Act.006
*****
今日は金曜日だ。
授業も終盤へと向かうにつれ、教室内の活気は徐々に増していく。多くの学生が放課後に向けてウォーミングアップを始めているかのようだ。
しかし、中にはそうでない生徒もいる。勿論、俺もその中の一人だった。放課後が嫌な訳ではない。相変わらず授業には身が入らないし、気怠くて仕方ない。だが、放課後が待ち遠しいかと言われれば、そうではない。部活にも入っていなければ、予定もない。金曜日の後に続くのは土曜日曜、俗に言う休日なのだ。この週末も特に予定はない。
つまり、この授業が終われば、また月曜の授業が始まるまで、独りきり。
人と関わることが面倒なくせに、どこか淡い望みを他人へと求めている。そんな難儀な自分に溜息が漏れる。
授業に集中するでもなく、ノートもそこそこに、窓の外を眺めながら溜息をつく男子高校生。果たして、俺はどんな風に見えているのだろうか。
そんなつまらない感情も溜息となって消えれば、幾らか楽なのに。
*****
終業のベルが鳴る。
「はーい、じゃあここまで。励めよ、若人」
感情の篭っていない台詞を残して担任の河合教諭は教室を後にした。彼は柔道部の副顧問であるが、どうやらそこまで精力的ではないらしい。自分に割り振られた業務をそこそこにこなし、家に帰るのだろう。左手の薬指を見る限り、彼には待っている人がいる。帰るべき家がある。
いいな。
素直に、ただそう思った。
部活の仲間同士で盛り上がる者。遊びにでも行くのか、同じ髪飾りをつけては自撮りに精を出す者達。提出期限なのだろうか、必死に課題をこなす者もいる。
そんな周りの状況が鬱陶しくて、羨ましくて、鞄を乱暴に掴んでは教室を後にした。
息が詰まる。胸が痛む。
高校生という現実は周りと何ら変わらない筈なのに、どうしてこうも俺は…。
「西条くん!」
「っ…」
背後から呼び止める声で我に帰った。
思わず振り向けば、溢れかえる生徒の合間を抜けながらこちらへ向かう女子生徒が一人。
揺れる胸…ではなく、揺れる茶髪。大きな瞳。
「
そう、我らが学級副委員長・芳村
「ゴメンね、呼び止めちゃって」
「いや…」
とても居心地が悪い。
自分で言うのも何だが、明らかに浮いている男子高校生な俺。そんな俺を廊下で呼び止める
周りの視線が集まらない筈がない。表情が自然と引き攣る。
「これ、机の上に忘れてたよ」
そんな俺の憂鬱も知らず、芳村は何かをこちらへ差し出した。差し出された手の上には見覚えのあるケースに包まれたスマホ。
「あ…悪い。ありがとう」
どうやら、芳村は忘れ物を届けてくれたようだ。彼女が届けてくれなければ、自宅へ帰るまで気付かなかったかもしれない。
「ううん、間に合って良かったよ〜」
芳村はふわりと笑って胸を撫で下ろす。その自然な仕草に俺も少しだけ気が緩むのを感じた。
同情の視線は、時に刃物以上の殺傷能力を持ってしまうことを、どうか知っていてほしい。例え、本人にその意思がなくとも、受け取る側にそう伝わってしまうことがあるということも。
だが、今の芳村にそれらの雰囲気を感じることはなかった。だから、少しだけ、安心する。
「えっと…、この前は色々ありがとう。お陰で体調も落ち着いた」
「ううん、お互い様だよ。だから、私がもし休んだ時はよろしくね」
なんて、元気だけが取り柄な私はコンビニばりに年中無休なんだけどねぇ〜。と、芳村は続けた。
...どうしよう、これはツッコミ待ちなのだろうか。
「あ、ああうん。その時は…うん」
日本語が一気に不自由になる。
「「………」」
そして、訪れる二人の間の静寂。
周りは相変わらず騒がしい。芳村がスマホを取り出した辺りで野次馬は消えたが、それでも廊下で向かい合う男女というものは自然と悪目立ちする。
どうすればいいか、そんなの簡単だ。
「じゃ、俺は帰るから…」
言い方が冷たかったかもしれない。そんなことを思いながらもその場を後にする。きっと、これでいい。芳村に迷惑をかけることもない。
そう、これでいいんーーー
「あの、西条くん!」
「…え?」
「この後、時間ありますか…?」
夕陽に染まる芳村の大きな瞳が、しっかりと俺に向けられていた。
周囲がざわつく。が、待って欲しい。今一番ざわつきたいのは当の本人である俺自身だ。
*****
今日は金曜日だ。それは前述の通り。
そして、金曜日の放課後の街中は多くの学生の姿が見受けられる。勿論、学生だけではない。朝早くから働いて、一週間分の溜まった鬱憤を晴らそうと騒ぐ若い社会人の姿もあれば、そんな社会人を鬱陶しそうに眺めながら仕事先へと戻るのであろうサラリーマンの姿も。
要約すると、駅に隣接する大型モールは大盛況。平日で最も賑わっている。
「人が多いね〜」
「そうだな」
そんな中で俺たち二人は実のない会話を繰り広げていた。
俺たちーーー俺と芳村の二人。
『この後、時間ありますか…?』
芳村が廊下で言い放った言葉は俺の思考を破壊するに十二分の威力を含んでいた。言葉が出ない。状況が把握できない。冗談ではなく、俺はその場でフリーズしてしまっていた。
そんな俺の沈黙を予定有りと受け取ったのか芳村が慌て出す訳なのだが、そんな二人の注目度はうなぎ上りで。人集りまで出来そうな雰囲気だったので、俺は咄嗟に返事を返す。
『時間、ある』
片言だったが、真意が伝わればそれでいい。あとは芳村がどう動くかを待って行動を…。
『良かった!じゃあ、こっち』
しかし、芳村は俺の予想を遥かに超えた行動を起こす。具体的に言えば、制服の袖を掴まれた。また、思考が停止する。
『ほら、行くよ西条くん!』
『ああ………え…?』
返事もままならないまま芳村に連れられ、気付けば学校から徒歩十五分程度の最寄駅へ到着していた。その間の会話など全く思い出せない。
「う〜ん、これだとどこも埋まってるかな」
「そうだな…?」
要領を得ない俺は、ただ返事を返すだけの機械と化していた。壊れているなど言われるまでもなく自覚している。さっきからそうだなしか言えていなかった。
「ねえ、好きなものは?」
「そうだな。………はい?」
「西条くんの好きな食べ物は?」
「卵かけご飯」
「そ、そうなんだ。でも、美味しいよね卵かけご飯!私もよくやるよ」
「そうなんだ」
「「………」」
そして、沈黙。
一体、芳村はどうしてこのタイミングで俺の好きな食べ物など聞いてきたのだろうか。そもそもどうして俺は芳村と二人でいるのだろう。彼女は一体俺に何を求めているのだろうか。
思考が、どこに辿り着くこともなく、ぐるぐる回る。
「えっと、じゃあ食べられないものとか嫌いなものはある?」
「ない。何でもおっけー」
「そうなんだ!私もだよ〜、一緒だね」
一緒。その言葉が何故か突き刺さった。
一緒、な訳がない。芳村はこんなに輝いていて、一方の俺はこんなに…。
「じゃあ、あそこにしよう!」
「おう……え?」
相変わらず要領を得ない返事ばかりする俺など気にしないと決めたのかもしれない。また芳村は制服の袖を掴んでは俺を連行する。
「ほら、行くよ西条くん。我に続けぇ」
「…どこの姫武将?」
そのツッコミに、しかし、応える者はいない。
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