第5話-03 邂逅



 暗闇の中、折れて砕けた柱の残骸に腰を下ろし、シーファは携帯食料の紙包みを開く。固く焼いた棒状のビスケットだ。道化の仮面を片手で少し浮かし、その下から携帯食料を差し込み、歯で少しずつ削り取るようにしてかじる。

 これといって味はない。小麦粉を満足に練りもせず固めたような、ぱさついた舌触りを、義務的に喉の奥に押し込むのみ。

 と、シーファの頭がぴくりと動いた。ビスケットの残りを一気に口に放り込み、仮面をかぶり直して、立ち上がる。

「何か来た」

 闇の奥にあぐらを掻いていたネズミ頭がそちらを向いた。これが、この部屋に入って以来丸1日の間に、初めてふたりの間で交わされたコミュニケーションだった。お互い喋る暇もなかったのだ。ネズミ頭は魔導装置をいじって遊ぶのに忙しかったし、シーファの方は暇つぶしの方法を考えるのに手一杯だった。

「敵かなー? 何人?」

「2、3人とったところだ。れ以上は判らぬ」

「じゃ、協会の探りかなー? そうかなー? そうだなー」

「位置を調べろよ、魔法遣い」

 シーファが命じると、ネズミ頭ははしゃいで飛び上がった。黒々としたネズミの目を輝かせ、長い髭をひくひく震わせながら、

「あ、殺っちゃう? 殺る?」

「協会が本腰を入れるまでの時間が、少しでも稼げよう」

「だーめだよシーファちゃん、そんなのどーでもいいくせにぃ。本音はー?」

 軽く伸びをすると、シーファは首を回して骨を鳴らした。

此処ここは退屈でいかぬ」



     *



 拾った木の枝に《発光》の魔法をかけ、それを頼りにヴィッシュたちは遺跡を進む。

 中は身震いするような寒気に満ちていた。螺旋を描いて徐々に下っていく長い通路。壁、床、天井、いずれも材質は不明。石でもない、金属でもない、遺跡によく見られるコンクリートでもない。手触りは滑らかだが、光を当てても光沢はない。そんな壁や床に、無数の直線が描かれている。青や緑の線は、時折折れ曲がり、あるいは交差しながら、通路の奥へと流れていくようであった。

「いい仕事してますねー。」

 通路の壁をぺたぺた触りながら、カジュが呟いた。

「なんなんだ、これは?」

「たぶん都市か乗り物。この線は魔力回路の配線。見たところ原理操作系の魔法陣をエギロカーン効果に相当する技術で多層構造にしてるみたいだね。つまり質量場と素粒子の相互作用を情報場による干渉で無理矢理ねじ曲げて、質量自体を指数的に縮小させてるわけ。」

 ……………。

 ヴィッシュと緋女ヒメは、ふたり揃って、黙々と通路を進んでいる。

「なんか、街が丸ごと空を飛んでたみたいだよ。」

「うっそ!? 街が!?」

「そんなことが可能なのか!?」

「解説した甲斐があってよかったよ。」

 いささか不機嫌になったカジュであったが、分かれ道にさしかかると、ぐるりと辺りを見回して、

「もし敵が中枢を目指してるとしたら……。こっち。」

 迷わず一方向を指し示したのだった。



     *



 そうこうするうちに、3人は広大なドーム上の空間に出た。

 ヴィッシュは天井を見上げ、思わず息を飲む。これほど巨大な人造の空間を、彼は見たことがない。以前にハンザで見たグールディング大聖堂がすっぽりと収まってしまいそうなほどの高さと広さがある。

 それでいて壁面には継ぎ目一つ見当たらず、ただあちこちに梯子、階段、空中通路が張り巡らされているのみ。まるで大きな一枚岩から削りだしたかのようだ。

「なんなんだ、こりゃあ……」

「バラストタンク。」

「何だそれ」

「話すと長くなるけど。」

「よし分かった。中枢とかいうのはどっちだ?」

 カジュが杖の先端で指す先は、ドームの反対側にぽっかりと口を開けた通路であった。そちらに向かって広い空間を横切り、ドームのちょうど中央あたりにさしかかる。

 緋女ヒメがふと足を止めた。

「どうした?」

 答えはない。

 張り詰めたその表情で、全てを悟る。

 ――何かいる。

 3人はそれぞれの得物を構え、背中合わせになった。集中。動くもの、物音、空気の流れ、匂い。僅かな異常も見逃さぬため、神経の全てを尖らせていく。

 円形の空間。絡まり合う空中通路の森。

 どこに――

 と。

 カジュの猫耳飾りがぴくりと動いた。

「上っ。」

 瞬間、カジュが跳ぶ。次いで緋女ヒメ。反応の遅れたヴィッシュを背中から突き飛ばし、団子になってその場を飛び退く。一瞬遅れて頭上から襲いかかった白刃が、縦真っ直ぐに空を割る。

 地面に転がりながらヴィッシュは背筋を走る悪寒に震える。危なかった。緋女ヒメが突き倒してくれなければ、今ごろ脳天をかち割られていたところだ。

 頭上、ちょうど3人の真上の空中通路に身を潜めていた敵――道化の仮面を被った女剣士の初撃によって。

 などとヴィッシュが考えている間に緋女ヒメが身軽に体勢を立て直し、地を蹴り矢のように切り返す。抜きはなった曲刀が雷光さながらに道化を襲う。タイミング、速度ともに完璧。落下しながらの攻撃で態勢を崩した敵に、これを避ける術はない――

 はずだった。

 刃交差し、光が奔る。

 不安定な姿勢から無造作に振り上げた道化の剣が――

「なっ……!?」

「うそっ……。」

 ――緋女ヒメの剣を、止めた!?

