第11話
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「カプセル屋。この地図を描いたのは、お前やろうが」
多門慎治は目の前の男に向かって、紙切れを一枚、ガラステーブルの上を滑らせた。二人掛けのソファに香取新平と多門慎治が座り、正面のソファにカプセル屋と呼ばれた中年の男が腰をおろしている。
多門慎治が発する苛立ちや怒りを、香取は感じていた。オーバーヒート寸前のエンジンのように、がなりたてている。
対して眼の前の男は、ソファに深く腰を下ろし、恐れるでもなく部屋の様子をゆっくりと探っている。緊張した様子もなく、どちらかと言うと必死に好奇心を押さえ、我慢している子供のような表情さえ浮かべていた。
場違いなその飄々とした様子がおかしくて、香取は思わず口元を緩めそうになった。中年の男はそれを目ざとく見つけ、視線を合わせてきた。年は取っているのだろうが涼しげな眼をしていた。
多門がドンと机を叩いた。中年の男は驚いた表情を浮かべ多門に視線を戻す。
「聞いとんのか、カプセル屋! その地図、お前が描いたんとちゃうんか。何度も言わせるな!」
「俺はカプセル屋ではない。他のものだって扱う」
「そんなことはどうでもいい! 早く地図を見ろ!」
中年の男はさすがにむっとした表情を浮かべたが、ようやくソファから背中を起こし、覗き込むように地図に目を落とした。
数日前、多門慎治は校庭の地図に示された位置を掘り返している。しかしタイムカプセルは出てこなかった。
このことは香取には知らされず組長と慎治だけで進めていたことだった。
香取が知ったのは二日前、目黒を含めた数人の若い衆が組事務所に集められた時のわずか一時間前だ。
説明は組長から香取と顧問の後藤宗之に対して行われた。
後藤は組長と四分六の盃を交わしており、自分の組も持っているが執行役員の一人として名を連ねている。説明を聞く間、香取と同じように憮然とした表情を浮かべていたから、彼にも知らされていなかったのだろう。
香取は多門慎治とカプセル屋の掛け合いを聞きながら、そのときのことを思い出していた。
説明を聞いて全身に震えが走った。乾き切り硬化しきっていた香取の情念を、瞬時にして溶解させ煮えたぎらせる力を持った内容だった。
組長はまず、東山小学校の校庭に大事なものが埋まっていると言い、それを掘り出して処分すれば、今抱えている問題も方がつくと言った。
「金になるものが埋まっているということですか」
さっきまで憮然とした表情を浮かべていた後藤が身を乗り出した。
「そうだ」
「それは何です」
「物(ブツ)だ」
「ブツ……麻薬ですね」後藤が念押しした。「なるほど……」と呟いて、ソファに身を沈める。
「十二年前、警察の手入れの直前に先代がタイムカプセルに入れて埋めさせたものだ。埋めた場所の地図が事務所の金庫に残っていてな。それを目当てに、こいつに」と多門慎治を顎で示した。「掘りに行かせたんだが、空振りだった」
「地図が間違っていたんですよ。俺のせいじゃない」
慎治は過剰な反応を示し、香取や後藤に向かって挑戦的な視線を投げかけてくる。組内での自分の立場をわきまえない言動はいつものことだ。
「しかしなんで小学校なんかに」
後藤は慎治を無視して呟いた。
「俺も川にでも流したんやろうと思っていた。何の相談もなしに処分したとだけ聞かされていたからな」組長は苦々しげに口にした。「まぁ、でも妙案や。まんまと警察の手入れを逃れることができたんやからな」
「先代は麻薬から縁を切ると言っておられたが、さすがに捨てるのは惜しいと思われたんでしょうな」
後藤が笑顔を見せ、組長が鼻先で笑った。
「組長」
組長が香取に内緒で麻薬を掘り出そうとした理由はわかっている。
今後張真組は麻薬に手を出さないと決めたのは先代の張真大吉だ。八祖会に対しても宣言し、それで組織に与えた損害に対する謝罪とした。それは多門一樹の代になっても、遺言として受け継がれている。
