■第3話 “テンプレート・メイド”

第3話-01 雨に追われて



 降り出した雨は、一向に止む気配を見せない。

 成熟した森においては頭上を高木の枝葉に覆われ、地面まで届く光はごく僅かである。ゆえに低木の類はほとんど生育できず、足下に生えるのは丈の短い雑草や苔がせいぜい。雨に湿ればよく滑る。

 足をとられぬよう気をつけながら、ヴィッシュは息を乱して先を急いでいた。たった一人で。

 はぐれてしまったのだ。仲間達と。

 魔物退治の依頼を受けて、3人揃って森に入り、果たして森の奥で魔物の足跡を発見。手分けして近くを探そうということになり、別れた途端に突然の豪雨。視界はすっかり塞がれ、辺りは夜のように暗くなり、獲物を探すどころか、仲間との合流さえ難しい。

 とにかく雨が止まねば話は始まらない。このまま雨に打たれ続けては体力を消耗するばかり。そこでこうして、雨宿りできる場所を探してうろついているのだが――

 と。

 ヴィッシュは雨に霞んだ視界の向こうに、大きな白っぽい影を見た気がした。足を止め、そちらによくよく目をこらす。やはり間違いない。白く見えた物は積み上げられた石壁。森の木々の合間に、石造りの立派な屋敷が一軒、ぽつりと場違いに建っているのだ。こんなところに隠棲する物好きな金持ちでもいるのだろうか。

 いずれにせよ、ありがたい。雨宿りにはこれ以上の場所はあるまい。

 ヴィッシュは足早に、屋敷の方へと近づいていった。

 白い屋敷は身じろぎもせず、騒ぐ雨音の中、物言わぬ骸のようにうずくまっていた。

 森の中にぽっかりと空いた広場。小さいながら美しい庭園を満たす花々も、今は雨に濡れてうなだれている。門から玄関まで導くまっすぐな石畳が、雨粒に跳ね上げられた泥でいくつもの黒斑を付けている。それらを突っ切って、ヴィッシュは飛びつくように玄関の大きな木戸をノックした。

 返事はない。ノッカーに気付いて、叩いてみる。やはり同じ。

 苛ついたヴィッシュが腕に力を籠めると、意外にもドアはあっさりと開いた。

 家人に無断で立ち入るのは躊躇われたが、背中を叩く雨粒はいっそう強さを増している。

 追い立てられ物陰に隠れる獣のように、ヴィッシュはドアの隙間からするりと身を滑り込ませたのだった。



     *



 大きな樫のドアを閉めると、雨音は別世界のことのように遠ざかった。身を切る冷気も肌を打つ雨粒もここにはない。ようやく豪雨を逃れたヴィッシュは、大きく安堵の溜息を吐いた。

 全く、いい所にいい具合に屋敷が建っていたものだ。緋女ヒメたちも、うまく雨宿りできていればいいが――

 仲間を思いながら雨避けの外套を脱ぎ、水気を払って辺りを見回す。

 玄関の奥は、まっすぐ続く廊下になっていた。床はよく磨かれた上質の大理石。染みひとつない壁には、ところどころ銀の燭台が掲げられている。

 その輝きの見事なこと。この一点だけとっても、家人の手入れが行き届いていることがよく分かる。銀は大変に曇りやすい。放置していると黒く曇り、輝きが失われていく。ゆえに定期的に磨いてやらねばならないのだ。

 思えば、外の庭園も丹念に手入れされているようだった。森の木々を倒して広場を作ると、とたんに雑草や低木が生え始め、ほんの1、2年で人の踏み込めないやぶになってしまうものだ。そうなっていないのは、きちんと草刈りが為されている証拠。

