第17話
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香取新平はハイエースを多門一樹の自宅の前に止めた。
瓦葺の屋根のかかった巨大な門扉が固く閉ざされている。運転席を降り、インターホンに歩み寄ると、敷地の中から誰何の声があがった。
「香取だ」
門扉の向こうに男が顔を出した。組長宅に住み込んでいる阿部だ。先代の時から門番を任されている。
「こんな遅い時間に悪いな。緊急の用事だ」
今晩、東山小学校の校庭でタイムカプセルを掘りだしていたことを、おそらく阿部は知らされていない。阿部は無言で門扉を開けた。ハイエースを認めて香取と見比べる。
「車を中に入れる」
阿部は頷くと、門扉の横に体をずらせた。巨大な門扉がスライドしていく。香取は運転席に乗り込み、ぽっかりと口を開いた門の下をくぐり、敷地の中にハイエースを滑り込ませた。
敷地の中には外灯が一つ、二つ灯っていて、シャッターが跳ね上がり大きな口を開いたコンクリートの駐車場に、ベンツとセンチュリー、ハマーが納まっている。
張真組の財政は火の車だ。不況の波は極道の世界にまでおよび、以前に比べ収入も減っている。そのうえ、八祖会の第三部組織にあたる張真組にかけられた上納金の額は半端ではない。入った金は右から左へと流れていた。
しかし多門一樹が生活レベルを落とすことはない。仲間に対して安目を売るわけにはいかないからだ。極道の世界で舐められることは死を意味する。
車を駐車場の前に停車すると、玄関から男が一人出てきた。香取を認めると会釈をよこした。
「組長は」
「リビングにおられます」
男は小柴といい、組長の身辺警護を取り仕切っている。刈りこんで短髪の下で、眉間に深々と皺をよせ、三白眼で香取に視線を送ってくる。目つきの悪い男だが、口元にはかすかに笑みを浮かべていた。
小柴は香取より三年ほど早く張真組の構成員になっている。香取が張真大吉の肝入りで構成員になった時分は何かと面倒を見てくれた。年齢は小柴の方が五つほど若かったが、香取とは気があった。
今年の春から、その度量と腕っ節を買われて組長の身辺警護を任されていた。
不平不満を口にする男ではないが、事務所で香取と二人っきりになると、ぽろりと先代を懐かしむような発言をする。
「春日井たちと一緒では」
小柴は香取が何をしていたか知っているようだった。
「途中ではぐれた。まだ帰ってきていないか」
「えぇ。この車は?」
「我々からタイムカプセルを奪おうとした連中の車だ」
「そいつらは」
小柴は後部座席を覗き込んだ。
「残念ながら取り逃がした」
「外はえらい騒ぎになっていますが」
川上とのカーチェイスの件で、警察が騒いでいるのだろう。
「サツから連絡が入ったのか」
「はい。組長はカリカリしています。若頭代行も一緒ですよ」
と顔をしかめる。
「物はどうなりました」
香取はハイエースの後部座席からタイムカプセルの入ったケースを取り出した。
「ここにある」
「お持ちします」
小柴はケースを受け取ろうとしたが、香取は自分で持つと断った。
小柴の後に続き玄関をくぐった。スリッパに履き替え、廊下を歩き、奥の扉の前で小柴が拳で扉をたたいた。音楽鑑賞という組長の趣味で、リビングは防音設備が施されている。扉も分厚い。失礼しますと声をかけながら扉を開けた。
ゆっくりと深呼吸をする。背は高くないが、小柴のがっしりとした背中を見つめながら、迷惑をかけるなと無言で謝る。
口を引き結びリビングに足を踏み入れた。部屋の中央に黒革の大きなソファーが据えられており、そこに組長の多門一樹と、息子の多門慎治が腰をおろしていた。慎治は香取の姿を認めると、早速挑戦的な視線を投げ、鼻で笑うふりをした。事務所で見せる態度よりも、数段ぞんざいな振る舞いだ。
「ずいぶん、ひっかきまわしたみたいじゃないか」
組長が口を開いた。
「サツが嗅ぎまわっている。若いのが二、三人引っ張られたって話だ」
