第3話-02 永遠の労苦



 どうやら、状況が見えてきたようだ。

 ロバート・A・ギルディンはベンズバレン建国戦争の英傑に数えられる人物であり、この国での知名度はそれなりに高い。王と三賢者の武勲伝いさおしといえば、定期市でも旅芸人たちが決まって演じる定番の物語だ。ギルディンは数ある能臣たちの中でもとりわけ軍略に優れ、幾度となく建国王を窮地から救い出したという。

 そのころのギルディンは、すでに五十路いそじを過ぎた老人であったはずだ。仮に本人が存命であったとすれば、今では170歳を超えているはず――いくら魔術を駆使したところでそこまでの長命が得られるはずもない。

 ならば、ギルディンは今、おそらく――

 主人に会いたい、と告げると、ブリキメイドはヴィッシュを2階に案内してくれた。寝室に彼は――賢者ギルディンは居るという。

 ブリキメイドの後をついていきながら、道々、ヴィッシュは問う。

「お前の主人は寝室から出てこないのか?」

【ハイ!】

「なんでだ?」

【ギルディン サマ ハ ゴ病気 デス】

 ヴィッシュは深く溜息を吐く。

「――いつから?」

【ズット デス】

 いよいよ、間違いあるまい。

 ヴィッシュは重苦しい気持ちを胸に抱えて、導かれるままに2階の一部屋に辿り着いた。ブリキメイドがドアをノックする。客が来たことを主人に告げる。ドアを開いて、ブリキメイドが音もなく滑り込んでいく。

 少しの躊躇いの後、覚悟を決めて、ヴィッシュは部屋に入った。

 こぢんまりとした居心地のいい部屋に、天蓋付きのベッドがひとつ、黒檀のテーブルがひとつ。ブリキメイドは、テーブルの上に広げられていた料理の、片付けにとりかかっていた。

 おそらくが作ったものであろう。香ばしく焼かれた丸いパン、少し焦げ気味なのは主人の好みに合わせてあるに違いない。野生のベリーで作ったジャムの香りが甘く漂う。スープの中の塩漬け肉は、風味を出すためカリカリに炒めてある。

 どれひとつとっても、いい加減な仕事ではない。手間暇をかけた立派な料理だ。

 なのにそれらが、一口も付けられぬまま――どころか、スプーンを手に取った様子さえ見えぬまま、放置され、冷め切って、テーブルの上に残されている。

 淡々と、ブリキメイドは、持参していたトレイに料理の皿を乗せていった。その背が寂しげに見えたのは、ヴィッシュの気のせいなのだろうか。機械に心などあるわけがない。そのはずなのに。

【失礼 シマス】

 彼女は一礼すると、トレイを持って寝室を出て行った。

 後に残されたのは、ヴィッシュと、そして、ベッドに横たわる人物。

 ヴィッシュは天蓋をめくり、中を覗き込んだ。

 予想通りの物が――者が、そこにいた。

 完全に白骨化した人の亡骸であった。

 環境にもよるが、死体が白骨化するのにかかる時間は意外に短い。よく乾燥して風通しのよい場所なら、最短で1ヶ月。湿った土中に埋められていたとしても3年とかからない。

 この遺体が賢者ギルディンのものだとすると、死後100年近く経っていてもおかしくない。骨がきちんと残っているだけでも奇跡のようなものだ。誰かが、骨の風化を遅らせるために環境を整えてやればともかく――

 ――誰かが? それは――

 ヴィッシュにはひとつ、思い当たる所があった。

 ふと、食事を片付けられたテーブルを見遣る。あのブリキメイドが、主人の死を理解できず、生前に与えられた命令を忠実に守り、100年もの間、毎日毎日、食べられることのない食事を乗せ続けてきたであろうテーブル。

 その隅に、一輪の花が置かれていた。外の庭園に咲いていたのと同じ花。

 と。

 ぞっとする冷気を背中に感じ、ヴィッシュは思わず剣の柄に手を掛けた。壁に背を付け、油断無く部屋に目を配る。誰もいない。何の物音もしない。感じたはずの異様な気配も、いつのまにか消え去った。吹き出した冷や汗を拭い、ヴィッシュは溜息を吐く。

