第14話

26


 目黒は唸り声を上げて転落防止柵を握りしめた。

 夜空に、まっすぐ伸びるモノレールの線路の上で、理香の背中が踊っていた。彼女の前を男が一人走っている。おそらく東山小学校で目出し帽を被っていた男のうちの一人だ。

 後を追おうかと思い、足もとの線路に目を落とす。

視線を少し移動させれば、自動車専用道路が見える。車のライトが列をなして流れている。

 ぶるっと身を震わせた。線路の上に降り立つことは容易でも、そこから足を進めることは困難以外の何物でもない。

「ふざけやがって」

 怒りと嫉妬と苛立ちが一気に押し寄せてきた。鉄柵を折れんばかりに握りしめて耐える。踵を返して階段に向かって走った。先回りして次の駅で待ち構えるしかないだろう。

 ホームの反対側で数名の駅員と体格のいい中年の男と、そして佐久間が揉み合っていた。佐久間が後頭部から血を流し、中年の男に飛びかかろうとしている。駅員が間に入って必死に押しとどめていた。このままでは警察が駆けつけてくるかもしれない。

 階段の降り口まで到達して、小さく舌打ちをして、目黒は佐久間の所に足を向けた。

「おい、いったいどうしたんだ」

 平静を装って、揉み合う集団に声をかけた。最初に気付いた駅員が怪訝そうな視線を送ってきた。また一人、やっかいな男が絡んできたと顔に書いてある。

 目黒はその駅員に声をかけた。

「あの男」と佐久間を指差し、「知り合いなんです。何かしましたか」

「あちらの男性と喧嘩になったみたいで」

「おい。後藤!」

 と目黒は適当な名前を呼んだ。

 佐久間が気づいてこっちを見た。顔を朱に染め、目が血走っている。

「いい加減にやめとけ。帰るぞ!」

 止めに入っていた別の駅員が、お知り合いですかと批難とも安堵ともとれる声で問いかけてきた。

「すいません。ちょっと気性が荒いものですから。私が連れて帰ります」

「なんやと! 目黒! お前引っこんでろ」

 目黒は無視してずいずいと揉み合いの中に足を踏み入れると、佐久間の腕を取った。力比べのように佐久間が押し込んでくる。

ぐっと体を引き寄せ、「ここでトラブル起こしたら、お前、代行に締め上げられるぞ」と耳元で忠告する。

「すいません。お騒がせしました」

 と周囲に軽く頭を下げ佐久間を引きずり出す。

佐久間と揉めていたと思しき中年の男は、駅員に後ろからはがい締めにされたまま、笑顔で片手を上げた。なぜか手には下駄が嵌っている。

「ちょっと」と一人の駅員が戸惑った声を上げたが、もう一度無言で目黒が頭を下げると、気押されたのかそれ以上何も言わなかった。

 目黒が先頭で階段を駆け下り、その後を佐久間が付いてくる。怒りが収まらないのか鼻息が荒い。改札機の横の事務所には、入った時と同じで誰もいなかった。ハードルのようにして改札機を飛び越える。