「掘り返したタイムカプセルを横取りしようとした奴がいましてね。取り返すのに手間取りました」
「聞いている。どこの者だ。捕まえたんだろうな」
「取り逃がしました。正体はわかりません」
「馬鹿野郎。取り逃がしたですむんか。中身が何か知ってて盗もうとしたんならことだぞ」
「わかっています。既に追手をかけています。それより早く中身をお見せしたくて」
一樹が鼻を鳴らした。顔のだぶついた肉がぶるりと震える。
香取はケースを床に置き、蓋を外す。ケースの中にはカプセルが二つ収まっている。
「開けたのか」
「まだです」
「それで間違いないんだな」
「えぇ、間違いありませんよ」
中からカプセルをひとつ取り出した。長い間地面の中に埋められていたにもかかわらず、鈍い光沢を放っていた。
香取の後ろから覗き込んでいた小柴が、ポケットから十徳ナイフを取り出し、マイナスドライバーを引き出す。カプセルの両端はキャップのようになっていて、本体とネジで止められていた。
「小柴。下がっていろ」
一樹の声に、小柴は香取に十徳ナイフを渡し、頭を下げると廊下につながる防音扉の前に移動した。
「開けろ」
一樹が顎をしゃくる。
香取は手に持ったカプセルを、無造作に振りかぶると一樹に向って投げた。
放物線を描いたタイムカプセルは、ラグビーボールのように縦に回転しながら一樹の肩を掠め、ガラステーブルの上を盛大な音を立てて転がった。
「何しやがる!」
香取は素早く拳銃を構え壁際に移動した。
扉の前で身構える小柴に銃口を向け動きを制した。
一瞬で場が凍りついた。
香取は立ち上がろうとした慎治に左手で十徳ナイフを投げ付けた。十徳ナイフから突き出たマイナスドライバーが、黒革のソファに突き立つ。
「動くな」
ソファに腰を下ろしたまま一樹は燃えるような視線を送ってきた。
「慎治!」
香取の怒声に、多門慎治はぴくりと体を震わせた。
「そいつで、カプセルを開けろ」
ソファに浅く突き立った十徳ナイフを示す。
慎治は額に青筋を浮かべ、顔を赤らめていた。突き上げた顎の下で喉仏がごくりと動く。目は充血し、食いしばった歯の間から動揺と憤怒があふれ出していた。
「香取さん……」
小柴が目を見開き、かすれた声を出した。
「悪いな小柴。しばらくそこでじっとしていてくれないか。撃ちたくない」
小柴は表情を固めたままゆっくりと扉の前に戻る。リビングは防音設備が施されている。音は外に漏れない。
「お前、こんなことしてどうなるかわかっているのか」
一樹がありきたりの脅し文句を口にした。
「わかっていないと言った方が驚くだろう。もちろん覚悟は決めているよ」
一樹の顔がこわばった。視線が、香取から小柴に揺れ、香取に戻る。組長宅には若衆が何人か住み込んでいる。小柴と玄関にいた阿部以外にも、まだ起きている人間がいるだろう。あまり長引かせるのは得策ではない。
「慎治。早く開けろ」
多門慎治は充血した目で一樹を見た。一樹が忌々しそうに頷くと、十徳ナイフのマイナスドライバーを使いカプセルのネジを外し始めた。
「香取、お前の目的はなんだ」
一樹が唸り声をあげた。
香取は慎治の作業を見つめていた。眼の端に小柴の動きをとらえている。彼の心の中を思うと申し訳ない。身辺警護を任されている小柴にとって、今は最悪の事態だ。たとえ組長の多門一樹を尊敬していなくとも、責任を果たそうと捨て身で飛びかかってくる可能性はある。
「お前の目的はなんだと聞いている!」
無視された怒りも加味されて、多門一樹の声は怒気色に染まっていた。
慎治の手でタイムカプセルのキャップのネジが半分ほど外されている。
「この中のものが欲しいのか! あぁ? それともなんや! 端からお前に相談しなかった事を怒っているのか? だいたいお前がもう少し稼ぎを上げていれば、こんなことをする必要はなかったんだぞ。おまえ、その責任は感じているのか!」
「黙れ」
