第4話
6
校庭からアクマの声が聞こえた。ドッジボールをしているのだろう。ボールを回せと怒鳴っている。女子の黄色い声が広がって、わっと笑い声が弾けた。ゲームの決着がついたのだろうか。ボールを投げあう音がやみ、話し声が聞こえる。チーム分けを変えているのかもしれない。
川上幸子は読み終わった本を閉じた。
窓側、一番前の席。できれば、一番後ろの席がよかったけど、この前の席替えでここになってしまった。隣の席はアクマの手下のドラ。大きいから前が見えないと、後ろの席の子に囃し立てられ、苦笑いしていたドラは、幸子の隣の席だとわかると、わざとらしく顔をゆがめ、「うわ。ばい菌の横じゃん。誰か席変わってくれよー」と言ってみんなの笑いを取っていた。
幸子は本を鞄にしまうと、ノートを取り出した。まだ昼休みは少し残っている。絵を描いて過ごそうと思った。自由帳の表紙にボールペンで落書きされているのを見ないようにしてページをめくる。
目がくりんとして、きれいなドレスを着た女の子の絵、きらびやかなネックレスをした毛足の長い犬。頬を染め、流し目を送るネコ。
絵を描くのは好きだった。理想や幻想に浸れるからだ。
かわいい女の子の絵をたくさん描いた。女の子はいつも笑っている。横にはかっこいい男の人がいて、二人は手を繋いでいる。いつも同じ男の人を書いた。女の子の彼氏で、女の子の王子様。困ったときは必ず助けに来てくれて、泣いているときはいつもやさしく慰めてくれる。
まだ何も描かれていないページを広げた。今日はどんな姿を描こうか。一番右端に、みすぼらしい格好をした女の子を描いた。その絵は簡単に描く。着色もしない。HBの鉛筆をさっと走らせただけの絵だ。
その横に赤いドレスを着た女の子を描く。目を大きく、まつげを長く、頭に王冠を載せ、首には真珠のネックレス。みすぼらしい女の子が、きれいに着飾ったときの姿。ほんとは魅力的で、可愛い女の子。今は貧乏なだけ。いつか王子様が来て、彼女をお妃として迎えるのだ。
教室の後ろでごとりと音がした。ぴくりと体を震わせ、背中に意識を集中する。ゆっくりと椅子を引く音がする。本をめくる音。きっと、シャルルだ。そう思った瞬間、体が緊張で固まった。
彼の姿を想像する。柔らかい髪。一重だけど知的そうな目。細い顎。おそらく一人で本を読んでいる。何の本だろう。
描き始めた絵は途中で止まって、鉛筆の先が紙面の上を無意味に流れる。息を潜め、シャルルの気配を感じ取っていた。振り返って確認する勇気はない。もちろん話しかける勇気なんて、一生分を掻き集めても足りないだろう。もし、話しかけられたりすれば心臓が飛び出してしまうかもしれない。想像するだけでバクバクと心拍数が上がった。
彼だけが幸子を苛めない。でも、苛めない代わりに助けてもくれない。助けて欲しいなんて、無理な要求だとわかっている。クラス全員が苛める幸子を助けたりしたら、彼もただではすまないだろう。
このクラスの番長、アクマは裏切り者を許さない。そしてクラス一番の人気者のカトリーヌは、泣きほくろの上の、二重瞼の目に嫌悪感を漲らせて、裏切り者を罵倒するだろう。だから、シャルルに多くを望んではだめなのだ。
シャルルとは二年生の時も同じクラスだった。席が隣になったこともあり、読書と言う趣味が合ったこともあり、よく二人で話をした。あの頃は幸子もみんなと普通に話をしていたし、特に苛めを受けることもなかった。
六年生で久しぶりに同じクラスになった。シャルルからはあどけなさが消え、すごく男らしくなったように思えた。勇気を持って幸子は話しかけた。この本、おもしろいよ。読んでみてと言って一冊の文庫本を手渡した。シャルルもありがとうと言ってくれた。まだ、アクマたちの苛めが始まる前だった。
楽しかった日々が、いつしかこんなことになってしまった。それからはシャルルも、そして他のみんなも遠い存在になった。
幸子は集中できなくなって、ノートを閉じると、鞄から図書館で借りた二冊目の本を取り出した。一昨日借りて、もう三分の二を読み終えている。『ドリトル先生アフリカゆき』。イギリスの片田舎に住むドリトル先生はオウムのポリネシアに、全ての動物に言語があることを教えてもらう。動物語を話せるようになったドリトル先生のもとに、噂を聞きつけた動物達が集まってくる。
家政婦を務めるアヒルのダブダブ、先生の助手である犬のジップ。フクロウのトウトウに、豚のガブガブ。どれも魅力的な登場人物ばかりだ。ドリトル先生シリーズの全十二冊は図書室に並んでいる。まだまだ楽しむことができそうだ。
