千歳玉響 ‐紅花‐

灯火可親。

Act.001

 *****




 


 一人きりで残されてしまった絶望を和らげることが出来ない。暗闇が怖い訳ではなく、例え電気をつけていたとしても夜という時間帯が怖い。夕刻の憂鬱を抜ければ、ただ果てしない時間が過ぎるのを待つしかない。


 分かっている。分かっているんだ。


 どうしようもないこと。先に進まなければならないこと。こんな姿など誰も望んでいないこと。


 それでも、怖い。夜になれば思い出の詰まったこの家に一人きり。部屋に篭ろうとも過去がどこからともなく囁きかけてくる。それは記憶の残滓。男性の声でもあり、女性の声でもある。そこには確かに暖かさがあった。そこには確かに自身の声もあった。音声は映像へと繋がり、白黒の写真。色褪せつつも流れる音楽。様々なものを引き出してしまう。心の奥の、更に奥底から。溢れ出てくるかの様に。


 確かに、ここには沢山のものが詰まって。だけど、今はもう…。


 ーーー♪♪♪


「…っ」


 遮光カーテンで全てを遮った部屋同様、真っ暗闇のその先へと沈んで行きそうになっていた思考が半ば強引に引き戻される。


 眩しい。しかし、それは希望の光などという抽象的なものではなく、もっと現実的で無機質なもの。救いではない、が、繋ぎではあった。


 目尻が熱い。俺はまた…。


『寝てる?』


 スマホの画面を確認して見れば、そこには単純明快な冗談が。多分、送り主もそのつもりなのだろう。


「寝てたらどうすんだよ…」


 返信を打ちながらも、思わず呟いた。


『意識はある』


『乙』


 既読がついたかと思えば、直ぐに返信が来る。勿論、これも見越されているのだろう。でなければ、瞬時に既読がつくこともなければ、例え一文字であっても瞬間的に返信が来る筈がない。


 見透かされている。腹立たしい。


 と、同時に、何故か安心してしまう自分がいた。


 また、中途半端だ。


『膝枕』


『え?』


『膝枕なら、少しは落ち着くんじゃない?』


『そうかな』


『だから、すれば?』


『何を?』


『膝枕




 自分で』


「軟体動物か」


 大きな声は出なかった。しかし、ツッコミを入れざるを得なかった。


 バカなんじゃないか。ではない、相変わらず唐突なことを言う才能に恵まれている。わざわざ改行で空白を挟む込むところがいじらしい。


『してくれないのかよ』


『えっ』『なんで』『きもっ』『ゴメンね』『でも、キモい』『うわっ』


 連投だった。それも、ハイスピードで抉る魔球。内角いっぱいいっぱいから心のど真ん中に突き刺さる。野球なら、たった六球でツーアウト。


『流石に傷つくわ…』


『うん、ゴメンね』『でも、ないわぁ』


『男だってね、泣くんだよ』


『知ってるよ』『今も…』『ううん、何でもない』


『ストーカーかな?』『監視カメラでもついてるのかな?』『怖いよぉ』


『肝っ』


『なんか…アレだね』『漢字で送られて来ると想像しちゃうね』


『サイコパスですわ…』


 他愛ない会話が続く。電子的なやりとりでしかないのに、声が、表情が、伝わって来るようだった。


 部屋に一人きりなのに、まるで隣にいてくれるかのような。そんな安心感。不思議だ。荒れていた心が少しだけ温まる。見透かされていたことはやはり腹立たしいままで。


『丑三つ時ですよ』


『そーですね』


『寝ないの?』


『寝れないボーヤが気になって』


『肌、荒れちゃうよ』


『確かに』『おやすみ』


 そして、何のキャラかは不明だが、布団に突っ伏して「zzz…」というスタンプが続く。


 薄情な奴だ。


『いい夢を』


『心にもないことを』


『愛してる』


 ここで、既読がつかなくなった。おかしい。最後に送った自らのメッセージを否応なく読み返すこととなり、思わず鳥肌が立つ。


『ここでスルーしないで』


『お願い』『豆腐の角で頭打って』『棺桶は用意しておいてあげるから』


『良かった、息を吹き返したか』


『いきなり麻痺呪文乗せて来るのやめてくれる?』


『いいじゃん、直ぐに打ち消せるでしょ』


『精神的ダメージは残る』


『うん、俺も鳥肌…』


『鮫肌の間違いでしょ』


『さっきから人の種族をすり替えようとしないで』


『ふーん』


 どうやら、飽きたらしい。そりゃそうだ。丑三つ時に、付き合ってる訳でもないのに、こんな実の無い話を延々と。キレられても何らおかしくはない。


 なのに、どうしてコイツは…。


『で、寝れるの?』


『きっと、いつか』


『電話、する?』


『彼女じゃないんだから』


『声聞くと安心するでしょ』


『うん』




『でも、いいや』


 後半の言葉を絞り出すのに、強がるのに少しだけ時間を要した。


 そう、彼女の言っていることは全て正しい。付き合ってはないけど、カップルではないけど、きっと彼女の声を聞けば安心する。下手をすれば電話している間に寝てしまうかもしれない。何に怯えることもなく、例え少しの間だけでも休むことが出来るかもしれない。


 でも、ダメだった。彼女に頼りきりの自分。そんな事実を受け入れきれない。受け入れたくない。受け入れてしまえば、その後はズルズルと…。


『そっか』『じゃ、ほんとにおやすみ』


『うん』『おやすみ、歌南かな


『また明日ね、恭佑きょうすけ


 続いて送られてきたのはスタンプではなく、何かのURL。開いて見れば某動画投稿サイトに上げられた一つの動画へと誘導される。


 それは、澄み切った海の画像だった。透明度が高く、船さえも宙に浮かんで見える孤島の画像。沈み行く夕陽に照らし出されたサーファーの影。水色の海へと繋がるビーチのカウンターに並べられたカラフルなカクテル。十秒ごとに画像が切り替わり、その背後でリラックスという言葉がぴったりのBGMが優雅に時を演出する。


 ゆったりとした音楽に少しだけ眠気が疼いた。画像と画像の切り替わりも、パッと次の画像が現れる訳ではなく、白く白くフェードアウトし、そして、次の画像も白い世界からゆっくりと現れる。


 そこに、夜の海はなかった。星空との対比もなければ、バクテリアの魅せる幻想的な青い海もない。フェードアウトが黒ではないのも見透かされているようで。


「バカ野郎…」


 そう呟きながら、押し寄せる波に身を委ねることにした。


 朝は、まだ遠い。




 *****

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る