 この屋敷に入ったときにも感じた。この気配は一体何だ? 単なる気のせい? それとも――

 と、そこにブリキメイドが戻ってきた。ヴィッシュのそばにちょこんと控え、時折少しだけ蒸気を出したり、頭を回転させながら、命令されるのを待っている。耳に聞こえるのは彼女の駆動音と、屋敷の木窓を叩く雨音ばかり。

「なあ、メイドさんよ。お前、名前はあるのかい」

【“ブリギット”!】

 ヴィッシュは微笑む。

「かわいい名前だな」

【ハイ!】

「……なあ、ブリギット。こんなことはもう止めなよ。お前の主人は、もう死んだんだ」

【……………?】

 くるくるとブリキの頭が回転する。

【? ??】

 ぶすぶすぶすぶす……

「おい! 煙! 煙吹いてるぞお前っ!」

【デス? デス? ??】

「いや、俺が悪かった! 考えんでいい、忘れろっ」

【デス!!】

 大慌てで頭を扇いでやると、徐々に煙も収まって、ほっと一息。どうしたものかと思案しながらヴィッシュが寝室を後にすると、ブリギットはその後をちょこちょこ付いてくる。

 ヴィッシュが足を止めれば、彼女もまた、ひたりと止まる。

「雨、まだ止みそうもないな」

 くるり、とブリギットの頭が回転した。

「この雨が上がるまで、どのみち身動きが取れないんだ。だから――せっかくだから」

 彼女に向けて微笑んで、

「メシをご馳走になろうかな」

 ブリギットは飛び上がりそうな勢いで変形すると、全身の関節という関節から勢いよく蒸気を噴射した。

【ゴ用意 シマス!!】



     *



 ブリギットが勇んで厨房に飛んでいき、何やらガチャガチャやりはじめて、ヴィッシュは再びひとりになる。僅かに開いた木窓から、吸い込まれるように入ってくるのは耳心地よい雨音と湿った冷気。食事ができあがるのを待ちながら、のんびりと一服。

 心を落ち着け、ヴィッシュは考える。

 何ができるだろうか?

 永遠に働き続ける人形と、永遠に戻らない主のために。

 カジュあたりなら、ブリギットの頭脳――魔力回路――に手を加えて、過去の命令を消去することもできるかもしれない。だがそれは同時に、ブリギットの記憶を抹消することを意味する。彼女の中に百年あまりに渡って蓄積されてきたであろう、この屋敷での思い出をも。

 果たしてそれが正しい選択なのだろうか。たとえ彼女を永遠の労苦から解き放つためであるとしても。

 考えても、考えても、答えは見当たらない。

 そのときヴィッシュは、階下から物音がすることに気付いた。誰かが乱暴にドアを開けるような音。続いて車輪の音。ブリギットが大慌てで出迎えに行ったようだ。ひょっとして、緋女ヒメたちだろうか? ヴィッシュと同じように雨宿りの場所を探し、この屋敷を発見したのではないか?

 くわえ煙草のまま螺旋階段を下り、身を屈めて、手すりの隙間からひょいと顔を覗かせ、玄関の様子を見遣り――

 その光景を見るや、大慌てでヴィッシュは死角に引っ込み、壁に背を付けて身を隠した。その拍子に葉巻から焼けた灰がこぼれ落ち、ヴィッシュの手の甲を焦がす。思わず叫びそうになるが、必死の思いで我慢。灰を払い落として、火傷を舐める。

 ――畜生! こんなところで出てくるかよ!