特に先代の覚えがよかった香取に話をすれば反対する。そう思ったのだろう。
しかし香取は張真組の執行委員であり、相談役の後藤を除くと実質的に組のナンバー2だ。潰された面子をすんなりと受け入れるわけにはいかない。それに聞きだせることはこの場で聞き出しておきたい。
「そいつを掘り出して、どうするつもりですか」
香取の言葉に慎治が腕組みをし、音を立ててソファの背もたれに体を落とす。
「掘り出して飾っておくとでも思うのか。売るんや」
「張真組は今後一切麻薬は扱わない。先代はそう決定されたはずです。方向転換をするのであればせめて執行役員全員の意見を聞くべきではないでしょうか。ましてや麻薬の売買を再開するとなれば、組自体の運営にも大きくかかわってくる事です。八祖会にも仁義を切らなければいけません」
「貴様、今の状況がどうなっているかわかっているのか」
突如の激昂と同時に、組長は革靴の踵をガラステーブルに打ち下ろした。硬い音が事務所内に響き、空気が凍りつく。
組長は香取が不服を申し立てる事を予期していたはずだ。対策として講じていたのは、懐柔でも説得でもなく、恫喝のようだった。
「お前は総務部長だろうが! お前がフロントを仕切っているんだろうが! あぁ! 上納金収めるのに四苦八苦するような状況にしておいて、えらそうな御託を並べるんじゃねぇ!」
ご尤もな意見だ。不況が続く中、張真組の収益は激減していた。それに対して香取も指をこまねいていたわけではない。フロント企業の整理を行い、合理化を図った。通り一遍の健全化策は講じている。しかしそれ以上のことをやっていないのも事実だ。わざと手を抜いてきた。
「先代、先代とぬかす前に、この状況を生み出した人間として責任を取ること考えんか!」
香取は奥歯を食いしばり組長の怒りを受け流した。矛先が自分に向けられる事の無いよう、後藤は眉間にしわを寄せながらも俯いている。
多門慎治は組んだ足先を揺すり、薄い唇を噛み締めている。目は笑っている。香取に向けた嘲りの笑みだ。
組長は必死なのだ。張真組組長を襲名してから、常に財政難に苦しんできた。そこに飛び込んできた朗報だ。何としてでも手に入れたいのだろう。
麻薬市場は不況に左右されず活発に動いている。消費量はうなぎ上りに伸びている。年間数百キロの覚醒剤が警察により押収されているが、世間に出回っているブツの量はそれの数十倍に上るだろう。張真組のなわばりでも、目を盗んで東南アジア系のバイヤーが仕事をしていた。
香取は組長の鋭い視線に呼応し、睨み返しそうになる自分を抑えた。ゆっくりと空気を吸い、吐き出した。
――お前にとってパンドラの箱だ。開けたいのであれば、俺が開けてやる。
決意を固める。慎重に、冷静に事を運ばなければならない。
「わかりました」
香取は静かに言った。
「それではこの件の指揮は私に取らせてください。責任を持ちます」
組長の目が僅かに泳いだ。香取の申し出が意外だったのだろう。
「現場には私が行きます。しかし組長、せめて姐さんへの報告だけはお願いします」
先代の奥さんは郊外の総合病院に入院している。二年前から痴呆が進み、今では組長の顔すら覚えていない。到底、意見など言える状態にないことを知っての妥協案だ。組長にとっても受け入れがたい案ではない。受け入れれば香取も最低限の面目を保つことができる。
組長が口元に笑みを浮かべた。
「わかった。お前が指揮をとれ。姐さんにはこいつから報告させる」と慎治を顎で示した。
自分で行くとは言わない。主張を取り下げた香取の面子を守ってやろうという配慮もない。
いつもながら先代との度量の差を感じさせた。先代の張真大吉は生粋のヤクザだった。決して褒められた人生を歩んではいない。人として間違った行いを重ねてきた。しかし組員からは慕われていた。張真組の結束力は今とは比べ物にならないほど強かった。それはどれだけ下っ端であろうとも、面子は立ててくれたからだ。先代には自分が間違っていると気づけば、若衆に対してでも平気で頭を下げるようなところがあった。
