第2話-05 路地裏の決戦



 3日は矢のように過ぎ去って、記念パレードの日はやってきた。

 一際背の高い教会の屋根の上に、ヴィッシュたち3人の姿があった。ぐるりと街を見回せば、あちらこちらの屋根の上に、文字通り高みの見物を決め込んだ連中が我が物顔で陣取っている。

 遠くで響く勇ましいファンファーレ。数千人が一斉に挙げる歓声。沖合の軍艦からぶっぱなされた祝砲。轟音がヴィッシュの下っ腹をズンズンと突き上げてくる。

 下の大通りを興奮して駆け回る子供達の気持ちがよく分かる。これが祭りというものだ。それぞれのねぐらから湧き出し、小道をさやさやと流れ来て、大通りという大河へ合流する人々のうねり。着飾った美しい女たち。それが目当ての軽薄な男たち。酒と怒号、歌声と笑い。露店の菓子から漂ってくる、むせ返るような糖蜜の匂い。

 仕事でなけりゃゆっくり祭りを楽しむんだけどなあ、などと羨ましく思っていると、そんな悩みとは無縁にはしゃいでいる脳天気な女が一人。

「うおー! ねねね、なにあれ、リンゴ飴! リンゴに飴かけてんの? 意味わかんね! 買ってきていい!?」

「いいわけねェだろっ」

 許可を得る前にもう屋根から飛び降りようとしていた緋女ヒメを、ヴィッシュは首根っこ引っ掴んでたぐり寄せた。

「仕事だ仕事! お前が頼りなんだからな」

「えーっ、そう? 頼られちゃ仕方ねーなー」

「ヴィッシュくん、緋女ヒメちゃんの扱い上手だね。」

 屋根の天辺にまたがって、その膝の上に器用に水晶玉を乗せ、カジュは感心したように頷いた。やめろ、このガキ。なんだか微笑ましいものを見るような目でこっちを見るな。好きで上手に扱ってるわけじゃないんだ。仕事だ、これは。

 そう、仕事。手駒は緋女ヒメとカジュ、そして自分自身。今までより圧倒的に戦力増強されてるが、圧倒的にやりにくくもある。みっつきりの貴重な駒を、どう動かしたものか。この3日、考え詰めに考えてきたのだ。

「カジュ。お前には戦況の把握を頼む。魔法で敵の位置を調べて、俺たちに伝えてくれ。いざって時には援護攻撃も頼む」

「あのさあ……。」

 カジュは不機嫌な顔をして、上目遣いにヴィッシュを見上げた。

広域遠見と《遠話》ふたり分、おまけに攻撃の術まで同時制御させようっていうの。」

「無理か?」

「無理だね。そんなのできるわけないよ。」

 しかしカジュは、ニヤリと悪戯な笑みを浮かべて、

「ボク以外にはね……。」

「期待してるぜ。で、緋女ヒメ

「まかしとけって! ゾンネルをブッ潰しゃいいんだろ?」

「ゾンブル。奴は俺がやる。お前は取り巻きの雑魚を頼む」

「えええええー?」

 緋女ヒメは心から不満そうであった。この女には、相手が強いとか数が多いとか、厄介だとか負けそうだとか、そういう考えは一切ないらしい。自分自身に対する絶対の自信とでも言おうか。逆立ちしてもヴィッシュには持てないものだが、それが緋女ヒメの持ち味だ。

「なんでよ? お前、負けたんだろ。あたし、勝てるよ」

「そりゃ、お前が勝てない相手なんか、そうそういないだろーけどなぁ……」

 ヴィッシュは憂鬱な顔で頭を掻いた。もちろん、彼だってできることなら緋女ヒメに頼みたかったのだ。

「考えても見ろ、取り巻きだけで10人以上いるんだぞ。俺がそっちに勝てると思うか?」

 問われて緋女ヒメは即答する。

「無理だな」

「へーへー、どーせ俺ァ弱いですよ……まあそういうわけだから、俺がゾンブルを食い止めるしかねぇんだ」

「勝算は?」

 ごもっとも。そこでヴィッシュは、引きずっていた紐付きの革袋を二人に見せた。ヴィッシュの身長ほどもある細長い袋の口を開けると、その中には金属で要所を補強された木の棒が入っている。もちろん先端には刃。つまり、槍である。今回の得物はこれだ。

「見てのお楽しみ」

 笑ってみせるが、笑っていられるほど自信があるわけではない。怯えていても始まらないから、気を張っているだけだ。

 そんな不安を嗅ぎつけられたのだろうか。カジュが小さく手を挙げた。

「はい。意見。」

「何だ?」

「パレードの護衛兵に連絡して、戦力出してもらったほうが確実じゃないかな。」

 ヴィッシュはそれに即答できなかった。

 どう答えたものか、迷う。ヴィッシュの選択は、確かに任務の成功率を下げるものであり、それはとりもなおさず、緋女ヒメとカジュの命を危険にさらすものでもある。それに付き合えというのは、単にヴィッシュのわがままに過ぎない。