香取は多門一樹に銃口を据え直した。一樹は喉元を震わせ、小柴がびくりと動いた。
慎治がカプセルの蓋のネジをすべて外し終えた。香取を見る。香取が顎をしゃくると、あきらめたように砲弾型のカプセルの蓋に手をかけ、力を加えた。
長い間合わさっていた金属と金属がこすれる錆びた音を立てキャップが外れた。
カプセルの中から闇が立ち昇ったような錯覚を覚える。十二年前、無理矢理封印された闇がそこにある。
慎治はカプセルを傾けた。ビニール袋が音を立ててテーブルの上に積みあがった。どの袋にも白い粉が入っている。
小柴の息を呑む音が伝わってきた。相当量の麻薬だ。張真組に潜入して以来、ずっと捜し求めてきたものが目の前に積みあがっていた。
健――。
弟の名前を唱える。頭の中が熱くなった。熱いものは涙腺を伝わり吐き出されそうになる。
――まだだ。
歯を食いしばりぐっと深く呼吸した。
「考えたものだ。まさか警察も、こんなところにあるとは思わなかっただろう」
「香取。ええ加減にそのチャカ下げんかい」
一樹がしゃがれた声を絞り出した。額に汗が光っていた。唇を歪め、思案するように瞳が揺れていた。香取に恫喝は通用しない。短くはない付き合いだ。組長も承知しているはずだ。
「なぁ香取。何が気に入らんのや。いや、何が気に入らんかはわかっとる。確かに張真組のためにお前は貢献してくれとる。若頭に収まっても誰も文句は言わんやろ。しかしな、お前はあくまでも財政担当や。そっち方面には明るいやろうが、他の組や八祖会との関係にはあまり絡んどらんやろ」
額から流れ出る汗で湿った眉毛を、組長は太い指でぬぐった。
「こいつが」と言って一樹は後方を顎でしゃくった。慎治のことだ。「こいつがもう少し育ったら若頭に据えて、香取、お前とは五分の盃を交わすつもりでおる。それで新しい組を作れ、お前はナンバー二やなくて、トップに座る器やからな」
香取は無表情で一樹の言葉を聞き流した。その反応を好転への兆候ととったのだろう。一樹の舌は滑らかに動いた。
「お前もその方がええやろ。お前と俺は水と油や――」
「よくしゃべるな。怯えた犬ほどよく吠えるもんだ」
一樹の顔色がどす黒く変色した。血管が額に浮き上がる。ぎりぎりと音がするほど歯を食いしばっている。
「貴様、誰に口きいとんじゃ、こら!」
多門慎治が吠えた。ソファから立ち上がる。香取は銃口を慎治に向ける。
視界の隅に入っている小柴が微かに腰を落とす。視線を送った。香取と視線の合った小柴は、困惑を表情に張り付けていた。動かないでくれと念じる。
香取は一樹に視線を戻した。
「あんたが俺と五分の盃を交わすだって。そんな器のでかい男だったかな。あんたは、不要になった人間は切る。そう言う男だ」
組長の頬がピクリと跳ねた。
「内藤健を覚えているか」
「内藤……誰やそれ」
香取は慎治に銃口を据えたまま撃鉄を起こした。組長のソファを握る手が白く変色している。
「思い出せ」
「……」
「十二年前、麻薬密売の罪を被り死んだ男の名前だ」
「下っ端の名前まで覚えとるか」
「内藤健は当時十九歳だった。俺の弟だ」
組長が眉間のしわを深める。小柴が背後で息を呑むのがわかった。
「十八の時に家を飛び出してね。一人で大阪に飛び出した。ギターが好きでね。将来は歌手になりたいと言っていた。しかし夢はそんなに簡単にはかなわないものだ。弟は現実に負けた。そして金を稼ぐためにいろいろなことをやった。なぜ暴力団に厄介になるようになったのかわからない。馬鹿な弟だ」
香取は吐き捨てた。吐き捨てると同時に言葉に詰まった。