動物と話ができたら、どんなに楽しいだろうと思う。彼らの中にも意地悪な者はいるだろうけど、少なくとも彼らは幸子の容姿をからかったり、それを理由にのけ者にしたりすることはないだろう。
紐の栞を閉じ込んだページを開き、思わずひっ、と声をあげそうになった。ページ一杯に落書きをされていた。湯気をたてるうんこのマークが描かれている。とげとげしたトサカを持つ鶏の絵や、異様に歯の飛び出した人間の横顔。いつ書かれたのだろうか。借りたときにはなかった。
慌てて指先で擦ると線が掠れる。怒りと悲しみと合わせて、安堵の気持ちが流れる。鉛筆で書かれたものなら消すことができる。
消しゴムで落書きを消しながら、幸子は苛めっ子からロバみたいだと揶揄される前歯を食いしばった。逃げだしたかった。すべてから、逃げだしたかった。
傍らに人の気配を感じて消しゴムで消す指先は震えた。顔をあげず足もとに目をやる。上履きに名前が書かれていた。ジャンヌとしっぽだ。二人ともカトリーヌの取り巻きで、クラスの女子の間でも幅を利かせている。
しっぽは色黒で痩せている。まるでどぶに落ちた鼠のような顔をしているのに、みんなと一緒に幸子を苛める。自分の立場をしっかり理解している彼女は、いつもカトリーヌやジャンヌの機嫌を取っている。
ジャンヌは大柄で、スポーツ万能。自尊心が強く、意地悪。カトリーヌと性格は似ているけど、器の大きさでカトリーヌに劣るため、ナンバー二に甘んじている。そのことを理解しているのか、彼女はその鬱憤をカトリーヌ以外の人間にぶつける。その格好の標的が幸子だ。
「一人で何してんのよ」とジャンヌ。
「やだ。この子借りた本に落書きしたんじゃない」としっぽが言う。
悪戯されたのと言っても無駄だ。知っていて言っているのだから。幸子は消しゴムのかすを床に落とした。
「ちょっと! 消しゴムのかすをかけないでよ!」
ジャンヌがスカートをはたいた。彼女と反対側の床に落としたのに、とんだ言いがかりだった。それでも小さくごめんなさいと謝る。
「掃除しときなさいよ。ただでさえあんた汚いんだから。床まで汚したらみんなの迷惑でしょ。ねぇ、そう思わない」
ジャンヌは教室の後ろに向かって声をかけた。幸子は身を硬くした。シャルルに話しかけたのだ。有無を言わさず同意を求めている。それで、仲間かどうか確認しているのだ。
「なに?」
シャルルの声が聞こえた。幸子は本に目を落としたまま息を潜めた。机に両肘をつき、両手の指で顔を覆う。
「この子、汚いことばかりするのよ。あんたも注意してよ」
一瞬、躊躇いの雰囲気があって、「あぁ、そうなの」とシャルルが応えた。
「こいつさ。私に消しゴムのカスをかけたのよ」シャルルのはっきりしない反応に苛立ち、ジャンヌが重ねる。「最悪だと思わない」
――相槌を打って。お願い。
と幸子は思った。その反面。すぐに同調しないシャルルのことがうれしかった。でも、相槌を打たなければ、明日からシャルルも苛めに遭うだろう。
「まぁ、そうだね」
シャルルが立ち上がるのがわかった。本を鞄にしまう音。ゆっくりとした足音を残して、彼は部屋を後にした。
「何よあいつ」
ジャンヌがつぶやく。それ以上は言わない。彼女は以前から彼に対して好意を抱いている。だから、この程度のことなら、カトリーヌに告げ口することもないだろう。幸子は胸を撫で下ろした。
「ちゃんと、掃除しなさいよ! ばい菌!」
怒りを幸子にぶつけて、ジャンヌとしっぽは部屋を出て行った。
――私はシンデレラ。
幸子は小説を読んでいる振りを続けたまま、ぎゅっと目を閉じた。
――大丈夫。あの子たちは悪役なんだもの。私には必ず幸せが来る。絶対来る。王子様が、やってくる。
7
昼過ぎに常連客が、アカヒレの稚魚がたくさん生まれたので引き取って欲しいと持ってきた。アカヒレは大きくなっても三センチぐらいの熱帯魚だ。養殖ができるから安価だけど、きれいな魚体をしている。好きな魚の一つだった。
大村優斗は水あわせを終えたアカヒレの稚魚を、プラケースからゆっくりと水槽に放っていた。有茎草の生い茂る小さなジャングルに稚魚たちはてんでバラバラに散らばっていく。
「やぁ」
と背後から声をかけられた。振り返ると半分降ろしたシャッターの下から、誰かが腰をかがめ覗きこんでいた。
「すいません。もう閉店なんです」
優斗はシャッターの向こうに声をかけると水槽に視線を戻した。稚魚たちは新しい世界に好奇心と不安を称えながら、次第に一カ所へと集まりだす。臆病な性格の魚ではないから、明日になれば馴染んで、先住魚とともに群れを作っているだろう。
「大村優斗くん」
名前を呼ばれて、「はい」と答えていた。
