第28話
「玉井柚季は臆病者だね。何年前のことを一体いつまで引きずるつもりなの。言ったじゃん、あたしはいなくならないって」
「良く言うよ。…ここ最近ずっと連絡を寄越さなかったくせに。道で出会っても無視したり、わざと遭遇しないように避けて行動してたくせに。何なんだよ。お前って本当、死ぬほど、めんどくせえし、死ぬほどうぜえ」
ぶっきらぼうな言葉とは裏腹に、玉井柚季の頬がほんのりと染まっていることに気づいたあたしは、ピンク色のアイスクリームを食べたときみたいに、とっても幸福な気持ちになった。そして、あたしはもう玉井柚季に近づくことに躊躇する必要はないのだと思えた。つい調子に乗って、どきどきと高鳴る心臓に耳を傾けながら、上ずった声で玉井柚季に話しかける。
「ねえ、ほんとうのことを言ってよ。あたしは、玉井柚季の本当の気持ちを知りたいの。そうしたらこれからもずっと、玉井柚季から離れないでいてあげてもいいよ。玉井柚季がそうしてほしいって思うなら」
「…お前って、最悪だな。何で私、こんなところ来ちゃったんだろう」
玉井柚季は呻くようにそう言うと、舞台の上に寝転がった。棒切れのように細い腕で潤んだ瞳をあたしに見られないように隠している。無防備すぎるその様子にむくむくと頭をもたげてきた欲望を必死に抑え込みながら、玉井柚季と同じように横になろうとした、その時だった。
「あきたゆな」
呼ばれ慣れないその名前を玉井柚季が口にしたことに驚いていると、彼女はあたしに向かってゆっくりと微笑んだ。あたしは信じられないものを見ているような気持ちで、ぱちぱちと二度、瞬きをした。
「今度、私から離れたら殺す」
玉井柚季の細長い指が、あたしのまっすぐな髪の毛を梳いた。黒目がちで大きな瞳の中に、あたしの強張ったような表情がはっきりと映り込んでいるのを見ながら、「待って」とかすれた声で小さく叫んだ。
「ちょっと待って」
玉井柚季はいかにもだるそうな態度で、「何なんだよ」と呻いた。
「条件があるの」
「なんだよ。…早く言えよ」
「これ。あたしにちょうだい」
玉井柚季の首にいつもかけられている南京錠のネックレスを指差す。ゴツめのネックレスが彼女の華奢な身体のつくりを際立たせている。玉井柚季は最初、意外そうな顔をしてあたしをじっと見つめていたけれど、ふっと笑ってすぐにそれを手渡してくれた。そのネックレスに触れるとじゃらじゃらと金属の擦れる音がして、ずっしりとした重みが感じられた。
「じゃあ、代わりにその首輪、私に寄越せ」
「…ほしいの?」
「わりーかよ」
「玉井柚季の趣味とは、大分ずれてしまうような気がするよ」
「いちいちうるせーんだよ。さっさとしろ」
玉井柚季が怒ったような声でそう言うので、震えておぼつかなくなっている指で、オープンハートのネックレスを外して手渡した。真っ赤なスワロフスキーがあしらわれたモチーフは、玉井柚季の胸元で、光を反射してきらきらと光っている。
「意外とそういう、乙女チックなのも似合うかも」
「お前は全然、似合わねーな」
「こんなの、玉井柚季にしか似合わないよ。あたしに似合うわけないじゃん」
「お前はいつも、褒めてんのか貶してんのか、微妙な言い回しをするよな」
「ねえ、玉井柚季」
「何」
「病めるときも、健やかなるときも、喜びのときも、悲しみのときも、富めるときも、眩しいときも、これを愛し、これを敬い、これを慰め、これを助け、その命ある限り、真心を尽くすことを誓いますか」
「何それ」
「永遠にお互いを縛りあう、誓いの言葉。これはあたしが玉井柚季にかけてあげられる、唯一の呪いなの」
あたしが大真面目にそう言ってみせると、玉井柚季はぷっと吹き出した。別に、笑わせる為に言った訳じゃないけれど、玉井柚季が少しでも楽しい気持ちになれるなら、何でも良いと思えた。その為になら、ピエロにでも道化にでも、何だってなれるとさえ思えた。
玉井柚季の顔が少しずつ近づいてきているのは分かっていたけれど、あたしの体は氷漬けにされたみたいに言うことをきかない。玉井柚季の長いまつげがぱちぱちと瞬くたび、あたしはいつまでも、この夢みたいな夢が覚めませんようにと、動かない身体のなかで何度も願った。生涯2度目のキスは、はちみつみたいに甘くって、身体の芯から震えるほどのとろけるような愛しさが胸の奥をぐさりと突いた。
あたしは玉井柚季が好きで、好きで、仕方がなかった。世界の中心で愛を叫びたくなる人の気持ちが、手に取るように分かった。玉井柚季のガラス細工のような心を思い切り壊したかった。玉井柚季の未開拓な場所に、羽毛を撫でるような優しさで触れたかった。相反する感情があたしの心を突如揺さぶって、立っていられなくなってしまう。
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