Act.009

*****




 いらっしゃいませ。


 ありがとうございました。


 ちゃんと笑えているだろうか?




*****




「っかれたぁ…」


「まったく、だらしない」


 怒涛の朝食営業カフェタイムが終了した。八時〜十時という営業時間にも関わらず、やはり多くの人が来店し、予想通りウェイティングの列までできた。


 ホールは歌南かなと俺の二人きり。決して広くはない店内だが、それでも席数は優に五十を超える。それを、二人。基本的に案内とオーダーテイクと会計を歌南、俺は飲食物の運びに徹した訳なのだが、それでも二人で捌くのは骨が折れる。


 朝食営業はメニューを限定してるとはいえ、歌南の両親はどうしても調理場に付きっきり。会計の重なる時間帯には歌南の母親が出て来てくれて助かった。


「いや…ほんと、人気なことで…」


 疲れた。とは言葉に出せない。何故なら、隣で共に一息ついている歌南は汗ひとつかいていない。体力面で負けていることは否めないが、そこは男子としての意地もある。


「そうね〜。でも、こんなのウォーミングアップでしょ」


 そう、一時間後にはランチタイムが始まるのだ。メニューはガラッと変わり、種類も豊富になる。休日ということもあって普段より酒類が多く出ることも容易に予想できた。


「…午後も二人?」


「まさか、流石に回らないわよ。長いパートさんと学生アルバイトが一人ずつ、キッチンにも三人入るし、お母さんもホールに出てくると思う」


「良かった…」


「で、どうだった? 久しぶりの戦場は?」


 歌南が既にクックと笑いながら問いかけてくる。


 戦場、そう言い始めたのはいつの頃からだろうか。幼馴染のよしみでお店を手伝うことは今までにもあった。素人がやっていいのかと何度も疑問に思ったのだが、歌南の両親から直々に頼まれれば断ることも出来ないのだ。


「戦力の偏りがちょっと…」


「そうね、恭佑きょうすけだとちょっと頼りないかな」


「すみませんねぇ」


「冗談だって。普段だと私が恭佑の立ち位置だからね、よく分かる」


 ウチのパートさん達って凄いのよ、と歌南は素直に目を輝かせていた。


「ということで、まずは腹拵えね」


「食えるかな…」


「食わなきゃ、喰われるわよ」


「何にだよ」


 怖いから、真顔で言わないでくれ。


「はい、これお父さんから」


 目の前にサンドイッチが乗った皿が差し出される。


「いつの間に」


「あんたが草臥くたびれてる間に」


「くっ…」


 悔しいが、言い返すことができない。実際歌南が皿を持っていたことにも気付けていなかった。


「お疲れ様、だって。恭佑の好きな人参サンドも入ってるわよ」


「おお、神よ…」


 などと仰々しく天を仰いだ後に歌南からサンドイッチを受け取る。そこには一口大に切りそろえられた色取り取りのサンドイッチが所狭しと並んでいる。従業員用ということもあり、見た目よりも量を揃えてくれていることろがありがたい。流石、親父さん。


 俺が好きなのは、人参の千切りを歌南父特製のドレッシングで和え、それをシンプルに挟んだだけのサンドイッチ。シャキッとした食感を残ったまま、酸っぱめのドレッシングが人参の甘みを存分に引き出している。全粒粉のトーストを使っているところが健康志向で良い。


「これは母さんから」


 と言って、今度は大き目のグラスが差し出された。中では氷と薄水色の液体が涼しげに踊っている。


「おぉ!」


 手作りの特製ソーダだった。細かく泡立つ炭酸は強めで、甘過ぎないソーダ。グラスの底の方では潰されたミントの姿も見える。両親揃って俺の好みを把握していらっしゃる。その血筋のせいだろうか、歌南は俺のことなど全てお見通しと言わんばかりの能力をつけてしまっている訳だが。


「「いただきます」」


 歌南と俺の声が重なった。ソーダを飲みながらチラリと隣の歌南を見てみれば、ツナサラダとコーンスープを選んだようだ。


 女子だなぁと思う。肉とか、炭水化物とか、足りなくない?