店内を覗きこんでいた男が、シャッターをくぐり中に入ってきた。背の高いシルエット。手に何かを持っている。その強引な潜入に思わず立ち上がって身構える。こんな小さくて、売り上げもたいしたことのない水草屋に強盗が入るわけはないと思いつつも、何か戦えるものはないかと脇にあったホースを握りしめた。
「君の財布を取り戻してきたよ」
「え?」
明かりの下に顔を出した男は、繁華街の公衆便所で遭遇したおせっかいな男だった。手に、見覚えのある黒い財布をひらひらさせている。
あのときは興奮もしていたし、傷心状態だったから、男を観察する余裕もなかったが、こうして目の前に立った男は、思ったより長身で、予想外に整った顔立ちをしていた。名前はなんと言ったか。思い出せない。
「いらないの?」
すぐに返事をしない優斗に、じれたように男はぱたぱたと音がするぐらい財布を上下に振った。
「これだけ振れるということは、中身はたいしたことないんだろうけど」
「ありがとうございます」
男の物言いに少々憮然としながらも、わざわざ届けてくれたことは間違いないので、礼を述べ、財布を受け取った。あの場で取り返してくれたのだろうか。それならば丸二日、男が預かっていたことになる。
「でも、どうしてここが」
「財布の中に、この店の名刺が入っていた」
男は中身はたいしたことないなと予測しながら、ちゃっかり中身を確認していたことをばらした。
「仕事が忙しくてね、もっと早く届けるつもりだったんだが今日になってしまった」
「よくあの連中が返してくれましたね」
「技を使ったんんだ」
済ました顔の男に、疑問をぶつけてみた。
「てっきりあの黄色頭と知り合いかと思いましたよ」
「黄色頭……あぁ。彼とは知り合いではない」
「適当に名前を呼ぶなんて驚きました」
「日本人の名字で一番多いものから五位までを並べてみたんだ。それだけで百八十万人の人間が対象になる。日本の人口は約一億二千万人。相手の数を考慮すれば正解する確率は三%だった。しかし外れた。六番目以下に並べた名前は私の直感だ。結果的に私の勘が当たったわけだ。近藤はベストテンにも入っていないんだがらね。ひらめきは大切だ」
「計算がおかしいですよ。相手は三人だから確率は四.五%のはずです」
「傷はだいぶ治ったみたいだね」
無視された。
「えぇ。おかげさまで」
男はにこりと笑ったので、優斗も愛想笑いを返す。じっとこちらを見つめる男の視線に、やっと気付いた。財布を届けてもらったお礼をしなければならない。
「ほんとにわざわざ届けていただいてすいませんでした。あの……お礼と言ってはなんですが」といって優斗は財布の中身を確認する。記憶通り五千円札が一枚に、千円札が三枚。小銭が少々。クレジットカード、コンビニのポイントカード、そしてレンタルショップのカードが一枚。
その中から、千円札一枚を抜き取る。落し物を届けた人には一割を渡すのが相場だと聞いたことがある。今回は危ない目をしてまで財布を奪い返してくれたのだから、もう少し上乗せすべきかと悩んだが、完璧に義理を果たせるほど恵まれた生活環境に無いので千円で割り切る。
「くれるの?」
「少ないですが」
「いいよ。いらない。機会があれば、今度は君が私を助けてくれればいい」
できれば受け取って欲しいのに、男はややこしいことを言った。
そういう機会を作るつもりはない。財布を取り戻してくれたことに感謝はしているけど、それだけの関係だ。これから会うこともないだろうし。
気持ですからと言ってみたが、男は手をひらひらさせて受け取ろうとしなかった。
それでは、お帰り願おうと、「すいません。わざわざ届けてくれて、ありがとうございました」と頭を下げる。心の中で半開きのシャッターに誘導する。
「ふーん」
男は優斗の思いなど我れ関せずで、店の中を歩き始めた。
これから家庭教師のアルバイトが入っている。派遣会社の紹介で中学二年生の男の子を教えていた。優斗が卒業した東京の私立大学は、大阪での人気が高い。登録した翌日に紹介があった。
場所は優斗のアパートから自転車で十五分。店からなら五分。家庭教師の時間は一時間半。約束の時間は六時半だが、早く来られる分には構わないといわれていた。早く行けばそれだけ早く終わる。
今夜は、理香が家に来ることになっていた。昨日の穴埋めに会いたいと理香が電話をくれたのだ。だから早く帰って掃除もしたいし、シャワーも浴びておきたい。
帰れ帰れと念じながら、男に背を向けて水槽のチェックに戻った。
「ねぇ。大村優斗くん」と背中越しにフルネームで呼ばれる。
「なんですか」
「ほら、これ」
仕方なく振り返る。男は壁に貼られたターナの絵を指差していた。
「あぁ、本物じゃありませんよ」
