Act.002

 *****




 今日も、今日とて、時間は延々と。


「………はぁ」


 思わず、溜息が漏れた。正直、疲れてしまった。


 興味が湧かない授業というものは苦痛でしかない。それをこの数ヶ月で嫌というほど思い知った。以前はそんなに嫌いでもなかった勉強が、今ではこんなにも心身を疲弊させる。


 寝れない夜を過ごしたというのに、押し寄せる睡魔は余りにも矮小過ぎてアテにもならない。せめて清々しいほど気持ちの良い寝顔を晒している運動部の奴らに混ざって意識を手放せたのなら、どんなに楽だろうか。


「………はぁ」


 午前の授業から解放されたということもあり、校内は授業中よりも幾分か騒がしさを増していた。級友と共に昼食を楽しむ者。昼食などかき込んで、部活へと足を運ぶ者。午後の授業を嘆きながらも、与えられた試練しゅくだいへと足掻きを見せる者。ここぞとばかりに睡眠を貪る者。実に、青春的である。


 そのどれにも属せない俺の足は自然と校舎の外を目指す。何も持たずに、ただ人気のない方へ。溢れかえる活気の合間をすり抜けながら廊下を抜ける。パンの争奪戦が繰り広げられる購買を横目に下駄箱を抜ける。運動部の昼練の声から少しでも遠ざかるように運動場の縁を進む。


 気付けば、今日もここにいた。


「………ふぅ」


 先程までとは少し違う溜息が出た。自分でも少し気が抜けるのを感じる。


 ここは、だ。


 と言っても、人気のない場所へ場所へと進んだ結果、昼間の時間帯にも関わらずあまり日差しが差し込むこともなく、更にはゴミ捨て場の近くという決定的な場所。誰も好んで近付くような場所ではない。


 それでも、この憂鬱な学校生活の中で気が休まる数少ない場所の一つだった。


 春の微風そよかぜに木々が揺らめいていた。日差しが完全に遮断されている訳ではないので、時折直射日光の急襲を受けては眉間に皺が寄る。木の幹の近くで腰を降ろして上を見上げれば、葉々が輝いているようにも見えた。


「…。海みたい」


 昨夜の画像が脳裏を過る。海の、綺麗な、画像集。結局、あの動画が終わっても寝付くことは出来なかったが、今一度感謝の気持ちを表明してもいいかもしれない。


 胸ポケットからスマホを取り出す。メッセージアプリを開いて、画面に少しだけ指を這わせる。


『月が綺麗ですね』


「…おかしいな」


 特に何かを考えていた訳ではないが、自然と指が愛を語っていた。突拍子もない文と自身の感性に疑問を抱きながらも、しかし、一片の迷いもなく送信ボタンを押す。ポンっと子気味の良い効果音と共に言葉が贈られた。


 少しだけ、気分が高揚する。さて、どんな返信が来るのだろうか。


 しかし、勿論昨夜のように直ぐ様既読がつくようなことはない。そりゃそうだ。彼女はきっと昼食をとっているだろう。それも気に知れた友達と。このメッセージが起爆するのは数十分後、下手をすれば午後一の授業が終わった後かも知れない。


 それでいいんだ。どうせ暇つぶしでしかない。


 制服が汚れることなど気にすることもなく、幹へと寄りかかる。暖かな気温と微風の相乗効果で、少しだけ眠くなってきた。おかしなもので、真っ暗闇よりも、自分の部屋よりも快眠出来る気がしてならない。


 歪んでしまった。


 そんなことを思いながら、イヤホンを耳に突っ込んで目を閉じる。音楽は流さない。少しでも、外界をシャットアウトしたいだけ。




 *****




 ―――恭佑きょうすけ


 声が聞こえる。


 ―――恭佑。


 間違いない。俺の名を呼ぶ声。


 ―――恭佑。


 間違える筈もない。


 ―――恭佑。


 だからこそ、胸が苦しかった。


 ―――恭佑。


 幾度となく俺の名を呼ぶ声に思わず耳を塞ぐ。


男女の声が木霊し、反響し、頭の中を埋め尽くす。


 ―――恭佑。

 ―――恭佑。

 ―――恭佑。

 ―――恭佑。

 ―――恭佑。


 やめろ。やめろ。やめてくれ。


 お願いだから、それ以上呼ばないで。


 でないと、俺は―――。




 *****




 ―――ボスッ


「いたっ」


 確かに、そんな音が聞こえた。更に言うなら、音と同時に腹部に鈍い衝撃が走る。


 訳も分からないまま、目を開く。が、誰の悪戯か、直射日光の襲撃を受けて直ぐに目を細めた。誰かの人影が見えた気もするが、夢の中から強引に引き戻された意識はまだ朦朧として要点を得なかった。


「こんなとこから口説いてきたの、漱石サン?」


 文字通り頭上から声が降って来る。その一言で意識が覚醒するのを感じた。


 何で。どうして。いや、それよりも先に。


「何故に豆乳?」


「健康的でしょ」


「しかも、バナナ風味」


「甘いものって脳に効くらしいよ」


 要は、さっさと目を覚めせ、と。


「で?」


「で?とは?」


「何か用?」


「あ、支援物資痛み入る。かたじけない」


「いや、違くて」


「感謝の意すら受け取ってくれぬのか…」


「なんだ、元気じゃん」


「そうね。で?」


「ん? で?とは?」


「何か用?」


「あれ、デジャヴ。っていうか、真似しないで」


 うざっ、そんな言葉が聞こえてきそうな表情だった。直射日光にもようやく目が慣れ、目の前に仁王立ちする彼女―――木暮こぐれ 歌南かなの表情までようやく認識出来るようになってきた。


「文豪の真似事をする暇人探してたら、こんな辺境の地まで辿り着いてしまったの巻」


「それはそれは、ご苦労様でした。魔物にはエンカウントしませんでしたか?」


「敢えて言うなら、挙動不審な男子高校生との強制イベント中かな」


「強制イベント後には大切なアイテムが手に入ることが多い」


「お供えもしたからね、期待期待」


「豆乳だけどな」


「さ、バカなこと言ってないでそろそろ教室に戻るわよ」


 と、呆れた表情で振り返る歌南に試練が降りかかる。


 具体的に言うと、春の微風が少しだけレベルを上げて吹き抜けたのだ。


「きゃっ」


「あ、いい感じのチラリズム」


 未だ幹に身体を委ねたままの俺の視界では、チェックのスカートが舞い上がって見えた。その布地の奥に隠されていた白い白い健康的な太ももが今まさに。


「…。サイテー」


「大丈夫大丈夫。ギリ見えてないから」


「その方が萌えるくせに」


「お前とは良い飯が食えそうだ」


「はいはい」


 少しだけ恥じらっているようにも見える。女の子らしい声も聞こえた気がするし。しかし、歌も分かっているだろう。どうせ太ももより上など見えてないということは。それ以上見えそうになったら、俺はきっと目を背けていたに違いない。


 ラッキースケベで全てが済むと思わない方がいい。見たいかどうかは、また別として。


「ほら、そろそろ時間」


「ん」


「ちゃんと飲みなさいよね」


「ありがと」


 昼休みの終わりと、午後の授業開始五分前を知らせる予鈴の中、歌南と俺の二人は活気の溢れる校舎へと歩を向けるのだった。


 其々の面持ちで。




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