第2話-06 後始末人の矜持



 出会い頭に片付けたふたりの亡骸を踏みつけながら、緋女ヒメはぼりぼりと頭を掻いた。細い道の向こうには、まだ10人の敵がひしめき合っている。だがそいつらときたら、どいつもこいつも同じような没個性的顔立ちをしていて、しかもおあつらえ向きに、「相手は女ひとりだ!」とか、「さっさと片付けちまえ!」とか、言っているのである。

「オメーらなー……2秒でふたりやられといて、よくそういうこと言えるよなー」

「なんだとぉー!? 俺たちをなめるなよっ!」

「あーもーめんどくせ。いいからちゃっちゃと来いや」

 緋女ヒメは白亜の如く白く、鞭の如くしなやかな腕をすっと差し出し、天を貫くかのように五本の指を立て、力強く手招きした。その口許に浮かんでいるのは、獣の笑み? 剣士の笑み? いや違う。

 小悪魔の笑みだ。

「メロメロにしてやるよ」

 挑発を浴びて――

 先頭の男が斬り掛かる。

 瞬間、緋女ヒメの姿は忽然と消え、気が付けば男の背後。

 目視すらできない太刀筋は、男の腕を肩口から切り落とし、流れるように次の男へ。まだろくに剣を構えてもいないそいつの胸を、手応えさえなく切り払う一瞬の閃光。

 血を吹き出して倒れるふたり。返り血浴びて緋女ヒメが笑う、ここまで僅かまばたきふたつ。

 慌てて残りの男たちが殺到する。だが細い路地のこと、同時に斬りかかれるのはふたりのみ。片方の刃を跳躍して交わし、もうひとりが繰り出した突きに、緋女ヒメは犬へと変身する。突如縮んだ緋女ヒメの肉体はやすやすと刃の間をくぐり抜け、着地するなり鋭角を描いて飛び上がり、相手の喉を食い破る。

 白目を剥いてのけぞる敵の喉に食いついたまま、赤い犬は宙返りしてその向こうへ――

 またも変身。

 人間に戻った赤毛の女は、噛みしめていた口を離して死したる頬に口づけひとつ。その勢いを殺さぬままに、手にした刃で竜巻の如く薙ぎ払う。

 腹、股、背。三者三様に切り裂かれ、悲鳴を挙げて倒れ込む。

「6人」

 つまらなそうに緋女ヒメは言う。

「なんだ、もう半分終わったのかよ」

 と、次の犠牲者たるべき先頭の男が、震えた声を挙げた。

「なっ……なんだこいつ!? 化け物だ!」

 むかっ。

「ああん!? 誰が化け物だ! めっちゃかわいいだろーが!」

「そこですか!?」

 有無を言わさず緋女ヒメはそいつを殴り倒し、もんどりうって転がる男の胸に馬乗りになる。血の付いた剣をしっかと握った手で、返り血も滴るいい女の顔を指さし、魔王も裸足で逃げ出すような笑顔で見下ろし、

「ほら。どーよ。かわいーだろ」

「は……はひっ! ちょーかわいーですっ!」

「分かりゃいーんだよ」

 言いながらアゴをぶん殴ると男は気絶した。

 そこでふと気づいて、緋女ヒメは顔を上げた。残る敵は3人、そいつらが一斉にきびすを返し、ほうほうのていで逃げ出している。大通りに出られたらまずいことになる。

「あ、やべ。カジュ!」



     *



「ほいきた。」

 水晶玉経由で戦場を見ていたカジュは、片手を宙に走らせた。5本の指がそれぞれ全く異なる不規則な軌道を踊り狂い、しかし正確に光の幾何学模様を空中に描き出す。四層最密単位魔法陣クアトロコンソール。恐るべき早業。

「《石の壁》。」

 ずどん!

 派手な音がして、裏路地から大通りへ出る道に、巨大な壁が出現した。素材は石、厚みは両手を広げたほど、高さは二階建ての建物ほどもある。

 要するに、敵が緋女ヒメから逃げる道は、これで断たれた。追い詰められた獲物たちの絶望顔が目に浮かぶ。

「ほい、しゅーりょー。あー、いい仕事した。」

 ギャーとかワーとか、哀れを誘う悲鳴を聞き流しながら、カジュは、ふわ、と欠伸した。



     *



 一体もう何度目か。

 ヴィッシュが突きを繰り出すと、ゾンブルの体勢が僅かに崩れる。あからさまな隙。そこを狙って穂先で払う。だが当然それはゾンブルの罠で、鮮やかな返し技が蛇のごとく速く迫ってくる。