 過ぎないが――

 遠くで歓声が一際大きくなった。パレードが動き始めたようだ。

 と、緋女ヒメがヴィッシュの腕を取り、引っ張り上げるように立ち上がらせた。いきなり立たされてヴィッシュはバランスを崩すが、緋女ヒメは傾斜のきつい屋根の上でも安定したものだ。

「もう時間だろ。行くぜ」

「お、おう」

「カジュ、連絡よろしくなー」

「はいはい。いってらっさい。」

 どこから取り出したのか、カジュはおおぶりなハンカチをパタパタと振って二人を見送った。



     *



「爺さんは助けてやらねーとな」

 屋根の下に降り、大通りを監視できる脇道の物陰に待機の態勢を作り、いきなり緋女ヒメが言ったのがそれだった。ヴィッシュは目を丸くする。

「お前、分かってたのか」

「分かるよ。ずっと気にしてたろ。匂うもん」

 そう……ヴィッシュが護衛兵に連絡しなかったのは、ひとえにガーラン爺の命を助けたい一心であった。もし増援を要求していれば、確かにゾンブルの一味を包囲することさえ可能だったろう。

 だが、追いつめられたゾンブルたちがどんな行動にでるか。何より、護衛兵たちがガーラン爺だけを特別扱いしてくれるかどうか。

 乱戦の中で爺が生き残るのは、糸のように細い可能性に思えた。

 だからヴィッシュは、自分たちだけで全てを解決する道を選んだのだ。それが後始末人のやり方でもあった。

 だが、そんな心情を、まさか緋女ヒメに読み取られているとは思いもよらなかったのだ。

「でもなー、優しいだけだと損するぜ」

 そう囁く緋女ヒメの声こそが優しい。

「分かってるよ……」

「分かんねーな」

「あ?」

「何が楽しくって、30年も前に死んだ嫁さんの復讐なんかするのかね? それで死んだ嫁さんが生き返るわけでもなし」

「……死んだ後に何が残るのか」

「何それ」

 きょとんとしている緋女ヒメに、ヴィッシュは顔を背けた。

「爺さんがそう言ったんだ。どういう気持ちかは分からねえ。だが、多分……嫁さんが死んで、30年の間にそれを覚えてる人間が一人一人減っていって……

 ああ、何も残らねえ。そう考えたんじゃないのかな」

 ――俺は、一体。

「だってよ。自分が死んだら、嫁さんのことを覚えてる人間は、正真正銘だれもいなくなっちまうだろ」

 ――俺は一体、何にこんなに。

 緋女ヒメは冷静だった。ひょいと肩をすくめて、冷たいとすら思える声でこう答えただけだ。

「何をどうしたって、死んだらそこで終わりよ」

「それじゃあ寂しすぎる」

「寂しくたってそうじゃん? たとえばよ、あたしが新しく国を作って、女王様になったとしてよ」

「住みたくねえ国だな……」

 げしっ。

 有無を言わさぬ蹴りがスネに食い込み、ヴィッシュは呻きながらうずくまった。

「そんだけビッグなことをやったって、何百年かすりゃ、どーせその国も潰れちゃうのよ」

「まあ、そりゃな……」

「生きてる間に何をやったって、いつか消えちゃうわけじゃん。

 じゃ、何を残したって一緒だろ。

 今、復讐で大騒ぎして、それで何十年か人の記憶に残って、でもどのみち、どっかで消えちゃうだろ。

 だったら、復讐なんて意味ないことするより、あたしなら残った時間を思いっきり遊ぶ。これでもかってくらい遊ぶ」

 気が付けば、ヴィッシュは蹴られたスネの痛みも忘れ、緋女ヒメの言葉に聞き入っていた。

「……あと、トモダチに会う。全員会う。

 それで、最後は好きな人の所に行く」

 沈黙が辺りを支配した。

 何も言えないまま、少しの時間が過ぎた。出遅れた近所の子供がヴィッシュたちの横をすり抜け、慌てて大通りに駆け込んでいった。徐々にパレードの喧噪が近づいてきていた。熱気が街に渦巻いていた。

 どこかで、誰かが、笑った。

「お前……」

 やっとのことで、ヴィッシュは声を挙げた。

「頭カラッポじゃなかったんだな……!」

「なんだとこらあァァ!!」

「ぬおおお冗談じょーだんギブギブギブ!!」

 ヴィッシュの背後に回り込んだ緋女ヒメが、首に二の腕を回して全力で締め上げる。ヴィッシュは即座に腕をバシバシ叩いて降参を宣言した。意識が飛ぶ直前で腕は解かれたものの、呼吸困難に陥ったヴィッシュは咳き込みながらへたり込む。