 それだけに、濡れ鼠で勝手に上がり込んだことが気に病まれた。ヴィッシュは声を張り上げる。

「すいませーん。誰かいませんかー」

 残響だけが返答だった。

 屋敷の中は奇妙に静まりかえり、遠い雨音が獣の唸りのように響くばかり。

 と。

 ヴィッシュは弾かれたように後ろを振り返った。何もない。さっきヴィッシュが閉めた、樫のドアがあるばかりだ。じわりと肌が湿る感覚は、雨に濡れたせいばかりではない。

 今、誰かが、背後から見ていたような――

 そのとき。

 遠くの方で、重い音が響いた。

 思わずヴィッシュは剣の柄に手を伸ばした。耳慣れた音――金属音。あれは、全身鎧の騎士が立てる足音そのものだ。こんな森の中の屋敷で全身鎧だと? 屋敷の護衛に兵でも雇われているのか。でなければ、あるいは――

 再び、音。

 さっきより近い。

 油断なく剣の柄に手を掛け、いつでも抜き放てる体勢を保ち、ヴィッシュは足音の主が姿を見せるのを待った。足音は近づいてくる。少しずつ。正面に見える曲がり角の、左側の辺りから。

 一歩。

 また一歩。

 果たして、そいつは姿を見せた。

 騎士? であろうか? 角張ったブリキ製の全身鎧をまとい――その愛らしい女中メイド服を着ている。

 ――いや違う! あれはっ!?

 ヴィッシュが驚きに身をすくめたそのとき、ブリキ鎧の隙間という隙間から白い高熱蒸気が吹き出した。その頭部がぐるりと回る。ふたつの目が血のごとく赤く光を放ち、ヴィッシュを正面から睨みつける。とたんに巻き起こる、空間を引き裂くかのような大音声。

【ニンゲン ハッケン! ハッケン! ハッケン!】

 突如、ブリキ鎧が! 膝関節が逆方向に折れ曲がり、ふくらはぎの車輪が床に付く。蒸気を吹きながら鎧の各部の隙間が開き、折り畳まれて身長が一回り小さくなる。肩が異様な角度に回転したかと思うと、床に突いた手のひらがぱっくりと割れてそこからも車輪が現れる。

 次の瞬間、背中に開いた噴射孔から爆発のように蒸気を吐き出し、その勢いでブリキ鎧が突撃してきた!

「うっ……うわあああああああっ!?」

 剣を抜く間もあらばこそ。後ずさったヴィッシュの目前で、ブリキ鎧は華麗にターン。床に車輪を擦りつけてぴたりと停止。ブリキの頭部がぐりんっ、と回転し、ヴィッシュに向いた。先程の変形手順を逆に辿り、見る間に人間型へと戻ると、ブリキ鎧は――

【オキャクサマ! イラッシャイマセ!!】

 両手を腰の前で揃え、慎ましやかに深々とお辞儀した。

 ……………。

「……は?」

 柄に手を掛け剣を抜こうとする姿勢のまま、ヴィッシュは茫然と、凍り付いたのだった。



     *



 錻力女中器テンプレート・メイド

 話には聞いたことがある。“自動人形アウトマット”と呼ばれる魔法の道具フェティシュの一種だ。その名の通り魔力によって自動的に動く人形で、大きさは手のひらサイズから竜なみのものまで様々。つまりこの奇妙な……物体……は、全身鎧を着た人間などではなく、ブリキの体を持つ人形だったわけだ。

 ヴィッシュも実物を見るのは初めてである。何しろ自動人形は古代魔導帝国の末期になってようやく開発されたもので、しかも当時はほとんど見向きもされていなかった。再検証の末にその価値が認識されたのは帝国滅亡から数百年を経てのこと。その頃には帝国期の技術のほとんどが失われ、再現や修理はおろか整備ひとつまともにできない遺失技術ロストテクノロジーと化していた。

 ゆえに、現代では自動人形アウトマットは極めて希少な存在である。

 まして、こうして実際に稼働している自動人形アウトマットとなると。

 ましてまして、わざわざメイド服を着せられてメイドをやってる自動人形となると。

【オ茶 ドーゾー!】

 案内された客間で待っていると、ブリキメイドが車輪をキュルキュル鳴らして戻ってきた。両手には見事な銀の盆。その上には湯気を立てるティーセット。ソファに身を沈めるヴィッシュの前で、ブリキメイドは時々関節から蒸気を噴きつつお茶を淹れてくれた。

