第4話 亀石

高松塚古墳を後にし、2人は亀石に向かった。

ちょうど良いバスがなく、歩いて行く事にした。


亀石まではなだらかな道のりだった。

のどかな田園風景。点在する木材家屋。

「いいですね。すっごく穏やかな気持ちになりますよね。

実家は長野だから、そんなに都会じゃないですけど。この景色に比べたら、比べものにならないっていうか」

「そうね。

私もこんな、静かな所に住んでいたのね」

2人は景色を満喫しながら歩いた。


スマートフォンのマップに従って歩く。

狭い田んぼ道を進むうち、民家が増えてきた。道は真っ直ぐ伸びており、先まで見渡せる。その道の途中に、人だかりが見えた。

「あ、あそこじゃない? 人がいっぱいいるもの」

妃美は指差した。2人は知らず知らず速足になっていた。


亀石は民家と民家の間に置かれていた。6、7人が石の周りを取り囲んでいた。

「でかっ」

智の第一声。

「ほんと。思ったより大きいのね。写真で見た時は、こんなに大きいと思わなかった。

亀石って言うより、岩よね」

亀石と呼ばれる、楕円形の石は、長い所で4、5メートルはありそうだった。高さも、一番高い所で2メートルほどだ。

楕円の先端に、亀の顔がある。大きな目が2つ。半円形の瞼付きだ。


亀石の隣で写真を撮る人。恐る恐る触れる人。遠巻きに眺める人。

人それぞれに、楽しんでいるようだった。


智と妃美は亀石の脇に置いてある、石碑の前に立った。

そこには、亀石の説明が書かれているプレートが貼り付けられていた。


『むかし、大和が湖であったころ、湖の対岸の当麻と、ここ川原の間にけんかが起こった。長いけんかのすえ、湖の水を当麻に取られてしまった。湖に住んでいたたくさんの亀は死んでしまった。何年か後に亀を哀れに思った村人達は亀の形を石に刻んで供養したそうである。

