第3話 唐と百済

 田村皇子が即位し、舒明の大王が誕生した。

 この時、百済、新羅、高句麗の朝鮮半島の三国の争いは、一層激しくなっていた。

 そして唐が大陸を統一し、巨大な国が誕生した。

 大和は遣唐使を派遣することになった。


 舒明3年。

 唐からの船が帰国した。

 大郎は朝廷の代表として、帰国した人々を迎えた。


「誰だ。あの人は?」

帰国した人の中に、大郎の心を一瞬でつかんだ人物がいた。

 みん法師。僧である。

 遣隋使として小野妹子おののいもこと大陸に渡り、24年の長い年月を、大陸で過ごしていた。隋の滅亡、唐の建国を見てきた、貴重な人物であった。

 顔には深いしわが刻まれ、髪と髭は灰白色。頬はこけ、やつれている。向こうでの苦労がしのばれるいで立ちだった。

 大郎は旻の前に立ち、正面から向き合った。

(師の目はなんと、美しい事か。まるで深い海の様だ)

大郎は社交辞令の一つも言えず、ただ旻の瞳に見入ってしまった。

「旻と申します」

穏やかな声だった。

「そ、蘇我大郎鞍作です」

すっかり、大郎は慌ててしまった。

 旻はその澄んだ目で、大郎をじっと見つめた。厳しい表情をしていた旻が、突然緊張をほどいた。そして穏やかな声で、ゆっくりと話し始めた。

「強いお方ですね。

 あなたには、守り神がおられるようですね」

大郎は驚いた。思わず白虎と旻を交互に見つめてしまった。

 旻は大郎を見てほほ笑んでいるだけである。

「旻殿。あなたの目には、何か見えていますか」

「私にはあなたの清い魂と、そして強い守護を感じるだけです」

「旻殿。私はあなたに師事したい」

突然の大郎の申し出。旻は目を丸くしている。

「あ、き、急に申し訳ありません。でも、私は貴殿に教えを請いたいのです」

「それは、光栄な事です」

旻は頭をさげた。大郎はさらに深く頭をさげた。

「大郎殿」

「いえ、大郎とお呼び下さい」

「では、大郎。私たちは良い友人になれそうですね」

「友人などと、そんなもったいない。

 先ほど申し上げたように、私の師となっていただきたいのです。

 そして、大陸の事、仏教の事、様々に教えていただきたいのです」

まっすぐに自分を見つめてくる大郎に、旻は目を細めた。


 この後、旻は大郎の勧めもあり、私塾を開くことになる。旻は仏教、儒教、易学、さらには百済や唐の言葉、世界の情勢など、多岐にわたる学問や知識に精通していた。

 大郎は一番の生徒になった。


 大郎の元に使いの者が走って来た。

「大郎様。大臣様がお呼びです」

「うむ。わかった。すぐに行く」

大郎は旻に向かって頭をさげたが、旻が大郎を引き止めた。

「待ってください。お願いがあります。

 豊璋ほうしょう様の事です」

「豊璋……」

大郎はその名に聞き覚えがあった。腕を組みながら、記憶の糸をたどった。

「たしか、百済にそのような名の皇子がいます」

「さすが、蘇我の家のご嫡男であらせられる。

 そうです。百済の義慈王ぎじおうの王子です」

「豊璋様が、何か?」

「私達は帰国する前に、百済に立ち寄りました。その際、義慈王は跡取りである、豊璋様を我らに、大和に託したのです。

彼は我々と一緒に飛鳥に来ています」

「なぜ、皇太子を外国に。

今、百済は国として存続できるか、危ない状態ではないですか。跡継ぎがいなければ、国が滅びるかもしれないでしょう」

「確かに。

今言われた通り、百済は危機に瀕しています。

新羅が唐と手を組み、高句麗と百済を攻めています。百済は国として、疲弊していますし、高句麗は滅亡寸前です。

義慈王は私に言いました。豊璋を人質として、大和に預けると」

「今さら、人質とは。百済と大和は有効関係ではありませんか。

それに、大和は遣唐使によって、唐と国交を始めたところです。大和が百済の皇族を匿う事で、唐にも狙われるかもしれない」

「そこです」

旻に指摘され、大郎も思いついた。

「そうか。

皇太子を預けるほど、百済は大和を信頼する。だから、唐と友好関係になり、一緒に百済を攻めるな。あるいは、唐に百済侵略を止めさせてくれ、という事でしょうか」

「そうですね。

それと、これは私見になりますが、義慈王は諦めているのかもしれません。もし、百済が滅びても、正当な跡継ぎが生きていれば、百済の復興は叶います。その時には、大和に協力して欲しいと、思っているのかもしれません。

