第6話 鎌足と垂目の秘密

 舒明が大王になり8年が経った。

 大王は以前から体が弱かったが、最近は特に寝込む事が増えた。


 すでに次期の大王について、陰で相談する者達も出てきた。真っ先に活動を始めたのは山背。一度、機会を逃している彼の思いは強かった。

 古人は表立った行動は起こしてはいなかった。しかし来る時に向けて、計画を練った。

 そして、皇后宝皇女。彼女は我が子、中大兄を大王の座につけたいと考えていた。しかし中大兄はまだ幼い。中大兄のために、大王には長生きをしてもらわなくてはならない。

 宝皇女は夫の体を丈夫にするために、湯治を勧めた。事の他、温泉が気に入った舒明は、飛鳥を長期に空ける事が多くなってしまった。


 大王が不在の間、政は大臣の蘇我がほとんど執り行った。大臣、毛人の名のもとに、大郎が飛鳥を動かしていた。

 それまでも強大と思われていた蘇我の力は、さらに上をいった。

 宝皇女にとっては誤算だった。あまりにも舒明がないがしろにされてしまった。


 春の陽射しが心地よい。

「ようやく冬が終わったな」

 大郎は景色を見ながら、白虎に話しかけた。

 大郎は腕の傷跡をじっと見つめた。

 朱雀に焼かれた火傷。薄着になり、肌が露出するようになると目立ってくる。


 大郎は久しぶりに豊璋の様子を見に行った。しかし豊璋は散歩に出かけ、不在だった。

 その頃豊璋は、飛鳥にも慣れ、大和言葉もだいぶ覚えてきていた。

 大郎は蘇我の敷地内であれば、大郎が付かなくても外出を許可していた。もちろん警護は必ずついて行った。


 ある日、大郎が帰宅したとき、門の前で古人が立っていた。

 大郎を見かけると、古人は血相を変えた駆け寄って来た。古人の深刻な様子から、大郎はただ事でない何かが起きたのだと推測できた。

「大郎。私は大変なことを聞いてしまいました」

古人はかすかに震えていた。顔は紅潮して、肌寒いこの日に、汗をかいている。

「どうした。落ち着いて話せ」

「はい。しかしここでは少し……」

「家に入って来い。父は不在だ。俺の部屋は人払いをしておく」

そういって大郎は古人を家の中に入れた。


「先ほど。ついさっきの話です」

部屋に入るなり、古人は身を乗り出して語り始めた。

「私は馬子のおじい様のお墓を尋ねました。そこへ豊璋様と警護の方がいらっしゃったのです。

 私はお声をかけようと思いました。

 しかし、そこへ、鎌足が来たのです、私は、思わず木の陰に隠れてしまいました」

「鎌足だと?」

大郎は大きな声をあげた。


 大郎は鎌足に借りがあった。

 大やけどを負った時、鎌足に助けてもらった事だ。

 大郎は傷が癒えてから、中臣の家に礼を言いに行った。部屋に通され、鎌足と垂目と3人となった。

 その時の鎌足の目はこれまでと違っていた。今までは大郎には敵意に満ちた瞳で大郎を睨んでばかりいた鎌足であった。しかし、その時は蛇が獲物を狙うかの様に、執拗に大郎を見つめていた。

 そして垂目と大郎を交互に見比べる。

(鎌足は何か気が付いたのだな。

 彼があの惨状を見て、何も思わないはずがない。そしてそれについて、何も聞いてこなかった事は、かえっておかしい)