腹の中に大きな一物を抱えて張真大吉に近づき組員となった香取であったも、その人柄を否定するつもりはない。
「で、どう進めるんです」
嵐は過ぎ去ったと判断した後藤が、何事もなかったかのように言った。
「当時、地図を描いた男を呼んでいる。そいつが埋めた場所を知っているはずだ」
組長が応えた。
「掘り出した後の捌き方は」
「それは慎治に考えさせる」
「総額で幾らぐらいになるんですかな」
組長はいやらしい笑みを浮かべ、後藤が追従した。
「億単位や」
組長の野卑た笑いが頭の中でからからと回った――。
「思い出したか」
慎治の苛立った声で、香取は我に返った。中年の男がソファから身を乗り出し地図を覗き込んでいる。ガラステーブルの上に置かれた地図は手書きのものだった。定規で引かれた大小の四角が並んでいる。東山小学校の校庭と校舎の位置を示していることがわかった。
「へたくそな地図だな」
男の言葉に慎治のこめかみに青筋が浮かんだ。
「この地図と一緒にな、お前の名刺が入っていたんや」
慎治が歯の間から声をひり出した。
「なら、俺が描いたのかな」
「お前、なめとんのか」
肝が据わっているのか、それとも恐ろしく鈍いだけなのか、どちらにしてもあまりこの状況を長引かせると慎治が切れる。
「現場を見れば」香取は割って入った。「埋めた場所を思い出せるか」
慎治は浮かしかけていた腰を、どかりとソファに落とし込み、ちらりと香取に視線を寄越した。
「俺は十年間、この学校にタイムカプセルを卸していたからな。埋める場所はいつも校舎の裏側だった。しかし細かい位置がわかるかどうか……まぁ、埋めた位置にプレートか何か目印が残っているだろう」
「あほか。そんなもんがあったら、わざわざお前を呼ぶわけ無いやろう」
慎治は盛大に貧乏ゆすりをしている。男はふーんと唸り、地図を取り上げた。
「まぁ。何とかなるだろう」
「無駄足は許さんぞ。ぼけ」
慎治がテーブルを蹴った。動いたテーブルの角が男のスネに当ったらしく、顔を顰める。男は大げさにスネをさすった。
「あんたら、一度掘りに行ったと言ってたな」
「それがなんや」
「何で掘った」
「なんやて?」
「タイムカプセルを、何で掘り出そうとしたんだ」
慎治が額に皺を寄せた。
「シャベルとツルハシに決まっとるやろ! スプーンやフォークで掘れるんか!」
「どこに埋まっているかもわからんのに、馬鹿力の男達がツルハシを振り回してどうする。あれにはな」と言って、男は多門慎治を睨みつける。「子供たちの夢が詰まっているんだ」
「ちっ」と舌打ちをして慎治はテーブルに乗り出し、男の襟首を掴んだ。
「やめろ!」
香取は声を上げた。慎治の袖口を掴み、引き戻す。慎治は乱暴な仕草で男の襟首を離すと、ソファに座りなおした。しばし三人で睨みあう。
「明日の予定だったが、今夜掘り出しに行く。あんたも同行するんだ」
香取は男に言った。男は歪んだシャツを直し、頷いた。
「小学校に許可を取ったのかい」
「取れる話だと思うのか」
「いや。聞いてみただけだ」といって男は居住まいを正した。「それで、悪いんだけど手数料をな、前金でくれないか」
なんと、たいしたたまだ。と、半ばあきれた。
「金は掘り出した後だ」
「悪いが金欠なんだ。久しぶりにこっちへ出てきたんだし、少し遊びたい。予定より一日早くこっちに来たんだ。便宜を図ってくれてもいいだろう」
無防備な笑みを浮かべた。噛み付きそうな表情を浮かべた慎治を押さえ、「わかった」香取が応えた。「その代わり半分だ。残りは掘り終った後だ」
男は嬉しそうに頷き、ありがとうと言った。
21
「川上さん」
自宅の前でハイエースに乗り込もうとしていた川上に大村優斗が声をかけたのと、「お兄ちゃん」と理香の声が聞こえたのは同時だった。
