Act.012

*****




押し寄せる、流される。


止めどない波に、ゆらゆらと。




*****




「…はぁ」


何度目かも分からない溜息が漏れた。鬱陶しいと自分でも思いはするものの、溜息にして吐き出した方がまだ精神衛生上良い気がして。


芳村を駅まで送ることも出来ない自分の不甲斐なさに嫌気がさす。寧ろ、滅多刺しだった。芳村の姿が街路の奥に消えてからザクザクと。


そのまま家に帰る気にもなれなかった俺は近くの公園のベンチに腰を下ろす。そこからは溜息溜息溜息…。時計を見て見ればもう二十分近くそうしているようだ。


怠惰である。


「…はぁ」


夕陽に染まる世界が哀愁を漂わせている。逢魔時と呼ばれる時間帯、遊具も乏しいこの公園には俺以外の人影が見受けられなかった。遠くから聞こえる鳥の鳴き声と自分の鼓動の音だけが時の歩みを感じさせる。


歌南がどうとか、芳村がどうとか。そんな思考でさえも結局は自分へと着地するのだ。積極的になれない自分。その自分自身の行為がまた孤独を呼び、孤立を深めていくことは分かりきっていた。こんな負の権化、いつ二人に見限られてもおかしくない。そんな未来が怖くて仕方ないのに、いざその場になってみるとまともに言葉を発することも出来ない。言わなければ、伝わらないというのに。自分が変わらなければ、世界は変わらないといのに。


「…はぁ」


溜息の製造にも労力を要する。いっそ息をするのも疲れる。そんな状態だった。人目がないのをいい事に、ベンチで思いっきり横になる。鞄を枕にして空を見上げた。


空が紅く、紅く染まっている。


「綺麗だ」


呟かずにはいられなかった。そして、言葉は身体に染み渡り、その奥で鼓動を続ける心臓にまで到達する。気付けば、涙が溢れていた。


情緒不安定極まりない。


全部が思い通りいかなかった。全部が嫌で嫌で仕方なかった。こうじゃない、そうじゃない。俺が求めているのはこんなんじゃない。どうすればいいのかも分からない。でも、何もしなければ結局世界は何も変わらないまま進んでいく。先に先にと進む現実に、俺は取り残されてしまったのか。


「………」


空が綺麗だ。そう思う自分の心はあまりにも汚かった。そう感じてしまっていた。綺麗さが残酷にも自身の暗部を引き立たせる。


いっそこのまま消えてしまえばーーー






「あなた、どこにいるんですか?」






声がした。


「……え?」


「おや、聞こえませんでしたか? それとも理解できませんか?」


「何を…」


気にせいではなかったと気付くと同時に、聞き覚えのない声が近くから聞こえてくる事実に焦りを感じる。直ぐに身体を起こして、袖で涙を拭った。


「誰…?」


声の主はベンチの近くで突っ立っている一人の少女だった。身長は小さめなので俺を眺める視線は自然と上目遣いのようになるのだが、そこにときめきを感じる余地などない。眠そうなのだ、なのに、鋭い。理解しがたい迫力に気押されていた。


「あなたこそ、どちら様です?」


「え、いや…その…」


「ハッキリしない人ですね、鬱陶しい」


「………」


いきなりの毒舌に言葉を失った。何だ、こいつ。


「おーい、サバ落ちですか?」


「誰が混線状態だ」


「何だ、生きていましたか」


チッと舌打ちが聞こえてきそうな表情である。初対面であることは間違いないのだが、その遠慮のない態度に怯みを隠せない。


「で、もう一度聞きましょう。こんなとこで何をしているんですか?」


「…質問変わってない?」


「細かい人ですね、童貞ですか?」


「はぁ?」


「リアクションも単一で面白くないし、見た目に中身もってかれてるんです?」


残念な人だと言われた気がする。


「で、こんな時間帯に男子高校生が一人で公園で泣いてるだなんて、もしかして失恋でもしました?」


「っ……」


泣いている、そう確かに少女は言った。見られていた。


「んだよさっきからズケズケと…「いいですか、弱さを露呈するだけなら誰でもできます」


「っ⁉︎」


言いかけた言葉は途中で遮られ、少女の眠そうな目の奥に確かな鋭さを感じた。気がした。


「何を思っているのか知りませんが、泣きたいなら家で泣いたらどうです? それとも公共の場で泣いてる自分がイイって酔うような構ってちゃんですか?」


「………」


違う、と、たった一言さえも言い返せなかった。どうして見ず知らずの少女にここまで言われなければならないのだろうか。確かに、泣いていたことは事実だが、決して誰かに助けを求めていた訳ではない。それを知らずに、俺の何かを知ってる訳でもないのにコイツは…。


「睨むのは結構ですが、残念ながら迫力が足りません。さっさと帰って寝たらどうです?」


「だから…」


「じゃないと、つけ込まれますよ」


「っ……」


また、だ。少女の視線には明確な警告が含まれていた。自分よりも一回り小さい少女だというのに、言い返せないどころか怯んでしまう。おかしい、何かがおかしい。何なのかさっぱり分からない。


「警告はしましたからね」


それだけ言うと少女は背を向けて公園の出口へと向かっていった。去る足音を耳にしながら、また俺は何もできないまま立ち尽くす。


「何なんだよ、くそっ」


ようやく言葉が出て着たのは、青い小さな少女の姿が視界から消えた後だった。情けないこと、この上ない。


そうしている間にいつの間にか陽は傾きを増し、空には夜が迫っている。四月の夕方にもなれば吹く風も冷たくなり、思わず身震いした。


警告に従う訳ではない。断じて。


でも、ここにいてはならない気がした。




*****




「………」


改めて考えてみる。そして、悶えてみる。


今日の夕方、数刻前の話ではあるものの、俺は自身の行動に身悶えしていた。思い出すだけで顔から火が噴き出しそうだ。


思春期だ、黒歴史だと笑うことが出来るのは多分当分先のことなのだろう。今はもう恥ずかしくて、どうしようもなくて仕方ない。


しかも、だ。見ず知らずの少女に見られた上に暴言まで吐かれた。一体何の仕打ちだろうか。


「……はぁ〜」


深い溜息を吐いて感情の沈静化を図る。あの時は感情を抑えられなくて、本当に自分でもおかしくなっていたと思う。


夕方、綺麗な夕陽、どうしようもない現実、溜まる一方のフラストレーション。その全てが相まって、ああいうことが起きてしまったのだ。そうに違いない。何度も何度もそう自分に言い聞かす。


逃げるように公園を出て、帰宅してからは自分のベッドでずーっとこんな調子だった。普段なら少しくらいお腹が減っててもいい時間なのだが、今は食欲など微塵も感じられない。


とにかく穴があったら入りたい。戻れることなら戻って…。


「戻って……」


どうするというのだろう。こんなしょうもないことで戻るくらいなら、いっそあの時にーーー。


「あー! やめだ、やめ!!」


大声を出して、意識をすり替える。それこそ何度も何度も数え切れないほど切り返した別の感情が溢れ出してくる前に布団を頭から被る。音量を上げて、イヤホンで音の世界に飛び込む。耳が痛いほどの大音量で何も考えられなくする。


そうしないと、俺は、また…。




*****

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る