第17話


 玉井柚季の居ない毎日は退屈だった。彼女に出会う前、自分がどんな風に生きてきたのか、思い出すことさえままならない。ぽっかりとした喪失感をもてあましながら、白いシーツ頭のてっぺんまで引き上げる。午後三時の日の光が、暴力的なほど眩しかった。

 それくらい夢中だったのだ。好きだったものも大事だったものも全部、すべて放り投げてしまえるほど。


 センチメンタルに浸っていると、ピンポン、と来訪者を知らせる間抜けなチャイムが鳴って、あたしはナマケモノよりものろのろと体を起こした。ドアに空いている小さな覗き窓から外を覗くと、予想通り、おけいが不安そうな顔をして立っていた。


「ポーチ。こないだnanakoに載ってた美味しいプリン、買ってきたんだけど食べない?平日なのに行列できてて、大変だったよ」


 おけいはここ毎日のように、講義が終わるとあたしの家までやってくる。頼んでもないのに甘いものをどっさり抱えて。だけどおけいは全然、あたしのことをわかってない。そんな気分じゃないのだ。どんなに有名なパティシエのお菓子だって、何にも欲しくない。失恋なんて言葉じゃ甘っちょろい。苦しくて悲しくて切なくて、胸の痛みがいつまでも消えないから。


 ドアのチェーンを外さないまま、「いらないよ。帰って」と冷たく言うと、おけいは「元気?」と明るい声を上げた。元気な訳ないのに。おけいだってわかってるくせに、と微かに苛立ちを覚える。


「毎日来たって、意味ないよ。どんなに説得されたって。あたしは外に出ないからね。このまま引きこもりになってニートになって、親の脛をかじり続けるって決めたんだもん」


 あたしの口から出たバカなでまかせを聞かなかったかのようなそぶりで、おけいは「ねえ、ポチ、ちょっと聞いてほしいことがある」と静かに言った。普段と違う落ち着いた声のトーンに、遂に怒られるのかもしれないと思って、あたしは身体を硬くした。


「ポチはさ、どうしてポチと私がいつも一緒にいるか、不思議に思ったことない?私たち、初めて幼稚園で出会ってから、小学校中学校高校、大学までずっと同じところに通ってる。部活だって、今住んでる最寄りの駅だって同じ。ふたりずっと一緒なんて、そんなの、どっちかが相手に合わせなきゃ成り立たないって思わない?」

「おけいはそうしたくてそうしてるって思ってた」

「そうだよ。だって私にとってポチが隣にいない人生なんて考えられなかったから。ポチとやりたいことを天秤にかけたら、ポチの方がずっと重かった」

「つまり、どういうこと」

「ポチの為なら何だって放り出せると思ってた。あんたのこと、好きだったよ、ずっと。ちっとも気づいてもらえなかったけど」


 あたしは詰めていた息をゆっくりと吐いた。それから、閉じていた玄関のドアを開けて、静かに涙を流していたおけいを部屋の中に入れてあげた。あたしはおけいの泣き顔をそのとき初めて見た。

 恋って、何て上手くいかないんだろう。

 好きになってくれる人だけを好きになれたらいいのに。


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