今、亀は南西を向いているが、もし西を向き当麻をにらみつけたとき、大和盆地は泥沼になるという』


「この亀って、やっぱり玄武と関係あるのかな」

説明を読み終えた妃美が呟いた。

「えっ、やっぱそうなんですか。これに玄武の事、書いてあるんですか?」

「書いてはないけど。

えっ、智くん。これ読まなかったの?」

「あ、はい。

こういう長い文って、読む気にならなくて」

「長くなんて、ないわよ」

妃美の声が大きくなった。

「すみません」

「謝らなくたっていいけど。

えっと。つまりは、この亀石が西を向くと、大和盆地が水没するって書いてあるの。

 亀石の伝説っていうか、いわれが書かれているのよ」

「そうなんですか。

 で、玄武と何が関係あるんですか」

やはり智は説明を読む気はないらしい。

「玄武って、水でしょ」

「水でしょって、言われても……」

「本当。私以上に何にも知らないのね」

妃美はため息をついた。

「私もそんなに詳しいわけじゃないし、はっきりと覚えているわけじゃないのよ」

そういって、スマートフォンで調べ始めた。

「四神っていうのは、方角が決まっているのよ。

 ……、あ、あった。えっと、四神は四方の方角を司っている。東の青龍。南の朱雀。西の白虎。北の玄武。

 そしてその象徴する色などがある。でね、ほら、玄武は水で、色は黒なの」

「じゃ、もしかして、朱雀は火と赤ですか」

「そう。まんまよね」

二人で顔を見合わせ笑った。

 しかしすぐに、妃美は真剣な表情に戻った。


 いつのまにか、人だかりは消えていた。亀石の前には、智と妃美の二人だけになっていた。

「それより、私、さっきの事、思い出したの」

「さっきの事って」

「ペンションに行く途中での事。

 智くんの目が黒く光って、雨が降ってきたじゃない」

「ああ、さっき言っていた事ですよね。俺、全然、わからないですけど」

「うん。でも、私ははっきり覚えている。

 でね、今、気が付いたの。玄武は黒と水。さっきの智君にぴったり当てはまるじゃない。

 黒く光った瞳と水。玄武と同じよね。

 それに、この亀石も水びたしにするって。つまり水に関係しているじゃない。

 だから、亀石と玄武も関係あるのかなって」


「確かに……」

智は玄武をじっとみつめた。

「カービィ。お前、水を降らせたりするのか」

智は玄武に優しい声で語りかけた。

 智の方を向いていた玄武。智と目が合った瞬間、玄武の目から黒い光が発せられた。

「カービィ」

智が大きな声をあげた。

 智の声に驚いた妃美だったが、今度は妃美が叫んだ。

「智君。目が、光ってる。黒い!」

「えっ?」

智は声をあげたが、玄武の目から視線を離せなかった。


 次の瞬間、玄武の体全体から、水が噴き出した。噴水の様に上方に吹き上がり、二人に降り注いできた。霧雨が降っているようだった。


垂目たりめ! 来るな!」

智の頭の中に、男の声が響いた。

 飛鳥駅で聞いた声。

 

 景色がゆがんだ。智は一瞬、目を閉じた。次に目を開けた瞬間、目の前の景色は一変していた。

 亀石の両隣りにあった家はなくなっていた。小さな、荒れた田んぼ。幅の一定していない砂利道。

 

 智の目の前に、朱雀が見える。

 その朱雀は羽をばたつかせた。羽からは火の玉が飛ばされた。

(まぶしい!)

智は朱雀から目を逸らせた。

 その時に気が付いた。朱雀の隣にいるのは、妃美ではなかった。

 背の高い、やせた男。長い髪を両耳の脇でしばっている。生成りの、丸首のだっぷりとしたTシャツ。同じ色の袴をはいている。明日香村の観光マップで見た、イラストと同じ服。飛鳥時代の衣装だった。


 朱雀の炎は、一人の男を襲った。炎は服に燃え移り、燃え上がった。

 その男の隣には虎、白い虎がいた。

 壁画に描かれていた白虎とは少し違うが、それは白虎だと、智は確信した。


『大郎様!』

智は自分の口を押えた。自分が発した声だと思ったのだ。しかし、智の声ではなかった。

『げん。火を消してよ! 大郎様を助けてぇ』

また、自分でない声が、口から発せられた。


 目の前に火だるまの人がもんどりうっている。

(死んでしまうよ! 誰か、助けて。助けてくれぇぇぇぇぇぇ!)

 智は叫んだ。しかし智の声は出てこなかった。胸の中にだけに悲鳴は響き渡った。


 智は必死の思いで、目を閉じた。

 次に、目を開けた時には、智は元の世界に戻ってきていた。

 妃美が目の前にいる。亀石は元の方向を向き、そしらぬ様子で鎮座している。見慣れた家、電信柱、整備された田んぼ。

 火に包まれた男も、朱雀を連れていたやせた男も消えていた。


(戻ってきた)

智はほっとした。

 しかし全身の力が抜け、膝からがくっと崩れ落ちた。

(いったい、今日はどうしたんだ)