「見ればわかるよ。ポスターだ。ジョゼフ・マロード・ウイリアム・ターナ」
男は作者の名前をフルネームで言った。雑誌の付録でついていたという印刷物を、店長は額縁に入れ百二十センチ水槽の上に飾っている。
ターナは十八世紀から十九世紀に活躍した画家だ。雨にけぶるテムズ河の鉄橋を蒸気機関車が白煙を拭き上げ、空気を蹴散らして疾走する絵だ。
「君もこの絵が好きなの」
「僕はあんまり……」
「どうして」
男が探るように視線を投げかけてくる。
絵がどうしたんだと問い返したくなる。これだけたくさんの独創的で優美な水槽に囲まれているのに、あなたはなぜ壁に貼られたポスターに興味を示すのかと。
「抽象的すぎます」
素っ気なく応える。この点については、ただの好みの問題だろうと思う。ターナは印象派のモネにも影響を与えたと言われているイギリスの風景画家だ。代表作にはトラファルガーの戦いや、戦艦テメレール号など、海を題材にしたものが多い。
「印象派の作品は嫌いなのかい」
首を振る。そんなことはない。モネの作品は好きだ。彼の絵を観に瀬戸内海に浮かぶ小島にある美術館まで一人で行ったことだってある。モネの展示場は白い壁と、キューブ状の石がはめ込まれた床に囲まれていて、正面に巨大な睡蓮の絵が飾られていた。その、色彩豊かな印象的な絵に魅せられ、三十分間も眺めていた。
「ターナは嫌いだからという理由で、緑色を使わないんです」
「君は緑色が好きなのか」
「えぇ。好きですよ」
緑色が嫌いで水草を売る店でバイトしないだろう。
「好き嫌いはともかく、緑には緑の良さがあります。嫌いだという理由で使わないのはどうかと思うんです。ターナは緑色のものをどうしても書かなければいけない時も、他の色を使ったんです。それではその物の本質は描けないと思うんです」
店長がターナを好きな理由はわからない。個人の趣味だから、悪いとも思わないが、やっぱり草木を表現するのに緑色は不可欠だと思う。
「緑色のもの? たとえば」
「山とか、樹木とか」
「水槽の中の植物とか?」
男は背中を屈めて水槽を覗きこむ。
ほぼ初対面の相手に思わず熱く語ってしまった。この男には、どこか突っ込みたくなるような雰囲気があって、ついつい必要以上に会話をしてしまう。もしかしたら意外と波長が合うのかもしれない。
「おもしろい意見だね」
「それが本質だと思います」
「本質……しかし」男はもう一度絵に目をやり、じっと見つめた。「この絵の本質は、ここにあるよ」
意味がわからなくて、改めてポスターに目を据えた。
「画家が描き方をどう変えようと本質は変わらない。水飛沫は水飛沫。機関車は機関車。大気は大気。それに実存は本質に先立つという考え方もある。ターナによって描かれた水飛沫は、そこで初めて実存することで、本質を見出されるのかもしれない」と続ける。
何を言っているのか理解できなかった。
男はしばし黙り込んだ。優斗は気にしないようにして片付けを急いだ。もう一度、帰れ帰れと背中で念じた。
「ねえ、君」
と声をかけられ、思わずため息をついていた。
「私は川上秀和だ」
「そうですか」
「君は大村優斗だ」
「そうですね」
「やはり、君が私とは一番合うな」
「何がですか」
「波長が」
「は?」
川上秀和は、何事か呟いて一人で納得するように何度か頷いた。
「私も暇ができたら、この水槽の中の草を育ててみよう。また教えてくれたまえ」
川上秀和はそう言って店を出て行った。
優斗は肩をすくめ、慌ただしく店じまいを続けた。
8
目黒浩一はシーマを砂利敷きの駐車場に入れた。駐車場には既に数台の車が納まっている。夜気が冷たい。薄いジャケットを通して冷気が肌まで染み透ってくる。砂利敷きの駐車場を抜け道路を渡った。
雑居ビルが軒を連ね、ビルから突き出した飲み屋の看板がぼんやりと灯りを放っている。二つ三つおきに、明かりが消え、一部が破損した看板が挟まっていた。この街にも徐々に死に絶えた看板が増殖している。
雑居ビルの一つに張真組の事務所がある。ビルには小さなエレベーターが一基設置されていたが、ランプが五階に点いていたため階段で三階まで上がった。短い廊下の突き当たりに組事務所がある。
「失礼します!」
扉を開けると声をかけて中に入った。廊下の突き当たりに図体のでかい男が一人いて、目黒を認めると挑戦的な視線を投げかけてききた。佐久間という男だ。見張り番を言い渡されているのだろう。
佐久間は若頭代行を勤める多門慎治の取り巻きの一人だ。張真組に籍を置いたのは目黒より一年ほど早いから先輩に当たるが、指示系統が違う。基本的に上下関係はない。
