第5話 橘寺

「私、運転好きやから、いっつも運転手なんよ」

仁子が運転席に座って言った。

 水色の普通車で、国産のごく一般的な車種だった。

 隣にはかおりが座った。

「私、今回はナビ役。って、私も明日香村は初めてなんやけどな」

 後部座席には、まず、朋子が乗り込んだ。次に妃美が頭をかがめて入っていった。

 しかし、なかなか智が入ってこなかった。

「智くん。なにしとるん。はよ、入り」

仁子に促され、智はやっと車内に入って来た。

 車はゆっくりと発進した。

「朱雀がですね……」

智は小さな声で、妃美の耳元で囁いた。

「車から、はみ出しているんですよ。

 頭が屋根にちょこんと乗っている感じで。それがおかしくて。

 あっ。カービィも少しはみ出していますね」

「そっか。普段、車に乗っても、この鳥がはみ出しているとおか考えた事ないから。

 確かに、車から顔だけはみ出していたら、おかしいってか、不気味よね」

妃美はくすくすと笑った。


「いいわねぇ。仲良さそうやない。ホンマに付き合うとらんの?」

仁子が運転しながら口をはさんできた。

「だから、違いますって。。

 私たち、今日、初めて会ったんですから」

「えっ。なに。それって、今。はやりの、SNSとかいうやつ。

 ネットで知り合って、初めて会ったとかいうヤツやわ。

 いややわー。うちら、そんなん、考えられへんわー」

おばちゃん達は勝手に想像を膨らます。

「違いますって。

 本当に、偶然に、今日、飛鳥駅で初めて出会ったんです」

妃美が力を込めて言った。

「えっ。ホンマに。

 そらまたすごいんやねぇ。でも、そんな風には見えへんで。仲良う話しているとこなんか、恋人同士にしか見えへんって」

「これって、運命ってやつ? 明日香村で出会った奇跡いうん? ますます羨ましいわぁ」

「智くん。姉さん女房っていいもんやで。今、彼女でないなら、今日決めたれ」

「えぇっ?」

智は急に話を振られ、声がひっくり返った。

 おばちゃん達は楽しそうにケラケラと笑った。

 おばちゃん達は車の仲という狭い空間の中でも、コンサート会場にいるのかと思うほど大きな声で話す。智は耳鳴りがしてきた。


“橘寺”にはすぐに着いた。

 5人は車を降り、入場券をそれぞれに購入した。

「あっ。智くん、高校生は入場料300円やって」

仁子がまじめな顔をして言った。

 智はお金を出す手の動きが止まった。

「いえ。俺、大学生なんで」

「えっ。あら、失礼しました」

そういいながら、仁子は笑った。


「ここな、聖徳太子、ゆかりの地なんよ」

かおりは歩きながら語り始めた。

「聖徳太子、知っとるやろ?」

なんの反応も示さない智に、かおりが突っ込んできた。

「えっ。はい、なんか聞いたこと、あるかもですけど……」

「えぇっ? 聖徳太子にその反応はないやろ」

「そやそや、うちらの頃は、聖徳太子って習ったけどな。

 もしかしたら、智くんの時代、厩戸皇子って、習ったんかもしれん。

 厩戸皇子ならどうや」

仁子の問いかけに、智は気まずそうに苦笑いをするだけだった。

「ありえへんな。

 妃美ちゃんは? 妃美ちゃんは知っとる? 聖徳太子? 厩戸皇子?」

「厩戸皇子で習った気がしますけど。

 確か、十七条の憲法とかですよね」

「そやそや。

 なんや、現役の学生さんの方が、ダメダメやんか。

 妃美ちゃんなんか、卒業してだいぶ経っておるけど、ちゃんと覚えとる」

かおりに満面の笑みを向けられた。

「あ、ありがとうございます。

 まぁ、いつもの事だから、いいっていえば、いいんですけど。皆さん、私の事、すごい年上にみていますよね。きっと。

 智くんとも、すごく年が離れているように思っているようだし」

「えっ? 離れとらんの?」

「私、智くんと1つしか違わないんです」

「ええっー? 妃美ちゃん、そんな老けとるのに、あ、違う、大人っぽいのに大学生?」

「いえ、私は、もう働いていますけど」

「だから、大人っぽいんやね。

 そういえば、なぁ、智くんって、どこの大学なん?」

「あ、T大です」

「ええーーっ」

3人の声が揃った。

「私、T大生って、初めて生で見たわぁ」

「話すのも、初めてや」

「きゃ。触るのも初めてや」

そういって、3人は智の体を軽くたたき始めた。

「なんすか、それ。やめてくださいって」

智は小走りにおばちゃんから逃げ、妃美に駆け寄った。


「? 妃美さん。どうしました?」

妃美は、下を向いて頭を抱えていた。

「……。 私、あのおばちゃん達と、おんなじ事、言ってたなって」

「えっ? ああ、T大生、初めて見たってやつですか」

「うん。私もおばちゃんに、足突っ込んでいるんだなって思ったら、ちょっとショックだった」

「いえ。妃美さんは触っては来ませんでしたから。まだ、大丈夫ですよ」

智のフォローに、妃美はむなしそうに微笑んだ。


「冗談はさておき、さっきの話の続きやけどな。

 聖徳太子ってのは、飛鳥時代、ううん、日本の歴史の中で。最も重要な人の一人なんやで」

かおりがまじめな顔をして話しかけてきた。

「そうそう。有名なのは、十七条の憲法とか、冠位十二階とか。あと、仏教の普及もそうやな。

 それと、遣隋使けんずいし

日出処ひいづるところ天子てんしより、日没処ひぼっするところの天子へ』ってフレーズ知っとるやろ。

 隋の皇帝に送った手紙や」

仁子が目をキラキラさせている。

 妃美は困った顔をしながら、首を傾げた。