川上が動きを止めた。肩ごしに理香の姿が見えた。淡いブルーのブルゾンを羽織り、細身のジーパンを穿いた理香は、首に巻いたタオルの両端を握っていた。優斗を認め、驚いた表情を浮かべている。
「なんだ」川上は車のドアを開けたまま、優斗を見て、理香に視線を移した。「二人揃って」
揃ってきたのではない。川上はこれからタイムカプセルを掘り出しに行く。それに間に合うように優斗は走ってきたのだ。ぎりぎりのところで間に合ったと思ったら、車の反対側に理香の姿があった。
「私の両側に立つのは、目くらまし作戦か何かか」川上は首を右、左と振った。「できれば同じ方向に立ってくれないか。話がしにくい」
「あぁ」
優斗は川上の傍らをとおり理香の横に立った。理香は少し戸惑ったように俯く。昨日の夜会っていたはずなのに、随分久しぶりに再会したような気持ちになった。
「で、なんだね」
「一緒に行きます」と優斗は言った。
「私も」と理香が言った。
「危険だ。暴力団が絡んでいる」
「でも、張真組が掘り出すのは明日の夜よ。関係ないわ。それにやっぱり私、先に掘り出したいの」
「大村優斗くんは、どうして手伝う気になったんだ」
「乗りかかった船だからです」と用意していた回答を口にする。
「船の行き先は変わったんだ。途中下船する理由はある」
「いいんです。付いていきます。それに、僕は理香の手伝いをしたいんです」
理香が横で息を飲むのがわかった。
「なるほど」と川上がうなずく。「では私と大村優斗組んでいこう」
「私も行く。私のことだから。お兄ちゃんや優斗だけに任せてられない」
「幸子の過去はちゃんと処分しておく。私は仕事で行くんだ。大村優斗君は決意で行くんだ」
自分のことは別にして、川上が言った仕事とは何だろうと首を傾げる。そういえば、川上がどんな仕事をしているのか知らなかった。
「お願い、お兄ちゃん。暴力団が掘りに来るのは明日よ。危険はないわ。連れてって」
川上はしばらく思案して、優斗の顔を見た。優斗はうなずく。
「わかった。ただし条件がある。危険なことになれば、すぐに逃げる。約束だ」
三人でハイエースに乗り込んだ。目出し帽は二つしかないと川上が言った。理香はジャケットのポケットからタオルを一枚取り出し、マスクのように口元に巻いた。大きな瞳と長いまつげが目立つ。口元を隠しても、理香の美しさはかわらないんだなと妙に感心した。
学校の空は曇天だった。星も見えない夜。後ろめたい行動を起こすにはおあつらえ向きの夜だ。
「なんだか緊張してきた」
理香は独り言のように呟いた。瞳だけが急ごしらえのマスクの上から覗いている。
「大丈夫だよ」
優斗は根拠のない慰めの言葉を呟いた。理香と視線があった。
「ありがとう」
緊張していた理香の瞳が僅かに緩む。
頷く事しかできなかった。会話のきっかけをつかめた事に安堵する。でも次の言葉が浮かばなかった。
この前と同じ場所に川上は車を止めた。三人で夜の闇に降り立つ。
まず川上がフェンスを越え、理香が続く。理香は思いのほか軽々とフェンスを越えた。川上幸子のイメージと重ならなかった。彼女はいつも一人、教室の片隅で本を読んでいた。自分に自信を持てば運動神経まで向上するのだろうか。
校庭を横切る。今日は昨晩と違い用務員室からも光はもれていなかった。巡回しているのかもしれない。フェンス沿いに足をすすめ、校舎を回りこんだ。広場に出た。優斗は無言で辺りを見回し、一昨日、当たりをつけていたタイムカプセルの埋まった場所を再度確認する。
「ここに掘り返した跡がある……」
理香の声に振りかえる。優斗の在籍していた年度にタイムカプセルを埋めた場所から、数メートルフェンス側に移動した場所の土が荒れていた。踏んでみると明らかに土が柔らかい。この前来た時もあったかどうか覚えていなかった。確認していない場所だ。
「他にも誰かが掘り出そうとしたのかしら」
「そこには何も埋まっていないと思うけど」
「とにかく急いで掘ろう」
