらされる。その異様ないでたちに、エリクスの反応が一瞬遅れた。

 ひとりは、術士ふうのゆったりした法衣を纏った男。ただし、首から上は巨大なネズミの頭部。神経質に髭と耳をぴくつかせ、丸く黒々した目で挙動不審に辺りを見回している。

 もうひとりは、剣術遣いだろうか。左右の腰に一本ずつの直剣を差し、黒ずんだ僧服のようなものを着た――おそらく、女。少なくとも体つきは若い女のそれだ。推測しかできない理由は単純。顔は仮面に覆われていたからだ。

 不気味に笑う、道化の仮面に。



「ぶっとばしていい? ねえぶっとばしていい?」

 ネズミ頭がケタケタと笑いながら奇妙に甲高い声で言う。

退いてれ」

 道化は、涼やかな女の声で答えた。

「――わしる」



 エリクスが我に返ったのはその時だった。

「逃げろハンス! 敵だ!!」

 ――瞬間。



     *



 滴が落ちる。

 たりを除いてもはや動く者のなくなった、その空間に。

 エリクスの血が滴る音が、篝火の揺らめきの中、異様な静けさに波紋を描くように響き渡った。

 おそらくもう、勝ち目はない。

 エリクスは、愛剣を杖にしてようやく立っているのだ。息は荒い。片目は血で塞がれた。脚の感覚がほとんどない。手に力が入らない。それから多分、あばらが何本かいっている。

 バカだなあ、とエリクスは冷静に考えた。さっさと逃げればいいのに。なぜ、勝ち目がないと思いながら、こうして遺跡の入口に陣取っているのだろう。何事も命あっての物種だ。命は大事なのだ。

 命は大事なんだよ。

 口で言うより。言葉にするより。ずっと。

 ハンス。サッフィー。名前も知らない50人の兵士たち。

 無造作に――ゴミのように――切り捨てられた命の残骸を踏みしだいて、ぺちゃくちゃと他愛もないおしゃべりをしながら、無造作に歩み来るふたりの敵。

 バカだなあ。バカなことしてる。

「ふざけるな……」

 自覚しながら、それでもエリクスは叫ばずにいられなかった。

「お前たちだけは、絶対にここを通……!」

 エリクスは死んだ。

 どうということもない。道化はただ、おおざっぱに間合いを詰め、すれ違っただけだ。すれ違いざまに抜きはなった剣は、エリクスの胴を半ば以上まで切り裂き、切ったかと思えばもう鞘の中に収まっている。脂や血がついた剣をそのまま鞘に収めてはいけない? 刃が錆び付いてしまう? 心配御無用。充分に剣速があれば、刃には血の一滴さえ付くことはない。

「ねねね、ねーねー。その人今、なんかゆってたよ、シーファちゃん」

「左様か?」

 ネズミ頭に指摘され、道化は――シーファは足を止めた。後ろを振り返り、少しの間考え込むように押し黙って、やがて、不思議そうにこう問うた。

「――して、人とは一体れだ?」



     *



 空は桟橋にしがみついて、海面に色だった。

 曇り気味の天気は5人、赤々と晴れ渡り、風が昼かに吹いてい。50の夜はどこまでも緑で、夕日には夜通し辟易するばかり。ひとり、じっとそこに立ち尽くす。そして見上げれば、空はそうだった――人々もまたそうだった。

 そこに何故かヴィッシュもいて、空から様子を見下ろしていたのが、自分も人だかりは、人垣に囲まれた中央。黒々と山のようなもの――竜の死骸や?――が転、その上にヴィッシュは立った。無数の目。無数の目。無数の目。押し潰されるような気がして、なんか話そう、と思うのだ、押し潰されるような気がしてそればかりが気がかりだ。無数の目。

「竜といったって対策を練ればこんなもんさ」

 得意気に見せて、ヴィッシュは語る。だが確信があったわけでも、そう言うべきだという確信は初めからあった。

「魔王軍が戦線を広げた今がチャンスだ。街道沿いを一掃するのも不可能じゃない」

 ――ああ。夢か?

 そう認識するや、ようやく世界がはっきりし始めた。これは、あの時の光景だ。

 漠然とそう思いながら、ヴィッシュは夢を俯瞰した。広場の中央にはヴルムの死骸が転がり、その周囲を一個中隊50名余がとりまいている。隊員のほとんどは若者だった。子供とさえ言える年齢の兵もいる。

 こんな部隊構成になった理由はごく単純。戦乱がベテランを殺す。若造が繰り上がる。ただ、それだけ。

 そんな理由で出世して、それでもなお無邪気に戦えるのは、ひとえに自分だけは死なないと思えばこそ。子供の発想である――ゆえに、それを取りまとめるべく声を張り上げるヴィッシュはガキ大将というわけだ。いささかとうの立ったガキ大将ではあったが。

「みんな! 俺たちはやった! 一兵の損害もなく“鱗のヴルム”討伐を成し遂げた!」

 歓声が沸き起こる。

「これは反撃の始まりだ! やるぞ……俺たちが新しい“竜殺しの英雄”になるんだ!」

 兵たちの声はひとつとなって、若き隊長を褒めたたえた。自分たちの戦果を声高に叫んだ。ああ、それは10年前。魔王戦争さなかの頃。まだ“勇者”なる称号さえ存在しなかった時代――

 あの頃、ヴィッシュはまだ若く、ただ上だけを見て生きていられた。

 ふと、彼は隣に目をやった。入隊以来ずっと連れ添った相棒――ナダムがそこにいて、にやりと笑いながら親指を立てている。いつだってふたりでやってきた。これからもふたりでやっていく。いや、この50人でやっていくのだ。

 勝てないものなどあるものか。この頼もしい仲間たちが共にあれば。

 屈託なくそう信じるヴィッシュに、ナダムは笑顔のまま言った。

「そうやって、お前はおれたちを殺したのさ」



     *



 かはっ。

 ヴィッシュは苦しげに息の塊を吐きながら目覚めた。

 額に浮かぶ脂汗。火照る体。心地よい朝の寒気。木窓の隙間から差し込む朝日が、天井を青白く染めている。その木目をただただ見上げ、徐々に息を整えて、体の火照りを収めていく。ここはどこだ? 問いかけに答えるものはない。俺は誰だ? 何かが答えた――ヴィッシュ、と。

 ――それで、どこへ行こうと言うんだ?

