Act.005
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雨が、降っていたようだ。
部屋の換気をしようと窓を開ければ、雨の匂いがした。しかし、屋根や地面を打ち付ける音は聞こえない。もうやんでしまったのだろう。
珍しく、何の夢も見ないまま。
「腹減った…」
思い返せば、風邪をひいてからここ二日ほどまともな食事を口にしていない。点滴、おにぎり、時々水分。それだけだ。食欲が出てきたということは漸く快方に向かっているのだろう。苦しみつつも錠剤を飲み続けた成果が実りつつあるようだ。
「十時過ぎか…」
遮光カーテンの性能など関係ない時間帯だった。外はもう真っ暗。部屋に一人、その状況はいつもと変わらないというのに幾分か気分は晴れやかだった。久しぶりにがっつりと寝れたからなのかもしれない。やはり、寝不足は心身共に良くないのだ。
部屋の電気を付けながら思案に耽る。議題は、この食欲をどう満たすか。直ぐに冷蔵庫や冷凍庫の中身へと意識が移るが、残念なことに買い溜めをする予定だった日の朝に風邪を引き寝込んでしまったので、まともな食品のストックはない。
「コンビニ、行くか」
残念なことは何も食品のストックがないことだけではない。体調不良を良いことに風呂に入っていないという点も挙げられる。そこまで汗をかいている訳ではないので問題ないとは思うが、やはり気になってしまう辺り思春期というものなのだろうか。
いや、清潔感ある男子なだけだし。
「髪もそこまでボサボサじゃないし、このまま行っちゃえ」
誰に見せるわけでもないと、誰に伝えるわけでもないのに言葉を口にする。一人暮らしになって口数は確かに減ったかもしれない。だが、こうして独り言を言うことも多くなった。寂しさを紛らわせるという点に於いて、これは良し悪しどちらの面も有する。
考えてばかりではなく、口にすることでしっかりとした意識が自身の中に生まれる。これが良い点。一方の悪い点は、結局返事が返ってくることはないので虚無感に襲われてしまうというものだった。
自己分析も虚しいだけ。俺は財布を手にして家を後にする。
*****
「うぅ…、また冷えてきたな」
コンビニの帰り、俺は思わず我が身を抱いた。四月の雨上がり、それも深夜近くとなると未だに寒い。肌寒い、ではなく、普通に寒い。ジャージを着ているとはいえ、早く帰宅しなければ風邪をぶり返すことは火を見るよりも明らかだ。
「ん?」
路地の先へ視線を移せば、そこには霧がかかり始めていた。電灯が薄くぼやけはじめている。少しだけ、不気味だった。人通りや車通りの比較的多い路地だったことが幸いした。そうでなければ、不気味の一文字に尽きる状態になっていたかもしれない。
何か変なものに遭遇する前に、帰ろう。
そんな演技でもない事を思いながら、足早にコンビニを後にする。コンビニの眩し過ぎる光から遠ざかることに気が引けたが、いつまでもこの場に止まる訳にもいかない。
「くわばらくわばら…」
よく分からない呪文を呟きながら、帰路に着く。
コンビニから自宅までは最短距離で約十分。しかし、懸念すべき点があった。あくまでも最短距離で十分程度。その他の道を使えば更に所要時間は増える。残念なことに最短距離を選ぶと、どうしても電灯の少ない道を通らなければならなかった。全く電灯がないというわけではないのだが、明らかに人通りも少なくなる。霧が出て、しかも、何だか不気味なこの夜に、その道を通ることに躊躇いを感じるのは何も俺だけでは無い筈だ。
怖がりじゃない。霧がよろしくない。何かあってからでは、遅いのだ。
「自己防衛自己防衛っと」
また、だ。誰に伝えたい訳でもなく言葉が出てくる。自分に言い聞かせるために。そうでないと、自己を確立出来ないのかもしれない。
「………」
問題の分かれ道で足が止まった。
暗い道へ進めば、最短距離で帰宅して、暖もとれて食事にもありつける。明るい道へ進めば、少し遠回りにはなるものの決して帰宅出来ない訳ではなく、外を出歩く時間とご飯のお預けの時間が長くなるだけ。
どちらを選べばいいか、そんなこと迷うまでもない。
何かあってからでは遅いのだ。
確かに、幸せだとは思えない。それでも、まだ俺の事をしっかりと見てくれる人がいる。世界と繋げてくれる人がいる。今はそれだけで十分だ。
「弱ってるのかな…」
たかが、夜道の選択でここまで思考が膨らんでしまったことに溜息を吐く。まだ肌寒い夜風が病み上がりの身体へ障る前に大人しく帰宅するとしよう。
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