第6話 伝飛鳥板蓋宮跡
「次な、“伝飛鳥板蓋宮跡”の予定なん」
かおりは車が発進するなりそう言った。
「そこ、何だったっけ」
朋子が尋ねる。
「大化の改新の舞台になったとこや」
「ああ、そうやった」
「この3人の中では、大化の改新って、当然わかる事なんですね」
智が妃美に耳打ちした。
「お二人さんはええの? なんもないとこやで」
仁子が気を使ってか、確認してくれた。
「はい。実は私たちも行こうかって話をしていた所です」
「ホンマか。うれしいわぁ。
確かになんもないとこやけど、歴史的には重要なとこなんや。
橘寺のあとは、“石舞台古墳”に行く人が多いらしいんやけど、ここははずせないと思うんよ」
かおりは一人で興奮していた。
「大化の改新は知っとるやろ」
「あっ。はい。蘇我入鹿が殺されたってやつですよね」
「そやそや。なんや。智くんも、歴史の事知っとるやんか。
ってか、T大生やもんな。今まで、知識、隠しとったんと違うか」
「いいえ。本当に、俺、歴史だめなんですよ。
大化の改新も、さっき、パンフレットで知ったばかりです」
「さよか」
かおりは明らかにがっかりとしていた。
「なぁ。この辺やと思うんやけど。駐車場が、見当たらん」
運転手の仁子がいったん、車を停止させた。
橘寺から本当に近かったらしい。あっという間に着いてしまった。
「そこに、幅寄せしとくしかないやろ。あんまり人も入って来ないみたいやし。はよ降りて、はよ見てこ」
5人は車を降り、おばちゃん3人組は走って伝飛鳥板蓋宮跡に向かった。智と妃美は見失わない程度に、歩いて後に続いた。
広々とした、のどかな風景が広がっている。そこにあるのは、草むらと、今は何も植えられていない田んぼ。
「これや、これ」
かおりは、すっかりはしゃいでいる。そこには石畳しかない。
「あそこ。石が敷いてあるだけですよね」
のんびりと後から来た智。なにがそんなに興奮する要因なのか、さっぱりわからなかった。
石畳は車庫くらいの広さしかなかった。
石と石の隙間から、ポツポツと草が伸びている。
「ここが、乙巳の変の起きた場所。
大化の改新って、ここから始まったんや」
かおりはぐるっと一回りして、360°、景色を見渡した。
(あっ。“いっしのへん”って、読むんだ。おつみじゃないのね)
妃美は心の中でつぶやいた。
「ってことは、ここで入鹿は殺されたんやね」
仁子もなんとなく感慨深そうである。
「ってことは、ここ、殺人現場って事ですよね」
智が浮かない表情で言った。
「怨念が漂っていそうな気がしませんか。
なんか、いるような。背中になんか感じる気が……。
俺、こういう話、弱いんですよね」
「そう? 他人には見えない、不気味なものが、いっつも隣にいるのに。
これって、ある意味、幽霊とかおばけみたいなものじゃない」
「カービィは幽霊じゃありません」
「いや。幽霊になっても、おかしないねん」
「うわっ!」
智はそれこそ幽霊が出てきたのかと思うほど、驚愕の声をあげた。
「なんや。そないにびっくりせんでも、ええやんか」
声をかけたかおりも驚いていた。
(この人たち、ふってわいた様に、話に割り込んでくるんだから。
カービィとか言ったの、聞こえてないだろうな)
智は突然声をかけられた驚きと、内緒の話を聞かれていないかという不安で、激しい動悸がしてきた。
「いやな、幽霊って聞こえたから、入鹿と幽霊の事、聞かせよう思っただけやのに」
(その前の会話は聞こえていない)
智はそう確信し、ホッとした。
「あっ。すみませんでした。
で、やっぱ、入鹿の幽霊が出るんですか」
「見た人ってのは、聞いた事ないけどな。
でも、そうなっても、おかしないんよ」
かおりは声を低くし、不気味さを演出した。
「 ほら、入鹿って、ものすご、悪人の様に言われよるやんか」
「えっ。悪人なんやろ?