川上の掛け声でタイムカプセルが埋められている地点に戻った。川上が地面にシャベルを突き立てる。刃先は地面に少ししか食い込まなかった。予想以上に固い音を立てる。川上は休むことなくシャベルを操った。
「これを使います」
優斗は担いできたツルハシを構え、振り下ろした。重い音がして、刃先三分の一ほどが地面にめり込んだ。もう一度。もう一度。タイムカプセルを傷つけないよう、慎重に。
数回動作を繰り返すうちに、土がほぐれてくる。再度川上が突き立てたシャベルは、半分ほど地面にめり込み、土を掘り返した。
黙々と三人で作業を続けた。頬に汗が伝う。慣れない作業にすぐに手や肩に熱がこもった。理香の吐く息の音を聞いていた。
もし彼女が、川上幸子であることを偽らずに近づいてきていたら、彼女と付き合っただろうかと考える。答えはYESだ。でも仮定の話だ。現実は違う。彼女は別人となり優斗の前に現れた。そして図らずも川上幸子であることがわかった。
――好きなものは好きだ。理由など考える必要はない。
店長の言葉がよみがえる。
優斗は頭を振って今の作業に集中した。何も考えず、とにかく反復運動を繰り返す。背中を伝う汗が、なぜか心地よかった。
「ねぇ」
理香の切迫した声で我に帰った。
「誰か来る」
地面にはシングルベッドほどの範囲が深さ五十センチほどに穿たれていた。カプセルの位置はもう少し下だった。掘り返すにはまだ時間が必要だ。
動作を止め、あたりの様子をうかがった。まずは用務員室のある校舎の方を探るが人の気配はない。
校庭の外周を走る道路の方向が僅かにざわついている。川上がシャベルを置いてフェンス側に移動した。優斗も後に続いた。ちらりと車のヘッドライトが横切ったように思えた。控え目ではあるが、車のドアを閉める音が一つ、二つ、三つ、四つ……。
まっすぐに伸びているフェンスが闇に包まれている辺りで、誰かが乗り越えようとしている。そんな気配があった。
「どうします」
心臓は早鐘のように打ち、警笛を鳴らしていた。声が心なしか震えていた。
「隠れて様子を見よう」
掘った穴の位置まで戻ると、シャベルとツルハシを持ち、校舎の方向に三人は走った。穴を埋め戻している時間はない。腰の高さほどの壁を見つけ回り込むと手足を洗うための蛇口が五つ並んでいた。壁の陰に三人で身を竦めた。
人の気配が広場へと近づいてくる。不用意に懐中電灯の明かりが一筋、校舎の一部を浮き上がらせ、小さな叱責と同時に灯りが消える。優斗たちが隠れる場所から十メートルも離れていない場所に、突如、数人の人影が現れた。
《ここなのか》
ようやく聞き取れる小さな声だった。
《あぁ、ここだ》
身を固くする。どちらも男の声だ。さらに人の気配が増える。
《ここのどこだ》
《まぁ、焦るな》
聞き取りにくかったが、どこかで聞いたことのある声だ。
《場所はこの辺りだ》
《間違いないのか》
《あぁ。あった、確かここだ》
人影は先ほどまで優斗たちが掘り返していた穴の位置に集まっていた。
《なんだ。ちゃんと掘ってるじゃないか。この場所だ》
《地図に示されていた場所か》
《いや、地図の場所とは違う》
優斗は息を殺して人数を数えた。全部で六人程度。背中を向けている。
《地図の場所とは違うが、タイムカプセルが埋まっているのはここだ。もう少し根気があれば、掘り出せていただろうに。あんたら掘り返したままにしていたのか》
《おかしいな。埋め戻したはずだけど》
動揺した若い男の声が続く。
《やっぱり俺たちが掘った場所はそこじゃない》
少し離れた所から声が上がった。
《俺達が掘ったのはこっちだ》
空気に緊張感が走った。優斗は思わず首をすくめた。
《どういうことだ。俺たち以外にも――》
《学校が予行演習で掘ったのかもしれないな》
《予行演習?》
《あり得ない話じゃない。当日、一から掘っていたら時間がかかるからな。先に少し掘っておくことは考えられる。埋めた全生徒のタイムカプセルを掘り出そうというんだろう。そうなるとたいそう時間がかかるからな》
