ハバグッデイ・エヴリワン!

涙墨りぜ

ハバグッデイ・エヴリワン!

 待ち合わせに遅刻してはいけない。それは当然のことだ。当然のことができないと、罰を受ける羽目になる。罰とはこの場合、頭をはたかれて舌打ちとちょっとした罵声を浴びるということ。待ち合わせに遅刻した女に容赦なくそうしてくる男を彼氏にしたことが敗因だとは分かっている。うん、分かってるんだけど。

「今はそんなこと言ってる場合じゃない……よね……ッ!」

 息を切らせて駅前に。後ろ姿が見えた彼氏はスマホにチラチラ目をやって、あきらかにイライラモード。私は自分のスマホを見る。なんだまだ五分しか遅刻してないじゃん。いや、でも五分くらい許してよなんて理屈は彼には通用しないのでつまり。

「ごめん……待たせて」

 そっと背後から現れ、開口一番詫びを入れる。振り返った彼氏はあからさまに不機嫌な顔で私を頭の天辺からつま先まで見た。見て、ゆっくり口を開いて「あのさ」と言った。

「せめて遅刻すんならもうちょっと可愛いカッコしてこいよ。ほんとお前そういうとこダメだよな」

「はい」

 ったく、と首を振りながら立ち上がり、「行くぞ」と歩きだす。息切れを起こしていようが少し座る時間などを用意してくれるタイプの彼氏ではないので、先にあらかじめ十秒ほど立ち止まって息を整える時間を作っておいたのは正解だったな。あっ、ていうか今日頭パコーンってされてない。さすがに昼間で人通り多かったらしにくいか。ラッキー。


 歩きながら考えた。ついつい思考が目の前のことから逸れてしまうのが私の悪い癖だし、今日の遅刻の原因でもある。でもやめられない。

 考えるのは、二歩分くらい先を行く彼氏のこと。最初はただのクラスメートで、とにかく顔がいいから近づいていったら懐かれて……相手するのはわりと面倒な感じだなと思ったけど、本当に顔がいいから高校ではある程度モテるって感じだし、まあいわゆる俺様系男子ていうか、ドS系王子様っていうか……そういう個性だと思えば付き合うのも悪くないかなーと思って、強引な告白をされたときにニッコリ笑って断らなかったわけで。もう三ヶ月になるけど日に日に調子乗ってくるし、平気で頭叩いたり舌打ちしたりしてくるし、いざってときに頼れるとかお姫様扱いとかもないし、スゲー期待はずれ感あるんだよねこの人。ぶっちゃけストレートに言うとDV男の素質ありすぎだし。わりと要求されてはいるんだけど家に呼ぶのが怖くてできないレベル。イエス、アイアム処女。

「おせーんだよお前」

 のろのろ歩いてたせいか、気づいたら彼氏が立ち止まってこちらを睨んでいた。ごめんね、となるべく健気な笑みを作りながら小走りに遅れを取り戻す。

 あーだめだそろそろ限界。正直お似合いのカップルって感じでクラスでももてはやされてるし周りの女子の妬みの視線がすごい気持ちいいから別れてなかったけど、こいつの取扱いホントめんどくさいんだよね……。他の男子と楽しそうに喋ってたら機嫌悪いし、LINEしてて寝落ちで既読スルーしようもんなら翌日しばらく無視されるし。

 なんてーか、こう、控えめに申し上げても――


「ブッ殺したい……」


 思わず本音が口から出た。彼氏はそれを聞き取れなかったらしく、振り返ることなくどんどん歩いている。……あ、いけないまた距離が空いてる。はやく行かないと。

 足を早めかけたそのとき、後ろで何か、車輪が道路に擦れるときの音がした。

「え?」

 私が振り向くより早く、背後から追い抜いてきたのはスケートボードの男だった。身長はそこまで大きくない。彼氏が百八十センチであることを抜きにしても、その男は小柄な部類だと思った。