天皇の事ないがしろにして、実権握って、自分たちの思うままにしとったって。
天皇も暗殺したんやろ?」
「それは、馬子。入鹿のじいさんのやった事や」
朋子の発言にチェックが入った。
「蘇我氏がやったんやから、おんなじやろ」
「でも、あの、おーこさん?」
智は困ったように、名を呼んだ。
「おーこさんって、初めて言われたわ。そやな。おーこちゃんなんて、このおばちゃんに向かって、言えへんな」
3人は一斉に笑った。
「智くん。かおりさんよ。たしか」
妃美が助け舟を出してくれた。
「あっ。あの、じゃ、かおりさんが、入鹿は悪人の様に言われてるって、言い方をするって事は、実は入鹿は悪人じゃなかったって、言いたいんですよね」
「その通り。さすがT大生やな」
「いえ。それ、関係ないですよね」
「そう、入鹿は意図的に、悪人に仕立てあげられたってのが、最近の研究で分かってきたことなんよ」
「悪い人でなかったのに、悪人に仕立て上げられて、そして殺されて。それだけでも、恨んでしまいますよね。
そのうえ、こんな先の時代まで、悪人として位置づけられてちゃ、怨念になって出てきてもおかしくないですよね」
「そう。入鹿は死ぬ時、怨念になったって話。そういう伝説もあるんよ」
「やっぱり」
「入鹿は中大兄皇子に、首をちょん切られたんやけど。その首がな、空、飛んだんやって。
そんでもって、その首な、ずっと向こうの“飛鳥寺”まで、飛んでったという話。
ほら、飛鳥寺ってあそこや」
そう言って、かおりは北の方角を指差した。
田んぼが途切れる、はるか先の所に、一列に並んでいる木々がある。その木の葉の隙間に、大きな屋根の建物が見えている。
それが飛鳥寺らしい。
「あんなとこまでか? 話半分やな」
仁子は目を細めて見ている。
「大化の改新の場面じゃ、入鹿の首が飛んだって、大騒ぎになったん。入鹿が祟ってくるってな。
そんで、飛んでった入鹿の首を埋めて、“
それ、飛鳥寺のすぐ近くにあるんや」
智は飛鳥寺の方をじぃっと見つめた。見えるはずのない、首塚を探すように。
「ついでにな、飛鳥寺の左側に、小山があるやんか。あれ、たぶん“
かおりの言葉に、皆が一斉に左を向いた。
なだらかな、木に覆われた丘がある。
かおりはバックの中から、雑誌サイズの薄い本を取り出した。ペラペラと本をめくると、その本と景色を見比べた。
「そやそや。あれは甘樫丘。
で、その右隣の頂上だけちょこっと出ているのが、たぶん“
その隣が“
で、西の方に、見えんけど、“
耳成山、天香久山、畝傍山。この3つを、“飛鳥三山”っていうんやって」
「で、入鹿の悪人否定について話を戻すとな。
あの甘樫丘に入鹿が家を建てたんが、悪いってことになっとる。
ここの宮には天皇が住んでおったんや。それなのに、あの丘の上に蘇我の家があると、蘇我が天皇を見下ろしているって。そういう言われ方したんよ。
でもな、あそこに家を建てたんは、飛鳥を守るためやったって事がわかったんや。
これな、〇HKで放送されたんや。だから確かな話やで」
「国営放送に全幅の信頼ですね」
智は妃美にしか聞こえない程の声で囁いた。
「次な。
蘇我の娘を天皇に嫁がせて、それで朝廷を自分の物のようにしたって事。
これもな、蘇我が働いた悪事って言われとるけど。
でも、力のある豪族は、競って天皇に娘を嫁がせておったんや。みんな同じことしとったわけで、蘇我だけがやっとったわけやない。
俗に言う、政略結婚やろ。そんなん、今の時代でもあんねん」
かおりは一呼吸おいた。
「おーこちゃん。すっごい語るなぁ。
うちら、おーこちゃんのこと、語り部って呼ばせてもらうわ」
朋子が冗談交じりに言った。
「何とでも呼んでぇな。
私、まだまだ語らせてもらうで。
次。
入鹿は上宮家を滅ぼしたって言われとる」
「って事は、それもえん罪ってことですか」
智がつかさず問いかけた。
「と、思うやろけど。これはな、もしかしたら入鹿も、関わっとたのかもしれんねや」
「なんや、それ」
「おーこちゃん、もったいつけすぎ」
仁子と朋子から、つっこみが入る。
「でも、入鹿だけがやったんと違うんやって。
上宮家を滅ぼした悪い奴って、攻め立てた、中大兄皇子とか鎌足も関わっとたって話や」
「えげつな」
「もしかすると、それがさっき言っていた、聖徳太子はいなかったかもしれない、って話につながるのかしら」
「妃美ちゃん。すごいな。正解や。
入鹿が滅ぼしたって言われとる、上宮家やろ。
その創設者である聖徳太子が、ものすご立派な人だとしたら。
それを滅ぼした入鹿はもろ悪人やんか」
「まさかそのために、厩戸という人が作られたって事?