大郎は白虎に顔を向けた。すぐに元に向き直ったが、そのちょっとした仕草すら、鎌足は見逃さなかった。


 大郎は古人の話に身を乗り出した。

「それで、鎌足は」

「はい。警護に名を名乗り、豊璋様とお話をさせてほしいと願い出ました。

 豊璋様は中臣の姓を存じていたらしく、面会に応じられました。

 私は出るに出られず、隠れて話を聞く形になってしまいました」

古人はひとつ息を吐いた。

「鎌足は豊璋様に百済語で話しかけました。豊璋様は百済語で話すのは久しぶりだと、喜んでおられました。

 鎌足は警護の者が百済語が分からないことを確認しました。

 そして私が聞いていることは知らずに、百済語で豊璋様に話しかけたのです。

 鎌足は第一声、自分は百済の人間だ、と言ったのです」

「!」

大郎の衝撃は大きかった。古人が興奮しているのが分かった。

 古人は一言一言、思い出すように語った。

「幼い頃、三国の戦乱を避けて、百済から大和にやって来た。父親は百済の役人であったが、皇族の血も入っているのだと。豊璋様とは全く身分が違う。

 大和には一族10数人で来たが、飛鳥に辿り着いたのは、自分と母親だけ。母親と二人、耳成山に入り、洞窟で数日過ごした。

 そして、数日後、耳成山に中臣御食子様がやって来て、その時、崖から落ちた。足を怪我して動けなくなっている所を、鎌足が見つけ、親子で介抱した。

 御食子様が歩けるようになった時、母親が、鎌足を引き取ってもらえないかと頼んだ。ここで暮すのは不憫でならないと。

 御食子様は母親を側室として、鎌足を自分の子としてくれた。そのために、必死に大和の言葉を覚えた。

 しかし母親は間もなく亡くなった。それでも御食子様は鎌足を本当の子の様に育ててくれた。本当の父親以上の方だと」


(以前、垂目が賢い鎌足に、四神が付いていないのは不思議だと言っていたな。

 鎌足は中臣の血を引いていない。四神が降りてくるはずもなかったのだ)


「そして鎌足は言いました。

 自分は百済の国を再建し、もう一度強い国にしたいと」

「……。 それで、豊璋様は何と?」

「嬉しそうに笑っておられました。

 私も百済をもう一度強い国にしたい。高句麗、新羅を倒し、三国を統一するのが自分の夢だ。

 しかしまだ私は幼い。できることなど限られているとおっしゃいました。

 すると鎌足は、大丈夫です。焦らなくてもいい。飛鳥には私がいることを覚えていてくれ。必ず豊璋様のお役にたってみせますと言って、頭をさげました」

(やはり豊璋様は、百済の再建を願っておられるのか。

 今、百済は危機に陥っている。唐にまで狙われているのだ。

 豊璋様が大和で何らかの行動を起こしたとなると、飛鳥も争いに巻き込まれる可能性がある)


「大郎」

古人の声が震えた。

「どうしましょう。神祇伯である中臣の嫡男が、じつは百済人、韓人からひとであったとは」

「落ち着け。飛鳥に渡来人は大勢いるではないか。鎌足に限った事ではない。

 それに、あの人徳者であり情け深い御食子様が、この国で、大和人として鎌足を育てたのだ。百済人であっても、心は大和人なのだ。

 百済人であったことは、問題ない」

大郎はそう言ったが、鎌足は何を考えているのかわからない。一抹の不安をぬぐい切れずにいた。

「とにかく、この事は人に知られてはならない。

 古人、誰にも言うでない」

「い、言えません。大郎だけです。話したのは」

古人は怯えた目をした。

「私は鎌足が恐ろしい。あの目は、蛇の様です」

古人は身を震わせてみせた。


「あの、大郎。

 私は気になる事があるのです。鎌足は最近、中大兄に近寄っているのです。

 きっかけは、先日、飛鳥寺で蹴鞠の会が催されたときの事です。

 その会には中大兄も出席していました。

 会の最中、中大兄が鞠を蹴ると、彼の靴が脱げて、勢いよく飛んでしまったのです。

 中大兄はまだ小さいくせに、大人ぶって、大人用の靴を履いていたからでしょう」

古人は、義弟が好きではない様子。

「すると、突然鎌足が出てきて、その靴を拾ったのです。

 鎌足は神職の家の者。皇族の集まる蹴鞠の会には参加できないはずです。

 どうも、近くの欅の木の陰に隠れていた様なのです。

 靴を拾った鎌足は、中大兄の元に行き、ひざまずいて返していました。

 あの時、鎌足は中大兄に熱心に話しかけていました。

 その後で鎌足の姿はすぐに見えなくなりましたが、私が思うに、鎌足は中大兄に会うために、あそこにいたのではないでしょうか。

 さっきの話と考え合わせると、鎌足は中大兄に働きかけて、百済の再興をしようと考えているのかもしれません」

「確かに」

大郎と古人は顔を見合わせた。

「鎌足と中大兄には十分気を付けないといけないな。

 古人、お前も特に鎌足には気を付けろ」

「はい、もちろんです。

 私は、鎌足とは関わりたくはない」


 6月。

 大郎は暇があれば、飛鳥の歴代の宮を見て回っていた。

 飛鳥の守りを固めるためにはどうすればよいか。宮の建物の造りを学んでいた。


 この日、大郎は磐余いわれの地を訪れた。

 用明がこの地で政をしたのは、わずか2年であった。その時には栄えていた地も、今はすっかり寂れてしまった。

 

