第7話 飛鳥の月

「大郎。どうした?」

厩戸が大郎の顔を覗き込んだ。

 大郎の目の前には、年を重ねた厩戸の顔があった。首を少しだけ傾げ、心配そうに大郎を見ている。

 大郎は白虎にもたれかかっていた。

 慌てて体を起こすと、眩暈を感じ、再び白虎に倒れた。

「大郎。大丈夫か」

「だ、大丈夫と思います。

でも、なぜか体が動かないんです」

大郎は脱力しているように、手足をだらんと垂れていた。

 白虎はペロッと大郎の頬をなめた。すると、大郎の頬に、ほんのりと赤味がさしてきた。

「ありがとう。きらら」

 大郎は白虎の頬に触れ、優しくなでた。そして、じっと、白虎の顔を見た。

「もう、話す事はできないんだね」


 厩戸はもう一度、お茶を準備させた。

 そのお茶を持って来たのは、さっきと同じ人物だった。

「あ、赤檮さん」

大郎は思わず名を呼んだ。

 赤檮は大郎に名乗ってはいない。突然名を呼ばれたにも関わらず、赤檮は表情を変えなかった。何事もなかったように頭をさげた。

 赤檮はお茶を大郎に渡すと、自分は部屋の隅に倒れた木をかたずけ始めた。散らかった土を手早く集め、あっという間に元通りに戻した。

 そして、静かに部屋を出た。


「大郎は赤檮を知っていたのか? 今日、始めて会ったと思うのだが」

厩戸は首を傾げた。

 赤檮は丁未の戦のあと、厩戸の強い希望で、上宮家の舎人となったのだ。

 大郎は「はい」と、返事はしたものの、まだぼんやりとしていた。

 厩戸はお茶を大郎に手渡した。大郎は一口、飲み込んだ。

 体の芯から温まってきた。意識もはっきりしてきた。


「あ、ありがとうございます。もう、大丈夫です。

でも、俺、一体どうしたんだっけ」

大郎は自分の存在を確認する様に、腕や足に触れた。

「話している最中に、白虎にもたれたのだ。どこか具合が悪かったのか?」

「いえ。そんな事はありません。

でも、でも俺……」

大郎は今、見てきた事を厩戸に話すかどうか悩んだ。

(信じてもらえるかな)

大郎は厩戸の瞳をのぞき込んだ。


厩戸はいつもの様に、優しく微笑んだ。

「何か、言いたい事がある様だね」

(厩戸様には、隠し事なんて、できない。

 全部、話してみよう)

大郎は決心すると、いきなり話の本題に入った。

「俺、今、過去の世界に行ってきました。

 丁未の戦を見て来たんです」

「どういう事だ?」

厩戸はあくまで冷静を装っていたが、大郎の言葉に戸惑っていた。

「大郎。お前は今、初めて白虎の力を発揮させたのだ。それで、混乱しているのかもしれない

「いいえ。俺、本当に戦を見て来たんです。

 厩戸様はまだ髪を結っていなくて、なんていうか、まだ、かわいい感じでした。

 朱雀は守屋様が連れていました。白髪のやせたおじいさんでした。玄武は勝海様です。目の大きなおじさんです。

 じい様はやせていて、髪の毛もたくさんありました。

 赤檮さんは、若くて。足も速いし、弓も上手でした。

赤檮さんに、守屋様は、その弓で……」

厩戸は言葉を失った。

(大郎が知るはずもない事ばかりだ。

 赤檮が守屋様を殺したことも、馬子殿すら知らない事だ)

厩戸は大郎の言うことを、信じなければいけないと思った。

「わかった。

 戦を見て来たと言うなら、見てきたことをすべて話しておくれ」

「はい」

大郎は大きくうなずくと、見てきたことを語り始めた。

「最後に、きららが言いました。

 朱雀は守屋様の恨みを、玄武は勝海様の後悔を抱えたまま帰ったと」


「きららが言ったと?