そんなん、うち、いややわぁ」
「それは、まぁ極論でな。一方では、聖徳太子はごく普通のおっさんやったって説もある」
「ええーー! そっちの方がいやや。
うちの中では厩戸は超イケメンで、頭キレッキレで、性格もオッケーな感じなんやけどな」
厩戸推しの仁子には納得できないらしい。
「それも、一つの説や。
1400年も昔の話や。ホンマの事はもう、わからんやろ。
でも、現代の技術で新事実がわかったり、発掘がすすんだりで、いろんなことがわかってくる。それを元に、いろんな想像ができるんや。
それが、古代史の楽しみでもあるって、思うで」
「そやね。それがおーこちゃんが、よう言う、古代のロマンってやつかいな」
「でな、大事なんが、この大化の改新の事が書かれている、日本書記の事や。
この本を中心になって編集したんは、藤原不比等なん。
この人、鎌足の子供やろ」
「そうなんですか」
3人の中では常識なのか、驚きの声をあげたのは智だけだった。
「そやねん。不比等は、日本書記を使って、父親のした事を正当化しようとしたん」
「もしかして、鎌足と中大兄皇子は、入鹿が邪魔だったとか、そんな感じですか。
それで入鹿殺して、政権握って、ついでに、入鹿の事を悪者に仕立てあげて、自分たちのやった事は、正しかったんだって、そういうストーリーですか」
智は徐々に興奮していった。
「すっごい。さすがT大生」
「だから、それ関係ないですって」
「実際、中大兄皇子は後の天智天皇や。
中臣鎌足は天智天皇のブレインになって、えらい出世したんや。
そんでな、藤原の姓をもろて、藤原氏を反映させたんや」
「藤原氏って、あの藤原氏?」
(なんの藤原氏だ?)
智は目をぱちぱちと瞬かせた。
「智くん。わからんのやろ」
智の表情を見て、かおりが笑った。
「平安時代に黄金時代を気づいた、藤原氏や。
藤原道長って、聞いたことあらへん?」
「ああ、なんか、聞いた事あるような。
源氏物語の頃の事ですよね」
答えたのは妃美だった。智は相変わらずちんぷんかんぷんだった。
「そうそう。
藤原氏は、平安時代に摂政になって、朝廷の実権握っとったんや。
自分の娘を天皇に嫁がせて、自分たちの都合のいいように政治を行ったん」
「なに、それ。
蘇我氏とおんなじ事しているんじゃないですか。
祖先がそれを理由に人を殺しながら、子孫は、同じ事しているって、非常に納得できないんですけど」
智が言うと、かおりは満足そうにうなずいた。
「そやろ。
挙句にな、道長は、この世おば 我が世とぞ思う 望月の 欠けたることのなきと思えば なんて、歌まで詠んだんや」
「これ、うちも覚えとる。
この世の中は、俺の物で、満月が欠ける事がないと同じで、永遠に続くのだって、言っとるんよね」
「もちっと語らせてもらうとな、不比等の改ざんは、まだあるん。
名前の改ざんや」
「これも、入鹿か。入鹿の名前変えたんか」
「そうや。
入鹿のじいちゃんって、知っとるやろ」
「馬子や」
仁子がパッと答えた。
「そやな。馬子やって、飛鳥の時代の権力者や。
その有名な馬子の孫が、入鹿。馬と鹿じゃ、馬鹿になってしまうやんか。
馬鹿にするにも、程があるって話や」
「うまい」
朋子が親指を立てた。
「じゃあ、入鹿の本当の名前って、わかっているんですか?」
智が真剣な顔で聞いた。
「たろう」
「えっ?」
「大郎や」
智は息を飲んだ。一瞬、頭が真っ白になった。
亀石で幻影を見た時、火傷を負っている男は『たろうさま』と、呼ばれていた。
「たろう……」
偶然の一致とは思えなかった。
「正式にはな、
「蘇我、大郎鞍作」
智はその名を、声に出した。
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