 だがその為の槍だ。ヴィッシュは返し技を槍の柄で受け流し、軽く後ろに跳躍して、踏み込みすぎた間合いを離す。距離を取って戦える槍だからこそ、敵の返し技に対応する時間もある。得物が剣であったなら、とっくにヴィッシュの首は胴と離れていただろう。

 しかし楽な戦いという訳ではない。俗に、槍と剣では槍が3倍有利という。にも関わらず、ヴィッシュはろくにまばたきする暇もない。

 脂汗が額から流れ、鼻筋を伝って滴り落ちる。

「無駄なことを。護りを固めたところで、死を先延ばしにするだけだ」

 ゾンブルが野獣の顔で言う。確かに奴の言う通り。これでは時間稼ぎにしかなるまい。それすら一体いつまでもつか……

 改めてゾンブルは恐るべき達人だ。命を懸けた戦いの中でさえ、汗ひとつかかず、涼しい顔をしている。それは自分の剣技、あるいは戦術に対する自信の為せるわざか。なら――

 ――冷や汗をかかせてやるぜ。

 ヴィッシュは大きく胸に息を吸い込み――

 吐く!

 吐息と共に繰り出した渾身の突き。ゾンブルは曲刀でこれを受け流し、間合いを詰めようと踏み込んでくる。そうはさせない。槍を翻し、鉄で補強された柄を敵の頭に叩きつける。軽く身を捻ってこれをかわすと、またもやゾンブルに生まれる隙。誘っているのか。それとも。

 いずれにせよ、攻めるしかない!

 いったん腰溜めで引いた槍の刃先を、ゾンブルの首筋目がけて突き出す。瞬間、奴の姿が掻き消えたかに見え、次にはあらぬ方向から曲刀の閃きが迫った。これまでにないパターン。慌ててヴィッシュは身を屈め、横薙ぎの一撃を辛くも避けきると、そのままゾンブルにタックルを喰らわせた。

 魔族は転がり、しかし機敏に体勢を立て直し、ふたりは飽くほど繰り返した対峙へと戻る。

 ――これも駄目。

 折れそうになる心を必死で支え、ヴィッシュは荒い息を整えていた。

 耐えろ。耐えろ。光明はその先にしかない。

 そんな彼の心を知ってか知らずか、ねっとりとした低い声がヴィッシュを襲う。

「無駄なことはもうよすがいい。お前が何をしたところで世界は変わらん」

「世界だと?」

「私はこの世界を変えようというのだ。

 なるほど、勇者ソールは魔王を倒し、世界を変えたやもしれぬ。だがお前はどうだ? 所詮は生活に汲々とする労働者。どぶさらいのような甲斐無き仕事。仮に私を食い止めたところで、動き始めた流れは決して止まらぬ。

 よすがいい。無駄なことに命を賭すのは、愚か者のすることだ」

 ヴィッシュはじっと、敵の言葉に耳を傾けていた。ゾンブルの肩の向こうに、じっと戦況を見守るガーラン爺の姿が見えた。その顔が青い。身体の具合が悪そうだ。いつ倒れてもおかしくない。もうあまり、時間は残されていないのかもしれない。だが――

 胸の奥から笑いが込み上げてきて、ヴィッシュは溜まらずに声を挙げて笑った。

「何がおかしい」

「……いや。ありがとうよ、おかげさんで雲が晴れたぜ」

 晴れ晴れとした気分だ。ずっと闇の中にいた心が、よりにもよって敵の言葉をきっかけにして、こんなにもすっきりと晴れ渡るなんて。

 ヴィッシュの額に浮かんでいた汗は、いつの間にか引いていた。

「確かに俺は勇者じゃねえ。後始末人なんざ、何人でも代わりのいる仕事さ。お前を斬ることだって、できる奴はごまんといるだろう。

 だがね……俺はこう思う」

 再び。

「お前をここでぶった斬る。するとお前を斬ったのは俺だ。

 他の誰もお前を斬らなかった。

 ――

 槍の穂先が光を浴びる。

「面白い。しかし」

 ゾンブルが柄を握り直した。

「それは斬ってから言うんだな」

 静寂――

 音が消えていく。

 緋女ヒメが戦う音も、最高潮を迎えようとするパレードの騒音も、人々の歓声も、笑いも、涙も、怒号も、何もかも、遠い場所へと消えていく。暗闇の中に光が一筋。その中に舞い踊る小さな埃。埃が飛ぶ音が聞こえ、それすらも、しじまの向こうに潰えて消えた。

 吐息。

 鼓動。

 敵と、

 己。

 空気すら凍り付き――

 奔る!