 梅雨の季節であったが、雨が少ない。ここ数年飛鳥では雨不足が深刻で、小さな沼などは干上がっていた。

 水量の少なくなった沼があった。中心部に水が少し残っているだけである。もとは水があったと思われる沼底は、ひび割れている。

 周りに生えている木々も、枯れてしまいそうだった。

 大郎は林の中から枯れそうな沼を見たいた。

 すると、ぱらぱらと雨が降って来た。

「おお、恵みの雨か」

大郎は空を見上げた。しかし空には雲ひとつない。

「ん?」

 そうしているうちに、雨はあっという間にやんでしまった。大郎は怪訝そうに周囲を見渡した。

 すると木の陰に、玄武の頭だけが見えていた。

「垂目!」

姿は見えないが、垂目はそこにいる。大郎は垂目の元に駆け出した。


 沼のほとりには、ぐったりと下を向いて座っている垂目がいた。

「垂目!」

大郎は大きな声で呼びかけた。

 垂目は驚いて、大郎の方に目を向けた。

「きらら! 大郎様ですか」

垂目はホッとしている様子だった。


 大郎は座っている垂目の隣に腰を下ろした。

 垂目は冷や汗をかき、息を切らせていた。

「垂目。さっきの雨は、ゲンの力だな」

「す、すみません……」

垂目はゼイゼイと咳込んだ。

「なぜ、こんな所で」

「すみません。ゲンの力を、人に、見られちゃいけないと言われていたのに。こんな所で使ってしまって」

「ここで、何を」

垂目は干からびた沼底に目を向けた。視線の先には亀が1匹、のそのそと歩いていた。

「亀が干からびそうでしたので。かわいそうで。ゲンも亀ですし」

垂目は玄武に視線を移した。大郎は優しい目で垂目を見た。

「しかし、それでお前が体調を悪くしていたら、なんにもならない。

 それに、ここに来たのが俺でよかった。気を付けるのだ」

そう言って、大郎は垂目の頭をポンポンと優しくたたいた。


 その後、大丈夫という垂目を、大郎は中臣の家まで送った。

 家が近づくと、垂目は急に立ち止まった。

「大郎様。ここまで送っていただき、ありがとうございました。

 あの、兄に見つかると面倒ですので、この辺で」

垂目はぺこっと頭をさげた。

「そうだな。

 では、また、近いうちに会おう」

大郎がそう言って去ろうとした。

「あ、あの」

大郎は垂目に呼び止められた。大郎は「なんだ?」と言って、垂目の目の高さまで腰をかがめた。

「あの、私、結婚が決まりまして……」

「け、結婚? お前が……。

 いや、そうか。お前も、もう、16だったな。俺の中ではいつまでも、子供の気でいた。いや、申し訳ない」

「そんな事はないです。

 それで、私は磐余のその、ずっと先に家を建てる事になりまして。今日は、その帰りだったのです」

「なんと、遠くに行ってしまうのだな」

「はい。兄からの勧めなのです。大郎様とも、きららとも、なかなか会えなくなります」


 大郎はふと、考え込んだ。

「……。 垂目。

 飛鳥から離れると、ゲンは小さくなるかもしれない。

 丁未の戦は河内が戦いの場であった。そこでは四神は少し小さくなっていたのだ。

 力を使うのも大変そうだった」

「大郎様は、戦を見て来たようなことをおっしゃるのですね」

大郎はしまったとばかりに、息を飲み、そして白虎を見た。


『全く。いくつになっても、どこか抜けている』

白虎はため息をついた。


「いや。厩戸様から聞いたのだ」

「そうですか。

 私は厩戸様を知りません。大郎が羨ましいです。今も厩戸様は伝説の方ですから」