「そう……。知らんの。漫画にもなっとるんやけどな。

 うちな、この漫画が好きで、厩戸推しなんやけどな」

「厩戸推しって……。 アイドルグループみたいだな」

智はつぶやいた。


「これ、聖徳太子が乗ってたっていう馬や」

本殿の前に置かれている、深緑色の馬の銅像を指差した。銅像の馬は、本物の馬ほどの大きさがある。

「厩戸には、色々伝説があるんや。

 10人が一斉に話したことを、全部聞き分けたとか、産まれてすぐに立ってしゃべったとか」

「超人ですね」

智の言葉は、若干冷たかった。

「だから伝説やって。昔の話や。証拠はあらへん。

 それとな、厩戸皇子は、ここ橘寺で産まれたって話なんや。

 母親がな、馬小屋の前で産気づいて、そこで産まれたんやって」

「それ、キリストの話みたいね」

朋子がボソッと言った。

「そうそう。聖書をパクったのかもしれんねや」

かおりのスイッチが入った。

「それにな、有名な聖徳太子像って、絵があるやろ。お札にも書かれたヤツな。あれ、飛鳥時代の服やなかったんやって。後の時代に、想像で描かれたらしいんねや。

 学者によっちゃ、厩戸皇子は想像上の人物って言っとる人もおる」

「ええっ。厩戸おらんかったって、ありえへんやろ。

 お札にもなった人やで」

厩戸推しの仁子は反論した。

「でもな、聖徳太子がやったってことで、ほんとにやったって証明されるものって、なんにもないんやって」

「それも、仮説や」

仁子は引き下がらなかった。

「あの」

智が激論の中に、口をはさんできた。

「聖徳太子を超人に仕立てあげたってことですよね。

 そうする必要があったって事も、言えますよね」

「智くん。鋭いとこついてくるな。

 さすが、T大生や。

 それを話すには、大化の改新から話さんとあかんねや」

 

「なぁ、その話、長なりそうやん」

朋子が話を遮った。

「も、ちょっと、ここの観光、せぇへん?

 ここ“二面石にめんせき”ってのがあるって書いてある。それ、見にいかへん?」

「それも、そやな」

かおりと仁子は話を一旦やめ、奥に進んだ。

「二面石ってなんですか」

妃美が尋ねた。

「橘寺にある、石造物や。明日香村にはいくつか謎の石造物ってのがあるんや。さっきの亀石もそうやけどな。二面石も、その一つ」

かおりが答えた。


 二面積は小さな境内に置かれていた。人工的に形作られた、長方形で縦長の石だった。右と左の面に、人間の顔の様なものが彫られている。

「右の顔が善で、左が悪なんやって」

朋子は説明の立て看板を読み上げた。

「それで、二面ね」

妃美は石に近づいた。

「なんか、不気味な顔ですね。猿石に、ちょっと似ている気もしますよね」

智も石をまじまじと見つめながらつぶやいた。

 すると、突然に玄武に視線を向けた。

「どうしたの?」

「いえ。さっき、亀石でカービィが黒くなったじゃないですか。

 石造物に関係あるのかなって、思って。でも、なんともないですね。

 ってか、猿石でも、なんともなかったですね。別に、石造物に関係するわけじゃないんですね」

玄武も朱雀も無関心な様子で、いつも通り静かに浮かんでいた。


「これな」

「ひゃっ!」

不意に後ろから声をかけられ、智と妃美は飛び上がらんばかりに驚いた。

「やだ、そんなに驚かんでもいいやんか」

声をかけたかおりも驚いていた。

「おーこちゃんの声が、でかいんやって」

「ともさんに、言われとうないわ」

3人は声をあげて笑った。

「いえ、急に声かけられて、びっくりしただけです」

(カービィとか言ったの、聞かれてないみたいだ)

智はそれを心配していた。

「これな、人間の心の持ち方を表しているんやって」

かおりは石を指差して言った。

「これが作られた、遠い昔から、人間は皆、二面性を持っとるってわかっとったんか」

「ともさん。哲学的」

3人はまたそろって笑い声をあげた。

「楽しそうですね」

智が妃美に耳打ちした。

「そうね。ぶっちゃけ、なにが面白いんだか、よくわからないけどね」


「そやそや、写真」

仁子はカメラを取り出すと、ぽいっと智に手渡した。

「撮れってことですね」

智は苦笑いをしながら、カメラを手にした。

 3人のおばちゃん達はすでに二面積をはさんで、ポージングをしていた。智は撮影をし、撮った写真を確認してもらった。

「次、あんたら撮ったるわ。カメラ貸して」

仁子が手を差し出した。

「えっ? 私、持ってきてない」

「俺もです」

「旅行に来とるのに、カメラないの?」

「いっちゃ。今時ン子は、スマホ。写真はみんなスマートホンで撮るんよ。

 はい。スマホ貸して」

朋子も写真撮影は当然と言わんばかりだ。

「あ。じゃ、お願いします」

妃美は自分のスマートフォンを手渡した。

 それから二人は二面積をはさんで並んだ。

「いや。ここはくっついて並んだ方がええやろ」

朋子が智の手をひき、妃美の隣に連れて来た。

「いいやん。そしたら、手、組んだ方がええって。ほら、腕組んで」

「あぁ、はい、はい」

妃美はため息をつきながら、智の腕に自分の腕を絡めた。

「おばちゃんパワーには、かないませんな」

妃美は智にウィンクした。

 妃美のスマートフォンに保存された写真には、真っ赤な顔をした智と、余裕の笑みを浮かべた妃美が写っていた。


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