 私たちは一緒に船旅をしてきました。

 豊璋様はまだ、幼い。船の中でも大変心細かったでしょう。一言も口を利かず、誰とも心を通わすことはありませんでした。どうか、気にかけてやって下さい」

大郎は旻の気遣いに心を打たれた。

「わかりました」

大郎は快くうなずいた。


「そして、もう一つ。大きな問題が来ています」

旻の顔が曇る。

「今は、まだ飛鳥には到着していませんが、唐の使者も大和に来ているのです。もうすぐ飛鳥にもやって来るでしょう。

 高表仁こうひょうじん。彼は一筋縄ではいきません」

「高表仁……」

「彼は、唐の皇帝から柵封さくほうを持っています」

「さ、柵封……」

大郎は息を飲んだ。

(面倒な事になるぞ)


柵封とは、唐が周辺諸国に与える任命書の様なもの。

唐の皇帝の名の下に、それを受け取った者が、その国の王として認められる。

そして唐は臣下となった国を保護する義務を負い、その国が戦となれば、援軍を出す。

 柵封を受け取れば、唐と群臣関係となり、大和は唐の臣下となる事を意味するのだ。


大郎はもっと話を聞きたかったが、毛人にこのことを早く伝えなくてはならない。

「旻師。ここで失礼いたします。

 また近いうちにお会いしましょう」

大郎は旻に頭をさげ、毛人の元に急いだ。


 毛人の隣には、異国の服を着た子供が立っていた。10歳か、それくらいの年齢と思われた。一重の細長い目。義慈王一族とわかる顔立ちだった。

「父上。こちらが豊璋様ですか」

「そうだ。聞いておったか。

 それなら話は早い。お前が豊璋様の世話をするのだ。任せたぞ」

(そのつもりではいたが。それにしても、いきなり丸投げってのもどうかと思うぞ)

大郎は毛人を睨みつけた。

 毛人はその場を去ろうとしたが、大郎は腕をおさえて引き止めた。

「それより、父上。唐からの使者が、柵封を持ってきていると」

「なんだと!」

「旻法師が情報を持っていました」

「これは、また、やっかいな」

毛人は顔をしかめた。

 そこへ唐の高官が大臣を呼んでいると使いが来た。

「わかった。では大郎、また後でそれは話そう」

そう言って、毛人はバタバタとその場を去った。


 大郎はその場に残された百済の皇子を見た。

 皇子はまっすぐ前を向き、拳を固く握って立っていた。

 大郎は豊璋の前でかがんだ。豊璋は口を真一文字にして、目をぱっちりと見開いていた。目が潤んでいる。

(瞬きをしたら、涙が落ちてきそうだな。

 そうか、必死でこらえているのだろう)

大郎はこのいじらしい子供を守ってあげようと、覚悟を決めた。

 大郎は片言の百済語で話しかけた。

「私は、大郎だ。豊璋様のお世話をする。よろしく」

大郎は豊璋が皇太子であるという身分を無視し、頭をくしゃくしゃと撫でた。そしてにこっと笑ってみせると、豊璋はぽたっと、一粒涙をこぼした。その後、涙はとめどなくこぼれ落ちてきた。


「!」

突然、大郎は背中に強い視線を感じた。背筋に寒気が走った。悪意を感じた。

 大郎は慌てて豊璋を抱き抱えた。豊璋は驚いて大郎の顔を見ている。

 大郎は白虎に目を向けた。白虎は落ち着いていたが、一方向を見つめていた。

 大郎も同じ方向に目を向けた。駆けて行く、男の後ろ姿があった。

「鎌足!」

 大郎は豊璋を抱き抱える力を緩めた。しかし豊璋は大郎の腕にしがみつき、震えていた。

「すみません。大丈夫です。

大郎は豊璋の背中を優しくなでた。

(しかし、なぜ鎌足が、こんな悪意を俺に向けるのだ)