「そうだな。俺は運がよかった。

 しかし、前も言ったが、厩戸様はお前が産まれる時、俺と一緒に耳成山に出向いてくださったのだ。そして、玄武の主の誕生を、喜んでおられた」

「そうなのですね。うれしいです」

垂目は微笑んだ。

「だから、垂目。異国の地では、ゲンの力を使わない方が良い。

 もともと四神は飛鳥を守るために降臨しているのだ。それを忘れるな」

「はい」

垂目が大きくうなずいた。大郎もうなずき、垂目の頭に手をかけようとした。

「いや。もう、子供ではなかったな」

大郎は頭を撫でようとした手を一度見つめ、それから垂目の肩をポンポンと叩いた。


 大郎と垂目が分かれて数日後。夜更けの事だった。

 岡本宮の火災。


 宮のが燃えている。蘇我の邸宅にも知らせが来た。大郎と毛人は馬で駆け付けた。

 大郎達が宮に着いた時には、すでに炎は建物を覆いつくしていた。もう、手の施しようはなかった。

 雨は1月以上降っていない。建物も周りの木も草も、全て乾燥しきっていた。火の回りは速かった。瞬時に燃え上がったのだった。


 大郎と毛人は呆然と炎を見ていた。

「どうにも、ならんな」

毛人は小さな声でつぶやいた。


 その時、突然に大雨が降ってきた。

「おおお」

周囲から歓声が聞こえて来た。

「もっと降れぇ。火を消してくれ」

などと叫ぶ声も聞こえてくる。

「いや。これくらいの雨では、火を消す助けにもならんだろう」

毛人は顔を左右に振った。

「中に、人はいないのか? 大王は?」

毛人は外にいた役人達に聞いて回った。

 宮であるこの建物には、大王はじめ、皇后や数人の皇子、皇女が住んでいるのだ。

「はい。皆さま、外に逃げだせております」

「どこに、おられる? 案内しろ。

 私は大王の所に行ってくる」

そう言って、毛人はその場を後にした。


 大郎は消火活動を指揮した。

 しかし、川までは距離があり、暗闇の中、水を運ぶことはままならない。

 火の勢いは衰える事はなかった。


 大郎は雨が降ってくる空を見上げた。

「月が、星が見えるぞ。

 この大雨で、雲がないわけがない」

大郎は白虎を見た。

「まさか、玄武か?」

大郎が気が付いた途端、雨はピタッとやんだ。


 大郎は周囲を見渡した。

 岡本宮のすぐ後ろに飛鳥丘がある。小高い丘で、木がポツンポツンと生えているだけだ。

 その丘の中ほどに、光が見えた。松明の炎の様だった。

 白虎は飛鳥丘をじっと見つめている。

 大郎も気を集中させた。

「四神だ。四神の気配を感じる」


 大郎は一度、宮に目を向けた。火の勢いは弱まってきていた。火事はすべてを燃やし尽くし、炎の元となるものすらなくなってきたのだろう。

 もうすぐ鎮火するであろうと確信した大郎は、一目散に飛鳥丘をめざした。

 夜の飛鳥丘には、人が3人。そして四神が2匹。

 中臣垂目と玄武。物部雄君と朱雀。そして中臣鎌足。

 鎌足はひざまずいていた。鎌足の持つ松明が、周囲を照らしていた。

 その足元に垂目が倒れていた。ゼイゼイという垂目の呼吸音が聞こえてくる。

 雄君は立ってはいたが、大きく肩が上下している。手の甲で汗をしきりにぬぐっている。


 大郎は思わず立ち止まり、その光景を見つめた。

(垂目も、雄君も四神の力を使ったのか)

大郎は白虎の目を見た。白虎はうなずいた。

(そうか。雄君が岡本宮を朱雀の炎で燃やし、垂目がそれを消そうとしたのか。

 では、鎌足は。鎌足は他に何を見た。

 しかし、なぜ、なぜこの3人が、ここに?)