佐久間は柔道の有段者で、相撲部屋からも誘いがあったらしい。そのためか、同じ肉体派の目黒にライバル心を抱いている様子だった。
絡めてきた視線を正面から受けた。ご苦労さんと声をかけてやる。餃子のようにつぶれた耳がぴくりと痙攣した。睨みあったまま最後まで視線を逸らさず事務室の扉を空け中に入った。
扉の右手に事務机が四つ並んでいて、壁にホワイトボードが貼られ、執行役員のスケジュールが青色のマーカーで書かれている。
いずれそのホワイトボードに名前を連ねるのが目黒の目標だった。そうなれば夢に描いていた裕福な暮らしが手に入る。石塚のばあさんをハワイに連れて行くのもたやすいだろう。
張真組での目黒の立場はまだ低い。もう少し地位が上がれば、高校時代からつるんでいる近藤やコウタもヤクザの世界に誘うつもりだった。あの二人はやりたい事もなければ、現状を打破したいとの思いもない。ただ漫然と日々の生活を送っている。このまま放っておいたら、街のチンピラで一生を終えるのが落ちだ。
「お前が書いた地図じゃないのか!」
声がした方向に視線を飛ばした。窓際でコードレス電話を耳に押し当て、多門慎治ががなりたてていた。不機嫌そうに顔をゆがめている。顎に蓄えた薄い髭。剃り上げた眉。夏は終わったのにノースリーブのTシャツを着て、それなりに鍛えられた丸い肩をむき出しにしている。精神的にいつも興奮状態にあるのか、たいてい顎を突き上げ、上ずった声で話す。
「つべこべ言うな。明日の夕方までにこっちへ来い!」
奥のソファに組長の多門一樹の姿を見つけた。
「お疲れ様です!」目黒は驚いて大声で挨拶をした。
受話器を握った多門慎治が目黒に苛立った視線を向ける。
組長の対面のソファに、総務部長の香取新平、組長と四分六の盃を交わした弟分の後藤聡が腰を降ろし、ソファの後ろで組長付の用心棒、小柴が立っている。
目黒は香取と後藤にも頭を下げた。香取新平は目黒にとってヤクザ家業の師匠のような存在だった。組員になって半年間の組長自宅住み込みを経験した後、香取の手伝いとして一年間、この事務所で寝起きしていた。
香取は張真組が経営するフロント企業の統括責任者だ。つまり張真組の表の顔のトップ。
現在、ナンバー二の若頭のポジションは空席だ。組長の一人息子である多門慎治が若頭代行を務めている。組長は、いずれ慎治を若頭に据えるつもりなんだろうと兄貴分は漏らしていた。
粗野で短絡的な慎治か、人望も厚く組員にも人気がある香取か。目黒も含め組員の多くが後者を望んでいる。
目黒は壁際に移動した。事務所に集められた若衆は目黒を入れて四人。全員が落ち着きなく突っ立っている。
「いつ来れるんや。三日後?……遅すぎるわ! 何とかしろ!」
多門慎治は薄い唇をふるわせて怒鳴った、顔は飢えたドーベルマンのように凶暴化している。電話の相手は、慎治の顔が見えないことを感謝しなければならない。
「何でもいいから一分でも早くこっちへ来い……あほか、金は後払いや。あまり調子に乗るなよ。いいか、わかったな!」
乱暴に電話を切ると、膝から下を投げ出すような歩き方で、組長に近づき、なにやら耳打ちをした。組長が唸り声を上げ舌打ちをした。
一体何事が起こったのだろうか。
ここまでの道中、車を運転しながら理香とのデートをぶち壊された恨みをぶちまけてきたが、今は好奇心の方が勝っていた。
召集の電話をかけてきたのは兄貴分の大藪だった。今は姿が見えない。大藪は多門慎治のことをひどく嫌っていた。おそらく慎治が事務所に来ると同時に、何か理由を付けて事務所を出たのだろう。
組長が多門慎治に何か言い、ソファに居並ぶ幹部連中に一瞥をくれる。
張真組は八祖会系広域指定暴力団の三次団体に当る。先代の張真大吉は十代で八祖会系児玉組の構成員になり、持ち前の胆力でのし上がった。四十歳のとき児玉組の若頭となり、二年後に独立して張真組を設立した。設立後十年間、八祖会の躍進と呼応して勢力を拡大。一時は構成員八十名を数える組織となっていた。
バブル経済崩壊と暴力団対策措置法の施行により、民事介入で利益を上げていた暴力団組織が多大な損害を受ける中、張真組は危険を承知で収入源をシャブの売買に移行した。わずか十年で組織が拡大できたのは、張真大吉の手腕と、麻薬密売からくる潤沢な上がりによるところが大きかった。
十二年前、麻薬密売を中心とした八祖会系暴力団の暗躍に業を煮やした警察は、全国的な摘発を敢行した。そのきっかけを作ってしまったのが、張真組だといわれている。
張真組が麻薬を捌かせていたバイヤーの一人が自殺したのだ。警察がこのきっかけを逃すわけがなかった。関西を中心に北は中部地域から南は九州まで広がっている八粗会はトップから末端まで警察の連合軍から執拗な調査の対象とされ、諸団体の幹部数十人が起訴される大事件となった。