 妃美が駆け寄って来た。

 しゃがみこんでいる智を支えた。

「だ、大丈夫です。す、すみません……」

「ほんとに? ほんとに、大丈夫ね。

 智くんね。また、目が光ったの。そしたら、玄武から水が出てきて。

 それ、わかった?」

智は妃美を見上げた。妃美の髪がしっとりと濡れていた。

「いえ。俺は何にもわからなかったけど、でも、カービィが水を出したんですね。

 妃美さんまで濡らしてしまって、すみません」

智はそう言って、妃美の髪に触れた。妃美は反射的に後ろに頭をひいてしまった。顔が赤くほてる。

「あっ。すみません」

智も顔が赤くなった。


 智がゼイゼイと咳き込んだ。

 その時、にぎやかな声が聞こえてきた。二人はとっさに、声の方向に振り返った。

 女性が3人。亀石に向かって歩いてきていた。すると、そのうちの一人が、小走りで駆け寄って来た。

「どうしたん。大丈夫?」

座り込んでいる二人を見つけ、心配してくれた様子。4、50歳台と思われる、ぽっちゃりとした人だった。

「あっ。はい。大丈夫です」

智は立ち上がったが、そこでまた咳き込んだ。

「なに言っとんの。大丈夫やないわ。真っ白い顔して。

 それに、その咳。あんた、喘息やないの?」

そう言って智の腕を抱えた。智は抗うこともできず、連行された。


 女性は亀石の近くにある休憩所に智を連れて行った。そして強制的にベンチに座らせた。

 女性と一緒にいた二人は、妃美と一緒にやって来た。

 女性は智の背中に回り、智が背負っていたリュックをはぎ取った。そしてダウンコートをまくり上げ、智の背中に耳を押し当てた。

「えっ?」

突然の行動に戸惑う智。女性はお構いなしだ。

「はい。息吸って。勢いよく吐いて!」

智は言われるがまま、深呼吸を繰り返した。

「ほらっ。ピーピー言っとる。メプチン、持っとらんの?」

「あっ。持っています。あの、さっき、吸入したんですけど」

「さっきって、いつや」

「えっと。ああ、午前中ですね」

「なら、時間経っとるし、も1回吸入しとき。そんでもだめなら、病院や」

「あ、でも、そんなに苦しくないし、病院には行かなくても、大丈夫そうなんですけど」

「あかんて! 喘息なめたら、あかん! 

 いい? 喘息は死に至る病なんよ」

女性は智の膝をバシッと叩いた。智は背筋をピンと伸ばして固まった。

「ともさん。声、でかいわ。かわいそうに彼氏、戸惑っとるやんか」

後ろにいた、目のぱっちりとした女性が、声をかけてきた。

「あら、ごめんね」


 ともさんと呼ばれた女性、朋子は豪快に笑った。

「大丈夫よ。この人、こんなんだけど、看護師さんやから」

もう一人の背の高い女性が声をかけた。

「ちょっと、いっちゃ。失礼やない。

 こんなんって、なんなん。職歴25年のベテラン看護師やで」

いっちゃと呼ばれたのは仁子じんこ

「失礼しました」

仁子は笑いながら頭をさげた。


「はい。あめちゃん、どうぞ」

目の大きな女性、かおりが二人に大きな飴玉を手渡した。

「えっ?」

「いいから、とっとき」

かおりは笑って言った。

 立ったままだった妃美は、手を引かれ智の隣に座らせられた。


 妃美は飴玉を見ながら智に耳打ちした。

「本当に、あめちゃんって、言うのね」

「はい。さらっと、カバンから出てきましたよ」


 朋子とかおりは向かい合ったベンチに腰掛けた。仁子は妃美の隣に腰掛け、ひそひそ話をしている二人を、にやにやしながら見ていた。

「おたくら、どういう関係?

 姉弟には見えへんけど。

 やっぱ、カップル? 付き合うとるんやろ。

 学校の先生と生徒とか? 言ったらあかんような関係やたったりして」

「きゃー。そんな、ストレートに聞いたらあかんて」

「……。 いえ。智くんは弟でもないし、生徒でもないし、彼氏でもありません」

妃美はむっとした顔で答えた。

(まぁ、事実だよな)