しばらく思案する様子があったが、一人の男が決断を下した。
《よし。とにかく掘ろう。この人数ならどれくらい時間がかかる》
《ものの十分でカプセルの位置まで到達する。カプセルは二つずつケースに入れてある。ケースは全部で四つだ》
《すべて掘り出して持って帰る。中身は後から確認する》
《卒業生の思い出が詰まっているんだぞ。必要なカプセルだけ持って帰るようにできないのか》
《だめだ。選別している暇はない》
三人の男がシャベルを使い始めた。会話していた二人はしばらく言い争っていたが、それも収まり、五人で作業を始めた。
「張真組。ですよね」
川上に囁きかける。
「そうだな。予定を早めたんだろう」
「どうします」
会話している間にも、シャベルの音は力強く続く。カプセルが掘り出されるのは時間の問題だろう。
「そういえば」
張真組が交わしていた会話に違和感があった。それを思い出す。
「さっき、ケースの中にタイムカプセルは二つ入っていて、ケースは全部で四つって言ってましたよね」
川上がうなずく。
「カプセルは六個のはずです。だからケースは三つです」
「確かかね」
「えぇ。案内状にもそう書いてあったと思います。名字の頭文字が速いもの順にカプセルを六つに分けたと記憶しています。僕は大村ですから、ナンバー1と書かれたカプセルでした。理香も……川上だからおそらくナンバー1のカプセルです」
「なるほど。ではナンバー1から6以外のカプセルに、張真組の目的のものが入っているということになるな」
「どうします」
「しばらく様子を見よう」
男たちの作業はみるみる進んだ。校庭に浮かびあがっていた影の背丈が、掘られた穴の深さの分だけ、徐々に低くなっていく。
《やめろ》
人影が一つ、穴に下りて見えなくなった。懐中電灯の明かりが地面に突き立っている。
《取り出せ》
男たちの作業が再開された。しかし今度は、ゆっくりとした動作に変わる。しばらくすると、あったぞと声が聞こえ、一抱えほどの四角いケースが取り上げられた。
《よし。車に運んどけ》
闇夜に乗じて学校の校庭に不法侵入しているにもかかわらず、男たちは声の大きさにそれほど気を使っていない。掘り返しているうちに忘れてしまったかのようだ。逆に優斗の方が誰かに発見されないかと気が気ではなかった。
一人の男がケースを受け取り、お前、車のところで見張っていろと言われ、闇に消えた。続けて次のケースを掘り出しにかかっている。
「行くぞ」
と川上が言った。
「どこへ」
「あいつらの車だ。カプセルを取り戻す」
ちょっと待ってくださいと声をかけようとする前に、腰をかがめたまま川上が走った。仕方なく理香と一緒に後を追う。あれほど危険な事が起これば逃げろと言っていたくせに、ころっと忘れているようだ。
侵入した位置まで戻ると、フェンスを乗り越え車のところまで戻った。人通りはない。ひっそりとしている。シャベルを車に積み込むと、理香を残し、川上と優斗は道路伝いに移動した。張真組が車を止めた位置は、タイムカプセルが埋まっている場所にずっと近い。道を曲がったところで、幌付きのトラックが一台と、その前に乗用車が三台止まっている。
トラックは荷台をこちらに向けていた。運転席の後部窓に小さな赤い光が見える。男が一人運転席でたばこをふかしていた。
人の気配を感じて、川上と優斗はフェンス際にしゃがみこんだ。フェンスの向こうから誰かの呼ぶ声が聞こえ、運転席から男が外に出た。男は路上に降り立つと、フェンス越しにタイムカプセルの入ったケースを一つ受け取った。
「こいつ、さっきのより重いな」
「まだあるらしい。手伝ってくる」
そう言い残すと、カプセルを持ってきた男は校庭に戻って行った。運転席に座っていた男は、受け取ったケースを荷台に積み込み、また運転席に戻った。
無言で川上がフェンスの影を飛び出し、腰を低くして荷台に近づいていく。バックミラーを見られたら終わりだ。優斗も度胸をきめて荷台へと走った。