 ――ツッコミで殺す気か、おい。

 すると、緋女ヒメもまた、ヴィッシュの後ろに座り込んだ。後ろから抱かれているような気さえする。脇腹に緋女ヒメの膝が当たる。背中に手のひらが当たる。

 そっと、胸の中につっかえていたものを吐き出すように、ヴィッシュは言った。

「……そうだよな。お前が正しいよ」

 懐から吸い慣れた細葉巻を取りだし、ナイフで先を切り落とすと、舶来品の硫黄燐寸マッチで火を付ける。葉巻の先が微かに赤く光ったかと思うと、すぐさまそれは黒くなり、やがて巻かれた葉の奥に隠れて見えなくなる。

「でもな……」

〔ふたりとも、聞こえるー。〕

 耳元で直接響いた声に、ふたりは弾かれたように立ち上がった。カジュからの《遠話》だ。距離が近いとはいえ、水晶玉の媒介なしに、ふたり同時に声を伝えてくるとは、すさまじい技量である。

〔敵発見。そこから大通りはさんで向かい側の裏路地、2ブロック南。大通りに向けて移動中〕

「よし。緋女ヒメ、ゾンブルと取り巻きどもの間に割り込んで分断する」

「まっかしとけ!」

「行くぞ!」



     *



 慎重と迅速は時として同義である。迅速な行動は相手のつけいる隙を作らず、往々にして最も安全な手法となりうる。慎重な心があればこそ、誰よりも素早く走ることを心がけるものなのだ。

 魔族の剣士ゾンブル・テレフタルアミドは、視線一つで10人以上もの部下を先行させた。影に塗られた細い裏道を、素早く、風のように、仮に目撃されたとしても誰一人対応できぬ間に、大通りへと急いだ。彼の計算通りであれば、部下達が大通りへ辿り着くまさにその瞬間、国王を乗せた大御輿みこしが正面に現れるはず。

 ゾンブルはガーラン爺と共に、一行の最後尾をゆったりと進んでいた。自分が出るのは最後でよい。先行する部下達が騒ぎを起こし、混乱を生み出し、道を切り拓き、万を持して自身は王に肉薄する。

 ふたり通るのがやっとの細道を移動ルートに選んだのも、それまで身を隠すため。部下の数を10人あまりに絞ったのも、事前察知されぬため。全ては練りに練った理であった。

 だが――思考は、その先を行く思考によって覆される。

 ようやく一行の先頭が大通りに出ようかというその時。

 ゾンブルの少し前を走っていた部下の頭上に、赤い稲妻が襲いかかった。

 あまりの速さに光の閃きとしか見えぬそれは、落ち様に部下の喉笛を咬みきり、着地しながら身を捻って食いちぎり、異変を察知して振り返ったもう一人の部下に飛びかかり――

 変身する!

 目を見張るゾンブルの前で、赤い犬であったそれは、人間の女へと姿を変えた。それと同時に振り抜かれる東方の曲刀。銀色の輝きは鮮やかな弧を描き、たった一太刀で部下の胴を真横に両断する。

獣人ライカンスロープだと!?」

 驚きの声を挙げたのもつかの間、横手の物陰から突き出された槍の一撃がゾンブルを襲った。ゾンブルはとっさに身を捻り、辛うじて渾身の突きをかわしきる。続く二の槍。躊躇ちゅうちょは死。迷うことなく飛び退り、間合いを放してめ付ける。

 物陰からのっそりと現れたのは、見覚えのあるにやついた男。

「よう。お久しぶり」

 かつてガーラン爺を巡って戦いになった、あの男である。

 ――部下達と引き離されたか。してやられたな。

 ゾンブルは小さく舌打ちしながら、腰の剣を抜きはなった。暗殺のためだけに造られた彼の剣は、刀身すらも闇色をしている。軽く反りの入った片刃の剣は、東方異国の品である。

 後悔がどっと押し寄せた。あの時、少々目立つことを厭うくらいなら、止めを刺しておくべきだった。この剣で。

「生きていたのか。しぶとい男だ」

「それだけが取り柄でね」

「何者だ。ベンズバレンの犬か」

「まさか。もっとやくざな商売だよ」

 男は油断なく両手に槍を構えてにやりと笑う。

「10年前、勇者は魔王を退治した。だが世界中に散らばった魔物たちは、今でもあちこちに生き残っている。

 そういう狩り残しを、きれいにさらうのが俺の生業」

 男の槍が、陽光を浴びて煌めいた。

「――ひと呼んで、勇者の後始末人」

 その名はヴィッシュ。

 少しの間、困惑と思考と、何より怒りに満ちた目で睨んでいたゾンブルは、やがて重い口を開いた。なぜだろうか。その口を吐いて出た声は、怒りとも憤りとも程遠いかった。むしろ、自分の前に現れたこの障害を楽しんでさえいるような。

「お前たち。そっちの女を片付けろ」

 部下たちに命令を飛ばすや、ゾンブルは壮絶なる笑みを浮かべた。

「こいつは私の獲物だ」



(つづく)

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