第2話-04 火花



 3人で思い思いにテーブルを囲み、作戦会議が始まった。まずはカジュに通信用の水晶玉を準備させ、

「カジュ。お前は魔術師仲間から《遠話》で情報を集めてくれ。30年くらい前、ベンズバレンで何か事件が起きてないか。こう……人が大勢死ぬような」

「なにそれ。関係あるの。」

「まだ分からねえ。とにかく、頼む」

 うなずき、水晶玉に手をかざして呪文詠唱にかかるカジュ。その肩に手を乗せ、水晶玉の上に身を乗り出すようにして、緋女ヒメが顔を近づけてくる。その目のキラキラしたことと言ったら、お気に入りの玩具を前に、千切れんばかりに尻尾を振りまくる犬そのもの。

「ねねね、あたしは?」

「俺と一緒にガーラン爺の足取りを追う。お前の鼻が頼りだ」

「ガーラン? ゾンブルじゃなくて?」

「協会にも尻尾を掴ませてないなら、ゾンブルの潜伏は完璧だ。俺たちがにわかに動いたからどうなるってもんでもない。

 その点、爺さんは荒事には素人。しかも最近になって急に動いたふしがある。手掛かりが残ってるとすればこっちのほうだ。

 仕事のコツってのはな。いきなり高望みはせず、上手くいきそうなところから手を付けることなのさ」

 と、ヴィッシュはウィンクなどしてみせた。



    *



 もうすっかり通い慣れてしまった貧民街に、ヴィッシュと緋女ヒメは足を運んだ。

 今の緋女ヒメは犬に変身済みだ。長い艶やかな赤い体毛は、日頃からカジュにしっかりとブラシを当てられていて、陽光のもとで美しい光沢を見せる。人間の時の彼女も息を飲むような美形だが、犬の姿はまた格別に美しい。

 先ほどから緋女ヒメは尖った鼻先を地面に近づけ、しきりにひくひくと動かしていた。ガーラン爺の匂いをたどろうというのだ。

「分かりそうか?」

 上から覗き込みながらヴィッシュが問うと、緋女ヒメは睨むような目を返してくる。牙を剥き出し、軽く唸ってすらいる。ずいぶん険悪だが――と、ヴィッシュは彼女の視線が葉巻煙草に向いていることに気づいて、慌てて火をもみ消した。

「そうか。悪い悪い」

 ふんっ、と鼻を鳴らして、再び緋女ヒメは臭いを嗅ぎ始める。

 と、いきなり緋女ヒメが一方向に歩き出した。貧民街から、裏通りへ向かう方向だ。少し進んだあたりで緋女ヒメはぴたりと足を止め、ぼんやりと眺めているヴィッシュに目を遣る。その目が言っている。

 ――なにやってんの、早く来いよ。

 思わずヴィッシュは口笛を鳴らした。

 彼女に案内されたどり着いた場所は、貧民街の片隅にある小さなあばら屋だった。

 緋女ヒメが足を止め、じっと見上げるその先には、軒先から吊された粗雑な木看板がある。屋号がわりに掘られているのは、吸い付きたくなるような泡を溢れさせたジョッキの絵だ。識字率の低かろう貧民街住人への配慮というところか。木戸の中からは、何とも言えない揚げ油の匂いが漂ってくる。

 場末の酒場であった。

「ここ……か?」



     *



 調査を終えて家に戻ると、居間の寝椅子の上で、《遠話》用の水晶玉をかかえたカジュが何やら甲高い声を挙げていた。

「ありがとー、エイジくん! こんどデートしようね!」

〔いいの? マジで? 絶対そのうちそっち行くわ!〕

 これは本当に、あのカジュの声なのだろうか。普段の地獄から響く呪詛のような声とは似ても似つかない、脳に響くような甘えた声だ。相手の男ときたら、カジュの見え透いた演技にコロッと騙されているらしい。

 《遠話》を終えて、水晶玉の白い光が消え失せるなり、カジュは興味を失った玩具を放り出すように水晶玉を転がした。背もたれに大仰に体を預け、貫禄たっぷりに足を組むと、さっきまでの猫なで声とは別人のような重低音で、

「あー。おかえり。」

「頼もしいやつ……誰なんだ、今の男? お前の歳知ってるのか?」

「魔法学園のエイジくん23歳。そしてカジュちゃんは永遠の18歳です。」

「怖い女……」

 ヴィッシュは戦々恐々、カジュの向かいに腰を下ろした。緋女ヒメはと言えば、疲れただの暑いだのとぼやきつつ、奥のキッチンに水でも飲みに行ったようだ。

 腹芸の「は」の字もない緋女ヒメと、腹芸と魔術だけでできているようなカジュ。よくまあ、この対照的な性格でコンビを組めていたものである。いや、正反対だからこそ、うまくやれているのかもしれないが。

「で、何かつかめたか?」

「んー。確かに30年前、事件が起きてるね。

 啓示歴1282年風の月、おとなりハンザ王国の内戦で国を追われた難民が大発生。

 翌月には、万単位の難民がベンズバレン王都に殺到……。」

 歴史書の記述を読み上げるように淡々といいながら、カジュは立ち上がり、本棚の一番上に収められた羊皮紙の巻物を取ろうとつま先立ちになる。彼女の身長で届くわけもない。

 ヴィッシュが腰を浮かせて、ひょいとそれを取ってやる。カジュはふて腐れて寝椅子に胡座を掻いた。

 広げた巻物に記されているのは、ベンズバレン近隣の地図である。比較的新しいもので、着工10周年の第2ベンズバレンもちゃんと描かれている。第2ベンズバレンから“無制限街道”を北に進めば王都ベンズバレン。そこから街道を西に折れ、俗に言うところの“母無し峠”を越えると、隣国ハンザに辿たどり着く。