 黒地にビビッドカラーのインクが散ったような柄のパーカー、キャップを深く被ったその男は彼氏の前に立ちはだかるようにスケボーを停めた。


 え、なに。


 私と彼氏のどちらも何も言えなかった。と言うか、言うような暇すら与えずに男は次の行動を起こしていた。

 ぱん、ぱん、ぱん、ぱん、と破裂音が四回。次の瞬間彼氏が地面にくずおれて、私は首を傾げながら男の手元を見た。拳銃が黒光りしていた。

「嘘」

「嘘じゃないよ」

 男は軽い口調で私の言葉を否定すると、しゃがみ込んで彼氏の肩のあたりをつついた。

「うん、たぶんご臨終だね」

「殺した……」

「うん、殺したね」

 のどかな田舎道……ってほどでもないけど、このあたりは人通りがないときはマジで誰もいない。住宅はあるけど特に誰かが騒いで出てくる様子はない。

「え、あの」

 とりあえず彼氏に駆け寄るべき? スマホ取り出して通報すべき? ぐるぐるする頭を制御できずに、私はなぜか犯人と会話する道を選んでしまった。

「なんで殺したの」

 男は立ち上がって、帽子のつばを軽く持ちを上げながらこちらを見た。まだ少年のようにも見える童顔の男は、真っ黒できれいな目をしていた。

「うん、殺し屋だからね」

「頼まれたってこと」

「うん、詳しくは言えないけど」

 澄んだ目であっけらかんと殺し屋とか言ってる。なんだこいつ……。不思議と、いや訂正、不思議でもなんでもないけど彼氏が死んだという悲しみはなかった。ただ次に殺されるのは私かもしれないという危機感はあった。

「私も殺すの」

「うーん」

 はじめて、男はうん、と言わなかった。

「まあ、なんてーか」

 ちょっと言葉に詰まったようなその男は、やおら私に近づいてきた。私は後ずさる。後ずさりはしたが、そのまま走って逃げるでもその場にへたり込むでもなくそこにいた。

「うん、あげるねこれ」

 男は私に拳銃を差し出した。グリップを私の方に向けて。

「これ、引き金引いたら撃てるから。まーもう一発しかないけど」

 押し付けるようにでもなく、ただ差し出されたそれを、どういうわけか私は受け取ってしまった。見た目よりずっしりと重い。至近距離で感じる男の息は、ミントのガムの匂いがした。

「……どうも」

「うん、どうも。……いい殺意だね、大事にしなよ」

 そう言って男は笑った。きれいな白い歯が、完璧な並びで光っていた。彼氏より好みかもしれない、そんなことを急に思って、私も思わずちょっと笑い返してしまう。そして彼氏の死体を挟んで場違いに和やかな空気が流れたその一拍ほど後、人気のなかった道に突如犬の鳴き声が響いた。私たちがばっと声のした方を見ると、柴犬を連れた中年のおじさんが、少し離れた場所からひきつった表情でこちらを見ていた。

「まずい?」

「うん、まずいね」

 男はキャップを深く被り直し、スケボーに飛び乗ってあっという間に逃げていく。最後に男は、スケボーの上から陽気に叫んだ。

「良い一日を!」

 私も拳銃を片手に走り出す。バァカ、デート潰しといて良い一日も何もないでしょうが。そう返してやりたかったけど、男は遠くに行ってしまっていたし私は走るので精一杯だった。


 私がたどり着いたのは学校だった。そこしか屋上に侵入できる場所を知らなかった。校舎は閉まっているかと思ったが、部活で使われているらしく普通に開いていた。屋上へは立入禁止だが実は鍵が壊れているのを私は知っていた。嫌なことがあるとここから飛び降りて死ぬ想像をするという、なんともアブナイ感じの友達が教えてくれたのだ。

「よいしょ」

 迷わずフェンスをよじ登る。銃を片手に持って登るのはちょっと大変だったけど、なんとか向こう側に立つことができた。

「ブッ殺してー……な、っと」

 頭のなかで、あのキャップを被った男が笑う。澄んだ黒い目と、歯並びの美しい口。ほんと、あの彼氏より好みかもしんない。彼氏死んだからもう元彼かな。

『いい殺意だね、大事にしなよ』

 あの男が拳銃をくれたのは、つまりそういうことなんだ。ホントに殺し屋なら、プロだからそういうの分かんのかな。

「ブッ殺してやる、よ」

 私は自分のこめかみに銃口を向けた。口にくわえた方が簡単ってどっかで聞いた気がする。……でもなんか、銃くわえるってヤじゃない? やらしくない? イエス、アイアム処女。

「まーどっかしら当たれば、それで死にきれなくても確実っしょ……この高さだし」

 難しいことはわかんなーい。でもまあ、なんとかなるでしょ。

 屋上にいる私の姿に気づいて、グラウンドので部活動に励んでいた運動部員がわらわらと私の足下に集まってくる。あ、落ちるときパンツ見えるかも……まあいっか。私は陽気に叫びながら、右手に握った拳銃の引き金を引いた。


「みんなー、良い一日を!」


 オーケイ、死ぬ。死ね。死んだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ハバグッデイ・エヴリワン! 涙墨りぜ @dokuraz

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