 肉薄まで一瞬。刃交錯して二瞬。白銀、閃き、弧と直線がもつれ合い、咬み合いながら天へと昇る。振り下ろす槍。受け流す剣。渾身の突き。生じた隙に、突いては何も変わらない。ならばヴィッシュは腹を狙って蹴りつける。

 と。

 ゾンブルは身を捻り、ヴィッシュの蹴りを巧みに避けた……

 ――!!



     *



「つまりな」

 と緋女ヒメに話したのは、さっき、緋女ヒメとふたりで待機していたときのことだ。

「奴が見せる隙は罠なんだ。わざと隙を見せて返し技で仕留める。そこに特化した剣術なんだな。だから、下手に隙を突いちゃまずい――」

 とん、と槍の入った革袋で地面の石畳を叩く。

「と、思わせるのが奴の狙いだったんだ」

「……はあ? どゆこと?」

「考えてもみろ。実戦の中でできる隙って、何パターンくらいある?」

「えーと? 1、2……いっぱい」

「だよな。状況次第で無限の形がある隙、全部に返し技を用意するなんて不可能だ。

 俺の予想が正しければ、返し技に繋がる隙――つまり、“罠”はせいぜい4種類。他のパターンは、本当に体勢を崩してできた、いわば本物の隙だ」

 これは一度戦った経験を、何度も何度も反芻して気づいた結論だ。以前に戦ったとき、かなりの回数打ち合ったはずなのだが、返し技の構成は3つほどしか確認できなかったのである。同じ太刀筋を複数回繰り返してくることもあった。

 とすると、意外にバリエーションは少ないのではないか、と読める。

「最初に華麗に返し技を決められると、どうしても『隙=罠』って印象が焼き付いちまう。すると、罠のない本物の隙にすら攻めにくくなる。そうして手が縮んだところを討ち取る戦術……理詰めだな」

「なんかむつかしいな……じゃあ、どうすりゃいいんだよ?」

 ヴィッシュは微笑んで、槍を抱き寄せた。

「タネが割れりゃあ、やりようはあるんだ。

 ――まぁ見てな」



     *



 そのゾンブルが、今、初めて隙を突く攻撃を避けた。

 ヴィッシュが得物に槍を選び、ひたすら敵の隙を突き続けたのは、これが狙いだったのだ。敵が張った罠と、本物の隙。それを見分けるには、幾度となく攻撃を仕掛けてパターンを読むところから始めるしかない。間合いを取って攻められる槍が相手を観察するには最も適任。

 罠なら返し技が来る。本物の隙なら――

 ゾンブルといえど、避けざるを得ない。

 ――これで……

 一旦距離を開け、敵に体勢を直させる。さっきと同じ対峙。同じ間合い。同じ呼吸で肉薄し、同じように刃を繰り出す。白銀、閃き、弧と直線。振り下ろす槍。受け流す剣。渾身の突き。

 同じ状況を寸分違わず再現すれば、寸分違わずそこに生まれる本物の隙。

 ――いける!

 瞬間、ヴィッシュは槍を投げつけた。

 思わぬ攻めにゾンブルの隙が拡大される。恐れるな。踏み込め。自分を信じろ! 返し技が来れば命がない間合いまで踏み込んで、ようやくヴィッシュの覚悟が決まる。腰に差しておいたいつもの愛剣。すれ違いざま、ゾンブルの脇腹を狙い、抜き打ちの――

 一閃!

 世界が止まる。

 鮮血が吹き出し、そして再び世界が動く。

 驚きと歓喜――それらがないまぜになった表情を顔に貼り付けたまま、ゾンブルは糸の切れた人形のように倒れ伏した。

 立ち上がったヴィッシュは大きく息を吸い込んで、胸一杯の不安と緊張を、安堵の溜息に変えて吐き出した。

「……あんた大した腕前だったよ。生きた心地がしなかったぜ」

 事切れたゾンブルを見下ろしながら、ヴィッシュは懐から細葉巻を取り出した。これが吸えるのも生きていればこそ。向こうで大暴れしてる緋女ヒメの艶姿を眺められるのも。

 どっかへ消えていたはずのパレードの喧噪が、再び聞こえ始めた。せっかくの祭りだ。まだ日も高い。緋女ヒメたちを連れて繰り出すか。

 そんなことを考えていると、背後で小さな音がした。

 カラカラに乾いた枯れ木が、力尽きて倒れるような。

 見れば、ガーラン爺が、建物の壁に寄りかかるようにして倒れていたのだった。



(つづく)

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