「何?」


「ダイエットでもしてんの?」


「運動しなくなったからね」


「…、そっか」


「そ、だから前みたいに食べてると栄養過多になっちゃう訳」


 一瞬、俺が身動ぎしたことを歌南は見逃さなかっただろう。しかし、気にすることもなく会話を続ける。


 歌南は軟式テニスを小中学校、そして、高校一年の半ばまでの十年近く続けていた。県内の大会でも上位を争う程の腕前。応援しに行ったこともある。将来を有望されるような選手


「あんたこそもっと食べれば? 何ならカツカレーでも持ってくるわよ?」


「うぇっ…」


「ちょっと、やめてよ気持ち悪い」


「いやゴメン、胃が反乱を…」


 誤解はしないで欲しい。歌南の父親が作るカツカレーは絶品だ。不味いなんてことは微塵もないのだが、今の俺の胃袋には少々どころかかなり荷が重い。危うく人参サンドを無駄にするとこだった。


「体重、落ちたでしょ」


「そんなには」


「ふーん。あ、ツナサンド頂戴」


 返事をする前に俺の皿の上からツナサンドが誘拐される。早い、反応出来なかった。


「どんだけツナ好きなんだよ」


「ヘルシーだし」


「答えになってねぇ…」


「恭佑より、間違いなく好きかな」


「俺は加工食品にも劣るのか…」


「消費期限短かい上に切れてそうだし」


「………」


 酷い言われ様だった。反論出来ないので、大人しくソーダを口にする。


 強めの炭酸が喉を通り抜け、ミントの香りにレモンの爽快感、最後に控えめの甘みが口いっぱいに広がった。相変わらず、美味しい。


「ふぅ…」


 一息吐く。春の日差しが心地良い。


 店の裏手側だというのに、ここは相変わらずいい場所だった。何でも歌南の母親の強い要望で増設したらしい。フェンスで囲まれたそこまで広くもない空間。目隠しの為にフェンスにはモッコウバラを這わせていて、雨が降っても使えるように透明な板で天井が作られている。地面はレンガで覆われ、そこに小さなテーブルと椅子。まさに、隠れ家という雰囲気。俺もここが好きだった。従業員しか使うことの出来ない空間。それだけで特別感があり、また優越感にも浸れる。


「ここなら寝れそう」


 自然と零れた。


「そう? じゃあ、ここに住めば」


「吹き抜けるよね風」


「雨は凌げるんだから贅沢言わない」


「通ってないよね電気」


「そんな生活もアリじゃない?」


「寝るときは「地面、寝袋くらいなら用意してあげる」」


 被せ気味に歌南が答える。やっぱりそうか。


「ないよねトイレ」


「うわ、それはないわ。帰って、気持ち悪い」


 理不尽だ。


「…。で、寝れそうなの?」


「うん、すげぇ気持ちいい」


 適度な疲労感。心地良い環境。そして、飲食での満足感。その全てが上手く眠気を擽ってくる。


「昨日は、寝れた?」


 歌南はここでようやく視線を向けてきた。彼女なりに心配してくれていたんだろう。自宅でなくても俺は寝れないことが多い。それは勿論昨夜も変わらなかった。歌南の部屋で一緒に夜を過ごす、なんて特殊イベントが発生するような間柄ではないので、俺は客間で夜を過ごした。全く寝れない訳ではない。寝るまでに通常よりも時間がかかり、眠りが浅く、夢に起こされることが多いだけ。


「寝れました」


 自宅よりは。


「そ。でも、ヒドい顔してるわよ?」


「久しぶりの勤労に疲れただけだって」


「具体的に言うと、目が二つもついてるし鼻は低いし禿げ始めてるし」


「元からだよ! いや、禿げ始めてはないけどね⁉」


 今まで一体どんな顔をしていたというのだ。人間すらやめてねぇ…?


「クマの割りに元気よね」


「こんしーらーなるもの貸してくれてもええんやで?」


「いやよ、私のをあんたに貸すのも、あんたの使用済みを私が使うのも」


 気持ち悪い、と視線が語っている。


「…。膝枕」


「え?」


「膝枕、すれば…」


「おいおい、また自分でってオチ―――」


「私が膝枕すれば、もっと寝れそう?」


「……は?」


「………」


 思考が止まる。時間も止まったように感じた。


 風に揺れるモッコウバラの葉は余りにもゆっくりで。隣にいる歌南の瞬きすらゆっくりで。なのに、自分の鼓動だけが早鐘の様に鳴る。


 歌南は、何て言った?


 私が、つまり、歌南が。膝枕をする、つまり、俺が…?


「ぷっ」


「…は?」


「ぷっ、くっ…アハハ、何て顔してんの」


「え…、あーっと…?」


「スケベ」


 冷や汗が噴き出した。




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