「…… を、抱いているのだ。この恨みの気持ちを、消し去りたい。そのためには、その根源を滅ぼすしかない」

雄君の声だった。

「それが大王様なのですか?」

鎌足が尋ねる。

「ははは。あんな大王。大王ではないだろう。

 温泉ばかり行っていて、なんの役にも立たないではないか。奴が焼かれようが、水浸しになろうが、俺には関係ない」

雄君の馬鹿にしたような笑い。

「では、あなたが宮を焼いたのではないのですね」

「俺が? 疑うのなら、俺を調べるがいい。俺は火起こしの道具など持っていない。

 それに、宮が燃えた時、俺はここにいたのだ。それはそこにいる、目のでかいお前の弟が証明してくれる」

そう言って、雄君は垂目を指さした。

(やはり、雄君様が宮に火を付けたのだ)

大郎は確信した。

「それは、申し訳ありません」

鎌足は口の端で笑いながら、皮肉を込めて謝った。

 鎌足も雄君の説明を、受け入れてはいないのだ。


「……。では、誰を恨んでいるのですか」

「お前に聞かせる筋合いはない」

「いえ。私は、きっと雄君様のお役に立てます」

「ふんっ」

雄君は鼻を鳴らしただけだった。しばらく、しんと静まりかえった。

 雄君は大きなため息をついた。そして、

「上宮家」

と、短く言った。

「!」

垂目はぴくっと反応し、ゆっくりと起き上がった。

「おそらくな。俺とて、それが根源なのか、はっきりはしないのだが」

「丁未の戦で、物部本家を滅ぼされた恨みですか?」

「そんな、簡単なものではない。しかし力のないお前にはわからない事だ。

 そこの小僧と、そこに隠れている蘇我ならまだしも。お前には決して理解できぬ。

 お前に話した俺が愚かだった」

鎌足と垂目は、雄君が指さした先を見た。

「きらら」

垂目が思わず口にしてしまった。

 大郎は全く見えないのだが、白虎だけは見えている。

(きらら? なんの事だ)

垂目の口走った言葉を、敏感に聞き取っていた、


『まぁ、隠れていたわけではないのだがな』

大郎の代わりに言い訳をしたが、誰にも聞こえはしなかった。


 大郎はゆっくりと進み出た。

 鎌足は睨みつけるように大郎を見た。そして嫌味っぽい笑みを浮かべた。

「なぜ、このような所に」

「それは、お互い様であろう」

二人はにらみ合った瞳を、お互い外さなかった。


 雄君は音もなく、歩き始めた。

「待ってください」

大郎の引き留めた言葉に、雄君は反応すらしなかった。

それに続いて、鎌足が雄君に向かって叫んだ。

「私は、あなたの味方だ。

そして、きっとあなたの役に立てる。

覚えておいて下さい!」

雄君は一瞬、振り返って鎌足を一瞥した。

 しかし、何も言わなかった。よろめきながらも、真っ暗な道を、灯りもないまま歩いて行った。


 大郎は振り返り、垂目と目を合わせた。

 垂目の瞳は何かに怯えているように見えた。

 逆に鎌足は勝ち誇った様な顔をしている。

(まさか、垂目……)

垂目が激しく咳き込んだ。ヒューヒューと肩で息をする。

 鎌足はその姿を、横目で見なて、そして大郎に向き直った、

「蘇我大郎様。垂目の具合が悪そうですので、私たちはこの辺で帰ります。そうそう、いつも垂目がお世話になっているようで。ご迷惑をかけて申し訳ありません」

そう言うと垂目をつついた。

「いや。迷惑などととんでもない。

 垂目。俺は馬で来ている。具合が悪いなら送るから、そうだ。そのまま、我が家で休んだらどうだ」

「いえ。そんなご迷惑はかけられません。

 第一、岡本宮が焼けたのです。大臣のご長男がそんなのんきなことを、してはいられないでしょう。

 我々は、邪魔にならないよう、失礼します」

鎌足はそう言って、乱暴に垂目の腕を引っ張った。垂目には逆らう力も残っていない様だった。鎌足に引きずられるようにして歩いて行った。

 すれ違いざまに垂目はちらっと大郎を見た。その目に精気は全く見られなかった。

 灯りを持った鎌足がいなくなると、全くの暗闇に包まれた。垂目の苦しそうな咳の音が、徐々に遠くなっていった。


「きらら。俺は垂目を助けられなかった。あんなに、助けを求めていたというのに」

大郎は無力感と罪悪感にさいなまれた。

 力なくその場に立っていた。

 そしてよたよたと歩き、岡本宮を見下ろした。火はほぼ鎮火していた。


 後日、垂目は飛鳥を去った。結婚が早まり、家が完成する前にもう住み始めたという。

 もちろん、鎌足の策略であった。

 


 




 

 

 

 

 

 

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る