大郎は問いかけるように、白虎を見た。

『あれだけ強い敵意をぶつけられれば、誰でも気づくであろう。

 しかし、命を狙うようなものではない。

 強い憎しみだ。彼は大郎に対して、強い憎しみを感じている』


 豊璋は大郎のそばを離れたがらなかった。大郎もまた豊璋を一人にはしておけず、仕方なく連れて歩く事にした。


 朝廷の役人と皇族の一部が集められた。唐の使者からの話があるという。

 一同が整列する中、使者は訪問の代表者、高表仁の言葉を伝えた。

「私、高表仁は、唐の皇帝より大和への柵封を持ってきた。

 私は皇帝の使者である。柵封を受け取る国は、使者をその国の王と同じ待遇で出迎えなければならない。対応も、同じにしなくてはならない。

 最高級のもてなしを準備せよ。

 との、事でございます」

朝廷は一斉にざわめいた。

 使者は言葉を伝え終わると、頭をぺこっと下げ、さっさと帰って行ってしまった。


柵封の扱いについて、急きょ合議がなされる事になった。

皇族と主な群臣が、百済宮に集められた。

大王は正面の一段高い所に上がる。すぐ隣には正室の宝皇女。そして直系の皇子が並んだ。大王の隣には古人皇子。そして、幼い中大兄皇子も段に上がった。

一段下がった会場には、その他の皇族や群臣が、両端に一列に並ぶ。

大臣、毛人と大郎は大王に一番近い位置に立った。

大郎の向かいには、山背が立っていた。一瞬、目が合った。大郎は笑みを向けたが、山背に目を逸らされてしまった。

大郎の胸はずきんと痛んだが、何事もなかった様に、平静を装った。


大郎が唐の使者の言葉を皆に伝えた。一斉に、場がざわめいた。

山背が怒りをあらわにして、口火をきった。

「何をほざいているのだ。

大和の大王は、古代より受け継がれている。

大王は人にあらず。神なのだ。

他国から、任命される必要などない!

挙句に、大王と同じ待遇にせよとは、無礼千万!」

一斉に意見が噴出した。

「しかし、唐は強大な国と聞いている。

三国が争っている今、相討ちのおそれもある。三国共滅びれば、次に狙われるのは、大和かもしれない。

ここは、逆らわらない方がいいのではないか」

「何を情けない事を言っている!

大和は負けぬ。そうだ。百済に援軍を送るのだ。そして、唐など一気にやっつけてしまえ」

意見がまとまるとは思えなかった。


「大郎。お前はどう思う」

毛人が大郎に耳打ちしてきた。

「もう時間がない。柵封をどうするかなんて、決めている場合ではないでしょう。それは相手の出方次第。返事は後でもいいと思います。

 俺が思うに、向こうは巨大な国。こんな小さな島国に、それほど執着しているとは思えません。

 遣唐使が再開されて、様子を見に来ただけではないかと」

「お前は、まったく。もう少し、言葉を選べ」

「誰にも聞こえやしません。

 それより、差し迫った問題は、高表仁の扱いです。

 俺は、大王と同じ待遇にするなど、それは絶対に許せません」

 大郎は敬愛していた厩戸を思い出していた。彼は大王は四神に守られる存在であると考えていた。それほどに古代より大和にとって大切なものなのだ。突然出てきた、新国の皇帝とは次元が違う。それだけは譲れないと決めていた。