徹底的な調査にも拘らず、バイヤーが所持していた麻薬と張真組とを繋げる物証は出てこず、張真組の崩壊は免れた。しかし張真組は親組織である八祖会に多大な損害を与えることになった。組長張真大吉の破門、組織は解散に追い込まれても仕方のない失態だったが、上層部から張真大吉の人柄を惜しむ声もあり、児玉の取り成しにも救われ、張真大吉は小指一本と引き換えに、組織の存続を許された。
張真大吉はこれを機に麻薬売買からの撤退を決定している。
噂では当時張真組の若頭を務めていた多門一樹は撤退に強く反対したという。しかし張真大吉は多門の進言を退け、麻薬からは手を引きフロント企業の充実を図った。不動産業や風俗業はバブルが崩壊したため旨みのある商売ではなくなっていたが、堅実にやればそこそこの売り上げは見込めると判断したのだ。
香取新平が張真組構成員になったのはそんな時期だった。香取はすぐに経営部隊に配置された。その後数年で手腕が評価され総務部長に大抜擢されている。
香取の前歴は定かではない。噂では東京の大学で経済学を学んだ後、金融機関に就職していたらしいとのことだった。
張真大吉が病死した後、多門一樹が跡目を継ぎ、その結果、若頭になると思われていた香取新平は総務部長に据え置かれている。
「いつか香取さんが造反するんじゃないか」
大藪が漏らしていた。どこか期待しているような口ぶりだった。
張真組の代紋のためなら死ねると思っている構成員は少なくない。しかし組長の多門一樹のために死ねる組員は少ない。それが張真組の現状だった。
組長と後藤が立ち上がり、小柴を連れて事務所の出口へと向かった。
目黒を含め壁際に並んだ若衆は、ご苦労様ですと口を揃え一斉に頭を下げた。
事務所には総務部長の香取と、若頭代行の多門慎治が残った。慎治は大きく溜息をつき、今しがたまで組長が座っていたソファに腰を落とした。
ジャケットのポケットから煙草を取り出す。さっきまで玄関で張り番をしていた佐久間が大きな体を揺すってソファに走り寄るとライターをかざした。
「おめえら、夜中にご苦労やったな」
慎治が細い目を更に眇めて紫煙を燻らせる。
「これから一働きしてもらうつもりやったが、先送りになった。三日後に変更や」
多門慎治は薄い唇をゆがめて、壁際の男達を見回した。
「土を掘ってある物を掘り出してもらう」
「ある物って、なんですか」
目黒は口を開いた。
「あぁ?」
まるで目黒を初めてみるかのように、慎治は足の先から頭の先までねめまわした。
「大藪のところの力持ちか」
「目黒です」
「知ってるよ。地面掘るのにうってつけの奴はいないかと大藪に聞いたら、お前の名前を出したんや。空手やってるんだって。佐久間とどっちが強いかな」
慎治は薄い唇をゆがめ、餃子の耳に視線を移す。
佐久間が見えない鎖に繋がれた番犬のように身を乗り出した。糸のような目の奥で黒い瞳が剣呑な光を放っている。
無防備に乗り出す佐久間の顔面はがら空きだった。必要とあれば一瞬で床に這いつくばらせることができる。
「兄貴」
佐久間の横で様子を伺っていた梅木という男が割って入った。兄貴分の機嫌を推し量り行動するのに長けた男だ。
「もったいぶらずに教えてくださいよ。何を掘り出すんです」
へつら笑いを口元に浮かべ、まるで揉み手でもするかのように両手を組み合わせている。集められた四人の若衆のうち、目黒以外は普段から慎治に取り入っている連中だった。
慎治はうすら笑いを浮かべ、目黒から視線を逸らすと、わざとらしく体の向きを変え、あとの三人に向き直った。
「まぁ。どうせわかることやからなぁ」
目黒は慎治の頭越しに香取新平の横顔を窺った。ソファに深く腰掛け煙草をふかしている。慎治は香取の方を一度も見ようとしない。上位にある総務部長を無視した形だ。
慎治の行いは礼を欠いている。しかし香取は相手にしない。これまでもそうだった。全て黙殺してきた。ヤクザは面子を第一に考える。香取にはそういったところがない。
香取のことは好きだった。人間として惚れていた。だから慎治の無礼な振る舞いが余計に腹立たしい。
「春日井」慎治が一番年嵩の若衆に声をかけた。「教えてやれ」
春日井は張真組に入って十年になる。慎治より四つほど年嵩だったが、気の小さい男でうだつが上がらない。慎治の腰ぎんちゃくになることでどうにか兄貴風を吹かせているような男だった。
必要以上にもったいぶった態度で一歩前に踏み出すと、腕を組みこちらに向き直った。
「ある物ってのはな、タイムカプセルのことや」