 思わず声を挙げるはヴィッシュとカジュ。当の緋女ヒメは眉間にしわ寄せ歯を食いしばるのみ。すぐさま追撃。鍔迫り合いの交点を中心に、弧を描いて敵の懐に飛びかかる。頭部を狙って、身を翻しての浴びせ蹴り。だが道化は慌てるそぶりすら見せず、左手一本で軽く蹴りを受け流す。

 ――まずい!

 緋女ヒメの体は完全に空中にある。この状況で蹴りを流され、一方的に体勢を崩された。今斬撃が来れば、避ける方法が存在しない。果たして道化の剣が空中の緋女ヒメ目がけて正確無比に振り上げられ――

 直前、緋女ヒメは犬に変身する。

 突如として体のサイズが半分以下まで縮小される。さすがにこれは予想外だったか、敵の刃は見当違いの場所を虚しく過ぎた。そのまま緋女ヒメは身を捻って着地、一旦距離を取るべく地を蹴るが、そこに道化の追撃が振り下ろされる。

 滅茶苦茶だ。速すぎる。横で見ているだけのヴィッシュにさえ、一体いつの間に刃を翻したのかすら分からない。これではとても避けられない!

「《火の矢》。」

 窮地を救ったのはカジュであった。タイミングを見計らっての援護射撃が道化に飛ぶ。このまま緋女ヒメへの攻撃を続ければ直撃は必至と見たか、やむなく道化は大きく飛び退り、距離を置いてヴィッシュたちと睨み合う。

 緋女ヒメは変身を解いて人間に戻ると、仲間たちを庇うように立ちはだかり、油断なく刀を構えた。

「気をつけろよ……」

 低く押し殺した緋女ヒメの声。その額には、びっしりと脂汗が浮いている。

「やばいわ、あいつ」

 言われなくても分かっている。

 緋女ヒメは実力は嫌というほど分かっている。先日の、百近い魔獣の群れをたったひとりで蹂躙した鬼神めいた戦いも記憶に新しい。だがあの道化女は――その緋女ヒメと互角。いや、それ以上とさえ思える。

 かつてヴィッシュが苦戦した魔族の剣士ゾンブルが赤子に見える。もはや達人などという生やさしいレベルではない。

 あれは正真正銘の化け物だ。

 情けない話だが、はっきりと言おう。

 緋女ヒメが戦っている間、ヴィッシュは――ただの一歩も動けなかったのである。

「存外、わるうない」

 化け物が、面白がるような声を挙げた。仮面のせいでくぐもってはいるが、声色は確かに女――それも、緋女ヒメと大差ない年頃の、若い女のそれであった。無邪気。だが同時に、声から漂い出る妖気だけで聞くものを圧し潰してしまいそうなほどに、重い。

ほう、名は何とう?」

「……緋女ヒメ

緋女ヒメ?」

 道化は笑う。

れにしては髪が赤い?」

「あ?」

わしはシーファ」

「あ、そ」

うでもない、事にるとな。髪が事はお互い様でもあるし」

 と、言いながら道化は仮面の後ろに垂れ下がった青い髪をいじった。奇妙な色合いの髪だ。半透明の青い色水のような、不自然に透明感と光沢のある髪。美しいとも言えるが、それは間違いなく人間とは異質の美。

「外の連中は不甲斐なかった。興を削がれることはなはだしい。其方そなたらはうでもあるまい?」

 狂気だ。話が通じない。

 道化の仮面には、ただ、不気味な笑みばかり貼り付いている。

「いざ。愉しくろう」



     *



 戦いは始まった。ヴィッシュと緋女ヒメがふたりがかりで斬り掛かる。だが道化は、両手に持った2本の剣でそれらを苦もなくあしらっている。

 考えられないことだ。普通、二刀流は弱い。

 二刀流の戦闘スタイルは、片方の剣で受け、その隙にもう一方で斬るというものだ。だが相手が両手剣なら片手では受けきれず、刃を折られるか剣を弾かれるかするのがオチ。単に防御だけを考えるなら、盾の方が遥かに使い勝手はよい。受けにも斬撃にも使えるのが利点と見ても、利き手でない方で持つ剣の攻撃が、敵に致命傷を与えられるかどうか。