 ……出されたカップを鼻に近づけ、まずは匂いを嗅ぐ。恐る恐る舌先でちょっと舐めてみる。ひとまず、おかしな味はしない。緋女だったら疑いもせずに飲むんだろうなあ、などと思いつつ、慎重派のヴィッシュは、結局飲まずにカップを皿に戻した。

 ふと横を見ると、ブリキメイドが、やかんのような円筒形の頭部を向け、ルビーの瞳をキラキラと輝かせてこちらを見つめている。

「……なんだ?」

【オ食事ヲ ゴ用意 シマスカ!?】

「あ、いや、結構」

【オ酒モ ゴザイマス!】

「今はいい」

【オ泊マリ ナラ オ部屋ヲ……】

「いらないって」

 ぴ――――、きゅるるるるるる。

 鳥の鳴き声のような甲高い音を立てて、ブリキメイドの頭部がくるくると3回転半。あちこちの関節から、弱々しく断続的に蒸気を噴き、落ち着かなげに身じろぎしているさまは、まるで命令を待ってウズウズしてるかのよう。

 キラキラ? ウズウズ? そんな馬鹿な。相手は歯車と魔力回路の集合体だ。

 頭を掻いて、苦笑する。ヴィッシュは懐から、いつもの細葉巻を取り出した。

「灰皿、ある?」

【ゴ用意 シマス! オ待チ クダサイ!】

 ブリキメイドの返答と行動の素早いこと。飛ぶように応接間を飛び出して、すぐさま陶器の皿を手に戻ってくる。それを、金属骨格と何かのチューブが剥き出しに絡まった細い腕で、ヴィッシュの鼻先に差し出し、誇らしげに鼻から蒸気を噴き出す。

「ありがとうよ」

【ド イタシマシテ!】

 葉巻に火を付け、ふかしながら、ヴィッシュはソファに背を投げ出した。天井を仰ぎ見れば、曇りひとつないシャンデリアがぶらさがっている。だが蝋の欠片が全く付いていないところを見ると、手入れがしっかりしているというより、ほとんど使われていないという感じだ。

 やはりこの屋敷はおかしい。人気ひとけがなさすぎること。自動人形アウトマットなんぞをメイド代わりに使っていること。そして……屋敷に入ったときから僅かに感じていた何者かの気配。

「なあ、ちょっと話し相手になってくれるかい」

【ハイ デス!】

「ここのことを知りたいんだ。今までにこの場所に起こったこととか……」

 と問うと、ブリキメイドは突然、用意した原稿を読み上げるかのように流暢に、

啓示前BD50億年ごろ、世界は単一存在たる魔皇ジ・アーから分化しました。最初の生物が誕生したのはそれから数億年後、最初の神が発生したのはさらに……】

「いやいやそんな昔じゃなくてだな……他に人間はいないのか? お前のご主人は誰なんだ?」

【ギルディン サマ デス!】

「ギルディン……?」

 ヴィッシュは腕組みして首を傾げた。どこかで聞いたことがあるような名前だ。それも直接の知り合いというより、何かの本とか、人から聞いた話とかで――

 あ、とヴィッシュは小さく声を挙げる。思い出した。

「……ロバート・A・ギルディンか!」

【デス!】

「じゃあ、お前にはもう、主人はいないんだな」

【イマス!】

「はあ?」

 話が通じない。しばらくヴィッシュは解釈に頭を捻り……ひとつの可能性に思い当たった。

 額から冷たい汗が噴き出す。顔から血の気が引いていく。

「まさか……ギルディンは、居るのか? この屋敷に、今でも?」

【デス!】

 ヴィッシュは絶句した。

 やっとのことで捻り出した声は、得体の知れない事実に遭遇した驚きと恐れでかすれていた。

「馬鹿言うな、あれはベンズバレン建国に携わった三賢者のひとり……120年も昔の人物じゃねえか!」



(つづく)

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