Act.010

*****




突然、だ。


変化はいつも突然やって来る。


だから、怖くて、楽しくて、仕方なかった。


脚が震えるのは、目尻が熱くなるのは、果たしてどちらのせいか。




*****




「二人ともお疲れ様。今日は朝食だけで大丈夫だから、たまには二人で遊んで来たら?」


「「え……」」


和かに笑う歌南かなの母親の一言で、歌南と俺は固まった。


「いやでも、これからランチ…」


「昨日も結局一日中手伝って貰ったし、今日は夜の予約が低調なの。その分パートさんに早く出て来てもらうようにしたから」


笑顔なのだ。物腰も柔らかい。しかし、これは決定事項だからとでも言わんばかりの強い意志を感じる。昔からそうなのだが、歌南の強気は間違いなく母親譲りであろう。そんな歌南でも母親には未だに敵わないのだけれども。


「はい、恭佑きょうすけ。この二日間無理言ってごめんなさいね。お疲れ様、またいつでもいらっしゃい」


と茶封筒を渡される。正規のバイトではないので、いつも報酬は手渡しだった。


「あ、ありがとうございます…」


「でも、ちゃんとご飯は食べなきゃダメよ。これ以上体重が減るようならウチに住み込みで来てもらうからね」


「そうだぞ〜。俺に腕相撲で負けるようならまだまだだ」


ハッハッハと厨房の奥から歌南の父親の声も聞こえて来る。顔は見せないもののしっかりと聞いているらしい、厨房の奥で膨大な仕込みをこなしながら。


「じゃあ、歌南。貴女もたまにはリフレッシュして来なさい」


「あ、お母さん、待って…」


「恭佑、くれぐれも歌南のことよろしくね」


「あ、はい…」


歌南の呟きも虚しく、歌南母はそう言い残すと厨房の方へと消えて行った。その場に取り残されたのは呆然と立ち尽くす二人。二人とも手にしていた黒サロンはいつの間にか歌南母に奪われ、代わりに茶封筒を摑まされている。


「「………」」


二人分の沈黙。


確かに。今まで遊びに行った事がない訳ではない。寧ろ、一昨日から泊まらせて貰っている仲でもある。学校で昼食を共にすることもあれば、放課後にお互いの暇潰しに付き合ったこともある。


それでも。いつぶりだろうか。こうして歌南と二人、休日の午後を過ごすことになるのは。


淡い期待など持たない。まず、その前に俺は何をどうすればいいか分からないでいた。




*****




「お待たせ」


「おう…」


言葉を失うことが最近多くなった気がする。病気でしょうか? いいえ、現実が一々衝撃的なのです。


レストランから徒歩五分、歌南の実家の玄関前で俺は時間を潰していた。歌南母の策略にはまり、無言で立ち尽くし続ける訳にもいかなかった俺達二人は取り敢えず歌南の実家に戻ることにした。そして、汗だくだった俺は先にシャワーを借り、その後に歌南の用意を待つ為に玄関先の階段に腰掛けて携帯をいじっていたのである。


それでも男子高校生か?という声が聞こえて来そうなものだが、残念。そこまで現実は甘くない。興味が無いわけではない。しかし、間違いなく歌南にそんな視線を向けることがあってはならない。そう自分に言い聞かす。誤魔化すように携帯ゲームに集中していた。


なのに、だ。


「おう…」


「何よ?」


「いや、その…いい天気ですね」


「日差しで頭でもヤラれちゃった?」


うむ、いつもの歌南だ。いつも通りでないのは明らかに俺の方。


四月も中旬、正午近くになれば気温もそれなりに上がる。晴天ということも相まって長袖を着ている俺は早々に腕まくりをするくらいの天候である。よって、歌南もそれ相応の格好になる訳だけれども…。


「だから、何?」


「いえ、すみません」


「はぁ…。感想は?」


「は?」


「だから、そんな舐め回すような視線で見た結果、今日の私の服装の感想を述べよと言ってるの」


「ばっ、おまっ…」


「ほーんと恭佑ってアレよね。他の女子にも教えてやりたいわ」


「社会的に殺す気か…」


俺が何したって言うんだ、とは言えなかった。舐め回すようにという表現には全力で遺憾の意を唱えるものの、歌南の服装に目を奪われていたことは事実。


全体的に白でまとめた清楚感のある恰好なのだが、敢えて透けさせているのであろう白いカットソーの下にはオレンジのタンクトップ。七分丈の白デニムもスキニー気味で、歌南の健康的な脚を映えさせる。藤色の長髪もポニーテールにまとめられ、結論から言うと凄く似合っていた。