大郎。お前は白虎と話ができるのか?」

「いえ。その時だけです。

普段は聞いた事なくって、初めてきららの声を聞いたんです」

厩戸の顔がほっとしたように見えた。

しかし、その後すぐに厩戸の顔が引き締まった。

「確かに、それは丁未の戦での出来事ばかりだ」

 厩戸は人差し指を口に当て、深刻な顔で考え込んだ。

 重い時間が流れた。

「大郎」

厩戸が口を開いた。

「では、私と守屋様の会話、木の上で話していた事も聞いたのだな」

「はい」

厩戸はさらに厳しい表情をした。

「何を話していた?」

「はい。厩戸様が守屋様に“きんじゅつ”について話していました。

 守屋様はひどく驚いていらっしゃいました。穴穂部様が狙っているとか、そんなことも言っていました。

 守屋様は神に返したとかって、言っていましたよね。

 いったい、何の話をしていたのでしょう」

「大郎」

厩戸はゆっくりと、もう一度名を呼んだ。

「あれは守屋様と私だけの会話だったのだ。そこに、お前が入って来てはいけない。

 あの時の会話は、私が一人で抱え、死してなお、秘めておくべきことなのだ」

「申し訳ありませんでした」

大郎は赤面し、頭をさげた。

「俺は、人の過去を暴くような真似をしてしまいました。

 厩戸様だって、知られたくない過去がおありのはず。それを、俺は、勝手に見てきてしまったんです」

大郎はさげた顔を上げられなかった。

「もう、いいから。顔をあげなさい」

大郎は戸惑いながら、ゆっくりと顔を上げた。

「忘れなさい。いいね。今、見てきてた事は忘れるのだ」

「はい……」

小さな声で返事をしたが、少し考え込む。

「でも、俺、今、見てきたことが強烈すぎて、忘れられないかもしれません。

 でも、努力して、考えないようにします」

厩戸はふっと、力が抜ける。

「正直な子だ。

大郎。いいか。さっきも言ったが、過去に行き、人の過去を見るのは、人の道に反する事だ。

だから、二度と過去に行ってはいけない。

約束してくれ」

「はい」

大郎は素直にうなずいた。


「でも、厩戸様。

俺、どうして自分が過去に行ってしまったか、わからないんです。気が付いたら、そこにいたんです」

「四神の力を使ったためだろう。

四神の力は知っているね」

「はい。青龍は植物、玄武は水、朱雀は火、そして白虎は土、大地の力です」

大郎は白虎の背中をなでた。

「そう。それが、四神の力の根本だ。

四神の主は、四神に命令する事ができる。

四神と目を合わせると、四神の持つ色の光が生まれる。

そして、自分の力の元となるもの。白虎であれば、土だね。その力の元と共に、主の命令を果たすのだ」

「ああ」

大郎は何回もうなずいた。

(それで、みんな、四神の事を見ると、目が光っていたんだ)

過去での事を思い出した。

「さっき、お前は白虎の目を見て、丁未の戦の事を知りたい言った。

 そうだ、それでお前の目は白く光ったのだ。白虎はお前の命令に従ったのだ。

 しかし、いくら命令と言えども、過去に行くなど、そのような力は聞いたことがない。

 お前には、守屋様にも勝る、強い力があるのかもしれない」


「まさか……」

「いや、そうだ。

 それならば、お前は気を付けなければならない。四神の使い方を誤ってはいけないよ。

 もうひとつ、注意する事がある。

それは、主への対償だ。

 四神の力を使うためには、主の魂の力が必要なのだ。つまり、四神の力を使うと、主の体力が奪われるのだ。

 今まで、四神の力について話をしなかったのは、体力のない子供のお前に、力を使わせたくなかったのだ。

 さっき、体が動かなくなっただろう」

「あ、はい。

 そうだ。そういえばきららに乗って空を飛ぶと、すごく疲れるんです。そのためだったんだ。

 それに、目を見ないとダメなんですね。それでかもしれない。きららは俺の言う事を聞いてくれる時と、そうでない時があるんです。

 目を見ないとだめなんですね」

「大郎!」

厩戸の厳しい声。

「お前は、四神をそんな事に使っていたのか。四神はおもちゃではないのだぞ」

「あ、はいっ。申し訳ありません」

大郎は床に頭をつけて謝った。

 厩戸は大きなため息をついた。

「四神の力は飛鳥と大王を守るためにあるのだ。

 そんな事に白虎の力を使ってはいけない。いいね」

「はい。 

 もう、きららで空の散歩なんてしません」

必死に謝る大郎を、厩戸は優しく見つめた。

「わかればいい。

 さぁ、頭を上げなさい」

「……、 はい」

大郎はゆっくりと頭をあげた。


 その夜、大郎は厩戸の隣の部屋で休んだ。

 大郎が部屋に入ったのは、夜もすっかり更けてからだっだ。

 山背は隣の部屋から物音がしたのを、敏感に聞き取った。

(こんなに遅くまで。いったい父上は、大郎と何を話していたのだ!)

山背は悶々としていた。二人の事が気になり、布団に入っても、眠ることなどできなかったのだ。

(父上は大郎をかわいがっている。大郎の方が、俺よりもずっと大事にされている)

山背は朝まで一睡もできなかった。


 厩戸は大郎を部屋まで送ると、庭に出た。

 黄色い、楕円の月が、ぼんやりと浮かんでいる。

 厩戸は月を眺めながら、繰り返し頭の中で、大郎の話を巡らせていた。


(朱雀は守屋様の恨みを。玄武は勝海様の後悔を。

それでなのか。

雄君は初めて会った時、いきなり私を睨みつけた。子供らしからぬ目だった。

あれは、朱雀の恨みを表していたのだろうか。彼は私に対する恨みを、、産まれた頃より持っているといるというのか?)

(勝海様は後悔しておられたのだ。玄武に人殺しをさせたことを。

それ程までに、辛いお気持ちで戦っておられたのだ)

勝海の最期の顔を思い出した。

(玄武は亀と蛇が分かれて飛鳥に帰った。そして、分かれたまま、耳成山から降りてきた。

それは勝海様の事と、関係があるのでは)


考えを巡らせている最中に、突然、激しい胸の痛みに襲われた。

ガクッと膝をついた。喉が締め付けられる。胸元をきつく握った。

(大郎はまだ若い。雄君は心を開いてはくれない。玄武の主は産まれたばかりだ。それに、離れた亀と蛇に何の意味があるのか、わからぬ)

「まだ、逝くわけには、いかぬ!」

厩戸は声を振り絞った。

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