言い終わると反応を楽しむように、たるんだ頬を緩ませて三人の顔を順繰りに見た。
「タイム……なんすか。ドラえもんのあれすか」
梅木が応える。
「あほ。あれはタイムマシーンや」
慎治が笑った。梅木と木偶の坊の佐久間も追従の笑みを浮かべる。
「タイムカプセルちゅうたら、お前ら知らんか? 思い出の品とか大事なもんを地面の下に埋めとくんや。ほんで二十年後とか百年後に掘り出して昔を懐かしむんや。大阪万博のときもどっかに埋めとったで」
大阪万博なんて、兄貴知っているんですかと梅木が言い、耳学問やと春日井が応えた。
「一度、春日井と相馬と三人で掘りに行ったんやけどな、場所がちごうてたみたいでな。出てこんかった」
慎治が口を挟んだ。
「どこです」
「東山小学校の校庭や」
慎治の意外な言葉に目黒は首を傾げた。ヤクザと小学校というあまりにも奇異な取り合わせに、想像力が働かない。小学校の校庭に埋まったタイムカプセルをなぜやくざが掘り返すのか。
「東山小学校って兄貴の母校でしょう」梅木が言った。「まさか、そのタイムカプセルには兄貴が埋めた思い出の品が入っているとか……」
「おもろいな、梅木」
慎治がにやりと笑い、俺が埋めたのは年代物のビニ本や、お前らには刺激が強すぎるやろとつまらない冗談を言った。
慎治は靴のまま前のソファに足を投げ出した。横に座る香取を無視して、煙草を旨そうに燻らす。香取は相変わらずさっきと同じ姿勢のまま何かを考え込むように視線を空中に据えていた。
「埋めた場所の地図があるんやけどな。間違えとるんや。今、地図を書いた奴と連絡をとっとる。そいつがこっちに来るのが三日後や」
さっきの電話がそうだったのだろう。
「掘るのにどれくらいかかるかわからん。だから体力のありそうなお前達を集めたんや。細かいことはまた連絡する。よろしく頼むわ」
慎治は立ち上がると、ねぎらうように春日井、佐久間、梅木の肩をポンポンと叩いた。目黒の前は尊大に胸を反らせ素通りした。
「で、そのタイムカプセルの中身は……」
梅木が慎治の後に続く春日井に小声で尋ねた。
「お前ら下っ端は知らんでもええねん。機密事項や」
慎治が振り返って応えた。そのときだけは目黒に視線を合わせ、ふっと厭らしい笑みを浮かべた。
慎治はようやく香取に向き直り、お先に失礼しますと頭を下げた。芝居がかっていて、慇懃無礼な態度だった。
春日井と佐久間を伴って慎治が部屋を出ると、今日の泊り込み当番に当っているらしい梅木は机に出ていたコーヒーのカップを下げ、厨房で洗い物を始めた。
目黒は香取に近寄り挨拶をした。
「遅い時間に、悪かったな」
香取は目黒に、前のソファに据わるように進めた。
「失礼します」
香取ならもう少し詳しい情報を教えてくれるだろうと期待していた。香取は深夜にも拘らず仕立てのいいグレーのスーツを着ている。短く刈り込んだ頭髪と、スーツを押し上げる胸の筋肉がなければ、エリートサラリーマンに見えるだろう。
目黒も約一年、香取の鞄持ちのようなことをして仕事を仕込まれた。肉体派を自認する目黒にとって、あまり向いているとはいえない仕事だったが、香取の仕事ぶりを見ていると、自分でもやってみたいと思うようになった。仕事への張り合いも感じていた。そのままずっと香取の下で働くことになるのかもしれないと思っていた。
しかしある日、香取に呼び出され、風俗店の用心棒や、借金の取立てなど、荒事を担当する部隊に回るよう言い渡された。しばらく、あっちの飯を食ってこいと香取は言った。
荒事を総括していた兄貴分が、傷害事件を起こしお勤めに行くことになった。しばらく帰ってこられないから、補佐役だった大藪がその後釜に座り、補佐役に目黒が抜擢されたのだ。栄転だった。
配置替えの前日、香取は行きつけのキャバレーに連れて行ってくれた。盛大に祝福してくれた。随分酒の入った頃、香取は目黒の傍らでウイスキーのグラスを傾け、「どの世界でも、伸し上がることは必要だ。お前ならヤクザにならなくても他の道で成功できるだろう」と言った。
香取の下での働きを評価してくれていたのだと思った。そして目黒を手放すことを残念に思ってくれていると。
今はまったく別種の仕事をしているため、顔を合わせるのは週に一度程度だった。しかし顔を合わせれば必ず声をかけてくれた。
目黒はソファに浅く腰を下ろし次の言葉を考えた。難しい顔をしている香取にうまく自分の聴きたいことを尋ねる術を持ち合わせていない。しばらくして香取が口を開いた。
「目黒。お前、一緒になりたいと思っている女はいないのか」
「なんですか。突然」
「いるのか」
「いえ。好きな女はいますが、まだ……」