 涙目になって、今度は慎重に、そっと顔半分で覗き込む。ブリギットが例によって客間に案内しようとしている相手は、身の丈2mを越える巨人。全身を長い剛毛に覆われ、手には木を乱雑に削っただけの棍棒をぶら下げ、ずぶ濡れで立っている。

 “岩砕き鬼”。

 あれこそまさに、ヴィッシュたちに始末が依頼された魔物だったのである。



     *



 “鬼”というのは、人類とは先祖を異にする知的種族の総称である。人に様々な人種が存在するように、鬼にも多用な種が存在する。知能の程度も千差万別で、賢いものは人間を遥かに上回る技術や知識を持っているとさえ言われる。

 岩砕き鬼はその中でも最も知能の低い種のひとつだ。扱う道具はせいぜい簡単な石器や木の棒まで。語彙数の少ないごく単純な言語しか持たず、まとまった個体数が社会生活を営むこと自体がまれ。それゆえ扱いやすくもあったのか、魔王軍は尖兵として岩砕き鬼を大いに用いた。おそらくこいつも、その生き残りの一体であろう。

 知能が低いとはいえ、その体躯からくる膂力は尋常ではない。岩砕きの名は、比喩でもなんでもないのだ。ちょっとした石壁程度なら、棍棒の一撃で軽く粉砕してしまう。並の戦士が正面から打ち合って勝てる相手ではない。

 もちろん、ヴィッシュにもだ。

 ――緋女ヒメがいれば瞬殺なのになァ……

 まあ、いないものをアテにしても仕方がない。緋女ヒメたちと合流するのを待つ手もあるが、少なくとも雨が止むまでそれは難しいし、仮に止んでもすぐに合流できるわけでもない。その間にせっかくの獲物に逃げられたり、1対1での遭遇戦という最悪の事態になったりしたら、目も当てられない。

 やるしかない。ひとりで狩るのだ。

 鬼もまた、この雨に追われて雨宿りの場所を探していたのであろう。馬鹿正直に案内しようとするブリギットを無視して、屋敷の中を我が物顔にうろつき周り、やがて気に入った部屋を見つけるとそこに入っていった。ちょうど、ヴィッシュが最初に案内されたあの客間だ。

 それを確認してから、ヴィッシュは足音を殺して厨房に移動した。かまどには火が焚かれ、ヴィッシュが頼んだ食事が調理しかけの状態で残されている。さて、ここでひと仕事。腰のベルトに提げた荷物鞄から小さな瓶をひとつ取り出し、調理台の上に出してあった塩漬け肉に、中身を振りかける。

 と、その時、金属のひしゃげる派手な音が遠く響いた。

 ヴィッシュは厨房の入口から、廊下をそっと覗き込んだ。さっきヴィッシュが案内されたあの客間から、ふらつきながらブリギットが出てくる。見ればその頭が、痛々しくへこんでいるではないか。ヴィッシュは沸き上がってきた怒りに顔をしかめた。

 ――やりやがったな、あの野郎。

 おそらく、付きまとってくるブリギットを鬱陶しがって、殴りつけでもしたものだろう。一撃で破壊されなかっただけ運が良かった。

 鬼の視界に入っていないことを確認して、ヴィッシュは廊下に姿を見せた。ブリギットがこちらに気付く。手招きしてやるだけで彼女はガチャガチャと寄ってくる。見つからないうちに彼女を厨房に引っ張り込み、声をひそめて、

「大丈夫か?」

【? ??】

「つまり、お前が壊れてないかって訊いたんだ」

【ハイ! 壊レテ ナイ! デス!】

「よし。なら、お前に頼みがある」

【デス!】

「俺の食事は後でいい。先にそこの材料で食事を作って、あの新しいお客さんに喰わせてやれ。腹が減ってるだろうから、きっと喜ぶぜ」

【デス!】

 命令を受けて、ブリギットは料理に取りかかった。手際もいいし、包丁捌きも一級品。惚れ惚れするような腕前だ。オマケに命令には忠実ときた。街に連れて帰れば、どこの料理屋でも欲しがるだろうに。

 その手腕を見物するかたわら、ヴィッシュは鞄から手のひらに収まるくらいの玉を取り出した。卵の殻を利用して作ったつぶてである。

 これが、今回の仕掛け。緋女ヒメとカジュがいなかろうが、問題などあるものか。今回は最初から相手の正体も分かっていたし、万一のための準備は万全に整えてきたのだ。

「見てろよ。ぶっ飛ばしてやるぜ」

 指の中でつぶてもてあそびながら、ヴィッシュは低く呟いた。



(つづく)

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