「十二年前の三月だった」微かに声が震えた。「弟から久し振りに電話がかかってきた。そして弟はこう言った。兄貴、ごめん。助けてくれってな。そして翌日。俺は新聞で弟が死体で発見されたことを知った。末端価格で数百万円の覚せい剤と一緒にね。警察は健の死と一緒に発見された覚せい剤を、張真組とつなげて考えた。もともと八祖会系の暴力団にはすべてガサ入れが行われる予定だった。それが少し早まっただけだ。しかし警察の大々的なガサ入れでも、張真組からは耳くそほども麻薬は出てこなかった。結局、弟は別のルートで麻薬を手に入れ、そして自殺したと警察は判断した。しかし俺は納得できなかった。張真組が弟に罪をなすりつけ、そして自殺に見せかけて殺した。そう考えた。だから福岡県警を辞め、張真組の構成員となった。弟が殺されたことを証明するためにね」
「福岡県警? この野郎……ずっと騙していやがったのか」
多門一樹は害虫を射るような目で香取をみた。
「確かによ。こいつを調べれば」と言って一樹は顎でテーブルの上に散らばった覚醒剤の袋を示す。
「十二年前、内藤が持っていた覚せい剤と一致するだろうよ。しかしな。サツが今から調査すると思うのか。内藤を自殺と断定したんだ。いくらお前がほざいても、今さら間違いでしたとあいつらが認めると思うのか」
「警察が認めようと認めまいと、そんなことはどうでもいい」
「……」
「当時、あんたは張真組の若頭だった。麻薬の売買を仕切っていたのもあんただ。弟に罪をなすりつけ、殺害したのはお前だな」
張真組の主だった幹部たちは、当時の事をあまり口にしようとしない。
それでもある程度は話を聞けた。当時の麻薬密売を総括していたのは多門一樹だったこと。先代の張真大吉がどちらかと言えば穏健派だったのと対照的に、多門一樹は武闘派の最右翼だったこと。
張真大吉と事件の事を話したことが一度だけあった。あのとき張真大吉は、事件と同時に張真組の信頼と、若い構成員を一人失ったと漏らした。
少なくとも張真大吉は、弟が自殺したと信じ込んでいた。香取は弟を殺害した首謀者は多門一樹ではないかと疑った。長年、張真組での生活を続けるうちに、疑いは徐々に膨らんでいた。しかし確証は得られていなかった。
突如、多門一樹が立ち上がった。手には御影石の灰皿を持っていた。それをガラステーブルに叩きつけた。ガラスの破片がはじけ飛ぶ。
「それがどうした! 何が弟だ! ヤクザになったのはお前の弟が決めた事やろうが! ヤクザになった以上、組のために働くのが義務だ! だから死ねと言った! しかしピーピー泣きやがって、鼻水垂らして助けてくれと抜かしやがった! だから手伝ってやったんだ!」
一樹の興奮に反して香取の頭は冷気にさらされたように冷えていた。
改めて拳銃の重さを自覚した。拳銃に収まった小指ほどの弾丸。無念の思いをその一発の金属片に込める。
「お前の弟はヤクザにもなりきれなかった男や。俺が最後に男にしてやったんや!」
多門一樹は自分の置かれた状況も把握できず、完全に理性を失っているように見えた。
しかし、視線が不自然に動いていた。顔を怒りにどす黒く染めながら、目だけは何かを渇望するようにさ迷っている。
香取は一樹の視線を追いかけた。床に散らばったガラスの破片。大理石の灰皿が裏返って転がっている。その底に黒いプレートのようなものが張り付いていた。真ん中に同色の突起が一つ。
警報装置――。
冷え切った頭にぐわっと熱気が走った。銃口を一樹の額に合わせた。引き金にかけた指に力を加えた。
「死ね! 死んで弟に詫びろ!」
「やめろ!」
慎治が悲痛な声を上げて動いた。
慎治がソファとテーブルの間を躓くながらも前進してくる。必死に動いていた。しかし遅い。引き金を引く時間は十分にあった。しかし引けなかった。
慎治の目的がわかったからだ。慎治は一樹の前面に移動し、両手を広げた。唇をきつくかみしめ、頬はぶるぶると痙攣させている。
無言で香取を睨みつける眼には、怒りと恐怖に交じって哀願が含まれていた。
銃口を慎治の体を通して多門一樹に向けたまま指先が引き攣った。
健の面影が脳裏をよぎる。浮かんだのは健が中学生だった頃の顔だ。野球部だった健は頭を短髪にし、思い出の中で屈託のない笑みを浮かべている。
「撃つな」
慎治の口から洩れた言葉は、ようやく香取の耳に届く大きさだった。
この腐れ外道が!