「何か、大人だね」


「何それ、褒めてる?」


「あー、うん」


「ふーん。ま、正直あんたにまともな感想なんて求めてないけど」


「何だよそれ…」


言いながら、俺は少しだけ寂しさを感じていた。、対する自分はどうだろうか。Tシャツに七分丈の黒ジャケット、普通のデニムにスニーカー。こう見ると確かに悪くはないかもしれない。何故か、歌南が合わせてくれたからだ。スニーカーもデニムもそう。俺に合わせてくれた。例えば、歌南がスニーカーではなく小洒落たパンプスだったらどうだろう。一気に差が出る。勿論、歌南が意図的にそこまで考えてはいないかもしれない。面倒、歩きにくいからとスニーカーを選んでいる図も容易に想像ができる。


でも、どこか少しだけ遠くへ行ってしまったようで。俺自身が取り残されているようで、寂しかった。


鹿


「…。恭佑」


「ん?」


「あんたさ、デート前になんて顔してんの?」


「で、デート⁉」


「そうでしょ。ほら、今日は私がちゃんと付き合ってあげるから」


そう言いながら歌南は俺の腕を掴んだ。その様はそれこそ仲の良いカップルのようで。自然と顔が熱くなる。鼓動が少しだけ早くなる。


「次からはちゃんとエスコートしてよね!」




*****




「おかしいな」


「ん~?」


「おかしいな」


「うるさい。あ、そっちも一口頂戴」


俺が返答するまでもなく目の前のソフトクリームが一口分持っていかれた。おかしい。


「あのさ、デートでしたっけコレ?」


「そう、別に男女が二人で遊べばデートだと思わない?」


確かにそうだ。だから、そんなに付き合ってなくてもの部分を強調しなくてもいいから。分かってるから、勘違いなんてしないから。バーカ、バーカ。


「で、だな。デートというのは対等であるべきだと俺は思うんだが…」


「童貞、乙」


「おい」


「いやね、考えてもみなさいよ。対等って言葉の曖昧さ。どうすれば恭佑の中では対等になるの?」


「えっと…」


「ほらね、自分の中でもちゃんとしていない考え方を相手に押し付けない」


確かに、歌南の言う通りだ。しかし、


「さっきから俺ばっかり払ってねぇ?」


「給与もらったでしょ」


「その場であなたも一緒に」


「あー、うん。デート代、みたいな?」


「そんなサービス頼んだ覚えはない」


「うっさいわねぇ~、ちゃんと後で出すから。あ、もう一口頂戴」


また、俺のソフトクリームの体積が消失した。このままでは歌南に全て食べられてしまいそうなので、文句は一旦飲み込んでソフトクリームと対峙する。ストロベリーとバニラのミックス、美味しい。


…あれ? 苺はそのまま食べる派じゃありませんでしたっけ、歌南さん?


「こっちも食べる?」


「あざっす」


疑問もそのままに、差し出された歌南のソフトクリームを一口頂戴する。ソーダ味のソフトクリーム、その色は綺麗な水色一色で、暑さが軽減された気がする。こちらも美味しい。


「それにしても、やっぱり休日は賑わうわね~」


「だな」


歌南と俺は結局地元で一番栄えている駅直結のモールに来ていた。そう、数日前に芳村よしむらと夕食を共にしたあの場所だ。日曜日ということもあり、多くの家族連れやカップルで賑わっている。その活気は晴天の熱気にも負けない。


「「………」」


各々、ソフトクリームを食べながら周囲を眺める。話さなくても心地良い無言状態が続いた。この空気感が昔から好きだった。


「…恭佑さ、変わるってどういうことだと思う?」


「何だよ、突然」


「変わらない日常ってよく言うけど、それでも同じ日々なんてどこにもないでしょ? 間違いなく人は老いていくし、取り戻したくても今は本当にこの一瞬だけ」


「うん」


「つまり、意識してないだけで人は変わっていってるって思うの」


「また哲学的な」


「そう? で、私が何を言いたいかって言うとね…」


そこで歌南は言葉を切った。思わず横目で歌南の表情を確認し、俺は息を飲んだ。


余りにも綺麗だった。綺麗すぎて、でも、どこか憂いを帯びていて。同じ高校生徒は思えないその表情に思考が鈍る。どうして、歌南はこんな表情をするんだろう。


「…。楽しいよね、恭佑」


「そう、だな」


向けられるアメジストの瞳は輝いていた。歌南は笑顔だった。


なのに、どうしてこうも切なくなるのだろう。


俺はまた、失うことを恐れていた。俺はまだ笑えているだろうか。




*****

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