Act.011
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いつの日か、笑って消えたい。
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「〜であるからしてぇ」
間延びした声は単なるBGMに過ぎない。今日も今日とて数学の重要公式や英語の重要構文といった類が頭に入ってくることなかった。片手間に書いているノートも中途半端極まりない。
何故か。
昨日の歌南の言葉が、表情が頭から離れなかった。
『楽しいよね、恭佑』
どうして歌南はあんなことを言ったのだろう。どうして歌南はあんな表情が出来るのだろう。どうして、どうして、なぜ何故ナゼ…。
朝から、それこそ学校に来る前からこんな調子だった。自分でも嫌気がする。こんなに考えても答えが出なないことは分かりきっているのに、それでも思考が止まることはなかった。行き先がないので、ただひたすらに同じところをぐ〜るぐる。
答えへの一番の近道である歌南は珍しいことに学校を休んでいた。担任がいつもと変わらないところを見るに連絡が入っているらしいが、勿論個人情報に何かと敏感な現代でその情報がクラスに公開されることはなかった。
『生きろ、そなたは美しい』
と、送ったメッセージには、
『滅』
と、漢字一文字だけが返って来た。物騒だ。
これでも嫌な予感がして、居ても立っても居られなくなって、授業などそっちのけで送ったメッセージだというのに。何がおかしかったのか。…考えるまでもないか。
取り敢えず、連絡が取れることで納得することにしたのだが、午前の授業も終わりを告げようとしているこの時間になっても歌南が登校して来ることはなかった。どうしたというのだろう。
この土日、共に過ごしたが様子がおかしかった訳ではない。体調を崩したと考えるのが一番無難なのだろうが、そこで引っかかりを覚えるのが昨日の言動だった。様子はおかしくなかったが、それでもどうして歌南はあんなことを…。
「はい、じゃあ今日はここまでぇ」
気付けば授業の終わり、また間延びした声を残して古典の教諭は教壇を降りた。と同時に教室に活気が戻る。昼食前の時間に時の魔術でも使っているのかと言いたくなるゆったりとした授業。聞いていなかったのは俺だけじゃないだろうし、寝ていた輩もいるだろう。しかし、昼休みとなれば状況は一変する。巻き込まれない内に退散するとしよう。
*****
「励めよ、若人」
定例となりつつある台詞を残して、河合教諭は教室を後にした。そのやる気のない背中を見送りつつ、俺も帰宅の準備を整える。
結局、歌南は姿を見せなかった。午前中に送ったメッセージで一旦外してしまっているので、それから詮索する訳にもいかず、悶々とした時間を過ごしていると気付けば放課後。無意味とは言えないが有意義にはミリ単位で掠めてもいない時間である。
まあ、今はそんなことどうでもいい。
荷物を持って、教室を後にする。行く場所は決まっていた。
*****
「あれ? 西条くん?」
「あれ? 美少女?」
「え、どこどこ?」
あんただよ!などとは口が裂けても言えない。そんな高等呪文を唱えれるほどの経験値を俺は保有していなかった。
「いえ、気にしないでください…」
「え〜」
不満そうな表情をする芳村だが、問題はそこではなかった。
「で、えーっと芳村さん?」
「はい、芳村です」
「どうしてここに…」
「だって、ねぇ?」
芳村は含みのある物言いで、視線を横へと移す。その先にはそう、俺の目的のものが並んでいた。聞くまでもなかったが、偶然もここまで来ると運命のいたずらとしか思えない。
「あー、うん。ここで会えた方がラッキーだったかもね」
「そうだね〜」
被らなくて良かった。二人とも考えていることは一緒だったようだ。歌南の好物であるフルーツゼリーを販売している店頭で出くわしたのだから。
「歌南は体調不良?」
「ううん、詳しくは聞いてないんだ〜。でも、学校に来てないみたいだし、授業のノートとお土産を持って行こうかなって」
この学級副委員長は天使か何かなのだろうか。成績優秀でありながら、この気配り。勿論、親友である歌南だからこその対応なのであろうが、同性でもキュンとしてしまうのではなかろうか。
「ノートは考えてなかった」
俺のノートと考えたところで直ぐに放棄する。あの落書きみたいなノートを歌南に見せれば、きっと怒られるに違いない。
「一回の授業でも馬鹿にならないからね。添付して送ってもいいけど、私ほら部活にも入ってないし」
「そっか」
「うん」
「えーっと、立ち話もアレなので買いましょうか」
「そうだね〜。あ、季節限定のものも出てる!」