香取は心の中で叫んだ。
なぜこんなときに、似合いもしない親子愛をひけらかすのか。
無性に腹立たしかった。
(兄ちゃん……)
弟の口ぶりがよみがえる。
一瞬、香取は瞼をきつく閉じ、そして開いた。
緊張で固まった慎治の顔が、わずかにほかの感情を見せていた。
希望だ。
視線が小柴の方向に傾いている。香取は銃口をそのままに小柴に視線を這わす。
彼はその場に立っていた。その後ろ、リビングの扉が少し開いている。
と思った時には扉は全開になり、人影が躍り込んできた。とっさに香取は体を横に投げ出した。銃声が容赦なく響き、ガラスが破裂する音が聞こえ、言葉にもならない怒声が飛んだ。
香取はソファの影に飛び込む。視線の隅に多門一樹と慎治が立ち上がる姿が見えた。
「殺せ!」
逃げながら一樹が叫んでいる。背中をさらして出口に走る。
若い男が二人、壁際を両側に散開する。
テーブルの上を見た。ビニールに入った覚醒剤がそのまま置かれている。香取はソファの横から飛び出し、ビニール袋の一つを掴むと、近づいてくる男たちを無視して一樹の背中に銃弾を放った。
壁が弾ける。
銃声がもう一つ。
香取は肩に衝撃を感じ、続いて脳天を突き上げる痛みをこらえながらも、扉に向かって走った。
転がるように廊下へ飛び出していた。多門一樹の姿はない。二階か、それとも表に逃げたか。
どかどかと背後から足音が迫る。リビングの扉から小柴が顔を出した。今までに見たことのない悲痛な顔をしている。
小柴の背後から若い男が顔を出す。知った顔のはずだが、頭の中で像を結ばない。
(逃げてください)
小柴の真剣な眼差しが香取に訴えかけているように思えた。小柴は何か叫びながらも両手を壁につけ、もどかしい足取りで近づいてきている。追手の追撃を遅らせようとしてくれているのだ。
香取は踵を返した。
玄関に向かい外に飛び出す。多門一樹の姿も、慎治の姿もなかった。二階に逃げたか。
「くそ……」
戻ろうと考えたが、それは不可能だった。しくじったことを実感した。健の無念を晴らすにはこの手で多門一樹を殺害するしかなかったのに。
川上の言葉がよみがえる。
「弟さんは、君が彼を信じて行動したことで満足しているのではないか」
違う――。
玄関から足音が響き、香取は意を決して、今はシャッターが降りている門に向って走った。走りだした瞬間、肩に突き刺すような痛みが走り体がよじれる。
手を添えると血でぬめった。
数人の足音が背後から近づいてくる。
門扉の前に阿部が立ちはだかっていた。状況を掴めず、腰が浮ついている。脱兎のごとくかけてくる香取と、それを追いかける数人の男を見て、混乱しているようだ。
「阿部! 門を開けろ!」
走りながら怒鳴った。
「開けるな!」
追手の中から声が飛ぶ。
「なんですか」
阿部は上ずった声を出し、ポケットからスタンガンを取り出した。
「開けるんだ!」
阿部は動揺のあまり、眼を見開いている。
「何があったんです!」
一歩踏み出した香取に、阿部はスタンガンを構えた。やむを得ず香取は足を飛ばした。阿部の太ももに強烈な下段蹴りをぶち込む。
組長宅のガードを勤めている阿部は頑丈だった。顔を顰めるが、香取の一発で意を決したらしく躊躇いなくスタンガンを突き出してきた。
バランスを崩した右ストレートを、首を振ってかわす。肩に食い込んだ弾丸が神経を刺激し、脳天を激痛が突き上げる。崩れそうになる意識の中で、突き出された右手を引き寄せ、阿部の顔面に頭突きを叩き込んだ。
「ぐっ」
阿部の体から力が消え、沈む。それでも横をすり抜けようとする香取の服を掴んだ。後方の足音は手の届くところにまで迫っている。
ズン!
と空気を震わす振動が走った。
鉄の門扉が敷地側に押し込まれ傾いた。
コンクリートの破片が地面や壁を叩き、硬い音が響いた。門扉に食い込むような形で車が一台止まっていた。運転席が開き、目黒が顔を突き出した。
「兄貴!」
追手の何人かは怪我をしたのか地面でもがいている。
他の連中も呆けたように立ち尽くしている。
壊れた門扉の隙間を通り抜け外に飛び出した。大きく開かれた助手席に転がり込む。
ドアを閉める暇もなく不気味な振動を伴って車がバックした。支えを失った門扉が音を立てて崩れた。
怒声が闇に反響し、タイヤが鳴き、煙と焦げた臭いを立ち上げる。
開いたままの車のドアが反動で勢い良く閉まった。
車の窓を通して、小柴の悲壮な、それでいて恨めしそうな視線が飛び去っていった。
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