理香の顔が脳裏を過ぎり、そして、快活な笑みを浮かべる相馬好美の顔に切り替わった。心の中で頭を振り、それを押しのける。
「なんだ。手間取っているのか」
香取の表情が少し和らいだ。時おり見せる表情だ。この表情に、目黒は香取の愛情を感じ取っていた。父親が息子に見せる表情ではない。兄が弟に見せる表情。目黒には親も兄弟もいなかったが、ふっとそんなことを想像させる笑みだ。
「そんなとこです」
「その娘と身を固めて、足を洗う気はないか」
「は?」耳を疑った。「どういう意味ですか?」
香取のことは兄のように慕っている。どの兄貴分よりもよくしてくれている。尊敬もしている。だから意味合いによってはその言葉の衝撃は大きい。思わず聞き返した声が尖っていた。香取は目黒の視線を捉え、表情を和らげたままだった。
「言葉通りの意味だ」
「俺にはヤクザとしての才能がないという意味ですか」
梅木は奥の事務机で雑誌を読んでいる。聞こえてはいないだろう。
「才能?」
不可思議な質問を受けたかのように、香取は少し顔を引いて見せ、そのあと、小さく声を立てて笑った。
「なるほど。才能か」
「才能でおかしければ、気持ちです。根性です。根性ならあります」
「そういう意味でいえば、確かにお前は才能豊かだ」
どう答えていいか分からず、目黒は唇を結んだまま少し視線を下げた。香取が目黒を馬鹿にしているわけでないことは分かっている。ヤクザを辞める気がないことも知っているはずだ。なぜそんなことを聞くのか。
「俺には、今、これしかありません」
香取は、静かに二、三度うなずいた。
「悪かったな。深い意味はない。しかしこれしかないと決めるのは早計だ。今後、どんな人生が待っているかわからないからな」
目黒は、自分を謀っていることを自覚していた。選択肢がないわけではない。石塚のばあさんや佐門は目黒の将来を案じて、別の選択肢を与えてくれている。今ならまだ引き返すことができる。それを選ばないのは自分の意志だ。
ヤクザなら両親がいないことで馬鹿にされることもない。施設で育ったことも弊害にはならない。しかしまっとうに生きようと思えば、必ず生い立ちから逃れることはできない。自分の能力と関係のないところで苦労を強いられるに違いなかった。
香取が上着のポケットから煙草を取り出した。目黒はライターをかざし火をつける。ゆっくりと吹き上げられた煙草の煙が天井に到達する前に空中に薄く散らばる。キッチンから皿洗いの音が消え、梅木が事務机が四つ背中合わせに並べられた一角に雑誌を持って座った。こちらに背を向けていた。
目黒は立ち去ろうかどうか迷った。小学校の校庭からタイムカプセルを掘り出す理由を聞き出したかったが、梅木がいるところでは教えてくれないだろうと思った。
香取は二、三服、煙草を燻らすと、ソファから腰を上げた。
「少し、行くか」
飲みに誘われたのだ。香取の下についているときは、よく飲みにつれてってもらう機会があった。久し振りだった。
「はい」
目黒は香取の前に立ち、梅木に声をかけ事務所を出た。香取は運転手を既に帰していたので、目黒の車で行く事になった。
「相変わらず、気合の入ったひどい車だ」
と香取は苦笑を浮かべ、ゴツゴツと揺れる助手席で足を組んでいた。車で十五分ほど走ったバーに寄った。香取に何度か連れて来てもらったことがある。張真組の息のかかっていないバーだ。張真組と勢力圏を接する浅沼組も関与していない。
この店では香取は不動産屋の社長、目黒はその社員として通っていた。店では女の子たちとたわいのない話をした。女の子に囲まれ、目黒は機嫌よく飲んだ。香取はぽつぽつと話をしながら、ずっとバーボンを傾けていた。
一時間ほどで香取が帰ろうと言い出し、目黒に車は置いて帰れと言い置いて、過分なタクシー代を握らせてくれた。香取の乗るタクシーを見送り、目黒は繁華街に消えるタクシーに向かって頭を下げた。
「香取さん! 一生ついていきます」
酔っていた。ご機嫌だった。香取から投げかけられた意にそぐわない言葉も、タイムカプセルの事を聞き忘れた事さえ忘れていた。
久しぶりに香取と交わした酒が心地よく脳に染み渡り、目の前にバラ色の人生が広がっているような気がした。
携帯電話を取り出した。着信は入っていない。時計を見る。もう深夜二時を回っていた。理香の声が聞きたかった。電話をかける。留守電サービスに変わった。
「今日は悪かったな。今度はフランス料理を食いに行こう。それと、ディズニーランドの件、考えといてくれ。また電話するよ」
電話を切った。手を挙げてタクシーを拾った。
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