車の後部に取りつくと、呼吸を整える。無意識に息を止めていたらしく苦しい。
荷台の影に二人して身を沈めていると、川上が突然、自分の掌を拳で叩いた。
夜の闇にパチンと音がして、優斗は口の前に指一本立てて川上を睨みすえた。
君は危険だ。逃げなさいと口だけを動かして言う。ようやく自分の言っていたことを思い出したようだ。
今更遅いですよと優斗は大きく口を動かして言い返した。
確かにそうだなと川上が口を動かし、十分気をつけて行動するようにと自分の事を棚に上げて優斗に説教を垂れる。
もうどうしようもないとあきらめる。この場をどう乗り切るかに全力で頭を使うしかない。
二人してそっと頭を上げた。男はルームライトをつけ、たばこをふかしながら雑誌のようなものを読んでいる。川上は立ち上がり、荷台に積まれたケースをつかんだ。優斗は男から視線を外さず、心臓が口から飛び出さないように押えていた。川上はケースを慎重に持ち上げ抱えたまま、車の陰に腰を落とした。
ケースは固いプラスチックのようなものでできていて、土がこびりついている。
優斗は川上から受け取ると、フックを外してふたを開けた。中には葉巻の化物のような形をしたタイムカプセルが二つ。ナンバ―を確認しようと表面をまさぐるが、街灯の明かりでは暗すぎてよくわからない。
カチリと音がして、懐中電灯の光がカプセルを照らした。
「ひっ」
と思わず悲鳴が漏れる。優斗は全身で光に覆いかぶさるようにして、灯りが漏れないようにした。
無言で抗議する優斗をよそに、川上はカプセルを回転させてナンバーを探した。
照らされた場所にプレートがあった。しかしそこには番号が記されていなかった。もう一つのカプセルにもナンバーはない。
六個の記念カプセルと、そして別の目的で埋められた二個のタイムカプセル。その二個の方だ。
川上が無造作に立ち上がった。あまりにも大胆な行動に卒倒しそうになるのをどうにか堪え、ズボンを引っ張ってしゃがませようとした。ようやくしゃがんだ川上の手に、もう一つのケースが握られていた。
優斗は心臓の位置を叩き川上に訴えた。川上はにやりと笑い、また無造作に懐中電灯を点け、慌てて優斗が両手で光をさえぎる。ケースの中のカプセルにはナンバーが降られていた。ナンバ―1と、ナンバー2。
これです。と口の形で訴える。
川上はカプセルをケースに戻し、優斗に渡すと、もう一つナンバーが降られていないカプセルの入ったケースを掴むと、一目散に走りだした。
連鎖反応で優斗も続く。おそらく一拍でも遅れていれば、腰砕けで立てなかっただろう。
フェンスの向こうから人の声がした。くぐもった意味のなさない声が、鋭い声に変わる。
後ろを振り返らずに必死に走った。
「何やってんだ! ウメキ! 盗まれたぞ! 追え!」
見つかった。全速力で走った。ケースを二つ抱える川上は、肘を横に張り、まるで驚いたエリマキトカゲのように走る。
車に戻ると、ハッチバックを開けて中にケースを放り込んだ。理香が後部座席で目を丸くしていた。追っ手の姿を確認するがまだ大丈夫だ。
「逃げよう」
川上がのんびりとした声で言い、声とは裏腹に素早い動作で運転席に乗り込む。
「そのカプセル、どうするつもりなんですか」
疑問を投げかけながらも、返事を期待せず、優斗も助手席に転がり込んだ。川上がエンジンをかけ、ギアをバックに入れる。前方からトラックがバックで迫ってきた。反転する時間を惜しんだのだろう。細い道を右左に揺れながら近づいてくる。その向こうに、走ってくる人影も見えた。
川上がアクセルを踏み込んだ。ハイエースは勢いよくバックすると、T字路をそのまま越え、停止する。
川上はシフトレバーが折れるのではないかと思うほど、素早くドライブに入れ、アクセルを踏み込んだ。
一瞬、タイヤが空転したあと、グリップを取り戻し、車体を横揺れさせながらT字路を左折した。
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