智は少しがっかりする。

「ええっ? でも、この辺の人と違うやろ。彼氏でもない人と、こんなとこまで、来る?」

「ちょっと、いっちゃ。こんなとこって何? 聞き捨てならんわ」

ぱっちりとした目を、さらに大きくさせてかおりが詰め寄った。

「あら。失礼しました」


「おーこちゃん。歴史好きでな。明日香村が大好きなんや」

かおりはおーこちゃんと呼ばれていた。

「そや。明日香村は偉大なとこなんや。それを『こんなとこ』よばわりされる筋合いないわ」

大きな声で話す3人を、智と妃美は唖然として眺めていた。

「ああ、うちらな、高校ん時の同級生なんよ。

 だから、未だにそん時のあだ名で、呼びおうとるん。

 おーこちゃんは旧姓、大田かおり、大田やから、おーこちゃんや。

 ともさんは旧姓、下柳朋子。あら、旧姓関係ないな」

仁子は一人で笑った。

「で、いっちゃは、旧姓、市川仁子や。だから、いっちゃや」

「はぁ。あっ。俺は、大谷智です」

智は思わず、自己紹介してしまった。

「彼女は?」

「真田妃美です」

「智くんに妃美ちゃんね」

「そや。亀石、見に行かんと。

 智くん。あんた、大丈夫やね。はよ、メプチンして、休んどき」

朋子がガバッと、立ち上がった。

「そやそや」

かおりも慌てて立ち上がり、駆け出した。仁子と朋子はゆっくりと歩いてかおりを追いかけた。

「にぎやかね。それに、話があちこち飛びすぎて、ついて行けないわ」

「はい」

二人は呆然とおばちゃん達の背中を見送った。


 智はリュックの中から吸入薬を取り出した。そして手早く吸入を済ませた。

「智くん、目が黒くなるたびに、具合が悪くなる気がする」

「確かに。なんか、関係あるんでしょうか」


「妃美さん」

智は妃美に向き直った。妃美は「えっ」と、小さな声をあげた。

「あの、妃美さんは、さっき、変な景色、見ませんでしたか?」

「さっきって、智くんの目が光った時?」

「はい」

智はうなずいた。

「ううん。別に、なにも……。

 智くん、なにか見えたの?」

「はい。また、昔の世界の景色が見えたんですよ。たぶん。

 それに、朱雀の隣に、知らない男の人がいて。それに、白虎がいたんです。白虎を連れていた人は、火傷していて……」

「妃美ちゃーーん」

おばちゃん達の大きな声で、話は遮られた。

「えっ?」

妃美は驚いて、立ち上がった。

「ちょっと来てぇーー」

「えっ。今、話しているのに。

 ちょっと、待ってもらえないかしら」

そんな妃美の声は、向こうには聞こえない。

「早くーー。 妃美ちゃーーん」

「妃美さん。近所迷惑になりそうだから、行った方がいいですよ」

「そうね」

妃美はため息をつきながら立ち上がり、おばちゃん達の元に歩いて行った。

 妃美は3人からカメラを手渡された。写真を撮るために、呼ばれたようだった。


 満足げにおばちゃん達が帰って来た。妃美だけが戸惑った顔をしている。

「智くん。どう。治った?」

朋子が真っ先に駆け寄って来た。

「はい。ありがとうございます。おかげ様で、もう大丈夫みたいです」

「そやね。顔色も良うなってきたわ。なら、大丈夫やね。

 うちら、一緒に観光する事になったから。よろしくね」

「えっ?」

智はパッと妃美に視線を向けた。

 妃美は片目をつぶって、謝るように両手を合わせていた。

「車な、すぐそこの駐車場に停めてあるから。

 次は、橘寺や。いいやろ」

仁子が指差しながら歩き出した。


 3人のおばちゃん達の後を、智と妃美はゆっくりとついてきた。

「ごめんね。バスと歩きで回っているって言ったら、じゃ、一緒に行こうって。車の方が便利だって。

 返事をする前に、決定事項になっているんだもの」

「いえ。あの勢いで言われたら、断れないですよ。

 まぁ。あの人達、悪気はなさそうだし、いいんじゃないですか。

 確かに車の方が楽だし。

 それに、歴史好きな人がいるって言っていたじゃないですか。観光するのにいいかもしれないですよ」

「そうね。確かに助かるかもしれない」




 



 





 

 


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