「私も、そう思っていた。しかし……」

毛人は唸った。


「皆、落ち着け!」

毛人が叫んだ。

「柵封の扱いについて決めるには、時間がない。それは相手の出方をみてからでいいだろう。

まずは、使者の待遇についてが問題だ」

そこへ、高表仁が午後には到着すると連絡が入った。もう、議論をする時間もなかった。

 毛人が大王に向き直った。

「大王。ご英断を」

一同の視線が一斉に大王に集中した。

 舒明は汗を拭いていたが、その場に膝をついてしまった。

「我は気分がすぐれぬ。

 蘇我の、あとは任せた」

舒明は付き人に支えられながら退室した。


 毛人は一同に向き直り、大きな声で話した。

「では、出迎えの準備をする。希望通り、豪華な出迎えにしてやればいい。楽団や舞手を呼んでおけ。

 しかし、大王と同じ扱いをすることは許されぬ。使者としての待遇を取る」

会場は再び、騒然となった。

 毛人の意見に賛同するものからは、拍手が起きた。

 しかし反対する者は、ざわざわとしたままだった。

 大和言葉のわからない豊璋は、怒号飛び交う合議に、すっかりおびえてしまった。


 大郎と毛人は一度家に帰り、着替えをした。そして豊璋は嶋の家に連れて行き、家の周りには厳重な見張りを置いておくことにした。

 以後、豊璋は、嶋の大郎達の隣の家に住むことになった。かつて、馬子が住んでいた家である。馬子の建てた家は防犯は整えられており、安全であると考えられた。

 また、出かける時は大郎と見張りが二人、必ず同伴することになった。


 高表仁が飛鳥に到着した。灰色の髪をしたやせた男だ。神経質そうに、目をきょろきょろとさせていた。毛人よりも年はずっと上の様だった。

 毛人がたどたどしい唐の言葉でまず、表仁を出迎えた。

「この後は、我が嫡男、蘇我大郎鞍作がご案内いたします」

そう言うと、毛人は大郎を前に押し出した。

「お前の方が唐の言葉は上手だ。任せた」

毛人は大郎の耳元で囁いた。大郎は毛人をにらんだが、すぐに表仁に向き直り、形式的な笑顔で挨拶を交わした。


 表仁一向は宮に案内された。

 大王が御簾の向こう側に控えている。表仁はその御簾の前に案内された。

 案の定、表仁はその立ち位置に不満を言ってきた。

「申し訳ありません。何人であろうとも、大王と同じところには立てません。御簾の中には皇族の血を引く者しか入る事は許されないのです」

大郎の説明に、表仁は納得せず大声をあげた。

 群臣の中には、すっかり怯えてしまった者もいる。今だけは要求をのんでもいいのではないかと、ひそひそ話が聞こえてくる。しかし大郎は微動だにせず、表仁の怒鳴り声にも冷静に応対している。

「大和にとって、大王は神なのです」

大郎は深々と頭をさげた。

 しかし表仁も譲らなかった。

「柵封には使者は皇帝と同じ扱いを受けると記されておる。あの中に入る権利がある」

と、言って、御簾を指差し、怒鳴り散らした。

 

 その表仁の態度に、堪忍袋の緒を切らせたのは、山背皇子だった。

「他国の者はわからないことです。大和の大王は、遥か古代より、天照大神様の血を受け継ぎし一族。

 力づくで手に入れた、唐という野蛮な国の皇帝とは違うのだ」

山背は感情の線が切れていた。

「名を名乗れ」

通訳が表仁の言葉を伝えた。山背は表仁の言葉を理解していたが、へりくだったように唐の言葉を使うことは、彼の自尊心が許さなかった。

「山背皇子。用明の大王は我が祖父。我が父は厩戸王である」

皇族であることを明言した。

「厩戸、だと。

 ふむ。そういえば、隋の皇帝に「日出処天子から日没処天子へ」などという書状の主ではなかったか。

 大和とは中華王朝に対し、失礼かつ、身の程知らずな書状をよこす、野蛮な国だと、30年以上経った今でも、唐では語り草だ。

 愚かなところは父親似か」

表仁の言葉を理解している山背は、一気に感情を爆発させた。

「父上を侮辱するな!

 その言葉の意味など、愚劣なお前たちには理解できないであろう。

 唐の柵封などいらぬ。さっさと帰れ」

山背は目を細め、表仁を睨みつけた。

 感情に任せた山背の言葉は、即座に訳された。さらに、山背が唐の言葉を理解していながら、知らぬふりをしていたことも、露見した。


表仁は意地悪気に口を歪ませ、山背を一瞥した。そして、ふんとだけ言い残して、足早に退室した。

 毛人はため息をつきながら、表仁の後を追いかけた。

その場は完全に凍りついた。大国、唐の使者を怒らせた。表仁は柵封も授けず、唐の皇帝の伝言も伝えなかった。

山背は孤立してしまった。集まっていた輩は、山背皇子は大変なことをしでかしてくれたと、口々に言った。

 大郎がその場を収めにかかった。

「本日はこれで解散する。

 大丈夫だ。なんの問題もない。

 高表仁は最初から柵封を渡すつもりなどなかったのだ。もしかすると、持ってきていなかったのかもしれぬ」

大郎はてきぱきと指示を出した。

 ほどなく、朝廷はひっそりと静まり返った。


 山背は誰もいなくなった朝廷に、一人、ポツンと立っていた。

 大郎が入って来た事に気が付いたが、気づかぬふりをしていた。そして、黙って部屋から出て行こうとした。

「山背。待ってくれ」

「俺にかまうな」

「あれは、唐の策略だ」

「うるさい。上から物を言うな。

 どうせ、俺のせいで柵封を受け取れなかったと思っているのだろう」

「違う。俺も、山背と同じ考えだった。柵封など受け取らなくてもいいっと思っていたんだ」

山背は大郎をキッとにらみつけ、その場を立ち去った。

 大郎はポツンと、とり残された。


 






 


 


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