芳村の意識がショーケースに移って安心する俺がいた。どうしてだろう、歌南とは普通に会話できるというのに、他の同年代の異性と会話しようとすると長続きしない。考えもまとまらないし、目を見て話すのもいつの間にか不得意になっていた。中学生の頃はそんなでもなかった筈なのに。
「どれにする?」
「はい?」
「同じ物買っていっても仕方ないし」
「そうだな」
隣に並んで気付いた。芳村は凄く良い匂いがした。キツい香水とは違う、柔軟剤のような優しい香り。ゼリーを選ばなくてはならないというのに、気が散って仕方ない。
思春期というものは本当にどうしようもない。
「じゃあ、これとこれとか?」
「いいね〜、美味しそう」
俺がチョイスしたものに芳村も異存はないようだった。季節限定の苺と定番のミックスフルーツ。透明なケースの中でゼリーに浮かんだ色とりどりの果実たちはそれこそ散りばめられた宝石のようで。陳腐な表現だが、それでも一番しっくりくるのだから間違ってはいないのだろう。そんなことを考えていた。考えて、思考をどうにか逸らそうと頑張っている自分がいた。
ただ一緒にいるだけだというのに。以前はこんなことがあっても動じなかったというのに。俺は一体どうしてしまったんだろうか。心の弱さが露呈しているようで、それを芳村に知られるのが怖くて、気付けば手に汗を握っていた。財布を取ろうと鞄の中に突っ込んだ手が震えている。
「西条くん」
「え、何?」
「お会計、私も半分出させてね」
そう言って芳村は店員が差し出したトレーに自分の持っていたお札を乗せ、俺が出していた分の半分を返してくる。
「いやでも…」
「これ歌南ちゃんのご両親の分も入ってるんでしょ?」
「そうだけど…」
「私もよくお世話になってるから気にしないで」
「おう…」
「いいからいいから」
躊躇っている俺を芳村は笑顔で押し切った。押し切られたといえばこの前のファミレスでの会計もそうだ。金銭感覚がしっかりしているのか、それとも俺なんかに…。虚しくて、考えるのをやめた。
「ありがとうございました〜」
若い女性の店員の声を背中に店を後にする。せめてもと、ゼリーの入った袋は俺が持つことにした。
*****
「ゴメンね、ちょっと調子が悪いみたいで」
「そうですか…あの、これ」
「あらあら、そんなに気を使わなくてもいいのに」
「いいえ、そんな。今日の分のノートのコピーも入れておきますので、少し良くなった時にでも渡して貰えれば」
「うん、ありがとう悠姫ちゃん」
「いえ」
「恭佑も、ね」
「あ、はい…」
「それでは、失礼します。歌南ちゃんによろしくお伝えください」
「しゃっす」
「二人とも、またいつでも遊びにいらっしゃい」
こうして、芳村と俺は結局歌南への面会も叶わずに帰路へと着くのであった。歌南母のとても申し訳なさそうな表情に吊られてという訳ではないが、こちらも大変な時に押しかけてしまってとネガティブな思考が押し寄せてくる。
隣の芳村が何を考えているのかは、分からない。
「どうしちゃったんだろうね」
「そうだな…」
お互い独り言のように呟いた。
てっきり風邪か何かだと思っていたし、歌南なら一日寝ていればこの時間にはもう元気になっているものだと勝手に想像していた。芳村もそうだったのだろう、表情が曇っている。
「メッセージ送っておこう」
「そうだな」
お互いにスマホを取り出し、歌南へメッセージを送る。芳村はメッセージでも丁寧なのだろう、しばらく画面とにらめっこしていた。一方の俺は、
『食せよ』
ただ三文字を送るだけなので、手持ち無沙汰になる。芳村を待っている間も既読がつくことはなかった。スマホを見るような状況でもないのだろうか。
「ゴメンね、お待たせ」
芳村が顔を上げ、そして、何かに気付いたかのようにバツの悪い表情を浮かべた。
「あ、ごめん。西条くんのお家って反対方向だったよね」
「ああ、うん…」
「うっかり連れ回しちゃうとこだった」
「いや、そんな別に」
送っていこうか、その言葉が喉の奥に詰まる。普通のことだ。そうだ、普通だろう。女子高生の一人歩きは危ない。いくら治安の良いこの街でも万が一ということもありえる。たかだが駅まで十五分。それくらい何でもなかった。
「ありがとう西条くん。また明日」
そんな俺の葛藤は勿論芳村に伝わることなく、軽く一例した芳村は駅の方へと歩を進めるのであった。
「こちらこそ、またな」
そう言うのが精一杯だった。芳村は振り返って笑顔を返し、また歩を進める。夕日の中に揺れる髪を見送ることしか出来ない俺に嫌気がさした。
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