 諸々の理由で二刀流は邪道というのが常識である。事実、実戦の場で見かけることはまずない。

 にもかかわらず、道化は、二刀流でこのふたりを相手に互角に渡り合っている――いや、むしろ圧倒しているのだ。

 それがどれほどの技量を要することか。余裕のない緋女ヒメの表情を見れば分かる。

 援護したいのは山々だった。しかし、カジュは動かない。

 斬り合う3人から離れ、じっと神経を研ぎ澄ませる。

 入口で緋女ヒメが嗅いだ体臭はふたり分。奴らの狙いがこの遺跡の中枢、そこに眠っている制御エネルギーだとすれば、もうひとり、もろもろの作業を担当する術士が確実にいるはずだ。

 それが今、姿も見せず、表だった援護もしてこない。

 となれば、敵の狙いはたったひとつ。魔法による奇襲攻撃だ。それを防げるのは術士の自分しかいない。

 左手には身長の倍近い長杖を構え、右手の指一本一本には青い小さな光を灯す。唱え置きの呪文ストックである。

 ある程度の実力を持った術士は、あらかじめ魔法陣・呪文・身振りなどで構築した術を発動しないまま保つことができる。どの術を唱えておくかは先読みに頼ることになるとはいえ、詠唱のタイムロスなしに術を放てるのは魔法戦において圧倒的なアドバンテージになる。

 ストックできる術の数は術者の実力によって変わる。並の術士で1個か2個。達人でもせいぜい4個。そして、カジュなら5個。

 敵のストックを枯渇させれば勝ち。こちらが先に枯渇すれば負け。つまり読み勝ち、先手を打ち、主導権を握った者が勝つ。それが術士同士の魔法戦である。

 心、静かに。

 全てを索敵に集中させる。

 と。

 カジュの猫耳が――魔力を感知するセンサーが動いた。

 左手側、距離50、空中通路が交差する死角。そこから《火の矢》が飛んでくる。狙いは――緋女ヒメとヴィッシュ。カジュはすぐさま《光の盾》を2枚飛ばして2人を守り、同時に走って敵との距離を詰める。誤差数cmで射程に飛び込んだ瞬間、次の術を発動。

 《爆ぜる空》。

 轟音響かせ敵の周辺空間が丸ごと爆発する。広範囲の空気を可燃性の気体に変化させて着火する、炎を使う術としては最強クラスの大量殺戮魔術。あの道化剣士とコンビなら、術士の方だって相当な腕に違いない。半端な術なら避けるか止めるかされかねない。なら対処は簡単。

 止められないほど強力な術で、避ける場所もないほど広範囲を吹っ飛ばせばいい。

 ――やったかな。だめか。

 猫耳センサーが反応。頭上。

 振り上げ見れば、ドームの天井近くに奇妙な男がひとり。術士らしい服装をしているが、頭部が巨大なネズミのそれ。獣人の類――いや、体を改造した人間か。そのネズミ頭が、いつの間にかカジュの頭上を飛行していた。

 《瞬間移動》、それに《風の翼》だ。厄介な防御術を使ってくれる。

 さらにネズミ頭の口から炎が溢れ出す……《炎の息》! 広範囲を炎で焼き尽くす術。味方を巻き込んででも、こちら3人をまとめて焼き殺す気だ。しかし。

 ――先読みドンピシャ。

 カジュの《水の衣》が発動。上から降り注いだ炎が、空中に生まれた水のカーテンであっけなく遮られる。同時に放つお返しの一打は一撃必殺の《眠りの雲》。

 ネズミ頭は40m近い高さを飛んでいるのだ。この状況で眠らせてしまえば、敵は術の制御を失い、墜落して終わりである。

 だが敵は一瞬意識を失ったものの、すぐさま目を覚まし、そのまま飛行で少し離れた位置に着地した。

 カジュはもくろみが外れ、眉をぴくりと跳ね上げる。ネズミ頭は、《療治》を、自分が眠ったり麻痺ったりしたときに自動発動するよう設定しておいたらしい。先読みドンピシャは向こうも同じか。

 そしてカジュとネズミ頭は、僅か数mの距離で対峙する。剣士ならまだ剣を抜く必要もない間合い。だが術士にとっては、とっくみあいにすら等しい距離だ。

 カジュは油断無く杖を構え、右手の指を走らせて魔法陣を描きながら、口を尖らせる。

「ストックは5つ、ボクと同格か……。なかなかやるね。」

 その呟きが聞こえたか、ネズミ頭がケタケタと笑った。

「あっ、あっ、やっだー! それ、なんてゆーか知ってるー?」

「知んない。」

「う・え・か・ら・め・せ・ん!」

「当たり前じゃん。」

 ふんっ、とカジュは鼻息を吹いた。

「ボクの方が上なんだよ。」

 無論、こんなお喋りを無駄にしているわけではない。これは互角魔法戦特有のインターバル。互いに尽きたストックを補充するための時間。カジュの指に、そしてネズミ頭の指に、常人に数倍する速度で、次々に呪文ストックの光が灯っていく。

 さて――次はどう出てくるか。

 壮絶な読み合いが始まった。



(つづく)

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