 混濁した意識が覚醒し、体温が下がっていく。汗の感触がたまらなくヴィッシュを悩ませる。べったりと湿った服。訳の分からない不条理な夢の残滓。気色悪い。ベッドは木板と藁とシーツだけで組まれた簡単なものだが、確かに保温効果は良い。秋口のこの季節なら、少々暑いくらいではある。

 とはいっても、この汗は異常だ。

 大きく息を吸い、吐く。

 ――またかよ。

 ヴィッシュは胸の痛みを堪える。

 また、夢を見たのだ。嫌な夢。いつもの夢。10年前の記憶を極めて恣意的に歪めてできた夢だ。魔王戦争の後、彼はずっとこの悪夢に苦しめられてきた。思い悩むあまり内臓をやられ、死んだ方がましだと思っていた時期さえある。

 だが時が過ぎ、傷は徐々に癒え――あるいは自らの手で覆い隠すことに成功し、もう何年も、この夢を見ることはなかったのだ。

 それなのに、どうして今さら。

 考えれば考えるほど、思い出せば思い出すほど、肺を鷲づかみにするような重圧は増すばかり。苦しい――余りにも苦しい。まるで、重い何かが体の上にのしかかり、胸を押し潰してでもいるような――

「すぴょー……ょょ」

「ねむねむ……。」

 ……………。

 寝息を立てる何か温かいものが、ヴィッシュの胸に2段重ねで乗っかっていた。

「お前らかよ!!」

 ヴィッシュはふたりをはね除けた。

 シャツ一枚で半裸の緋女ヒメと、レースのネグリジェ姿のカジュがころりとベッドから転がり落ちる。それでもカジュは起きる気配すらなく床に大の字。辛うじて緋女ヒメだけが目を擦りながらむにゃむにゃと、

「あー、わりー」

「悪いで済むか! どうして他人ひとの上に乗っかってんだよ!」

「なんかー? ちょと、寝相でー」

「そんな寝相があるか!」

「そんな寝相はねーぞう、なんつって」



 緋女ヒメが部屋から蹴り出されたのは言うまでもない。



     *



「熊?」

 すっかり日も高く上ったころ、ヴィッシュは寝椅子にぐったりと座り込んだまま、ボンヤリとした調子で聞き返した。

くま。」

 向かいに腰を下ろしたカジュが、目の下を指しながら答える。

「熊型の魔獣か」

「違うって。目が死んでるよ。」

「お前にだけは言われたくねえ」

 溜息ついて、ヴィッシュは軽く眉間を揉んだ。早朝の緋女ヒメたちの乱入のせいで、ヴィッシュは大変に寝不足である。

 あとでふたりによくよく話を聞いてみると、トイレに立ち、戻ってきたとき、寝ぼけて部屋を間違えたんだそうだが……迷惑なことこの上ない。若い者と違って、年寄りに寝不足は堪えるのだ。

 今日はこれといって仕事が入っていない。とはいえ、そんな日もやるべきことは山積みだ。普段なかなかできない鎧や外套マントの手入れ。煙幕弾や閃光弾等々、各種小道具の準備。冬に向けて保存食作りもしなければならないし、消耗品の補充も必要だ。仕事がないならないなりに忙しいものである。寝ぼけた頭には少々きつい。

「痛ッ」

 それに、あくび交じりに外套マントつくろっていれば、指を刺しもする。

 血が玉になった親指を舐めながら見れば、カジュも裁縫仕事に悪戦苦闘している。どうやら冬服の白いローブを引っ張り出してきて、フードの所に何か三角形の布を縫いつけているようだ。

「それ、何を縫ってんだ?」

「ねこみみ。」

「……………」

「実用性に優れる。」

「わかった、わかった」

 あくびをもう一発。気合いを入れ直して繕い物に集中しようとしたそのタイミングで、バタバタとけたたましい足音が階段を駆け下りてきた。そちらに顔を向けもせず、ヴィッシュはただ顔をしかめる。ひょいと居間に顔を覗かせたのはもちろん、ウチのお緋女ヒメさまだ。

「ねーねー、あたしのナイフ知んない?」

「知らねえよ。自分の物くらい自分で管理しろ」

「うっせーな。オカンかオメーは、っつー」

 緋女ヒメの足音が台所に消えていき、ひとしきりガチャガチャとやらかして、再び戻ってくる。

「ねー、柄が赤いやつなんだけど」

「裏だよ、薪雑把まきざっぽンとこ! 昨日お前、あのへんで何かやってたろ」

「なんだよ知ってんじゃん。ありがとー」

 ヴィッシュはしかめっ面をひょいとそむけた。

「俺ァお前の母親じゃねえってんだ」

 するとカジュが縫いかけを差し出して、

「ここの縫い方教えて、おかあさん。」

「お前なあ……貸してみろ。こうだよ」

 そこに、威勢よくドアを叩く音があった。現れたのは素晴らしい笑顔を顔に貼り付けた身なりのよい男――

「みなさんこんにちは! 毎度おなじみコバヤシでございます。

 とびっきりのお仕事を、お持ちしましたよ」



(つづく)

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