第2話-07(終) 蝉の亡骸
モンド先生の診療所は、戦場になった路地のほど近くにあった。これは幸運以外の何ものでもない。意識を失った爺さんは、近所から調達した荷車に乗せられ、即座にここへと運ばれた。
モンド先生はいつも通り、白いヒゲをモサモサと動かしながら、爺さんを診察していった。
「あの、先生、爺さんは……」
後ろで立ち尽くしていたヴィッシュが問うと、モンド先生は事も無げに答えた。
「そうな。あと6日ってとこかなあ」
「え?」
モンド先生があと10日と診断したのが4日前。10ひく4は……
「え?」
「そんな口あけてぼんやりしとると、埃を食っちまうぞ。
わしを誰だと思っとる? わし、モンド先生だ」
*
診療所のベッドでガーラン爺が目を覚ましたとき、傍らにはヴィッシュが付き添っていた。よう、と彼は気さくに手を挙げて挨拶した。ガーラン爺は顔を背けた。窓の外に木が一本見えた。
蝉の声は、もう聞こえない。
「……すまね。迷惑、かけちまって」
「なに。こっちも仕事さ」
どう声をかけたものだろうか。
ゾンブルを倒す方法を模索する傍ら、ヴィッシュはずっとそのことも考え続けていたような気がする。戦い方には答えがあった。だがこれには、答えなどありはしないのだろう。仮に答えと呼べる物があったとして……
果たしてその通りにすることが、正しいと言えるのか。
全てはガーラン爺の胸の内にしかない。
ならば自分の胸の内から回答を捻り出すしかないと思えた。たとえ満点の解答にはほど遠くとも。
「なあ、爺さん。見てたかい」
ヴィッシュは愛剣を抜き放ち、刃を窓から差し込む陽光にかざして見せた。
「あんたが鍛えた剣だ。すげえ切れ味だったろ」
ゾンブルを斬ったときの血はすっかり洗い流されていたが、細かな刃こぼれは誤魔化せない。刃物の宿命とも言える。使えば使うほど、刃は磨り減り、小さく軽くなっていく。
だから鍛冶師は鋼を吹き付け、叩き、鍛え、剣を蘇らせる。研ぎ澄ますだけではやがて消え去る運命の剣に、鍛冶師は命を吹き込むことができる。
だから、剣は――
「俺はこの剣を、一生手放せそうにねえよ」
剣は――
蝉の声が聞こえなくなれば、夏の祭りももう終わり。
窓からは涼しい風が吹き込んでくる。ガーラン爺は大きく息を吸い込み、吐いた。やせ細った胸が静かに上下した。長い長い沈黙の末、爺はようやく口を開いた。
「なあ、あんた、分かっとらん」
ヴィッシュは目を瞬かせる。
「まだまだ、上ぇ、あるだや」
これだから、この爺さんは。
「そうこなくっちゃ」
*
それから8日後の朝のことだった。
ガーラン爺が、診療所のベッドの上で息を引き取っているのが見つかった。
ヴィッシュはとうとう、一度も爺さんの笑顔を目にすることが無かったが、死に顔は不思議と微笑んでいるようにも見えたという。
彼が何を考え、何を思っていたのかは分からない。全ては爺の胸の中。
爺さんの葬儀は、ヴィッシュの知人の神父によって簡単に執り行われた。家族のいない爺さんではあったが、近隣住人の参列は思いの外多く、狭苦しい教導院の礼拝堂から人が溢れるほどであった。
それで、おしまい。
ヴィッシュは家に戻ると、何もする気になれず、ただ寝椅子に転がって天井を見つめていた。
最後に爺さんにかけた言葉は、単なる気休めに過ぎなかった。
だが、分かっていたはずではないか? 気休めのおかげで、人は生きていける。
なのに何故、今になって迷いが消えない?
「万策のヴィッシュが聞いて呆れるぜ」
つい、ぼやきが口を吐いて出る。
「本当にあれで良かったのかよ――」
「ばか。難しく考えすぎだぜ」
突然頭の上からかかった声にぎょっとして見れば、
ヴィッシュは、彼女の鋭い目から逃げるように視線を逸らした。
「考えなしで渡ってけるほど、甘かねェだろ、世の中は」
「考えだけで渡ってけるほど、甘かぁねェよ、世の中は」
目をぱちくり。
時々妙にうまいことを言う奴だ。感心しきりのヴィッシュに、
「生きてるヤツには、死ぬまで生きる権利と義務と本能があんの。
だからメシ食や幸せなの。
そういうふうにできてんの!」
言って
「ほれ。食え」
しぶしぶ、ヴィッシュは起きあがって皿を受けとった。野菜炒めのような料理の中に、フォークも突き立っている。それを手に取り、匂いを嗅ぎ、大丈夫そうだと判断すると、恐る恐る口に入れる。
まゆ毛と顔が一斉に“へ”の字にひん曲がった。
「……不味い。お前が作ったのか?」
「文句あっかよ」
口をとがらせ、そっぽを向いて、
「大ありだ。全く、任せちゃおけねえな。
そこで大人しく座ってろ。職人技を見せてやるよ」
彼が厨房へ入っていく、その軽い足取りを見送って、
どちらの立てた策だったのか、それは知るよしもないが。
生きる糧を得るために、今日もヴィッシュは鉄を振る。
THE END.
■次回予告■
降りしきる雨の中、仲間たちとはぐれたヴィッシュ。雨宿りに逃げ込んだ謎の屋敷で、彼は奇妙な
次回、「勇者の後始末人」
第3話“テンプレート・メイド”
Tinplate-Made
乞う、ご期待。
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