 駅のロータリーまで出たところで、目黒は振り返った。

「いったい何があったんや」

「お前の知ったこっちゃない」

「それが助けてやった人間に言うことか」

「何が助けたや! 余計なことしやがって」

「余計なこと? お前、駅員に怪我でもさせたら指詰めもんだったろうが」

「あのおっさん以外に手をだすつもりはなかった」

「あの中年の男か。どちらにしても堅気だろうが」

「堅気じゃねぇ。カプセル屋だ」

「カプセル屋ってなんや。いったい何があった。学校からカプセルを掘り出してたんじゃないのか」

「さっきのガキどもがそれを奪って逃げたんや」

「さっきの……」

 理香と、そして理香と一緒にいた男の事を言っているのだ。

「カプセルには何が入っているんや」

「しらねぇよ。俺たちの知ったこっちゃねぇだろう」

 佐久間は後頭部に手を当て、手のひらに就いた血に顔をしかめた。

「あの野郎、思いっきり下駄で殴りやがって」

「堅気に殴られたんか」思わず鼻で笑った。

「なんやと」佐久間の眼が剣呑に光った。「このガキが」

 目黒は佐久間に正対した。はっきり言って苛立っていた。怒りの矛先を向ける相手を探していたのだ。

「ガキ? 俺がガキなら、お前は若頭代行の尻尾に齧りつくダニだろうが」

 佐久間の潰れた耳まで真っ赤になった。目が針のように細められる。

「お前、殺すぞ」

 声と同時に太い腕が伸びてきた。伸びてきた腕を弾き、目黒は後ろへ下がった。

 佐久間が腰を落とした。堂にいった構えだ。相撲部屋からスカウトが来たというのも頷ける。空手の突きを警戒するように両手を前に突き出し、踵を僅かに浮かしていた。

「お前、捨て子だったってな」

 佐久間が口の端に厭らしい笑みをたたえた。

 目黒の頭と心の中で同時に燻っていた火種が、燃料を加えられたように燃え上がった。

「どこの雌犬から生まれたんだ。あー?」

 目黒は挑発に乗った。

 ノーモーションで右足を繰り出した。

 佐久間の両手をかいくぐり、ぐしゃりと音を立てて目黒のスニーカーが顔面に突き立った。

「う……」

 佐久間が鼻を押さえ、膝をつく。

 鮮血が地面に花を咲かせた。それでも片腕で頭部をガードし、次の襲撃に備えた所は立派なものだ。

 しかし目黒は二撃目を繰り出さなかった。佐久間に背中を向け、車へと走った。

エンジンをかけ、駅のロータリーから車を走らせた。


          27


 派手なことをしやがる。

 香取新平はクラウンの後部座席で苛立っていた。前方を走る大きなワンボックスカーはまるでレーシングカーのように加減速を繰り返し、追いつかれることを許さない。

 ――どこに行くつもりだ。

 テールランプを睨みつける。このまま警察に駆け込むつもりなのかもしれない。

しかしそれにしては車の進行方向がむちゃくちゃだ。北へ走っていたかと思うと西へ、西かと思うと南へと進路を変える。

「兄貴、応援を呼びましょうか」

 助手席の小倉が振り返った。手に携帯電話を持っている。

「応援って誰?」

 運転席の若衆が叫ぶ。合田という男だ。

「今日事務所に待機しているのって小松さんだろう。あの人、免許持ってないよ」

「目黒だ。あいつ今日来るつもりだっただろうから、その辺にいるかもしれん」

 タイムカプセルを掘りだすのに集められた人数は当初の予定より倍増していた。組長の指示だった。指揮をとるのが慎治から香取に変わったことで、お目付役として人数を増やしたのかもしれない。

 追走してくるもう一台の車には二人の組員が乗っている。その二人も応援として差し向けられた者たちだ。四人とも普段は組長付けで行動している連中だ。

 もう一台のトラックには、多門一樹子飼いの佐久間と梅木が乗っていた。二人は途中ワンボックスが入って行った駅のロータリーに向かわせた。今のところ連絡はない。

 同行していたカプセル屋はどうしたか。確か大村といった。彼は自分の車で学校に乗り付けていた。一人でどこかに姿をくらましたのかもしれない。

しかしもう用はない。タイムカプセルも奪われた今、のうのうと残金を請求しに来ることもないだろう。いや、あの男なら素知らぬ顔で請求してくるかもしれない。面白い男だった。

「やめとけ」

 香取は携帯を取り上げた小倉を押しとどめた。

 目黒をこの件から外したことは組長にも報告はしていない。一存で外した。彼を巻き込みたくなかった。

「これ以上応援を頼んでどうするつもりだ。相手はワンボックス一台だ。いい笑い者になるぞ」

 小倉は歯噛みし、携帯をしまい、「下手くそ! 何とかしろ!」と合田に罵声を浴びせた。

 ハイエースは幹線道路から脇道にそれていた。香取の乗るクラウンの後ろに、グロリアが金魚の糞のようについてくる。

「なんであんな箱みたいな車に追い付けねえんだよ!」

 小倉が悪態をつき、合田がさらにアクセルを踏み込む。路肩を乗り越えたクラウンは大きくバウンドした。

「兄貴! この先の道路はT字に分かれていたはずだ。後ろの車に先回りさせます」

香取の了解を取り、小倉が携帯で後ろの車に指示を与える。指示と同時に、ワンボックスはT字路を左に曲がった。クラウンも後を追う。グロリアは言われたとおり反対側に曲がった。

「見失うぞ! ぼけ!」

 小倉が合田の頭を平手で叩いた。両側にブロック塀が迫る細い四差路を、クラウンは早すぎるスピードで侵入した。カーブを曲がり切れず、フロントバンパーがブロック塀に削られる。

 強い衝撃が走った。

 電柱に車の左前方をぶつけていた。金属がへしゃげる破壊音。

 車は止まった。

 香取は運転席のシート体を叩きつけられた。前の席の二人はシートベルトをしていなかったため、フロントガラスに頭をぶつけて呻いている。

香取はドアを開け後部座席から飛び出した。無駄と分かっていても後を追わずにはいられなかった。

 ――くそ!

 呪詛のように言葉を吐き出す。ワンボックスが曲がった交差点に向かって走った。先の角を右に曲がれば幅五メートルほどの道が続いていて、その先にはグロリアが待ち伏せをしているはずだ。

 交差点に到着した。もうワンボックスの姿はないだろうと思っていたが、意外にもテールランプを点灯させて左に曲がるところだった。

 その先は細い路地になっている。グロリアが先回りしたことに気付いたのかもしれない。

 香取は全速力で走った。転がるようにして路地の先を覗き込む。五十メートルほど先にワンボックスのテールランプが見えた。停車している。

 香取が追いついたことに気がついたように、車はするすると動き出した。

「川上!」

 思わず叫んでいた。

 車は先の交差点を右折し姿を消した。舌打ちをして後を追う。香取が交差点に差し掛かると、また五十メートルほど先で停車している。

「くそ……」

 ワンボックスはそれから五度、同じように交差点を曲がり、あざ笑うように停車して香取が追ってくるのを待っていた。そして住宅街のはずれにある空き地に車を乗り入れると、ようやくそこでエンジンを切った。

 秋の冷たい空気にも関わらず、全身に汗をかいていた。額から汗が滴り目に入る。大きく呼吸をし、息を整え車に近づいた。フォルダーに吊るしたオートマチックの拳銃を取り出す。

 運転席のドアが開き、中から男が一人降りてきた。しっかりと拳銃を握り両手で構える。

「やっぱり、お前か」

 香取は激しく息をつき、男を睨みつけた。

「いい加減にしろ。何がしたいんだ」

「何がしたい?」

 川上秀和は小首を傾げた。上下、グレーのジャージを着ていた。直前までカーチェイスをしていたというのに、のんびりとした週末を過ごしていたサラリーマンのように涼しい顔をしている。

「君が約束を破ったから、仕方なくやったことだ」

「何の話だ」

「質問ばかりだな。私は君の口から謝罪の言葉を聞きたい」

「約束などした覚えはない」

 ハイエースを降りた川上はゆっくりと香取に向かって足を進めた。銃口はしっかりとポイントしている。しかし川上は何事もないように近づいてくる。

 チッと香取は舌打ちをした。この男相手に脅しは通用しない。

「見逃してくれ。川上」

 拳銃を構えたまま香取は言った。

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