 “母無し峠”は街道の難所として有名で、峠越しのためには母すら見捨てねばならない、というのが名前の由来だ。むろん大げさな話ではあるが、戦火から逃げ出した難民たちが、峠越しで疲れ果てていただろうことは想像が付く。

「でも、面倒見切れないと判断したベンズバレンは、難民の受け入れを拒否。

 王都の防衛隊を動員してこれを制圧し、強制的に海岸沿いの僻地に追いやった……。」

 カジュの指が、王都ベンズバレンのあたりから南へ動き――第2ベンズバレンを指し示した。

「なるほどね……当時の僻地が、今や世界に名だたる第2ベンズバレンってわけだ。あの貧民街は、難民集落の名残なんだな」

「制圧するとき、けっこーヤバげな衝突があったみたいだね……。ずいぶん人が死んだって話だよ。」

「えげつないことすんなー……」

 腰に手を当てて仁王立ちした緋女ヒメが、難しい顔で地図を睨み降ろしている。

 口には出さないが、ヴィッシュの意見は多少違っていた。王都ベンズバレンでも、人口はせいぜい十数万人というところ。そこに万単位の難民が雪崩れ込めば、治安の悪化程度では収まらない。食糧は不足し、都市システムは機能不全に陥り、最悪の場合、都市そのものが崩壊する危険性すらある。自国民を守るためと見れば、難民受け入れ拒否はやむを得ない判断だったのだろう。

 まあ、慈悲に欠けた判断であったというのは、否定できないが。

「んで? これが何の関係があんのよ?」

 ヴィッシュは腕を組み、慎重に考えを練りながらぽつぽつと語り出した。

「爺さんは職人気質かたぎの人間だ。しかも、おそらく自分の死期を悟ってる。悪党に金目当てで協力するってのは考えにくい。

 だから、金以外の目的があったんだろう、と踏んだんだ」

「ああ、さっき聞いたやつ?」

「何の話。」

「爺さん、30年前に嫁さんを亡くしてるんだそうだ。それで、長いことこの国を恨んでいたんだとさ」

「つまり、ハンザからの難民だったんだね。」

 先読みして口をはさんだカジュに、ヴィッシュは確信を持って頷いて見せた。時期から見ても……そして、爺さんのどぎつい古ハンザなまりから考えても、間違いあるまい。

「そう。つまり爺さんが復讐する相手ってのは」

 3人の視線がかっちりと一点で交わった。

『ベンズバレン王国だ!』

「じゃあなに? 爺さん、これから王都に行って城でも襲おうっての?」

「いいやあ。もっと手っ取り早い方法があるぜ」

 言ってヴィッシュは窓の外を眺め見る。

 この界隈の端の方には、典礼騎士団の訓練所がある。その広い敷地内では、今ごろ太鼓とラッパの音が響き渡っていることだろう。しんと耳を澄ませば、大通りの喧噪に混じって、微かに聞こえるマーチのリズム。本番を間近に控えて、訓練も大詰めというところか。

「3日後。第2ベンズバレン着工10周年記念パレード」

 彼の口の端には、全てを手のひらに載せた男だけが見せうる、完全に満足したほくそ笑みが浮かんでいた。

「狙うは国王陛下その人さ!」



     *



 ここがどこなのか解らない。

 これが何なのか解らない。

 老いたか。耄碌したか。あるいは、初めから解らないことだらけだったのか。

 一個の鍛冶道具として60余年生きてきても、迷うことなどほとんどなかった。あの時も迷わなかった。悲しみはした。だが悲しみは道を指し示す光明でこそあれ、視界を覆い尽くす闇ではなかった。

 そのはずなのに。

 今、ガーラン爺は、闇の中にいる。

 周囲は鉄に満ちている。剣と、槍と、鎚と、盾と、鎧と、兜と、鏃と。ハンマーを振るう。赤熱した刃から、目映い火花が弧を描く。ひとひら、赤い光が闇を切り裂き、やがて潰えて消えていく。

 消えていく。

 もう一度。

 やはり消えていく。

 そう思ったとたん、心臓を手で掴んで左右にえぐり分けていくような感覚が、ガーラン爺の体の真ん中を直撃した。手が止まる。火花が止まる。ガーラン爺は呻きながら、祈るようにぬかずいた。

「痛みで、体が動かないか」

 何とも言えないねっとりとした声が、ガーランの頭の上から投げ降ろされた。いたわりなど微塵も含まない乱暴な言い回しが、不思議と爺の自尊心に火を付ける。

 魔族の男、ゾンブル。それだけ認識すると、爺は無言でハンマーを拾い、再び無心に降り始める。その手が痛みに震えることも構わず。

 火花が弧を描く。

「そうだ。それでいい」

 赤い光を満足げに見つめ、ゾンブルは邪悪な笑みを浮かべた。

「お前が鍛えた剣は、我々の手足となり、やがて王を討つだろう。お前は王の首を手にするのだ」

 火花が弧を描く。

 ゾンブルは去り際、ふと立ち止まり、肩越しに振り返りながらこう言った。

「お前はまるで、蝉のようだな」

 火花が弧を描く。

「お前の中で30年、期を待ち続けた悪意は、たった一日だけ空に羽ばたき、そして本懐を遂げる」

 火花が弧を描く。

「どんな気分だ、ガーラン」

 問うだけ問うておいて、答えも待たずにゾンブルは去っていった。その姿は闇に溶け、再びガーランはひとりになった。闇の中に。鉄に囲まれて。闇が問うた。答えるのは鉄だ。ゆえにガーランはハンマーを振り下ろす。

 火花が、弧を描く。



(つづく)

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